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天使様はポンコツです  作者: trombone
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三十七羽目


 どれほど前日に使いっ走りをさせられようとも朝は来る。夏の暑さに目を開ければ外はすでに明るくなっていた。よもやと思い携帯で時間を確認する。幸いなことに表示されている数字は普段の起床時刻と大差はなかった。大差がないだけで普段よりも遅いことに変わりがないが、まぁ今日ぐらい早朝ランニングをサボっても罰は当たらないだろう。

 扉を押し昨日のファッションショー会場に行くと、そこには鬱陶しさが巣食っていた。頭を垂らしながらも湿気のこもるリビングに冷気を送り込むべく机に置かれたリモコンを取る。それでも残念なことにすぐさま快適な空間へと変化するわけではないので、冷蔵庫からアイスコーヒを取り出して味わいながら飲む。黒い液体を体内に取り込むことで、ようやく俺の頭は本来の機能を発揮しようとする。


「ポンコツはまだ起きてないか」

 

 あれだけはしゃげば無理もない。もう少しだけ寝かせておいてやろう。

 フライパンに油を少量敷きその上から溶き卵を四分の一程度落とす。そして薄く伸ばした状態の卵を手前側にテンポ良く返していく。残りも同じように敷いては返して巻いていく。綺麗な長方形にするには専用のフライパンが必要なのだが、生憎そんなものはここにはないので普通のフライパンを使う。そのせいで不恰好ではあるが、俺もポンコツも形よりも味の方が重要なので問題ない。

 まな板の上で粗熱を取っている間に野菜とウインナーを炒めていく。塩と胡椒をまぶせば、香ばしさに釣られた天使がのそのそと起き上がってくるのだ。


「……ご飯、出来たんですか」

「その前にまずおはような。さっさと顔を洗って座ってろ」

「あい」

 

 相変わらずその後ろ姿は寝癖が酷くせっかくの綺麗な金髪が燻んでいる。これが天使の素顔と知られれば信仰も一気に地に落ちるだろう。いやそもそもまだ信仰を続けている人間がどれほどいるのか疑問ではあるけれど。時代が時代なら、それこそ終末頃であれば人間の九割九分が信仰していただろう。しかし天使や神様の存在を知ることすら難しい現代だ。無信仰である方が多数を占めているのも当然なことである。


「ラグイル起床しました! おはようございますっ!」

「はい、おはよう。ご飯ぐらいは自分でよそえよー」

「分かってますよー。にしても、今日も食べ応えがありそうな朝食ですねぇ。感謝かんしゃです。」


 ほんの五分前までだらしなかったポンコツは見違えるように目覚めていた。跳ねていた髪は綺麗にとかされ、淀んだ瞳は透き通る蒼をしている。冷水で顔を洗うだけで意識が覚醒するのだからそれは素晴らしいものだと思う。水に愛された天使様の特権ってやつかね。


「いただきますっ!」

「飲み物は?」

「んー、お茶で」

「うい」


 言われた通り冷たいお茶を注いだグラスを左手に持ち、早くも本日二杯目となるアイスコーヒーを右手に持つ。程よく室内の冷気も循環してはいるものの結露は抑えられない。夏も冬もこの自然現象には悩まされている。コップを持つときに滑るんだよな。もしかしたら既に結露を抑えるコップなる物も叩き売りされているのかもしれないが、まだ使える物を捨ててまで解決したいことかと思うと手が出せない。画面の向こうで声がする。今日も厳しい暑さになるのだと。

 

「わっ、今日の最高気温見てくださいよ!」

「高すぎだろ。コンビニで飲み物買ってから行くか」


 ついでにアイスも買っていこう。出費はかさむが生きるために必要な出費だ。食べなきゃ俺の方が溶けてしまう。


「ごちそうさまでしたー!」

「お粗末様」


 綺麗に平らげられた皿は洗わなくても良いのではと思ってしまう。自分の作った料理を目の前の誰かが美味しそうに食べてくれるのは気分が良い。母もこんな気持ちだったのだろう。毎日張り切って俺と親父のご飯を作っている姿を当時はあまり理解できなかったが、今となってはその張り切りにも頷ける。


「ご飯も食べてエネルギー補給も済みましたし、そろそろ学校に行きましょうかねぇ」

「玄関を開けた途端に熱気が襲いかかってくるぞ。いやポンコツは平気なんだったか」

「そうですね。夏の暑さは得意です!」

「羨ましい限りだよ本当」

「いやぁでも冬は寒いですよ? 重ね着に重ね着を重ねないと凍え死んでしまいます」

「どんだけ重ねるんだよ……」


 などとくだらない会話を投げ合いながら、日光の反射する大地に天使と悪魔は繰り出していくのだ。一歩進むごとに汗は流れ、蓄えた冷気は浪費されていく。この暑さはどうも魔女のせいではなく人間の技術の進歩によるものだそうで、それを享受している身としては文句を言おうにも言えないのが現状である。ただまぁ上がった温度は下げられないという仕様にした魔女に関しては、もっと柔軟な創りにしろよ言いたい。

