八羽目
なんだかんだ言って、ポンコツとの生活も今日で二週間目だ。毎朝起こしに行くのも大分習慣化してきた。今日も今日とて、ランニングから帰りシャワーを浴びて起こしに行く。
基本的にあいつは俺が起こさないと起きてくることは無い。俺が声をかけたり体を軽く揺さぶったりすれば、ほぼほぼ起きてくるのだが。時々一向に起きる気配がない場合がある。そんなときは右手を固く握りしめ、少し高めの位置から振り下ろすのだ。そうすれば必ず起きる。
「ふみゃ!」
「朝だ。起きろ」
もぞもぞと布団の中から這い出し、眼を擦る姿は猫を彷彿させる。とは言っても、猫のように孤高で気高き存在かと言えば全くそんなことは無い。むしろ猫に失礼なくらいだ。
「……学校に行きたくないです。休みます今日」
「いいからさっさと顔洗ってこい」
「ふぁい」
相変わらず朝が弱いらしく、毎日毎日似たようなことを言い出す。これが天使だというのだから驚きだ。人間たちがこんな姿を見たら神聖なイメージが完全に崩壊するだろう。ポンコツが顔を洗っている間に、朝食の準備に取り掛かる。今まで一人だったので二人分になると少々手間がかかるかと最初は思ったが、意外と料理に関してだけはポンコツも役に立つので大丈夫だった。朝はほとんどトーストで済ませるので、朝食の準備よりは弁当を作る方がメインになる。
「おはようございます。飯ケ谷さん」
「あぁ、おはよう。そこの野菜を洗ってくれ」
「了解です」
顔を洗い髪を丁寧に梳かせば、いつものように金髪碧眼が際立つ天使様だ。それでも〝ポンコツ〟という部分は抜ける事は無い。絶対にだ。髪を後ろで束ねているポンコツに最初だけ指示を出し、あとはそれぞれ作業を進める。本当に分かっている奴が一人いるとスムーズに進むので、その点に関してだけは悔しいが認めるしかない。だがしかし、あまり褒めすぎると調子に乗るので微妙な匙加減が必要なのである。お菓子のように面倒くさい天使様なのだ。
「はい、こっちのおかず出来ましたよ」
「サンキュー。じゃ、あとはやっとくから皿出しといて」
「はいはい~」
こいつは俺よりも身長がかなり小さい。人間の女性の平均身長よりも小さいだろう。だからちょこまかと動く様が妙に子供らしく危なっかしい。そのうち何もない所で盛大にこけて何枚か皿を割ってしまいそうだ。いやまぁ、いざとなれば翼も出しているし回避的なことは出来るのだろう。それでもポンコツだからなぁ。一抹の不安を払拭することはできない。
「飯ケ谷さん今日何飲みます?」
「お茶で良い。お前のコーヒーはまだ飲みたくない」
「いやいや私も練習してるんですよ?上手くなってるんですよ?」
「それでもいやだ」
「むぅ。強情な悪魔ですね」
「うるせぇ」
コーヒーはやはり誰が淹れるかとうのも美味しさに関わる。駅前の喫茶店で飲んだコーヒーが最上級の味わいだった。喫茶店のマスターも、例によって化物である。彼の喫茶店はコーヒーの味だけでなく、過去と未来の時間を超えて会いたい自分に会えるという不思議な扉がある。一応日時の指定をすればマスターが呼んでくれるそうなのだが、俺は試したことはない。それなりに人間には評判がいいらしく、どの時間帯に行っても賑わっている。なんでも店内には特殊な結界が張ってあるらしく、それのおかげで人間たちも不思議に思うことなく過去や未来の自分と会っているのだとか。俺としては全く興味が湧かないのだが、今度ポンコツでも連れて試してみようか。当然俺はコーヒーを飲むだけだがな。
「飯ケ谷さんはいつもお茶かコーヒーしか飲みませんよね」
「そうだな。かくいうお前は水しか飲まないよな」
「そういえばそうですね。何故でしょうか?」
「俺に聞かれてもな。別に水しか飲めないってわけでもないだろ?」
「まぁ、そうなんですけどね。ただ透明な液体の方が安心して飲めます」
「……良く分からん」
やはりこいつの考えは良く分からない。透明な液体が必ずしも安全というわけではない。例えば、水銀なんてものもあるし、他にも無色透明な液体でも危険な物は沢山ある。透明だからこそ危険なような気もするのだが、ポンコツもとい天使様の考えはやはり俺のような悪魔とは違うのだろう。とは言え流石に今後も水だけなのはやはり駄目なのではなだろうか。前に校長から大神の伝言を聞いたが、確か一番最後にサラッと面倒くさい事を言われた。〝出来る限り人間の文化に触れ合わせて、まだ知らない世界を見せてあげて〟確かこう言われた。正直気は乗らないし、俺は悪魔なのだから大神の伝言など足蹴にしてもいいのだが、相手はあの大神なので逆らえば何が起こるか予想がつかない。あれもあれでかなりの過保護だということが分かったので、このポンコツを泣かせでもしたら俺の命は無いだろう。下手したら再び戦争が起きそうだ。
「透明の飲み物なら大丈夫なのか?」
「多分そうじゃないですか?というか他の紹介してくださいよ」
「……はぁ。分かった他のやつ飲ませてやる」
「ほう。私を満足させるような飲み物があるんですね」
「紹介してくれと言っておきながらその態度は何だ? まぁ、昼休み楽しみしとけ」
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なんだかんだ言って俺は面倒見がいいと、泰樹は言う。その言葉に関しては訂正したい。俺は別に面倒見が良いのではなく、諦めがいいだけなのだ。何もかもを諦めて、淡い希望すら持たなければ、俺はそれを不幸だとは思わない。とまぁ言った具合に、俺は単純に諦めがいいだけなのだ。別にポンコツがどうとかは関係ない。
