家族のもとへ!
朝だ。
昨日と同じように、歩ちゃんはビスケットやキャンディを手提げかばんに入れながら、適当な歌を口ずさんでいた。大変ご機嫌だ。
――ピンポーン
チャイムの音。間違いない。藤田君だろう。彼女は俺をひょいっと持ち上げて、モニター越しに話しかける。
「やぁ、ファン第一号の藤田君。わたしに何か用かな?」
それを聞いて、彼は歩ちゃんの出発時刻を尋ねた。そーかぁ。わかったぞ。一緒に行きたいんだな、公園に。
昨日の変質者のこともあったし、同行者がいることは心強い。チワワの俺では見ていることしかできなかったからな。情けないおじさんでごめんよ。
「九時には出ようと思う。君が付いてきてくれると嬉しい」
「……、わかった」
モニターだと顔の色まではうかがえないのが人間の視力の限界だが、今の俺はチワワ。少しだけ頬が赤くなった藤田君の顔色をバッチリとらえたぞ。
それにしても、女性の方から誘わせるなんて。男なら「付いてってやるよ!」くらいのことを言えないのか。この草食系男子め。
まぁ、俺も付き合いたての頃、美香子の前では緊張してあまり言葉を出せずにいたから気持ちはわかるが。
歩ちゃんがギターケースに何かを結び付けている。
「背中、押してくれるよね?」
彼女がそれを背負い、俺を脇に抱える。見てみると、例のプラバンだった。親と和解したようだったし、これで心置きなく歌えるな。よかった。
そうして九時になる。
歩ちゃんと藤田君の二人は合流し、マンションを出て公園に向かった。あの男が捕まってから、不審な足音はしなかった。
二人の何気ない会話から、今日が日曜日なのだと知る。だったら、また公園であの眼鏡の少年が遊んでいることもあり得るかもしれない。
しかも、親がいれば俺はそこの家に引き取られる可能性もある。そこは俺の冴えた頭脳を信じよう。方法はいくらでもあるはずだ。
歩ちゃんと藤田君と離れるのは寂しいが、ずっと夏樹と美香子に会えないのも辛い。
そんなことを考えていたら、あっという間に公園についてしまった。
私服だが、おそらく昨日の園児の姿が見える。それだけではなく、お爺さんお婆さんの集まりなどで、公園は賑わっていた。
「あらまぁ、いつものお嬢さん。またそれ弾くのかい?」
歩ちゃんがギターケースからギターを取り出すと、後ろから一人のお婆さんが声をかけてきた。嫌味ではないようだ。
つやつやの木目のそれを見て、プルプル震えた人差し指で触れようとしてくる。むしろ興味を持っているようにも感じる。
彼女は、
「おさわり無料です」
と、勘違いされそうな言葉でお婆さんの指の方へギターを向けた。ぴとっと、くっつく人差し指。お婆さんは嬉しそうに、
「ひゃー」
と言葉を漏らした。そんなお婆さんのリクエスト曲は『天城越え』。歩ちゃんは演歌を知らないようで、返答に困っていた。
いや、お婆さん。そもそも、ギターで演奏するのは難しいだろうに。
「おばあちゃん、演歌はギターで演奏できないんだってー」
「おやまぁ、そうかい残念だねぇ」
(‼)
出た! 例の眼鏡の少年。服装は変わっていても、お前のそのひねくれた顔は覚えているぞ。やい、聴こえてんだろ。いや、聴こえてますよね。
ちょっと俺と交渉しません……、
「お手しろ」
(……)
おい少年。俺がおじさんだと分かっててやってるなら、失礼極まりない行為だぞ。普通の犬じゃないんだぞ。ちゃんとした思想を持ち、大事な家族もいる。
それにお前よりも社会経験が豊富だ。そんな俺に“お手”だと。舐めてるのか。
「この犬、教育がなってないねー」
「ごめんね僕。ソラは捨て犬だったから」
「今から芸を学ばせてみたら?」
藤田君、俺の理解力ならお手ぐらいは簡単にできる。ただ。プライドの問題なのだ。芸なんて、会社の飲み会の時にさえやりたくない代物だ。
「こら、健斗。またよそ様に迷惑かけて、反省しなさい」
少年の母親と思われる女性が駆け足でやってきた。全体的に細くて、頬のこけた、少し神経質そうな人だ。
彼女を見ると、健斗と呼ばれた少年は、
「ごめんなさい」
と、正直に謝ってきた。ふーん。親の前では逆らえないという事か。
「……」
健斗君。睨むな。怖い。
「この子、ちょっとおかしいんです。動物の声が聴こえると嘘をついたり、それを否定するとヒステリーを起こしたり……」
母親が歩ちゃんと藤田君に不満をぶつけるように言う。
「そういえば、よくわかったね。僕の苗字」
藤田君が不思議そうに健斗君に尋ねた。そうだ! 昨日、お前は俺の思っていることを口にした。
聴こえてるんだろう? 今の俺の声が。信じてもらいたいか?
