“お父さん”
朝日のぬくもりを感じる。昨日は日曜日だったから、今日は月曜日か。
昨日二階に様子をうかがいに来たのは佳奈さんだった。きつい物言いの人だが、寝顔の健斗君を見ると、ふと微笑んでそっとドアを閉めてその場を後にしていた。
そうしてまた、階段を上ってくる音が聴こえてきた。きっとまた彼女だろう。足音が同じだからだ。チワワになってからというもの、聴覚や嗅覚が鋭くなった。
(おい! 起きろ少年)
俺はすやすや眠る健斗君に向かってキャンキャン吠えた。
「うー、うるさいなぁ」
昨日の作戦は覚えているか。それを実行するときが来たぞ。まずはお母さんをだますんだ。仮病を使え。体が重くて立てないと言うんだ。
決してベッドから出るなよ。眼鏡もかけるな。
「こんなので本当にパパがお休みしてくれるのかなぁー」
確かに。相手はプロの医者だ。仮病など一瞬で見破ってしまうだろう。でもそれでいい。目的は“どうして急に仮病なんて言い出すのか”を考えさせるためだ。
俺はこれでも元ヘルパー。人間は何歳になってもかまってちゃんだ。
(少年が同じ園の子どもにいたずらや迷惑をかけるのも、本当はパパやお母さんにかまってほしいからだろ?)
「……」
(お。図星か?)
珍しく黙ったな。任せろ。今日は何が何でも先生を休ませてやる。そして、お前に本当の家族愛というものを知ってもらおうじゃないか。
ドアが開く。
俺がわざとらしく佳奈さんのもとへとすり寄りながら、キャンキャンと飛び跳ねながら鳴く。まるで緊急事態であるかのように。
「健斗。どうしたの?」
「体が重くて立てない……」
演技が上手なんだな少年。
騙された佳奈さんが慌てて先生を呼んだ。せわしく鳴り響く足音。開いたままのドアからスッと、入室する先生。
「どうしたんだい」
「健斗の具合が悪いみたいで……」
今度は先生の足元に近寄り、さっきと同様な仕草をした。
(さぁ少年。次のステップだ。覚えているな?)
「吐きそう」
「え!?」
佳奈さんの動揺した声が部屋に響く。しかしやはり先生はというと、俺を持ち上げて健斗君のベッドの上にのせると、
「お父さんに嘘は通用しないぞ」
そう言って俺のふさふさの尻尾を、健斗君の鼻先にあててこちょこちょした。当然耐えられるはずが無かった健斗君は、大きな声で笑いながら体をよじらせる。
(……、先生。俺の体の一部を勝手に使うのはやめてください)
「作戦失敗だよー、パパチワー!」
いやいや、それで良いんだ。肝心なのはここからだ。
「なぁ健斗。どうしてこんな嘘をつくんだい」
そう、この言葉を引き出したかった。言ってやれ少年。
「お父さんの“本当の笑顔が見たい”から」
「本当の笑顔、かい?」
「パパチワが言ってた。仕事でパパは愛することに疲れてるって。そのせいで偽りのパパになっちゃったって。ねぇ本当なの?」
「……」
あの先生が、押されている。返す言葉が無いということは図星だったのだろうか。俺は顔を確認した。少しひきつったような、それでも笑顔を崩さない先生。
ここでまた次のステップだ。俺が、健斗君の右腕に噛みつく。当然本気ではない。だが、ここは最高の演技をしようじゃないか。
――ガブリッ!
俺はぐるぐる唸りながら健斗君の腕に噛みついた。「きゃっ!」と悲鳴を上げる佳奈さん。先生は、咄嗟に俺の頭を小突いた。
(いててて……)
はじめて先生の険しい顔を拝めた俺。健斗君は、最後にこう言う。
「これはね。パパチワと考えた演技なんだよ。助けてくれてありがとう、“お父さん”」
それを聞いた先生は、俺の方を見て、
「そう……、なのか?」
と言うと、小さな俺をゆっくり抱きかかえた。確かに聴こえる心音。なんだかぞわぞわする。例えるなら、うーん……、さざ波のようなゆっくりとした、でもザァザァする音。
「叩いてごめんな。パパチワ」
「生意気だから何回でも叩いていいって言ってたよ」
(言ってません!)
佳奈さんが、ゆっくり先生の肩に手を当てる。
「健斗に嘘をつかせるなんて、悪いチワワね」
笑いながら、俺の鼻をツンと鋭い爪で小突く彼女。だから、痛いって。
でも、なんだか、和やかな雰囲気になったぞ。それにつられて先生の顔が、ふやっと解けて朗らかになった。こんな顔はじめて見たなぁ。
これが、本物の“お父さん”としての先生なのだろう。
「お仕事頑張って!」
無邪気な顔で作戦にない言葉を口にする少年。でも、それが意外に効いたようで、先生の心音は荒ぶる波の如くざわざわし始めた。
俺はそんな先生の顔を見上げていた。
「健斗も、佳奈も、パパチワも、みんなあったかいなぁ……」
降ってきたのは大粒の涙。ぎゅっと強く抱きしめられる俺。そして、それに加わるためにかけ布団を荒々しくひっぺはがして起き上がる健斗君。佳奈さんは、先生を後ろから優しく抱きしめていた。
(少年。これが家族の愛ってやつだ。体で覚えとけよ)
「ふふ、あったかいねぇ。ね、お母さん。お父さん」
満面の笑みを浮かべている健斗君。これでこの家族は、ひとつになったわけだ。さぁ少年、次は俺の番だからな。忘れるなよ。
先生に夏樹と美香子のことを聞いてくれ。きっと今の状態なら、お前の言葉を信用してくれるはずだ。
そして一刻も早く、俺の家へ帰りたい。心が衰弱しているであろう二人を守るんだ! そして、夏樹が受験に合格するのをこの目で見る。
(待ってろ、俺が家族を守るんだ‼)




