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壁ドンドンドドン!

 改めて部屋を見回してみる。さすが音楽の道を志すだけあって、沢山のCDが棚に並べられていた。

 あゆみという子は、その中から迷うことなく一枚のCDを取り出す。

 今時珍しい子だ。スマホに何百曲とダウンロードできる時代に、CDなんて。どれどれ……、どんなアーティストの曲なんだ。


「この曲、ソラ知ってる?」


 それは“ゆず”の『栄光の架橋』。


(あぁ、懐かしい!)


 昔流行ったな。メッセージ性の高い歌詞だった気がする。どんなだったかなぁ。記憶があいまいだ。

 テレビではよく聴いたが、CDプレイヤーで聴くのは初めてだ。今の俺は耳がいいから、小さなノイズやブレスの音も聴きとれる。


「いい曲でしょ」


 部屋中が希望に満ち溢れるような、そんな空間だ。CDの歌声に合わせて彼女も割かし大きめな声で合わせて歌う。河川敷で聴いたギターの音はアレだったが、声は綺麗だった。


 ――ドンッ!


 (!?)


 突然隣の部屋から大きな物音が聴こえた。多分、物理的な壁ドン。

 そうか、このマンションは壁が薄いのか。音が駄々洩れなんだ。『栄光の架橋』も、この子の声も丸聞こえだということ。

 普通なら、恥ずかしくて歌うのをやめるだろうが、彼女は違った。


「……負けるもんか」


 そう小さくつぶやいたと思えば、さっきより大きめの声で歌いだす。同じ曲を何度も何度も。


(いつか刺されるから止めなさい……!)


 俺はそう思いながら、小さな声でクーンとだけ鳴いた。


「そうか。ソラも一緒に歌いたいんだね」


(ちがーう‼)


 あゆみという子は、俺を両手で優しく持ち上げると、リンゴが一つ転がるこたつの上に乗せた。

 わー、まるでステージの様……、って、


(俺は歌わないぞ、音痴だからな!)


 というより、そんなことじゃない。この子が周囲の人から嫌がられる理由はこれじゃないのか。

 

 俺の心配は伝わることなく、絶好調で歌い続けている。いくらいい曲だからって、何回も歌われたらそりゃ壁の一つくらいでも叩きたくなるよな。


 ――ドンドンッ!


「なら、これでどうだ」


 彼女は音がした方にあっかんべーをして、ギターを持ち出した。

 いや、それはまずい。やめとくんだ。部屋で楽器なんて、いやそもそも基本のきの字も出来ていない演奏を聴いて怒らない人がいるわけないじゃないか。


 俺は演奏を止めようと咄嗟にタックルをした。人間だったら肩に命中していただろうが、リーチの短い俺は手前のギターに正面からぶつかる。

 そして彼女の膝の上に転がり落ちる。痛い。ギターの弦痛い。

 だが同時に、ボロロロン、と割かし綺麗な音が聴こえた。


「え、ソラ。ギターが弾けるの?」


 あゆみという子は、ぐったりしている俺を持ち上げてキラキラした瞳を近づけたかと思うと、鼻をコツンと合わせてきた。

 彼女は俺の頭を何度も何度も撫でると、嬉しそうに独り言をぶつぶつ呟いている。

 

(なんだかもう、ついていけない)


「明日、商店街の中で歌うの。ソラも一緒に行こう」


 そう言いながら彼女は、小さな冷蔵庫から牛乳を取り出して深皿に入れる。おそらく俺の今日の晩御飯だろう。正直な話を言うと、肉が食べたい。

 

 だが俺はチワワ。誰もそんなこと考えてはくれない。はいはい、どうせ俺は犬ですよー。ちょっと芸ができるってだけでもてはやされる犬ですよー。


「君もわたしも、捨てられたんじゃない。幸せになるために生まれてきたんだ」


(?)


 ずっと流れ続ける『栄光の架橋』。再び歌いだす彼女。そして大きくなる壁ドンの音。それは夜遅くまで続いた。

 

 歌い疲れたあとは、風呂に入ってまた歌っていた。まるであゆみちゃんリサイタルだ。この子のことが好きな人にとっては天国だろう。

 

 それはそうと、そろそろ歯が浮いたような感覚がしてきた。そうだ、歯磨きがしたいんだ。


(犬ってどうやって歯を磨くんだ?)


 この口じゃうがいも出来ない。嫌だぞ、口臭のきついチワワなんて。そこは女の子なんだから気づいてくれるよな。


(な? あゆみちゃん……)


「何鳴いてるの」


 風呂から上がってパジャマ姿で俺を抱きしめる彼女。髪の毛から滴り落ちる大粒の雫。桃のような肌。湿った衣服から感じるぬくもり……、あぁ、なんだか頬が熱く……、


(いやいや、俺は美香子みかこ一筋だ‼)


 浮気は許さんぞ、この子は夏樹なつきのお姉さん。異性として見るな。俺。


「ソラ、口臭いよ」


(‼)


 わかってはいたが、こうもはっきり言われると悲しい。

 だが、彼女はスマホで犬の歯の磨き方を検索して実行してくれた。

 不思議な女性だけど、いい人なことは何となくだがわかる。端から見れば変人だが。クラスにそういうやつ、一人くらいはいたなぁ。

 

 ひとしきりのケアが終わった俺と彼女は、同じベッドで眠ることとなった。まるで人形を抱くかのように、ぎゅっと抱きしめられた俺。


(ごめんよ、美香子みかこ。これは違うんだ。チワワであるが故の……、不可抗力だ。そう、不可抗力)


 明日は、商店街でのパフォーマンス。どんなリアクションが飛んでくるのか。見当はついたが、一生懸命なこの子の寝顔を見たら、まぁいいか、という気になった。


(成功するといいな。路上ライブ)


 彼女の顔を見ていると、不思議とそう思えてくる。それは、この子を夏樹なつきのお姉さんのように思おうと考えたからだろうか。それとも、この子自身に魅力があるからだろうか……。


 そんなことを考えながら眠りについた。

 天井には、“ゆず”のポスターが貼ってあった。

※『栄光の架橋』について。


2004年7月22日にリリース。

“ゆず”の楽曲で、21枚目のシングル。

NHK「アテネオリンピック中継」の公式テーマソング。

2009年には、緑茶飲料のCMソングにもなった。

(Wikipediaより)


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