くそ大神の伝言は関係するが。
「すまん泰樹。自販機よっていいか?」
「珍しいね。因みに何を買うの?」
「あのポンコツにサイダーでも買っていこうかなと」
「へぇ~」
「言っとくけど違うからな。大神の伝言のせいだからな。自分の身を案じてるだけだからな」
「はいはい」
によによと微笑みなが俺の後ろを付いてくる泰樹を横目で睨みながら、一番スタンダードな炭酸水を買う。カコンという固い音が下から聞こえる。炭酸を高い所から落として大丈夫なのかと最初は疑問だったが、流石は人間の開発技術。炭酸が抜ける事はあまりない。
「何買ったの?」
「一番スタンダードなやつ」
「僕には?」
「ねぇよ。両手を指しだすな」
いつも通り長い廊下を歩き、屋上へ向かう。もう屋上がお決まりの昼食場所となりつつあるが、一度ぐらいは学食に連れて行かないといけない。怖いんだよあの大神。
廊下からは何の木かは分からないが、新緑が若く輝いている。渡り廊下から見える時計台と木々は何処か神聖なものを見ているような気持ちにさせてくれる。学校から東側にある森林にも大樹が悠々と立っているが、それに近親感を覚えるような景色だ。神聖なんて言葉が一番似合うはずのない悪魔がそんなことを思うなんてお笑い種だろうが、実際に冗談抜きでそう思える。
「ほれ買って来たぞ」
やや重めな扉を開けば鉄の柵に寄りかかりながらご飯を頬張っているポンコツがいる。買って来た炭酸を適当に放り投げれば、片手で簡単に取ってくれる。俺は癖でよく物を投げて渡してしまうのだが、どうもこいつは運動神経は良いようで、たとえご飯を食べていようが何をしていようがすんなりと片手で取る。頭の方は分からないが、運動神経に関してだけ言えば抜群に良いのだろう。
「おぉ、これが今朝言っていたやつですね」
「そうだな。取り敢えず飲んでみろ」
プッシュっとした爽快な音と共にシュワシュワと炭酸が溢れる。その様子を眼を輝かせてじっくりと見るポンコツの姿はまるで子供のようだ。恐る恐ると言った様子で、炭酸を飲む。緊張して眼をきつく閉じているが、それが本当に子供らしくて笑えてしまう。
「……おぉ。なんというか、なんとも言えない不思議な感覚ですね」
「シュワシュワしてるだろ? それが炭酸だ」
「ほう。あ、でも普通に美味しいです」
「そら良かった」
気に入ったのか先ほどとは比べ物にならないほど、豪快に飲み干していた。こいつそんなに喉乾いていたのか。あぁそういえば、昨日の夜こいつ水筒出さなかったから俺が洗ってないのか。自分で勝手に買えば良いのにとも思うのだが、きっとこいつは自販機の前でオロオロとしていたのだろう。本当にポンコツなんかを俺の監視役にして良かったのかと、大神に聞きに行きたいものだ。
「ぷはっ。本当に美味しいですねこれ。人間たちの技術も侮れないと言うことですか」
「流石にそこまで言う必要はないと思うけどね……」
泰樹が何とも言えない表情でそう言った。まぁ確かにこの程度で侮れないと言うのならば、他の技術を見た時にこいつはなんと言うのだろうか。眼から涙でも零しながら感動するのだろうか。
「あぁそうだ雫に朗報」
「うん?何だ一体」
「今日は五時からタイムセールらしいよ」
「ふむ。確かにそれは朗報だな」
タイムセールは俺や主婦にはいつだって朗報だ。何と言ったって、普段よりも安い値段で食材を買うことが出来るのだ。当たり前の事だが、こういったことが少しずつ積み重ねっていくことで生活を豊かにすることもできる。だからこそタイムセールは大事なのだ。
「そんなの何処でやってるんですか?」
「あぁ行ったことなかったか。ここから西側にある大きなデパートだ」
「ほうほう。それで、今日行くんですか?」
「当然」
寧ろ聞いておいて行かないなんて選択肢はない。たとえどれだけ疲れていようが、節約できるのならその苦労は惜しまない。西側にあると言っても、実はモノレールに乗らなければいけない。古城のような外見のデパートはここら辺で最も大きく、それ故日夜多くの客が出入りする。基本的に彼らは自家用車で来るのだが、俺のようにモノレールを使う客も少なからずいる。ちなみにどうして電車ではなくモノレールなのかと言えば、なんでも地に足を付くよりも吊るされて空を飛んでいるような気分になりたいという、人間の要望があったらしい。
「というわけで、放課後お前にも荷物持ちとして同伴してもらうからな」
「えぇ、嫌ですよ。私は早く帰ってゆっくり休みたいです」
心底嫌そうな顔でポンコツはそう言う。飯を食って居候している身でありながら、なんという態度だろうか。
「……まぁ行かないと言うのなら、夕飯がなくなるだけだし構わないぞ?」
「すみません行かせてください」
流石に夕飯がないのは堪えたのか、速攻で頭を下げてきた。そんな馬鹿みたいなやり取りを泰樹は、あの表情で見ている。いやだからなんで微笑んでるの?最近やたら俺らを見て微笑んでない?
炭酸とデパート。今日だけでかなり大神の伝言には応えられたのではないだろうか。今後もこうして人間の技術や生活を見せていかなければならない。面倒くさい。だが不思議と悪い気がしないのも、悔しいが事実だ。この騒がしい生活を気に入っている俺がいるのだろうか。いや、それを認めてしまったらいけない。そう言い聞かせながら、俺は放課後を待つことにした。