 汗を流しながら歩いていると定番となった泰樹の出現場所まで辿り着いた。信号待ちをしていようがいまいが、毎日背後から現れてくるので当初は驚いていたポンコツも慣れ切ってしまったようである。


「あれ、今日は来ませんね東さん」

「校長に使われてるんじゃないか? あいつは俺と違って優秀だからな。昼頃にはふらっと現れるだろ」

「なるほど。飯ヶ谷さんも東さんも良いように使われてるわけですね!」

「あの頼みを一度でも蹴ってみろ。死んだ方がマシだと思わされるぞ」

「わぁ……」


 どこに留まっているかも分からない蝉が鳴く。ゼンマイを巻くような音が何十にも重なって頭に響く。そんな喧騒を身に浴びながら過ごしたが、泰樹は昼になっても現れなかった。朝比奈に話を聞くと、どうやら昨日の夜から魔女関連で仕事に出ているらしい。大変な仕事を任されたんだろうな。御愁傷様。俺は今からポンコツに付き添うよ。


「さてさて、それじゃ行きましょうか」

「美容院の予約とかはしたのか?」

「済ませましたよーお昼の間に」


 階段を小刻みに降りながらポンコツは答えた。こいつ三ヶ月程度しかこっちに来てから経っていないのに、美容院が何処にあるのか把握していたのか。それに比べて長く住んでいるはずなのに美容院さえ知らない俺はなんだ。いや弁明するなら髪ぐらい自分で切れるからであって、決して無頓着だったわけではない。知る機会がなかっただけなのだ。


「ちなみに今日行くとこは薬師院さんが紹介してくれたので信用できますよ」

「薬師院が?」

「ほら薬師院さんって綺麗な黒髪な上に私ぐらい長いじゃないですか? お手入れとか大変そうだなーって思って聞いてみたら行きつけを教えてくださったんですよね」

「なるほど」


 薬師院鈴の黒髪はそれだけで男を落とせると言われるほどである。事実として時ヶ峰の男性人気を佐伯とニ分しているのだ。艶やかな色と真っ直ぐ腰元まで垂れるその髪に魅せられ玉砕していった男が多くいる。近寄り難く所謂高嶺の花である佐伯とは違い、人当たりもよく独特な雰囲気を醸し出す薬師院は近付きやすいのだろう。ただ屋上で気持ちよく昼寝をしている最中に男子生徒を切るのは即刻やめていただきたい。晴天が曇天に早変わりしたかのような空気になるのは耐え難く、嫌でも目を覚ます羽目になってしまう。


「薬師院の紹介した美容院ってのはここから近いのか?」

「高架下のところらしいので、ちょっと歩きますかね」

「高架下に美容院なんてあったのか……?」

「飯ヶ谷さん周りに興味ないですからねぇ」


 ぐぅの音も出せないほどの正論だった。

 それからはあれよあれよと言う間に美容院へ引っ張られ、ポンコツのイメージが変わる瞬間を目の当たりにした。腰元まで伸びた黄金色にバッサリとハサミを入れる様子は、少々もったいない反面爽快でもあった。暖色の照明も相まってか重力に逆らえなくなった髪は綺麗に輝いていた。不覚にも見入ってしまっていたようで、難しそうな顔をしながらポンコツがいりますかと聞いてきた。いらんと切り捨てた。お前の髪を貰ってどうしろと。


「ふぃー、頭が軽くなりました! これからは手入れもしやすくなります!」

「結構切ったな」

「ロングからショートボブですからね。そりゃもうバッサリとです」


 ボブカットというのがどんな髪型なのか目の前のポンコツでしか判断できないが、耳元までの長さなのだろう。切る前よりも頭上からふんわり膨らんでいて、少し内に巻いている気がする。髪型一つでここまで印象が変わるのなら、道理で世の男どもは些細な変化に目ざとく気が付くはずだ。数式の間違いを発見するよりも簡単なはずだと俺でも思ってしまったのだから。


「飯ヶ谷さん、この後って予定あったりします?」

「そんなこと聞かなくても同居人なら分かるだろ。何もない。だから荷物持ちぐらいは覚悟して来たぞ」

「それまたなんとも頼もしいですね。でしたら荷物持ちになってもらいましょう!」

「ういうい」


 一体いくつの紙袋を持たされるのかと内心冷や冷やしたが、実際のところは紙袋一つだった。中身はポンコツの夏服。襟元にフリルをあしらった白いワンピースが洒落た紙袋の中に入っている。スカートはふんわりと広がって何故か二枚布が重なっていて、袖は肘ぐらいまであって何故か二の腕あたりを縛っている。拗ねたような顔をしていたらポンコツが、「これがファンションなんです」と呆れた様子で補足説明してきた。そこから試着しては新しい服を目の前に突きつけ可否を聞いてくるのが何度も続いた時は欠伸を噛み殺したが、気に入ったのがあったようで何よりだ。


