テーマ:運動会
結果を言うと、美香子からの返信はあったようだ。
だが、少し神経が過敏になっていて、会話を誰かから盗み聞きされるのではないかと不安がっているそう。
(あぁ、俺のせいだ)
フサフサの耳が自然とうつむきがちになる。目がにじんできた。そんなになるまで、追い詰められたのか。夏樹だって学校生活がある。期末テスト、大丈夫かなぁ……。
俺と美香子二人で支えてきた愛する娘の情報が、全くないのが不安だ。
もしかしたら、美香子が一人で夏樹のことを守っているのかもしれない。俺の家庭は核家族だからな。
だとしたら、精神的な負担は大きいだろう。
「お父さん。俊介すごく心配してるよ」
「倉田さんの気持ち、よくわかりますよ」
真治先生が、届いたメールの内容を読み上げる。
◇
件名:お手紙ありがとうございます
【倉田美香子】
宛先:田中真治
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学のない私ですから、立派な返事を書くこと
ができないと思います。お許しください。
夫のことで家族は一変しました。
笑顔の絶えなかった私たちは、事故の日を境
に、常に被害者でいなくてはいけなくなって
しまったのです。
家族から笑顔が消えました。
そんな中、信頼のおける先生からのお便りで
まさかチワワが夫に為り変わったというよう
な冗談がなされるとは思いもしませんでした
もしそれが本当であっても、そのことをどう
受け止めたらよいのでしょう?
私にはわかりません。
マスコミや周囲の目も痛く感じます。
本当は、相談の出来る人が欲しい所ですが、
家の周囲に粘り強く張り込みを続ける男性が
いるために、家の中であっても会話が筒抜け
になってしまうのが怖いです。
私はどうすればいいですか。先生。
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◇
より責任感が増した。どうしてあの時俺はまっすぐ家に帰らず、カフェに寄ろうとしたんだ。その結果がこれじゃあ、本物の“嫌われ者”だ。
いや、厄介者か。
「まだ諦めんじゃねぇ、チ助」
名無しだったパグ、もとい、マーガレットは、落ち込んでいた俺の額に頭突きをしてきた。痛かった。だが、ぬくもりを感じる。
全てを理解しているわけではないだろうが、気持ちってものを人間と同様にくみ取れるものなんだなぁ……。
最初は犬なんてと馬鹿にしていたが、こういった感情が無い人間もいる世の中で、マーガレットのような犬がいることを知れた。
こいつとは、仲良くやりたいものだ。
「俊介。マーガレットとお友達になれたね♪」
健斗君が少しずれた眼鏡を、もとの位置に直しながら、笑って言った。じゃあ、少年。お前は相棒だ。大事な相棒だ。
「うん。わかったー、相棒!」
「相棒……。健斗と俊介さんのこと?」
佳奈さんが俺と健斗君を交互に見て、「渋いわね」と笑った。
それを見ていた先生は、あることを思いつく。
「健斗と俊介さん。それからマーガレットを一組にして、写真を送ろう」
テーマはなぜか、“運動会”。
真っ赤な裁縫用の布切れを加工して、速攻でハチマキを作る佳奈さん。俺たちはそれをぐるぐると額に巻かれ、寄り集まるように指示された。
「俊介さんが中央で、健斗が左。マーガレットは右。あぁ、ちょっとずれたかな」
スマホを握る先生が、すごく楽しそうなんだが。
佳奈さんも混ざりたがったが、“構図的によろしくない”という先生の理屈で、今回は一緒に写真を撮ることはできなかった。
――パシャッ
シャッターの音だ。あんなにこだわった割には、一枚しか撮らないんだな。先生の意外な一面を見てしまった。
(けど……、これで美香子が笑顔を取り戻してくれるだろうか……)
「まーたシケた面してやがる。くらえ!」
マーガレットの頭突きが横腹に当たる。痛い。
(そうだ、今は信じよう。人と、そして犬のぬくもりを)
先生が、なにやらスマホで文字を打っている。本当にメールで送信するのか、今の。
「俊介さん。美香子さんに言いたいことはありますか?」
「健斗。聴きとってあげて」
佳奈さんが、健斗君に催促する。
(俺の伝えたい言葉……)
そのとき、ふっと思った。
(美香子の作ったカレイの煮つけが食べたいなぁ……)
「カレイの煮つけが食べたいだって」
待て待て、咄嗟に思ったことだから。俺は愛してると伝えたいんだ。言いなおしてくれ。俺は……、
「カレイの煮つけを愛してるって」
横にいたマーガレットがくしゃみをするかのようにバフバフ声を出して笑う。今度は俺が頭突きをかましてやった。
……、が、効いていないみたいだ。そりゃそうか。体格差あるもんな。
「面白いこと言うのね、俊介さん」
佳奈さんが笑いをこらえながら、健斗君を二階の寝室まで連れていく。そっか、先生が帰ってくるのが十時前後なら、いろいろやってて、もう夜中だ。
明日は、健斗君の初めての女の子の友達が尋ねてくる。目の下にクマができていては、印象が悪いもんなぁ。
「今日はもう遅いからお開きにしよう」
俺もマーガレットも、健斗君の部屋に連れていかれる。部屋の隅っこには、先生が買ってきた、ペット用の簡易トイレが置いてあった。
マーガレットは、ベッドの下の涼しさが気に入ったのか、ずっとそこから動かない。
「風邪ひきますよ」
「うるせぇ。ノラだった頃を思い出してんだ。邪魔すんな、意気地なしのチ助」
「はいはい」
俺が放っておくと、物の一分ほどで、すごく大きないびきをかいて寝るマーガレット。品がない親友だことで。
「ねぇ相棒」
今まで狸寝入りをしていたのか、健斗君が声をかけてきた。
そうだ、なにか忘れているような……。
「作戦。考えよー」
園児には夜更かしをしてほしくないが、初めての友達が来るんだもんなぁ。よし、おじさん相談でも何でものっちゃうよ。
「じゃあねぇ……」
その作戦は意外と早くに練ることができた。掛詞を使うようで悪いが、俺は寝る。
「なんかナレーションみたいー」
(何をいまさら……)
俺も健斗君もマーガレットも、夜中に寝たというのにもかかわらず、スッキリした表情で朝を迎えた。快晴だった。




