気まずい夕食
俺が寝ている間に、随分と時間がたったようだ。気が付けば、俺を置いて健斗君たちはリビングで食事をしている。
高いテーブルだったから、視界上どのようなものが並んでいるのかは、嗅覚に頼るしかなかった。これはたぶん……サバの味噌煮とみそ汁。そして米だろう。
結構質素なものを食べてるんだな。金持ちは毎日寿司やステーキなんかを食べていると思っていたが。それとも、質のいい魚なのだろうか。
「パパ。ボクこれ嫌い。食べて」
「ははは。いいよ」
「あまり甘やかしてはダメよ」
「いいじゃないか。少しぐらい」
何気ない家族の会話。あぁ。夏樹と美香子と一緒にご飯を食べていたことを思いだすなぁ。
俺は娘に甘い。だから真治先生の気持ちがよくわかる。普段は仕事であまり相手にできないから、休日だけは言うことを聞いてあげようというパパの気持ちだぞ、少年。
愛されているようでよかったな。
「ねぇパパ。愛ってなぁに?」
「急に難しいことを聞くねぇ。どうしたんだい」
「パパチワがボクのことを愛されてるって言ってたから」
「……」
(ん?)
急に空気が変わったぞ。何か問題でもあったのか?
「そうかぁ。こんなに注いでも、健斗には愛がわからないかぁ」
少しがっかりした様子の先生。カチャカチャと食器の音と時計の秒針の音だけが鳴っている。正直俺は早く作戦を実行してほしかった。
だが、少し気にはなる。もうちょっと会話を聞いてみようか。
「この子はあなたの子じゃないからよ」
「佳奈……、そんな寂しいこと言わないでくれ」
「最初は嫌がってたくせに」
「パパ。お母さん。何言ってるの?」
(……)
余計なことを考えるな俺。健斗君を傷つけてしまう。おい、少年。その話題から離れるんだ。きっとその方がいい。その方が……。
「ボクが傷つくの? どうして?」
ここから先は、あまりいい話ではない。だが、しっかり聴きとった会話だ。
結論から言うと、佳奈さんは先生のことが時々怖いらしい。
佳奈さんはバツイチで、健斗君を育てるのに必死だった。
インフルエンザの予防接種の日に、たまたま先生と出会う二人。なんと彼女に一目ぼれしたのは先生の方だったとか。猛烈アピールの末、二度目の結婚をする。
「佳奈。それから、健斗君。必ず君たちを幸せにするからね」
そう誓った先生は、外でも家でも絵にかいたようないい人だった。健斗君の訳の分からない話も受け入れ、休みの日はなるべく一緒に過ごしている。
いつも笑顔でニコニコしているパパ。それが、時折偽物のように佳奈さんは思うようだ。本当の感情を見せないのが怖いらしい。
前に離婚した人は、健斗君の言動を気持ち悪がって、別居生活が続き、それが理由で別れたとか。
一連の話の流れは聴こえた。
だが、本人の前で話すことじゃない。相手はまだ幼稚園児だぞ。それに、すごい能力じゃないか。動物の気持ちがわかるなんて。
「佳奈。僕は君を愛してる。だから健斗も愛せるんだ」
「……、あなたのそういうところが嫌い」
佳奈さんが食器を片付けに台所まで歩いていく。ちらりと俺の方を見た。
「犬に何がわかるっていうのかしら」
まぁ。普通の反応だよな。でも、俺の気持ちがわかるせいで、三人の関係にひびが入ってしまったとしたら、大問題だ。
一見、この家の問題は神経質な母親にあると思っていたが、違うようだ。彼女はいたって普通の人間的感覚を持っている。
一方、先生は……、なんていうかこう……、
(そうだ!)
博愛主義者。
その言葉がふさわしいのではないか。って思った。あらゆるものを愛しているように見えるが、実際は、何者をも贔屓しない、人間味の欠けたパパ。
猛烈なアプローチをしたということから、佳奈さんへの愛は本物だろう。けれど……、健斗君への愛は本物なのだろうか。
(おっと少年、こんな難しい話、考えなくていいからな)
とにかくこう言っとけ。
“パパ、ママ。喧嘩しないで”って。
「パパ、お母さん。喧嘩しないで」
「前から気になっていたんだ。どうして呼び方を統一しないんだい?」
「パパは“パパ”って感じだから!」
どういうことだ、少年。俺も夏樹や美香子に“パパ”と呼ばれていた。俺と夏樹は、美香子のことを“ママ”と呼んでいたから、統一してはいたが……。
(何か特別な分け方があるのか。気になる……)
「そうかぁ。拘りがあるのは良いことだぞ」
「てへへ~」
なんだかなぁ……。俺は健斗君より先生の気持ちの方がわからない。
でも、こういう家庭があってもいいのかなぁ、とも思う。そもそも俺によそ様の私生活に干渉する権利はない。それに犬の俺に何ができる。
そう思っていたら、大根を細く切って水で煮た物を、佳奈さんが俺の所に持ってきた。なんだかんだ言って、面倒をみてくれるんだな。感謝感謝。
夕飯が終わって、俺は健斗君と同じ部屋で眠ることになった。俺が寝なさいと鳴いても、夜中までゲームをして遊んでいる。
(そんなだから眼鏡になるんだぞ!)
「あーあ、協力しようと思ってたのにー」
(コイツ……)
とはいっても、幼稚園児だ。月明かりが消えるころにはぐうすか眠っている。俺も寝ようと思ったが、耳のいい俺は、下の階にいるであろう二人の会話が聴こえる。
気になったから、耳を傾けることにした。




