四羽目
結局、三十分経っても天使様はあがってくる気配はなかったので、泰樹と校長と俺の三人で近状報告会をすることになった。とは言っても、校長が無理矢理連絡を取って来ただけだ。一回目と二回目のコールは当然無視した。あの校長とは関わらないに越したことは無い。だが三回目のコールの後、一件のメッセージが校長から届いた。それはとても簡潔で、有無を言わさないような圧力のある文面だった。〝聞こえているだろ?早くでろ〟こんなものを見てしまったら出ないわけにはいかない。四回目のコールで俺はとうとう答えてしまった。連絡を取ると言っても、今の時代携帯ではなくパソコンで出来てしまうから驚きだ。如何に人間とは言え、こういった発明はたとえ神であれ魔人であれ敵う者はいないだろう。
『よぉ雫。調子はどうだ?』
「あんたの心配事が当たって、最悪だよ」
『そりゃまぁ、私は現時点での最強の魔女だからな』
「暇人がいばるな。てかまだ解決してないのかその件」
『いやいや雫。校長も結構頑張ってるんだよ?魔女の件ももう少しで解決しそうだし』
『そうだぞ。私は決して暇人ではないのだ。人材も発見し今は期を待つだけだ』
泰樹が必死にフォローを入れているが、期を待つだけって基本的に何もしてないのと変わらないよな。だったら今の暇人生活と何も変わらない。やはり魔女は暇なのだな。そんな暇があるのなら早急に悪魔向けの魔法でも開発してほしいものだ。
『……おいおい殺すぞ? いや違う。大神からの伝言を預かったんだが?』
怖い怖い。あぁ、そうだった。この魔女の個人魔法確か、他人の心を読む魔法だった。使用者のテリトリー云々かんぬんとか言っていたが、あれでも現時点での最強の魔女。テリトリーとか全世界に及ぶはずだ。というかこの魔女を超える魔女って凄いな。直接的な関りは当然ないが、隣の教室の佐伯椿だったか。定期考査で毎回トップとかいう化物で、校内では高嶺の花として崇められていた。まぁ俺としては佐伯椿よりも、いつもこき使われている二年の男の方が気になるのだがな。
さて、前座はこのぐらいにしてそろそろ本題に入るとしよう。
「で、俺の部屋に天使が監視に来たわけだが?」
『あぁ、だから大神からの伝言がある』
「嫌だいやだ聞きたくない。どうせろくでもないから聞きたくない」
『でも雫、大神様からの伝言なんて滅多にないよ?』
「だから嫌なんだよ……」
『伝言の内容としては勝手に送り込んだのは済まないが、いい経験だと思ってくれ。ただしエミリーを泣かせたら君の一族を滅する、とのことだ』
ほらな。やっぱりろくな伝言じゃない。これは喧嘩が起らないようにしないといけないなぁ。いやでもあのポンコツが泣かなければ良いのか。てかそんなんことで一族滅せられるって、怖すぎでしょう。あれ、大神様こんなに過保護だったかな。父から聞いた話だと、放任主義的な所があるはずなんだがな。
「というか滅するって、それ条約違反じゃないのか?」
『それはほらあれじゃない? 大神様の特権的な』
『まぁ。実際その条約作ったのあいつだしな』
「ふざけんなよ……」
『まぁなんだ、美少女と同棲できるなんて世の男の夢だろ?』
「いや、だろ? とか聞かれても悪魔だし。むしろしんどいんだが」
『でも雫なら無難にやり過ごせそうだけどね。そういえば校長、彼女の任期とか決まってないんですか?』
「それ俺も知りたい」
『一年だけって言ってたな。流石に長々と悪魔の部屋に住まわすのは天使の長が反対したらしい』
それもそうだ。というか安心した。一年なら俺たち化物からしてみれば、短いようなものだ。何とかなるはずきっとそうだ。自分で自分に暗示をかけるというのは不思議な感じだ。
『まぁ、頑張ってくれ』
『頑張れー』
「泰樹はともかく、あんたは仕事をしろ。……もう切るぞ」
『仕事しろって言われたらしたくなくなるんだ。覚えておけ』
『じゃ、雫また明日』
「はいはい」
通話を終えて、時計を見れば思いの外時間が経っていた。かれこれ三十分も話していたのか。これから先、泰樹にはいろいろと相談しそうだなぁ。あいつの方が天使の事について詳しかったし。あぁ、〝無限の杖〟が情報取集得意だったな。泰樹にでも頼んで彼女を動かしてもらおう。そして情報を集めてもらうか。
「……何をそんなに大きなため息をついているんですか飯ケ谷さん?」
「ようやく上がったか。はぁ……」
「ため息ついたら幸せが逃げるんですよ?それに折角のお風呂が台無しです」
「はいはいそれはすまなかったな。じゃ俺は風呂に入って来るから、先に寝てていいぞ」
「そうですか。ではおやすみなさい」
「……」
今まで誰とも会話したことのない内容だ。父と母は俺が寝ても仕事で忙しく、おやすみなんて言ったことも無かった。だから俺は、こういったときに何て返すべきなのか分からない。普通は、おやすみと返せばいいのだろうが、何というか恥ずかしい。決してお風呂上がりの蒸気した素肌とか、シャンプーの仄かな匂いとか、そういったものに照れているのではない。それだけは違う。絶対に違う。俺はそんなことで動揺する悪魔ではない。誉れ高きバラキエルの息子だ。そう言い聞かせ、恥ずかしながらも一言簡単に返すのだった。
