九羽目
七限目もなんとか睡魔に打ち勝ち、俺とポンコツは駅まで来ていた。登校中は色々と視線が気になるのだが、今この時間は他の生徒の大半が部活中ということもあって全く学生に会う事がない。少し前まではこの静かさが当たり前で、夏になると蝉の鳴き声だけが五月蠅く響いていた。だがしかし、最近はどうも落ち着かない。理由は至って簡単なことだ。何を隠そうこのポンコツ天使がいるからである。まだこちら側に来て日が浅いこいつは、初めて見る物やおもしろそうな物を手当たり次第に見つけ出し、あれは何だこれは何だと事あるごとに聞いてくるのだ。普段の登下校の道では聞かれることも少なくなってきたのだが、如何せん今日は古城のようなデパートに行く。つまりいつもとは違う道を行くわけで、それに伴い聞かれる量も多くなる。それでもタイムセールがあるので行かねばならない。あぁ、辛い。
「飯ケ谷さん飯ケ谷さん!あれが電車と言うものですか!」
「はいはいそうですよ。あれが電車ですよ……」
眼をキラキラと輝かせ、こちらを向く姿は子供のようだ。その姿が少しだけ面白くてついつい微笑んでしまう自分が恥ずかしい。よかったあんまり人がいなくて。こんな状況を泰樹辺りにでも見られてしまったら、また良く分からん微笑みが飛んでくる。あれは未だに良く分からないので、良い加減何に対して微笑んでいるのか教えて欲しい。
「あ、飯ケ谷さん来ましたよ!」
「危ないから黄色い線から出るなよ。落ちて轢かれて死ぬぞ」
「それはいやです……」
落ち着いて説明すればその状況を想像して行動を制御してくれるあたり、そこら辺の子供よりは扱いが楽なのかなと思いながら、俺は乗車した。
車内は混んでもいなく空いてもいなく、至って普通な乗客数だ。適当に空いている席を見つけ横に並んで腰を下ろす。スマホに集中していた人間たちもこの金髪碧眼には意識を向けるしかなかったらしく、惚けたような表情で男女問わずポンコツを見ている。それを意に介すことなく、ポンコツは車内のあらゆる所に視線を向け一人で感嘆している。
「あのあの飯ケ谷さん。この丸いやつってなんですか?」
どうやら最初に興味を魅かれたのはつり革だったらしい。
「簡単に言えば立っている人が体を支える目的でつかまるやつ。形はこれ以外に三角とかもあるぞ」
「ふむふむ。慣性の法則から身を守る為ですか」
「……凄いな。ちゃんと慣性の法則知っていのか」
「私を馬鹿にするのいい加減やめません?」
ニッコリろ殺気を放ちながら言っているが、実際どれだけ頭が良かろうとポンコツな事には変わらないのである。確かにこちらの世界で監視役を任されるぐらいなので、天界の方でもかなり成績は良かったとは思うのだが、初日から監視対象に監視することがバレてしまうのはやはりポンコツだからだろう。
「これでも天界では過去最高の成績を叩き出して、将来有望とも言われてるんですよ」
「やっぱりこっちに来るためには試験とかあるんだな」
「えぇ。知能と実技の試験がありましたよ」
「具体的には何をするんだ?」
「そうですね。知能試験は歴史と魔法に関する知識ですね。実技試験は魔法、武器、剣術、柔術など自分が使える物をすべて使って、天使長と本気で試合ます。それぞれの得点の合計が基準値を超えれば合格です」
「なるほど。にしても天使長と本気で試合うのは意外だな。あれも十二分に化物だろう?」
「笑えるくらいに強かったですよ。まぁそんな中でも過去最高記録を叩き出して、ぶっちぎりで私が一番だったんですけどね!」
ふふんと、得意げに薄い胸を張ってドヤ顔をしてくるが、俺はそれを問答無用で叩き落とす。
「だとしても、初日から監視対象にバレてしまうのはお前がポンコツである証明なんだがな」
ですよねと、ポンコツは肩を落とした。少しばかり瞳が淀んでいるような気もするが、心配は無いだろう。過去最高記録の実力をいつかは発揮してほしいものだ。
窓から見える街並みは本当に平和そのもので、かつてここが戦場と化していたことは少しも感じられない。俺自身が終末の頃に生まれていたわけではないが、父から聞いた話で当時の悲惨さは良く分かる。元凶であるサリエルは、同じ戦軍であった父でさえ身の毛もよだつ恐ろしさだったらしい。口角を上げ楽しさそうに、まるで鼻歌でも歌うかのように残虐を尽くすその姿を、時代の人は〝黒翼の災害〟と称したらしい。会ったこともないし、会おうとも思わないが、現在何をしているのかは気になる。かつて災害とも称された存在が、今どこで何をしているのか。大神辺りなら知っているのだろうか。色々と大神には聞きたいことがある。この世界のこと、時ヶ峰高校のこと。それから俺の監視役のこと。分からないことが多すぎる。あぁ、考え込んでいたら眠くなって来た。七限目英語だったから寝れてないんだよな。
