保健所からの脱出!
殺処分から逃れるための作戦会議中。ドンのパグは低く唸って、犬なりに考え事をしているようだ。名前を聞いてみると、そもそも野良犬らしく、名前らしい名前は無いらしい。そこで俺は“人間”の賢さを見せつけてやろうとした。
そんな時、いかにも仕事の出来なさそうな眉の下がった細身で猫背の男が様子を見にやってくる。すると、パグをはじめ沢山の犬たちがキャンキャンと愛想を振るように鳴きだした。
やはり犬は犬だなぁと思っていると、男はジーパンのポケットからビスケットを取り出して、
「他の職員には内緒だぞ~」
そう言いながら、全匹に配って回る。もちろん俺の所にも来た。
(……、食えるか、こんなもん)
「あぁ、折角助かった命なのになぁ。どれどれ、傷の具合を見てあげまちゅねー」
男は俺を柵から出して、頬ずりをしてきた。うへぇ気持ち悪ぃ。どうせなら夏樹や美香子にしてもらいたい。最悪だ。けれど、この男使えるぞ。
「そいつは山田ってんだ。こいつのくれる菓子はうめぇぞ」
パグはがっつきながら餌。基、ビスケットを食べているが、人間である俺からとればこいつを使う他ないと考えた。そう、“情”に訴えるのだ。認めたくないが、今の俺はチワワ。世界最小の犬。言ってみれば可愛い。
そして柵から出してももらえている。
「あぁーなんて可哀そうなんだ。里親見つかればいいなぁー」
山田はそう言って、頬ずりを続けている。そり残した髭が体毛をチクチクと刺激するが、俺は自身で考えた作戦を早速実行した。舐めまわしだ。要は媚を売る。死ぬぐらいならプライドを捨ててしまえ。
そして、俺は柵を閉じるためのカギを短い前足を使って振り落とした。カギが落ちた音を隠すために、俺はキャンキャンと山田の耳元近くに顔を近づけ煩いくらいに鳴いた。
どうやら気づいていないようだ。山田は上機嫌で俺の頭を撫でた後、柵をゆっくり閉じると、施錠を忘れてその場から立ち去っていった。
近くに他の職員らしき人はいない。俺たち犬は互いを見つめ合い、
(今だ!)
そう思った。柵からそっと出て周囲をうかがう。沢山の段ボールが置かれていて視界が悪かったが、壁伝いに換気用の小窓があるのに気づいた。人間の腰ぐらいの高さか……。
「あそこから逃げられませんかねぇ」
俺がみんなに言うと、犬たちはきょとんとした顔で俺を見下ろしてくる。そうか……、さすがは犬だ。人間様の知力には及ばないか。仕方ないな。
「段ボールを動かせば、きっと高い所にだって行けますよ」
それを聞いた犬たちは、舌を出して、へっへと喜びを表している。いや、ちょっと考えればわかるだろ。まぁ、そうとなれば作戦実行だ。
「力仕事なら俺様に任せときな!」
一番体の大きなパグが段ボールを頭で強く押す。ポメラニアンや柴犬たちが、その様子をはしゃぎながら見ていた。そしてしばらくの時間をかけて段差ができる。犬の奴らは早々とその脚力で軽々と段ボールの上へ上る。
最後は俺の番だ。
……、が、うまく跳べない。忘れてた。俺、犬になりたてだ。しかも世界最小のチワワ。
「カギはどこだー?」
山田の声が近づいてくる。やばい、ここに来る。俺だけ死ぬのか。
(ガス室……! 嫌だ、嫌だ‼)
「動くなよ、チ助」
パグが俺の首根っこを咥えて素早く段ボールの上に俺を投げた。
「逃げろ! チ助‼」
その時だった。山田が俺たちに気づいたのは。
「あぁ! こら!」
パグが走り回って山田の気を引いている。その隙に俺は、逃げた。とにかく夢中で走った。犬なんかに助けられるなんて。無事でいることを祈るぞ。名無しのパグ。
――施設の外に出たら、今度は静けさが待っていた。そして、無性に寂しくなる。会いたい。愛する家族に。
俺はここが何処なのかもわからず、だだ家を捜して短い脚を動かし続けた。
(ハハ、迷子ならぬ迷子犬か……)
そうこうしているうちに日は暮れた。ガタンガタンという騒音が、鼓膜を破壊しそうな感覚を覚える。おそらく電車だろう。そこで俺は覚えのある匂いを嗅いだ。イカ焼きだ。
そういえば、仕事が終わってから暇つぶしのためによく食べていたなぁ。
そこのソースは独特で、少し甘味がある。隠し味は水あめだと言ってた気がする。
だけど、屋台のおやじは辛党だとかそういう世間話をしていたっけな……。
「おう、野良犬か?」
気が付けば、足が屋台の方へ向かっていた。そういえば……、腹が減った。俺が可哀そうな野良犬だと思うのなら、何か分けてくれ。頼む。
「きゃ~! 可愛い‼」
(!?)
甲高い声と共に俺の視界はぐんと上がる。細長くて白い手だ。けど……、すげぇ力だ。内臓が飛び出そう。
(く、苦しい‼)
「お嬢ちゃんたち、イカ焼き食べてく? 今ならチワワ触り放題だよ!」
「わー! 食べまーす♪」
(おやじー!)
俺をだしに使いやがって。どういう訳か女性が群がると、客が寄ってくる。ふざけんなよ。勝手に看板犬にさせた上に、ただ働きだと。
(せめて何か食わせろ!)
俺はキャンキャン吠えた。おそらくOLらしき女性がなだめる様に撫でてくる。
(俺は不倫なんてしないぞ! 美香子一筋だ‼)
犬になってもパパだ。そこのところを間違えてくれるなよ。
「待て待て、今何か作ってやっから」
その間も撫でられ持ち上げられる俺。あぁ……、まだ頭痛がするんだぞ。丁寧に扱ってくれ。俺は元人間だったんだから。
おやじは、ソースも調味料も使っていない、小麦粉と水だけで作った物体を俺に差し出した。
(これを食えと? いやさすがに酷すぎるだろ‼)
俺はもっともっと吠えた。
「安心しろ。今日から面倒見てやるよ。一人でよく頑張ってきたな、五郎」
――誰だよ‼
でもまぁ、衣食住があるってのは大事だよなぁ。仕方ない。飼われてやるか……。何かあったら噛みついてやるからな。
そうこうしているうちに閉店時間になったらしい。客が一人もいなくなって、おやじは屋台の片付けを始めている。その姿は少し哀愁が漂っている気がした。
「俺の名前は厳。よろしくな、五郎」
(……知ってるよ)
よく下らない会話してたもんな。その頑固そうなデコのしわ、犬になったからかクッキリ見えてるぞ。
(はぁ……、これからどうなることやら)
早く家族に会いてぇ。
こうして俺は、イカ焼き屋の厳と一緒に過ごすことになった。