「うん、信じて欲しい」
「ほら。またチワワを見て独り言を呟いているわ。頭がおかしいのかしら……」
(実の息子にそんなことを言ってあげるな!)
俺はキャンと大きな声で鳴いた。もし信じられなくても、味方でいることが親の義務だ。いや、愛だ。昔、夏樹が“お化けが見える”という嘘をついていたことがある。
もちろん、内容は信じなかった。だが、自白するまで耳を傾けて聴いていた。夏樹がどうしてそんなことを言うのか分かっていたからだ。
構ってほしい。そうだろ、違うか。少年。
「夏樹って誰? おじさんの子ども?」
「え……?」
健斗君の母親が驚いたような声を出す。
「夏樹って、近所の交通事故で亡くなった倉田さんの娘さん?」
それを聞いて、歩ちゃんと藤田君の二人も、「あぁ」と思い出したように、俺と少年を見る。
健斗君の母親は、いくつか質問をしてきた。どこでそんな情報を手に入れたのかとか、誰から聞いたのかとか。
いや、今目の前にいる俺が夏樹のパパです。情報提供。俺。
「この犬、実は倉田さんのパパなんだってー」
「……、不謹慎なこと言わないの。美香子さん、ただでさえ疲れているのに」
そうだ、俺の情報でもっと詳しい言葉があるぞ。俺は介護職員で、ヘルパーをやっていた。その帰り道で事故に遭ったんだ。
さすがにそれを言えば、信じてもらえるだろう。粘れ、少年!
俺も二人に会いたい。お前も信じてもらいたいだろう。
「介護職員。ヘルパー。事故……。よくわかんないけど、パパチワがそう言ってる」
「!?」
それを聞いた母親は、俺に目線を合わせて、「そうなの?」と聞いてきた。あぁそうだ。お願いだ。俺を倉田家に帰してくれ。頼む。
その旨を健斗君が話してくれた。
「ソラ、本当は家族の所に帰りたかったんだね」
少し寂しそうに言う歩ちゃん。藤田君は、
「そもそも、ソラって名前じゃないんじゃない?」
と、ツッコミを入れていた。
(いやー……、普通もっと驚かないか?)
俺が初めてチワワになったときなんか、混乱して騒ぎまくってたぞ。
そうだ。本題に入ろう。
俺を夏樹と美香子の所へ連れて行ってくれないか。そして、二人に俺の気持ちを伝えて欲しい。
受け入れられなかったら、一生野良犬でもいい。ただ、もう一度会いたいんだ。顔が見たい。頼む。元々低い頭だが、下げてお願いする。会わせてくれ。俺の大好きな家族に……!
「わかったわ。連れて行くだけよ」
「信じてくれた?」
「……」
半信半疑のような健斗君の母親が、ゆっくり俺を両手で持ち上げる。少々不器用なのか、姿勢が安定せず、長い爪が腹部に刺さって痛い。まぁ、我慢しよう。
「ソラ。元気で!」
「元気でね」
歩ちゃんと藤田君に見送られる俺たち。
(あぁ、やっと会える)
夏樹、美香子。二人ボッチにしてごめんな。
今すぐ会いに行く。俺は信じるぞ。どんな姿をしていても、俺はお前たちのパパだとわかってくれることを……!