「ふわぁ」
「……飯ケ谷さん聞いてました?」
「あ?いや聞いてなかった」
完全に意識の外に追い出していたポンコツが、何やら少し不機嫌な様子でこちらを見ていた。
「腕組みながら何を考えていたかは知りませんが、せめて二回ぐらいで反応してもらえませんかね?」
「ちなみに何回ぐらい俺を呼んだ?」
「五回ぐらいは呼んでますね」
「……すまない」
どうやらかなり考え込んでいたみたいだ。こればかりは仕方がない。まぁ、ポンコツがいるときに考え事をするのは止めておこう。一人の時にいくらでも考えこめる。
「それで一体何が聞きたかったんだ?」
「えっとですね。いつ降りるんですか?」
「……しまった」
「どうしました?」
「降り過ごした……」
「駄目悪魔がここにいる!」
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ちょうど停まった駅で降車し、どうやってデパートまで行くか方法を探す。普通なら歩いたりもう一度乗りなおせば良いのだが、五時のタイムセールまであと十分もない。駅は三駅も過ぎていて、次の電車に乗っていたら間に合わない。当然歩いても間に合うはずがない。
「それで、どうするんですか駄目悪魔さん?」
「いやもうそれに関しては、俺の一方的な責任だから何も言えないな」
「私が普段からポンコツと呼ばれている気持ちを理解してください」
「そうか、すまなかったな。ポンコツ」
「全然反省していない!?」
腰に手を当てながら、如何にも駄目なやつを見るように俺を見ているが、実際お前の方がポンコツだらかな。とは言わないでおく。言ったら更に面倒くさいことになりそうだ。
「まぁ、そんな茶番はさておいて」
「まさかの茶番扱い!」
「もう時間ないし、飛ぶか」
「もう何でも良いんじゃないでしょうか。あれ、でも魔法使っても良いんですか?」
「まぁ羽を出して飛ぶわけだし、厳密には魔法じゃないから大丈夫だろう。バレなければ良いんだよ」
「うわぁ、なんですかそれ。バレなきゃ犯罪じゃない的な考えなんですか」
「そうだぞ」
訝しげな表情で何か距離を感じるが、これはタイムセールに間に合わせるための最善策だ。これ以外に良い方法があるというのなら是非とも提案していただきたい。そもそも魔法の使用禁止は、言ってしまえばそこまで厳しいものではない。人間に見られた時に対処できない、つまり記憶消去が使えない化物もいるのでそれなら全員使うのは控えようか、というような経緯で緩く禁止されたのだ。だから記憶消去が使える化物たちは意外と普通に魔法を使っているし、生徒会の面々も校長の使い走りにされているときは使ったりしている。俺は認識阻害をかけるし見られて困ることもない。つまり使用禁止はあまり効力を持っていないのだ。
「ほら急ぐぞ。タイムセールに間に合わなくなる」
「どれだけタイムセールに懸けてるんですか……」
「主婦と同じ気持ちになれ。偉大だぞ、タイムセールは」
「あ、はい」
それぞれ認識阻害をかけ翼と羽を出現させる。ポンコツの白い翼と俺の黒い羽。対を成すような感じだが、これは俺たちだけでなく昔から天使と悪魔はこうだったらしい。天使の大翼と悪魔の黒羽は何故だか、対を成すような感じになっているらしい。この辺も世界の歴史に関係しているのかもしれないが、誰か知っていないだろうか。まぁ、兎も角。今はタイムセールに間に合うように、急いでデパートに行こうか。
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空中散歩なんて無かった。取り敢えず急がなけれ間に合わないので、かなりのスピードで飛んでいたらいきなりポンコツとのレースが始まった。どちらが早く目的地に着くかという簡単な内容だが、ポンコツが意外と本気で勝負しに来たのでこちらもそれ相応に本気になるしかなかった。俺が速度を上げれば、ポンコツも速度を上げて、そしたら俺も速度を上げないといけないわけで。そんな勝負をしていたら予測していた時間よりも早く着いた。おかしい。三駅分の距離って二分で進めるものだったか?
