これがお犬様の戦いだ!
次の日。
久しぶりにリビングの分厚いカーテンが美香子によって開けられた。差し込む太陽。窓には大粒の霜が付いていた。
それが宝石みたいにきれいで、じっと魅入っていた。
「あれ~、おかしいなぁ」
夏樹の声。
俺は朝ごはんのホウレンソウをうまく舌でからめとりながら、パクパクと口を動かして見上げる。娘はカバンの中をごそごそと探しているようだった。
「どうしたの、夏樹」
「昨日から消しゴムが見当たらないの。落っことしたのかな?」
娘よ。それはお前が友達だと思っているミスボーンの仕業だ。俺はこの目で見た。そして聞いた。奴は悪質な集り屋だ。
俺はミスボーンの化けの皮をはがしてやるんだ。夏樹が傷つかないように、でも奴を絶対に懲らしめる。
結局夏樹は、家にあった消しゴムを持って学校へと行ってしまった。
「じゃあパパ。お留守番よろしくね」
美香子も、時間差で職場へと出かけて行った。
(ふふふ、待ってろ。ミスボーン)
俺は、夏樹が奴を連れて帰ってくるまで、家の中をぐるぐるグルグル駆け回っていた。早く作戦を実行したくてうずうずしていたからだ。
こんな時に親友のマーガレットや、相棒の健斗君がいたら、賑やかで楽しかっただろう。田中家は今頃どうしているだろうか。
そういえば、北島はどうしたのだろう。諦めて他のニュースに飛びついたか。まぁ、どうでもいいことだが。
そんなことをのんびり考えていたら、眠くなってきた。犬の生活って楽だな。与えられて、甘えられて、抱かれて、心地いい……。
(いや、俺は二人を守らなきゃいけないんだ!)
そのために俺は居る。
(それにしても、暇だなぁ……)
俺は我が家を散策することにした。一番気になったのは、夏樹の部屋だ。ウキウキして二階に上がる俺。ドアには少しの隙間が開いていた。
チワワの体は小さい。毛がモコモコしていても、入ることは容易だった。
視界が低いから、全体を見渡すことはできなかったが、フローリングの床には何枚か白い紙が落ちていた。くしゃっとしている。ゴミ箱の近くにあるから、要らないものか。
どれどれ……
(……)
その内容は、俺たち家族を馬鹿にしたものだった。いったい誰がこんなことを。許せないぞ。やっぱり夏樹は何かを隠している。
(ミスボーンが娘に近づいたのも、これが原因か?)
確か、唯一の理解者なのにって言ってたような。
俺は紙をビリビリと噛み千切った。部屋を汚してすまん。だが、こんなものが残っていたら、俺の娘は、ずっとずっと、俺の死の記憶を忘れられないだろう。
(そうだ。夏樹は忘れたいと思っているんだ)
俺が死んだことを。
だったら、あの時の夢の言うように、チワワとして生きていく道を選ぶのも……、
(でも、そんなの悲しい)
これは独りよがりかもしれない。事故で死んでも尚、倉田家の一員で居たいでいたい俺の、パパのわがまま。
そもそも、俺は二人から本当はどう思われているのだろう。パパと呼んでくれる美香子もちょっと様子が変だった。
俺は、どんな姿でも夏樹と美香子のパパでありたい。
――自分のことしか考えないパパのこと大っ嫌い――
夏樹の声が脳内にこだまする。 あの時俺はすごくショックだった。でも、夏樹のことを思うと、そう言いたくなる気持ちもわかる。
もし、妻が流産していたら。夏樹がこの世に産まれていなかったら。
そう考えると、ぎゅうっと胸が痛くなった。こんな気持ちが続くくらいなら、美香子に抱かれている温もりを想像していたい。
(つくづく自分勝手な奴だ、俺は)
耳が自然と垂れ下がる。縦鏡に映った俺の姿は情けなかった。
いや、でもここで落ち込んではいけない。
(俺は家族を守りたい!)
あんな心無い言葉を書く奴から。正体がわからないからどうしようもないけれど、何とかしてやりたい。
そんなことを長々と考えていたら、ミスボーンを連れた夏樹の声が聴こえてきた。耳を立ててみると、今日は定期試験だったようだ。
犬になるとそこら辺の情報が手に入りにくくなるからなぁ。どうりで帰ってくるのが早かったわけだ。
「聞いたよー、あんたんとこのチワワ。父親の為り変わりなんだって?」
「やだぁ、そんなのどこで聞いたのー」
キャッキャと一見は仲良く見える二人。だが俺は知っている。
やい、集り屋ミスボーン。今日は覚悟してろ。
夏樹の部屋から出た俺は、一階に降りて、作戦を実行した。その名も……、
(くすぐり作戦だ!)
俺は、椅子に座ってお菓子を食べているミスボーンの足元に近寄り、フサフサの尻尾で、すねの部分を思いっきりくすぐった。
「ぎゃっはははは!」
「どうしたのミスボーン!」
「犬が、犬が……! 私をこちょこちょって……!」
――ガンッ‼
俺の尻尾をよけようとして、リビングテーブルの脚に勢いよくすねをぶつけるミスボーン。相当痛かったようで、小さく唸り声をあげていた。
(ざまぁ、ざまぁ!)
俺は舌を出して跳びはねた。端から見たら、ただの犬のいたずら。これなら許してくれるだろう。そして懲りたミスボーンはもう来なくなるはずだ。
「ごめんね。大丈夫?」
「だい、じょうぶ……、今日も帰るわ。ねぇ、よかったらお菓子ちょうだい」
「オッケー」
二階に上がる夏樹。
こんな奴にあげる菓子なんてありません。なんて言えず……。
「ねぇ、チワワ」
なんだ、ミスボーン。脅し文句でも言うつもりか。俺は屈しないぞ。
「家族ってどこがいいの」
なにを言うと思ったら。そりゃもちろん互いを信じあえることだ。たまに喧嘩をしても、気が付いたら仲直りしている。そして何よりも、近い存在。
「私は家族なんていらないね。売ってお金にしたいくらい」
(‼)
この子はなんてことを言うんだ。信じられない。親を売るのか。一体どういう教育を受けてきたんだ。だから母子家庭は……。
(あ)
今思ったこと、俺が読んだ紙切れと同じような内容だった。
多分、この子にはこの子なりの事情があるんだ。
夏樹は……、どう思っているのだろう。
「おまたせー!」
スナック菓子を詰めたスーパーのビニール袋を片手に娘が下りてきた。それを受け取ると、そそくさと帰るミスボーン。
最後は俺をにらんで、
「またね」
と言った。
(もう来るんじゃない!)
そういう思いを込めてキャキャンと鳴いた。
思わぬ形で、奴の本音を知ってしまったが、所詮は他人事。そう、他人事。
(……)
ええい、気になるじゃないか。
お節介か俺。
その時、ドアホンの音がした。
(また、北島が来たのか?)
それなら、また追い出してやる。
(いつでも来い! 我が家の敵たちよ!)
俺は決意を尻尾に込めて玄関まで駆け足で向かった。