「いやー、今日は服も新調出来たし髪も切れたし良い日でした!」

「……」

「付き合ってもらって有難うございま……どうかしました飯ヶ谷さん?」


 深い海にも似た双眸が怪訝そうに覗き込んでくる。

 ふと違和感を覚えた。なぜ俺はこうも充実した日常を送っているのだろうと。お前はここでのうのうと生きていて良い存在ではないのだと言われている気がする。これは多分、今までは気にもしていなかった小さな違和感。

 俺は昔から、小さい頃から親父と一緒に生きてきただけの化物だ。それ以上でもそれ以下でもないはずだ。なのに俺の知らない過去がある。泰樹も校長も精霊どもも隠したがる過去がある。何故だ。いや待て。俺の持っている記憶が正しいという証拠が一つでもあったか。写真の一枚でも撮っていたか。誰だ俺は。俺は本当に飯ヶ谷雫なのか。

 呼吸が浅くなる。心臓が酸素を凄まじい速さで脳へと運ぶ。黒い、黒い内側から誰かが手を伸ばしている。


「ダメですよ飯ヶ谷さん。まだ、ダメです」


 微かな違和感を掻き集める俺の前で天使は静かに言う。今にも泣き出してしまいそうな苦しそうな表情で。垂れた頭に柔らかな手が添えらえれる。それと同時に小さな波がまとまりかけた思考を押し流していく。

 

「それは、大事なことを話しても忘れてしまうからか……?」

「え?」

「たまにあるんだよ。何か俺にとって重要なことを話しても寝て起きたら、虫喰いみたいにその事が思い出せないってことが。でも今なら良いじゃないか。どうせここでの会話も明日になれば忘れてるんだろう? なぁ、ポンコツ。お前は全部知ってるはずだよな。俺の監視者なんだから。なのにどうして邪魔をするんだ」


 縋るように捲し立てるように俺は口を動かした。内側に巣食う得体の知れない恐怖からだと思う。意図的に思い出せないこととそうでないことでは抱く恐怖の度合いが違う。


「だって今日という日がずっと続くなんて事はないじゃないですか」


 彼女は、俺の目に映る天使は目を伏せてそう言った。


「もしかしたら明日、死んでしまうかもしれない。もしかしたら明日、魔女の魔法が弾けてしまうかもしれない。私達だって不死ではなくて、ただ長寿になってしまっただけ。運良く壊れていないだけでいつだってここは不安定なんですよ?」


 夕焼けに染まるその言葉を俺はただ黙って聞いているだけだ。ポンコツの言っていることは正しい。天使も悪魔も人間と比較すれば長く生きているだけで、死なないわけではない。時間が経てば鼓動が止まり土に還る。


「飯ヶ谷さんだってよく分かっているんじゃないですか?」


 言っていることはわかる。だが今の俺にその言葉の真意を汲み取ることが出来るかと言われればきっとノーだ。蒼い瞳を伏せ、困ったように紡がれたポンコツの言葉は、ポンコツにしか分からない重くて深い意味がある。そんな気がする。


「だから今はダメなんです。不安定な状態に拍車をかけても良いことはないでしょう? それに私は、もう少しだけ今日という日に夢を見ていたいんです。それだけです」


 ポンコツは建物に隠れ出した夕日に向けた背を右足を引くことで俺に向けた。力強く音になった言葉が地面に落ちる。その小さな背には見合わない大きなものを背負っている気がした。それが何かは分からない。その背に向かって俺がかけられる言葉はない。ただ呆然と自分の中に巣食う不気味さとポンコツを見比べながら立ち尽くすだけ。どうにもこうにも、まるで幾人もの人間がぶら下がっているかのように四肢が重い。


「ま、こんな話は良いんですよ。ただ今日を悔いなく生きることが出来ればそれで良いんです。ささっ、帰って夕飯の支度をしましょう!」


 やがて普段と同じような笑みで振り返ってこういった。いつからだろう。目の前の天使が時々その表情に影を落とすようになったのは。俺はポンコツに対しても知っていることが少ないのだ。にも関わらずポンコツの言葉だけで俺の思考はすり替えられていく。そこに気味悪さを覚えない俺がいる。この異常を正常だと翌朝には何事もなく認識しているのだろう。そしてそれをポンコツは口にしない。優しい嘘で全てを誤魔化していく。俺はまだこの迷路からは抜け出せない。

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