六羽目
長い長い暇すぎる道のりが今日は少しだけ騒がしいというか、落ちつかない。その理由はいたってシンプルで、シンプルすぎて不気味なぐらいだ。監視されながらの登校とは言っても、ただ二人で登校するだけだ。肩を並べて歩くのはなんとなく気が引けるので、数歩後ろを歩いているのだが、何故だか下がれば下がるほど監視役であるポンコツも下がって来る。前に出ても同じことだった。
「……なんでついてくるの」
「だって私は監視役ですからね」
「さいですか……」
諦めよう。これは抗えない。仕方なく歩幅を合わせて歩くことにした。さて毎日の事だが、俺は認識阻害を自分にかけている。校内では流石に欠席扱いになるのでかけられないが、登下校ぐらいは静かに帰りたい。しかしそれも人間だけに通じる手段であって、同じ化物には通用しない。つまり、隣にいるポンコツ天使にも気づかれてしまうわけだ。
「なんで朝から認識阻害なんてかけてるんですか」
「気にするないつもの事だ」
「良いから解いてください」
「いやだと言ったら?」
「実力行使に決まってるでしょう?」
そう微笑みながら、手元に瞳の色と同じ蒼い魔力を溜めている。こんな街中で、しかも朝早くから魔法対戦を始めてしまったら物凄く怒られてしまうし、そもそも朝から魔力を消費したくない。仕方なく、本当に仕方なく俺は認識阻害を解いた。その瞬間ポンコツは溜めた魔力を分散し、勝ち誇ったような表情で俺を見上げた。得意げに薄い胸を張られても腹が立つだけなので、早急にやめていただきたい。
学校に近くなれば近くなるほど、当たり前だが制服を着た人は増えていく。彼らは男女問わず感嘆の声を漏らしている。何故なら、金髪碧眼の美少女がいるからだ。何処からか天使みたい、と例える女生徒の声が聞こえてきた。残念なこと本当に天使なんだよな。基本的には使えないポンコツなのだが一応は天使だ。
「さっきから妙に視線を感じるのですが飯ケ谷さん何かしました?」
「いや俺もなにもしてないし。まぁ、綺麗な金髪と碧眼だから目を引くんだろうな」
「そ、そうですか……」
まだまだ声と視線は止む気配がなく、むしろ進むにつれ増えてきている。そうなれば当然このポンコツだけに留まらず、俺の方にも視線と声が集まって来るわけだ。もっとも、こいつに向けらるような輝かしいものではなく、恐れというか何か奇妙な物を見ているようなそんな視線だ。
「飯ケ谷さん。貴方本当に何もしてないんですか?」
「してません。してたところで何も言いません」
「それ、絶対に何かありましたよね……」
「じゃそれは僕が答えようかな」
「……急に出てくるなよ」
急に声を出してきたのは、白鯨もとい生徒会長の泰樹だった。昔から隠密行動が得意なだけあって、未だに背後を取られることが多い。逆に泰樹の背後を取るのは至難の業である。
「……白鯨?もしかして〝信仰の白鯨〟シェル・ヴァルスてむぐっ!」
「学校の近くでその名前を呼ぶなポンコツ」
「いやいや雫も大概呼んでるからね?」
「━━━━ぷはっ。殺す気ですか!?」
「安心しろ俺たち化物はそう簡単に死なない。というか泰樹には昨日会ってるだろう?」
そう会っているはずなのだ。昨日のロングで自己紹介もあったはずだし、泰樹ほどの化物なら一目見ただけで分かるはずなのだ。なにせ纏う空気が違う。無駄に長く生き続けたせいなのか一切の波を立てない静かな雰囲気を醸している。などと評される事が多いがそれは化物の中での話であり、一般生徒からは持ち前の剽軽な性格でかなり慕われており、現に今もすれ違うほぼ全員が挨拶している。
「確かに不思議な感じがしましたが、この学校自体がおかしいですし?」
「それについては否定できないな」
「なら改めて、生徒会長の東泰樹です」
「えっとラグイルです」
「迂闊に天使名出すなよ駄目天使」
「飯ケ谷さんに駄目とか言われたくないです!」
「まぁまぁ二人とも」
俺とこいつの言い争いを泰樹がなんとか仲裁しようとする。そうやって俺たちは騒ぎ立てながら校門を潜り、昇降口へと向かう。三年の教室は三階に位置するので、階段を上らなければならない。ただでさえ登校するのに疲れているというのにこの仕打ち。できれば学年が上がるごとに階を下げて欲しかった。少し前にあまりにも大変なので、腹癒せに階段の段数を数えてみたことがある。結果として五十二段もあり更に疲れただけだった。生徒会には早急にエレベーターを導入してほしい。
「それで、一体何をしでかしたんですか飯ケ谷さんは?」
「えっとね、ザックリ言えば他校生と喧嘩して圧勝したんだ」
「おい説明。説明を雑にするな」
「悪魔のくせして人間に喧嘩売るとか大人げなさすぎます……」
「いやだから端折りすぎなんだって」
そもそも事の発端は文化祭である。本来なら俺は仮病を使って準備期間から当日にかけ全日程をサボりたかったのだが、泰樹の強制的な連行により参加せざるを得なかったのだ。部屋の鍵を持っていないはずの男が毎朝六時のリビングにいるのは中々のホラーである。
