マヌケな新聞記者
我が家へと順調に向かっていた俺と佳奈さん。俺たちが閑静な住宅街に出てくると、一人の男性が電信柱の影に隠れている……、つもりだが、バレバレだ。
年齢はたぶん二十歳前後で、ちらちらと周囲を見回しては、真新しいペンと光沢のある手帳を、何度も見返している。ここでは明らかに浮いた存在。
まだ着慣れていないのか、似合っていないスーツを戻すしぐさが何やら怪しい。
「嫌ね。きっと記者の人だわ」
まだ早朝だというのに、気合の入った奴だ。
(でも、決して褒めはしないぞ)
俺は佳奈さんの腕の中で体をよじらせ、暴れた。慌てながらも、ゆっくり俺を降ろしてくれる佳奈さん。
俺の考えていることがわからない彼女は、手紙の入ったポーチの紐を大事そうに握りながら、
「何をする気なの? 俊介さん」
と小声で言った。
(今、ちょうどオシッコがしたかったんだ……、ふふふ)
俺は的に向かって猛ダッシュした。
(犬にできる攻撃方法をくらえ!)
「ん? チワワ。今は仕事中なんだよ……、って、あー‼」
(やったぜ!)
男のスーツの足元の裾を汚してやった。
(恥? そんなもの、いろんな人に飼われて無くなったさ)
そんなことより、美香子を追い詰める悪い輩は、どんどん制裁してやるからな。出直してこい。
(いや、もう来るな‼)
「うわっこれ、十万もしたんだぞ!? っざけんじゃねーよ!」
男は相当頭にきたらしく、ポケットの中にペンと手帳を荒々しくしまうと、俺の頭を殴ろうとした。けどな、もうこの体、段々使いこなせてきている。
(見ろ、この軽やかなチワワステップを!)
「くそっ、すばしっこい奴め!」
当たりませんよーだ。
俺は佳奈さんとは反対の方向へと走っていった。追いかけてくる男。その様子を見た彼女は、その隙を狙って、俺の家へと向かった。
(マヌケな記者め。ざまぁみろ!)
しばらく追いかけっこが続いて、俺が捕まったころ。殴る気力がなくなったのか、ゼイゼイ言いながら、男は俺に言う。
「初めての仕事なんだ。事故に遭った可哀そうな遺族の声を世界中に届けるっていう、とっても大事な仕事なんだぞ。邪魔しないでくれよ」
(そう思うなら、そっとしといてくれ!)
威嚇するようにキャンと吠えると、男は一瞬ひるんで、再び俺の家へと向かって歩き出した。そこには、ニコニコした表情の佳奈さんが居た。
どうやら手紙の投函は無事にできたようだ。俺に向かってピースサインを送っている。
「あの、このチワワ。奥さんのですか?」
「ええ。マーガレットと言います。かわいらしいでしょう?」
「そうじゃなくてですねぇ……」
「それでは」
「あ、ちょっと! オレ〇〇新聞社の北島と申しますが、少しだけお時間を……」
「それでは、ごきげんよう」
そう言うと、佳奈さんは広い道路に出て、ちょうどよく流れてきたタクシーに乗る。俺は窓ガラス越しに、一人ポツンと置いていかれる北島という男の影を、小さくなるまで見ていた。
少しだけだが哀れに思える。
「お客さん、どこまで?」
タクシーの運転手が行き先を尋ねた。もちろん、田中家だ。
とりあえず、無事に手紙を投函することはできた。
あとは返事を待つこと。そして、俺の想いを健斗君を通して伝えてもらうこと。
タクシーの中で、俺は耳をヘナっとさせて考えていた。
(これが最後のチャンスだ。もし叶わなかったら……)
「大丈夫ですよ。マーガレット」
佳奈さんは俺を膝の上にのせると、優しく撫でてくれた。まるで、こどもをあやすかのように。
それに秘密。守ってくれてるんだな。また異名が付いてしまった。マーガレット……。
(本当に田中家はあったかいなぁ……)
美香子と夏樹とも、このようになれるだろうか。
「着きましたよ」
「ありがとうございます」
料金のやり取りをした後、再び抱えられる俺。がらりと玄関を開ける音。
「健斗のお迎えがあるまで、ゆっくりしていてくださいね。俊介さん」
(ありがとうございます!)
俺はありったけの誠意を込めてキャンと鳴いた。最近では尻尾も自在に操れる。
(喜びを表すには、これであってるよな?)
「ふふ……」
俺の仕草がおかしかったのか、佳奈さんは、両手を口に当てて笑った。
(この和やかな雰囲気よ。続いてくれ。頼む)
朝ションもしてスッキリしたところだし、床暖房も効いてリラックスモードに入る。佳奈さんは、お気に入りのオーケストラの音楽を室内にかけて、レモンティをすすっていた。
俺は体を丸くして、自分の尻尾のフサフサとした触感を、顔に当てて楽しんでいた。
健斗君のお迎えまで時間がある。今は寝て待とう。果報は寝て待てって言うだろ?




