懐かしの二人との再会
田中家を見送った後、再び我が家へと戻る。
閉じられたドアの音がどこか、寂しく聴こえた。
「ずっと暗いままじゃだめよね」
美香子が玄関の電気のスイッチをカチリと押した。我が家に明かりがともった瞬間だ。掃除はしていたらしく、目立った埃は無い。リビングもおんなじ感じだった。
少し気になったのは、おそらくビスケットなどの食べクズが落ちている程度か。とにかく、秀一の家よりかは大分マシだ。
(良かったぁ……夏樹は引きこもりにならなくて)
引きこもり……。
はて。そういえば、この言葉の意味ってなんだったっけ。まぁ忘れるぐらいだから大した情報ではないのだろう。それよりも、二人の本音を聞くことの方が重要だ。
健斗君が居ない今、できることは鳴き声で意思表示をすることだけになる。……、といったところで、犬の気持ちなんて、人間にはわからないだろう。
パパである俺だって、二人の本当の気持ちがわからないのだから。
「ねぇママ。あかぎれ大丈夫?」
「平気よ。それより久しぶりに商店街にでも行ってみようかしら」
美香子の声の調子が明るい。俺が生きていた時よりもキラキラして見える。
(あかぎれ、大丈夫かなぁ)
「……まぁ、元気ならそれでいいけど」
夏樹が、ため息交じりに言う。
「パパも一緒に行くわよね!」
美香子は俺を、財布の入った青いコスモス柄の片掛けカバンの中に入れて、俺の首元ギリギリのところまでチャックを閉じた。
妻の楽しんでいる声を聴けるのは嬉しいが、チャックに毛が絡んで痛い。こういうところ、昔から変わってないなぁ……。
「夏樹も行くでしょ?」
「うーん。勉強があるし、ご飯は任せる」
「あら、そう……」
なんとそっけない対応。俺は悲しげに、カバンの中でくーんと鳴いた。それが可笑しかったのか、夏樹は、「あはは」と笑って、
「ホント。“パパ”みたい」
と言った。
(本当にパパなんだって!)
やっぱり信じていない。
実の娘に信じてもらえない悲しさときたら、なにやら寂しい物がある。でもまぁ仕方ないよな。俺、今チワワの姿だし。
「じゃあ、行ってくるわね」
俺と美香子は、自室へと戻った夏樹を置いて、商店街へと向かった。道順は異なるが、目的地は歩ちゃんとはじめて路上ライブを行った場所だ。
(藤田君と歩ちゃん、元気にやっているだろうか)
なんてことをほのぼのと思っていたら、後ろから突然、俺が入ったコスモス柄の片掛けカバンをかっさらっていく、やせ型の高校生ぐらいの女が現れた。
美香子が追いかけるが、俺との距離は遠くなっていくばかり。足が自慢の俺だが、カバンの中に足がある以上、何もできない。
「いただき!」
「待って、せめてパパだけでも返して!」
俺は最悪のシナリオを考えた。
美香子は生きがいを失い、俺は居場所どころか命さえ失うかもしれない。この女が何者かは知らないが、いたずらや出来心にしては度が過ぎている。
俺は誰かに助けてもらうべく、大きな声で吠えた。
その時、助っとが現れた。
なんだか懐かしい、藤田君と歩ちゃんだ。
逃げる女の肩を小柄な藤田君が摑まえる。すごいな、空手って相手を傷付けない護身術なんだな。ひっかこうとした女の手を細い腕で封じる藤田君。
ぜいぜい立ち止まって息を吐いている美香子の方へと寄っていく歩ちゃん。
背中にはギターケース。
今日はここで路上ライブを行っていたのか。
(まさに奇跡!)
「ちょっと、アンタたち誰よ」
「そんなことより、補導されたくなかったら、盗んだもの返しなよ」
「なによ偉そうに!」
商店街付近の人たちがわらわらと集まってくる。さすがに気まずく感じたのだろう。女は俺の入った片掛けカバンを見つめると、藤田君へと投げつけた。
うまくキャッチされたからいいものを。
(一つ間違っていたら大惨事だからな!)
チワワは丁寧に扱え。おじさんは怒っているぞ。
「パパ……! パパ!」
歩ちゃんに背中を撫でられながら、ゆっくり俺の方へと近づいてくる美香子。またもや助けられてしまった。
そして、カバンのチャックが妻によってガバッと開けられる。絡みついた毛が数本抜けた。もうちょい丁寧に扱えませんかぁ。
「その前髪と毛並み、もしかしてソラ?」
そうだ歩ちゃん。もうソラという名前ではないが。一緒に眠った時のことや藤田君の愛の告白を聞いていたソラはここに居るぞ。
(どうだ、元気にやっているか?)
俺は二人の顔を交互に見上げてキャキャンと鳴いた。尻尾は再会の嬉しさを表すためにフリフリと振っている。耳もシャキっと立てて美香子に恥じないような紳士なさまを見せた。
どうだ、これなら情けなさそうとは言えないだろう。
「誠、やっぱりこの子ソラだ」
「飼い主の前でそういうこと言うからファニーヒューマンって言われるんだよ。森梨」
「私は歩です。名前を呼びなさい」
「そっちこそ、年上だからって、いきなり名前で呼ぶのは失礼だよ」
整理すると二人は、藤田誠君。森梨歩ちゃん。ってことになるのかぁ。
人のフルネームって案外会話の中で出てこないからスルーしていたけれど、わかるとなんだかパズルが組み合わさったような感覚で面白いな。
確か、秀一と厳は、横水って苗字だったか。
俺は、倉田俊介。倉田家のパパだ。生前の職は……、はて。なんだったか。まぁ忘れる程度の情報など重要ではないってことだ。
藤田君と歩ちゃんと話し終えたあと、美香子は商店街のおばちゃんたちに声をかけられていた。
「久しぶり」とか、「元気?」とか。
なかでも、噂好きで有名なマサミおばちゃんに目をつけられてしまった。彼女の前で話をすると、尾ひれはひれついて帰ってくる。
要注意人物だ。
「最近顔見ないと思ったら、かわいいチワワ買っとんねぇ」
「実はここだけの話。夫の為り変わりなんです」
「あんれまぁ」
どんぐりのような目が、さらにまん丸くなる。マサミおばちゃんに話したら駄目だ。美香子。きっと北島の耳にも入ってしまう。
そういう話、メディアって好きだろ。
一連の話を聞いたら、彼女はすり足で腰に手を当てながら、おそらく家へと帰っていった。マサミおばちゃんはずるい。他人の情報は山ほど知っているのに、自分の情報は一切明かさない。
「外に出るといろんな人に会えるわね」
上機嫌な美香子。
八百屋で買った、ジャガイモとニンジン。お肉屋さんで買った鶏ささみ。
いろいろあったが、今日の夜ご飯はカレーだな。俺は肉の好みが激しかった。牛肉もだめ。豚肉もだめ。その代わり、鶏のささみ肉なら食えた。
(今は何でも食えるが……)
俺のことを考えてくれているのなら嬉しいことこのうえない。あとは、夏樹の居る我が家へと帰るだけだ。