毎年十一月ごろに開催される時ヶ峰の文化祭はこの辺では割と有名で、他校の生徒や一般客もかなり来る。まぁ本当にたくさんの人間が同じ場所に集えば、変な人間も寄って来る。そして俺はようやく貰えた休憩時間は寝て過ごそうと屋上に向かっていた時に、所謂よくない輩に絡まれてしまったのだ。連日の文化祭準備に強制参加させられていたせいで、睡魔やらストレスやらは既に許容値を超えており、そこに針を刺してしまったが故に彼らはボコられたのである。要するに自業自得だ。俺は悪くない。
「……大人げ無さすぎるのでは?」
「いいか? まず人間も化物も、というか生物は全て睡魔には勝てない。そしてそれが限界に達している時は攻撃性が増す。つまり仕方なかったってわけだ」
「主語が大きい!?」
「いやぁ、流石に僕も無理させ過ぎたって反省したなぁ」
「全部貴方のせいじゃないですか!」
「てへっ」
わざとらしく舌を出す泰樹。全然反省してないし申し訳ないとも思ってないんだろうな。
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普段とは違いやけに騒がしくなりつつも教室に辿り着くと、いつでも寝ていいよと言わんばかりにどっしりと構えた机があった。その姿は今までよりもたくましく椅子に座るや否や、引っ張られるように俺は頭を垂れ目を閉じる。ほんの少しの暗闇の後、突如としてふわりと意識が宙に浮く。あの場所にいた。最近幾度となく見てきた場所だ。どうやら眠らせてはくれないらしい。
一本道の向こう側からは微かに、けれども確かに俺の異名を呼んでいる。背後には不気味なくらいに大きな門が、まるでお前は進むしかないのだと言うように佇んでいる。
いつもなら足を進めようとした所で泰樹に起こされたりして目が覚めるのだが、今日は何故だか眼が覚めない。ずっと遠くから呼び続けるのは一体誰なのだろうか。興味本位で話しかけてみることにした。
『……お前は一体誰なんだ?』
呟きは二重に反響し次第に小さくなっていく。壁がない空間で反響することが不思議で仕方ないが、こんな訳の分からない場所なら何が起きても不思議ではないのだろう。充分に俺の声が消えてから、小さく優しげな声が聞こえてきた。
『貴方は話しかけてくれるのですね〝静寂の悪魔〟』
〝静寂の悪魔〟とは俺の異名だ。化物には皆、それぞれ特有の呼び名が存在する。やれ終わりの魔女やら双子やらと各々の特徴を仰々しく言っているだけだが、兎に角そういうのが自分の知らないうちに化物の間で勝手につけられているのだ。大方の場合そう呼ばれるようになった理由があるはずで、俺も例に違わないと思うが本当に一つも思い当たらない。
『……そうですね、私は化物でありそうではない者』
『よくわからん』
少しの沈黙からゆっくりと声が聞こえたが、正直理解できない。化物でありそうでない者というのは一体何なのだ。俺が頭を捻っていると、再び柔らかな声が聞こえてきた。
『ふふっ。そうですね言い換えるのなら、世界を見続ける者とでも言っておきましょうか。格好いいでしょう?』
世界を見続ける者と、声的に女性と思われる化物は自分のことをそう言い表した。見続ける者というぐらいなのだから、かなり長い時間を生きているのかもしれない。
『お前も化物なのか?』
『そうですね。今まで死ぬことが出来ないような私は化物なのでしょう』
『……ずっとこの世界を一人で見続けてきたのか?』
『えぇ、この世界が出来た時からずっと』
この世界が出来た時なんて言ってしまえば、誰も知らない時代だ。あの大神ですら知らない時代。そんな昔からたった一人で見続けているのか。
『辞めようとは思わなかったのか?』
『最近はそう思う事もなくなりましたね』
『何故?』
『さっき言ったように私は今まで死ぬことが出来なかったのですよ。空から飛び降りても、水中で眠ってみても、首を切っても、他にも色々試しましたが、眼が覚めればまた同じ場所にいるのです』
『……同じ場所』
先ほどから彼女のいう言葉に対して短い問いをぶつけることしかできていないのだが、どうしても気になる。それは単に彼女が世界の歴史を知っていそうだとかそんな理由ではなく、彼女の一言ひとことが何故だか胸に刺さるからだ。個にしか興味を抱かない悪魔が他の者に興味を持つというのは変な話だ。
『ふふふっ。貴方は本当に可笑しな悪魔ですね』
つい最近似たようなことを言われたような気がする。
『ずっとこの場所で私は世界を見続けてきたんですよ。それが私の責任ですから』
『俺が言える事は何もないが、なんというかお疲れ様』
『えぇ、有難うございます。そういえば、貴方の所に可愛いらしい天使が監視に来たようですね』
『あぁ。図々しくて大変だよ』
『おもしろくていいじゃないですか。それにしても天使と悪魔が同棲だなんて、昔とは随分変わりましたね。』
