パパ、チワワになる!
(はぁ……、今日も疲れた)
時計を見ると午後三時。まだ早いように感じるが、俺の仕事は介護職。要は夜勤明けだ。正直な話。有料老人ホームで勤めるのはキツい。人手不足なうえに足腰がやられてしまう。たまに変なクレーマーも来る。
ヘルパーである俺の身分は低く、貧乏くじを引かされることもあって泣きそうにもなる。力だけはあるからどんどん仕事を任されやすいのだ。
だが、愛する一人娘と妻のために俺は頑張っていられる。
夏樹は高校三年生。受験のこともあってか最近構ってくれない。というよりも邪魔者扱いされている。そりゃそうか。勉強中に声をかけられたら誰だって気が散るよな。頑張れよ。なんて思いながら……、
「どこかで暇つぶしでもするか……」
俺は職場から近くのカフェに寄ろうと、信号のない小さな交差点を、いつも通り渡ろうとした。だが、悲劇は起こってしまった。
――キキーッ‼
けたたましい音とともにふわりと体が浮く。まるでジェットコースターで、身体がガコンと揺られるような衝撃を受ける。
次に見えたのは、フロントガラスに大きくひびの入ったワンボックスカー。目を丸くした運転手らしき人。そして地面。
横には頭部から血を流したチワワが横たわっていた。
突如襲ってくる全身に渡る痛み。起き上がろうとすると骨のきしむ音がする。そして何とか動かせた手のひらにはべっとりと赤い血が付いていた。
(そうか、俺は轢かれたのか)
なんて考えているうちに、肺に入ってくる空気が少なくなってくる。俺、死ぬのかもしれない。苦しい。
周囲に人が集ってきたようだ。写メを撮ったり何か話をしたりしている。
誰も助けてくれない。そうこうしているうちに、俺の血とチワワの血が地面で混ざる。
(あぁ……夏樹。ごめんな、美香子、後は頼んだぞ)
救急車とパトカーのサイレンの音が近くなっていくと同時に遠のいていく意識。あぁ、俺の人生はここで終了だ。大学生になった夏樹の姿。見たかったなぁ……。
――ん?
ここはどこだ。どうして俺は檻の中に入れられている。いや、柵か。
「目ぇ覚ましたか。新入り」
(でけぇ犬!)
おそらくパグだろうが、俺の身長を軽く超えている。というよりも動物の声が聴こえる時点でおかしいだろ。一どころにまとめられているのは、小型犬ばかり。
といっても、俺より大きいが。
(夢なら醒めてくれ)
お願いだから、夏樹と美香子の所へ帰らせてくれよ。そう、これは悪い夢。
「おいチワワ。お前ぇ名前何ていうんだ」
パグが俺を見ながら言う。他の犬もみんなこっち見てんじゃねー。そう思いながらガンを飛ばす。夢なんだろ。なぁ、そう言ってくれよ誰か。
まさか俺、死んでチワワに生まれ変わったのか。
(ふっざけんじゃねー! 俺は犬なんかと口きかないからな)
「……まあよろしくやろうや。チ助」
なれなれしくあだ名をつけるな。しかもセンスの欠片もない。
「チ助。俺はここからの脱出を謀ってる。お前も手伝え。じゃないと殺処分にされるぞ」
(!?)
このパグが言うには、ここは犬専用の保健所だそうだ。俺は絶望した。詳しくは知らないが、もし抜け出せなかったらガス室で殺されるのだろうか。
(そりゃ、たまったもんじゃない!!)
俺は二人の所へ帰るんだ。たとえチワワになったとしても。きっと気づいてくれるはずだ。
「えっと、パグさん。細かい説明は後にして、ここから逃げましょう」
甲高い声が薄暗い室内に響く。これ、俺の声か。なんだか違和感があるなぁ。そして視界が低い。頭には鈍痛がした。
鈍痛……。頭の痛み……。
(もしや!)
あの交通事故の時、俺の横にいたチワワに為り変わったのか……。いや、そんなことあるわけ……。
(でもそれしか考えられない)
「おい新入り。作戦会議だ。ボーっとすんなよ」
「は、はい! わかりました」
こうして、俺はどうしてチワワになんてなってしまったのか分からないまま、おそらくここのドンであろうパグと脱出計画を謀ることになる。全ては愛する夏樹と美香子のため。
(犬になっても俺は二人を守り抜くぞ!)
その前にまずは保健所から逃げないとな。