「よっし、今回は私の勝ちですね」
「……疲れた」
息を整えながらガッツポーズを取るポンコツがとても嬉しそうにしている。短距離は苦手なんだよな。ゆったりと自由気ままに飛んでいる方が俺は好きなので、別にこれで負けて悔しくはない。悔しくないぞ別に。
勝負のおかげでかなり余裕が出来た。だが店内には既に主婦たちが眼を光らせてスタンバイしていた。
「……なんですかこの異常な殺気は。戦場なんですかここは」
「そうだな。一つ言うなら気を抜くなよ。下手すれば死ぬぞ?」
「またまた御冗談を」
「……」
「何で目を逸らすんですか!」
カランカランとベルの音が鳴る。それと同時に今までスタンバイしていた主婦たちが、我先にと目当ての商品に手を伸ばす。その流れに押し戻されないように、俺も体を捻じ込んで先に進む。何回このタイムセールを経験してきたか分からないが、この戦場のような感じは当分慣れることは無いだろうと思う。本業である主婦たちの殺気が意味不明なぐらいに凄い。人間はその気になれば想像できないほどの能力を発揮すると言われているが、この様子を見るとそれも馬鹿には出来ない。そのうち神殺しでも考える人間が出て来そうだ。
「い、飯ケ谷さん。ヘルプミーですよ~!」
遠くの方からポンコツが助けを求めているが無視。今この状況で助けに行っても出来ることは無い。と言うか俺は最初に気を抜くなと言っておいたので、これはポンコツ自身の責任である。あ、こらその肉よこせ。まぁ、という訳で頑張って役に立って欲しい。おぉ、こっちも良い値段じゃないか。
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「……正直、侮ってました」
「俺は最初に言ったからな」
「うぅ、疲れました」
「ま、今回は割と獲れたので良しとするか。今度はもっと役に立ってくれることを期待する」
「頑張ります……」
駅からの帰り道をポンコツは疲労を隠し切れない様子でトボトボと歩いている。今日の収穫としては肉がかなり安かった。それから不足していた野菜をある程度補えたのも大きい。夕飯どうしようか。折角これだけ買えたのだし、いつもとは趣向を変えてみるのもいいかもしれない。
チラリと横を見ればポンコツな天使様はよっぽど疲れているのか、いつもよりも口数が格段に少ない。普段なら色々と一方的に話してきたりするのだが、今日は静かだ。夕飯を何にするかは基本的に俺が決めているのだが、なんだか面倒くさいくなってきたし今日はこいつに決めてもらおう。
「なぁ、今日の夕飯はどうしたい?」
「何か美味しい物が食べたいです」
「いつも美味しいのを食べさせているだろうが」
失礼なことを言うやつだな。今まで俺が買い出しをして美味しい物を食べさせていただろうが。ポンコツも手伝っているから、俺だけの力とは言えないのだが。
「それならさっぱりしたのが良いです。さっぱり」
「さっぱりか。なら豚肉をポン酢で食べるか」
「あ、それ美味しそうです」
「美味しそうじゃなくて、本当に美味しんだよ」
かくして今日の夕飯は豚肉をポン酢で食べる事となった。この後ポンコツの食べ物ランキングがまたまた変動することになるとは思うのだが、その様子を楽しみにして料理しましょうかね。