『やっぱりそうなのか』
『そうですよ。嬉しい限りです』
姿も形も見えないが、声の調子だけで相当喜んでいるが分かる。確かに、昔からすれば今は天使と悪魔の仲もかなり良好なのだろう。それを喜べる辺り彼女も珍しく感情豊かな化物だ。
『さて、そろそろ時間ですね。貴方のような化物と話せてとても楽しかったですよ』
『そりゃよかった』
『今度は是非こちら側まで来てくださいね。それから……』
彼女がそう言ったときには既に俺の意識は遠のいていて、最後の言葉は微かに聞こえる程度だった。
『監視役の天使様と仲良くね』
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眼が覚めた途端に物凄い光が網膜に焼き付いた。両手で目を覆い呻いていると恐らく泰樹とおぼしき声が聞こえて来た。もやがかかったように視界が霞んでいる中、声だけで判断したから間違っているかもしれない。
「起きたかい雫?」
「……目が痛い」
「そりゃこれだけ寝てたらね」
「まだ一限終わったぐらいだろ?」
「残念。もう昼食だよ」
「……嘘だろ?」
どうやらあの化物との会話が思った以上に長引いていたらしい。会話していた時間は三十分も無かったような気がするが、夢と現実の体感時間はどうもかなりの誤差があるようだ。そう考えれば彼女が〝そろそろ〟と言ったのもなんとなく分かる。昼食まで寝かせるのは流石にマズイと思ったのだろう。まぁ当然、向こうに何か他の理由があったのかもしれないが。
「なぁ泰樹。世界が始まったときからいる〝化物であり化物でない世界を見続ける者〟って知ってるか?」
「……もしかして雫がずっと寝てたのってそれと関係あったり?」
「あぁ、実は寝ている間に話してきた。なんか後ろには大きな門があるし、目の前はひたすら長い一本道の脇に均等に街灯が並んでた。」
「なるほど」
顎に手を当て何かを考えこむその姿は、何か神妙だった。程なくして結論がでたのかゆっくりと泰樹は口を開いた。
「じゃ、雫は会ったんだね。〝始まりの魔女〟と呼ばれる化物に」
「〝始まりの魔女〟?」
何処かで聞いたことのある単語も、思い出せなければ復唱する事しかできない。更に詳しく聞いてみると、彼女は〝世界を始める魔法〟を持ったこの世界で最も古い魔女のだそうだ。魔女と言えば、校長や隣のクラスの佐伯がそうだ。あぁ、何処かで聞いたことがあり単語だと思っていたが、校長達がこの始まりの魔女の世界を壊すのが目標だと言っていたな。なんでも、魔女という存在を終わらせる為なのだとか。俺はあまり魔女の話には関わりたくないので詳しくは知らないが、前に聴いた話だとこんな感じだった気がする。
「でも何故そんな魔女が俺に接触してくるんだ?」
「あの魔女はね、自分の作りだした世界に閉じこもっているんだ。正確には、外から彼女の世界を繋ぐ者がいなくなったから出るに出られないだけなんだけど」
「ふ~ん。で、それがどうして俺に話しかけてくるんだ?」
「これは僕の推測だけれどあの魔女暇なんだと思うよ。それにほら最近、雫は天使と同棲しているでしょう? それが目に留まったんじゃないかな」
「確かに、ポンコツと同棲してること知ってたな」
「ならほぼ僕の推測通りだね」
「何か気を付ける事とかあるのか?」
「んー、今は特にないかな。あ、そうだ今度同じことがあったら一本道を進んでみなよ。また新しい世界が見られるかも知らないよ?」
新しい世界、つまり一本道の向こう側も彼女の作りだした世界なのだろうか。世界を始める魔女というのだから魔力量もとんでもなく高いのだろう。世界を作り出すことが出来る。物質を実体化するのは魔力を半分以上消費するというのに、世界を丸一つ作り上げるなんてどれほどの魔力が必要か検討もつかない。
「そうだ雫。屋上に行こうよ。天使ちゃんも先に行ってるみたいだし?」
「え、なにあいつ一人なの?」
「というよりも、屋上が好きなんじゃない?」
「意味が分からん」
確かに初めて会った時にもあいつは屋上にいた。屋上で堂々と天使の正装を纏っていた。まぁ、取り敢えず行ってやるか。流石に昼食が一人だというのは寂しすぎる。あいつが好き好んで一人になりたいという性格なら別に何も思わないのだが、昨日今日で感じからしてあいつは一人よりも皆といる方が楽しいのだろう。皆と言ってもそこまで大きな集団ではなく、せいぜい四、五人の少人数が関の山だ。たった二日でここまで感じ取れるのは、あいつが分かり易いポンコツだと言うのと、父に鍛えられた観察力が発揮されているからだろう。
泰樹の後ろを目を擦りながら付いて行く。その後ろ姿はいつにも増して楽しそうであったし、何か思い悩んでいるようでもあった。だが目覚めて数分しか経っていない脳はあまり深く考える事も、更に言えば気に留める事も無かった。これが今後に繋がるかと言えば、特に何にも繋がらないだろうな。直感だけれども。