「……おやすみ」
それだけ言って、俺は脱衣所にいそいそと歩いた。ようやく、長かった今日が終わる。転校して来た美少女が実は天使で、悪魔である俺を監視に来た。挙句の果てには同棲生活が始まってしまった。あぁ、自分で思い返しても信じられない。というか意味が分からん。だがしかし、これは変えられない現実な訳で、俺の気持ちなんて意に介さずに世界は進んでいる。風呂に入って状況の整理でもしようか。そうすれば、また違ったものが見えてくるかもしれない。今日は俺も少し長めに入ろう。
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長めに入ると言ってもあいつのように一時間も長湯するわけではない。そもそも俺はシャワーだけで充分なのだ。だがしかし、折角入れた湯なので十五分だけ入ることにし、それ以降は留まろうとさえ思わなかった。取り敢えずコーヒーが飲みたくなったので、リビングで淹れることにした。父も母もコーヒー好きだったのでその影響か、今では俺もかなりのコーヒー好きになったと思う。しっかりと髪を乾かしてリビングに向かえば、何故かそこには、さも当然のような顔で待ちぼうてけいる馬鹿がいた。
「……なんでまだ起きてるの?」
「あぁ、えっとですね、そのお茶が飲みたくてですね」
「お茶なら適当に飲めばいいだろ?なければ空間転移で出せるんじゃないのか?」
「その発想はなかったです!?」
あ、やっぱりこいつ馬鹿だわ。てかなんで空間転移魔法で俺の方が発想力あるんだよ。俺たち悪魔使えないのに本当に何でだろうか。いや、使えないからこそ憧れを抱き、空想で埋めるからか。知らないけど。
「冷蔵庫にあるやつでいいか?」
「なんで冷蔵庫にあること先に言わないんですか!」
「いや聞かれなかったし」
「私の時間を返してください!」
理不尽だ。こいつ本当に面倒くさい。そもそも図々しいんだから勝手に冷蔵庫漁ってると思ったんだがな。流石にそれはしなかったか。変な所で常識があるのか、それとも考えつかなかったのか。まぁどちらにせよ、この天使は監視者と名乗っているが、ポンコツで使いものにならないことは良く分かった。
「……今持ってくるから待ってろ」
「はーい」
もうなんかコーヒー淹れるのも面倒くさくなってしまった。冷蔵庫の中にはお茶と常備している缶コーヒーが残り一本しかなかった。最近は割と缶コーヒーに頼らず自分で淹れてたから、残り一本なのも不思議ではないか。それに比べ、お茶を飲むのは夕飯の時だけなのでまだ半分残っている。どうせ一杯じゃ足りないだろうからペットボトルごと持っていこう。ペットボトルとコップと缶コーヒーの三つを眼の前に並べる。
人間も俺たち化物も腕の数は二本しかない。だから物理的にこの三つを一度には運ぶことは不可能なのだが、生憎俺は悪魔であり、しかも魔法が得意なのだ。そして魔法にはこんなに便利なものがある。自分のイメージを具現化するという魔法だ。悪魔本来の腕をイメージし、それを空中に出現させる。悪魔の腕は昔、かなり浮世離れした腕だったらしい。それが今は必要なくなり、人間と同じような腕になったそうだ。これを進化と呼ぶか退化と呼ぶかはそれぞれだろう。自分の腕でお茶とコップを持ち、具現した腕で缶コーヒーを持つ。はたから見れば正に悪魔らしいのだろう。持っている物が違えばの話だが。
「ほれ、勝手に注いで飲め」
「有難うございます。ってなに具現化してるんですか」
「二本だけだと持ってこれなかったんだよ」
「……にしてもそのチョイスですか」
「まぁ、悪魔だからな」
そう言って俺も、ポンコツ天使と向かい合うような形で腰を下ろした。
「飯ケ谷さんコーヒー好きなんですか?」
「父も母も好きだったから、その影響でな。人並み以上には好きだと思う」
「思いの外似合っているのが腹立ちますね」
「なんでだよ。俺は何もしちゃいけないの?」
理不尽すぎる。ただの居候に何故ここまで言われなければならないのだ。
「もうそれ飲んだら寝ろよ?明日も学校だからな」
「……うわぁ」
「なんだよ?」
「いえあまりにも、というかフェーラ様と同じ言葉をここでも聞くとは思ってなかったので」
「フェーラ? あぁ、天使の長か。直接会ったことは無いが、父から話はちょこちょこ聞いたな」
「フェーラ様も色々五月蠅かったからですからね、ここだけの話」
そう言って俺たちはそれぞれに喉を潤す。どうでも良いような話をしながら、夜は更けていった。初対面の、しかも天使と悪魔がここまで親しく話せるのは、ポンコツのコミュ力が高いからかそれとも遠慮がないだけなのか。グダグダと話していれば既に二十三時を過ぎていて、あと十分もしないうちに日付が変わろうとしていた。
「さて、そろそろ寝るか」
「そうですね。良い時間ですし私も寝ましょう」
「今度こそ本当に、おやすみ」
「おやすみなさい。それから……」
少しだけ言いよどんで、それから柔らかな笑みを浮かべて天使は言う。
「また明日」
その姿だけは本当に天使なのだと思えてしまう俺は、相当疲れているのだろう。明日学校大丈夫かな。