三十六羽目
キュニアスとの茶話会もほどほどに帰路へと着くと空は既に星一色だった。どうもあの魔女の部屋と同じように迷宮の中も現実とは時間の流れが違うらしい。別にそれ自体は構わないのだが確認用に実時間に合わせた時計でも置いて欲しい。
「思いの外話し込んでしまったが、あいつは晩御飯ちゃんと食べたかな……?」
携帯で時間を確認すると普段ならとっくに夕飯を食べ終えている時間だった。ポンコツもポンコツで料理は出来るから食いっぱぐれているなんて事はないだろうが、考えなしに材料を使っていそうな事が懸念点だ。天使の性なのかポンコツ故なのか分からないが節約という言葉を知らないのである。そのくせよく食べるのだから二日分の材料が無くなっていてもおかしくはない。
「念の為、少し買い足しておくか」
悪寒というか嫌な予感というか、不安を払拭することが出来ない以上この選択は懸命だろう。まぁ冷蔵庫の中身が想定より減っていなかったら冷凍すれば良いだけだ。人間の技術万歳。
この時期にしてはやけに快い夜風を背に受ける。ここは森林に比べると緑も少ない荒んだ場所ではあるが空は広く、吹き抜ける風もやや無機質だが却って涼むには打って付けだったりする。ここから古城のようなデパートへは十五分も歩けば着くが、タイムセールの時間とはかちあってないので惣菜の残り物が安くなっているぐらいだろう。目星い物があることを願うとするか。
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「ただいまー」
玄関を潜ると代わり映えのしない光景が目に馴染みだす。台所を見るとすでにポンコツは夕飯を終えていたようで、恐る恐る冷蔵庫を開けると意外にも食材の減りは進んでいなかった。許容範囲である。
「おぉ、飯ヶ谷さん。遅かったですね」
背後からの声に耳を傾けながら買ってきた惣菜を冷蔵庫に詰め込んでいく。残ったのは明日の弁当になるので、なるべく手前の方に配置しておこう。
「ちょっと惣菜を買いに行っててな。あぁ、アイス買って来たから後で食べていい━━━」
八個入りのアイスバーを手に持ち振り返ると、そこには頭を抱えたくなる姿で佇むポンコツがいた。
「ん? どうしたんですか急に黙り込んで。お腹痛いんですか?」
「お前、なんでそんな格好なの」
「何でって言われてましても、お風呂上がりだからとしか言えませんが?」
ポンコツはほかほかと湯気を放つ身体を不思議そうに確認する。湿った髪は水滴で床を濡らさないためかバレッタか何かで上にまとめられている。いやその気遣いの前にするべきことがあるだろう。なにせ今のポンコツはバスタオル一枚しか纏っていないのだ。決して佐伯の様に凶暴的な体型ではないにせよポンコツとて女の子である。それなりに膨らみはあるわけであってそんな事を考えてしまっている俺は分類上の男であることを否定出来ないようであぁもうどうして帰宅早々こんなことになっているんだ。
「……頼むから早く服を着てくれ」
「えー、別に良いじゃないですかー。前にもこんな事ありましたし、寝起き姿を再三見られてるんですから今更恥じらうこともないですよ?」
視線を斜めに外しながら放った悲痛な訴えはよく分からない理由で一蹴された。
「お前の恥じらう基準は今の状況よりも寝起きなのか……?」
「そりゃまぁ、ボサボサした髪に半開きの目は見られたくないですよ」
「それはそうかもしれんが、兎も角服は着てくれ」
「あー、アイス食べてから着ますよ。やっぱりお風呂上がりにアイスは外せませんからね。さぁさぁくださいな。ぷりーずぷりーず」
「いいから服を着ろ!」
心からの叫びが台所に響いた。
とんだハプニングの後、思考の隅にちらつく画を振り払うかのようにアイスコーヒーを一気飲みした。誇り高き高架下の喫茶店のマスターに知られたら、深みを味わうことなく浪費するとは万死に値するとこっぴどく説教されるだろう。
あの魔女の一件以降どうも真新しい感情が付与されたようで、時たま狼狽える事が増えた。これに関して割と本気で悩んでいるのだが泰樹や朝比奈に相談しても笑われるだけで具体策は教えてくれないし、本当に勝手な事をしてくれてなエマ。恨むぞ。
「言われた通り着替えたので私はアイスを所望します」
「よし。好きに食え」
「わーい!」
今目の前にいるポンコツは普段の寝巻き姿であり安心できる。少し長めの黄金色した髪は縛られる事なく垂れ下がっている。自身の瞳よりもやや薄い青色を至福さ全開で頬張ると、それにつられてふんわりと髪も揺れる。場所が変われば絵になるような気もするし、そうでもないような気もする。
「んー、髪切ろうかなぁ」
ふと右手にアイスを持ち、左手で前髪を弄りながらポンコツはぼやいた。
「切っちゃうのか?」
「なんか鬱陶しいなと思いましてね。まぁ特に理由もなく伸ばしてただけなので、この際バッサリいくのありかなーと」
まだ乾ききっていない髪を首元辺りから二本指で切る。その仕草から短髪になったポンコツを想像してみると案外悪くはない。三ヶ月程度とはいえ毎日目にしていたからか斬新さもある。
「いつも適当にハーフアップにしてるだけでヘアアレンジも特段しませんからね。あ、見たいのあればしますよ! 今しか出来ないのもありますし!」
「そうは言われても髪型なんて知らないぞ……?」
「むむっ、仕方ないですね。それなら私が知ってるのを今から見せますよ」
「いや別にいい」
「なんでですか!?」
「お腹空いたし」
「じゃあもう食べながらで良いですよ!」
うがーっと机を叩きながら訴えるポンコツに押し切られる形で急遽ヘアアレンジ講座が始まった。長くなりそうなので先に夕飯を整えるとしよう。
「良いですか飯ヶ谷さん。まず編み込みにも表編みと裏編みの二種類があるんです」
「ふむふむ」
席に着くなり矢継ぎ早に語るポンコツ曰く表編み込みは一体感があるそうで、対して裏編み込みは編み込みが一層目立ちやすくなりのだと。その日の気分やら服装に合わせて臨機応変に対応するそうだ。あぁー、惣菜の唐揚げ美味しいな。ちなみに今日はさっさと眠ってしまいたいので珈琲を淹れていない。
「これが表でさっきのが裏です。分かりますか?」
「ちっとも分からん」
「もー、ちゃんと見てくださいよ。さっきは束ねたのを下に重ねて、今は束ねたのを上に重ねてるんですよ。もっと簡単に言えば、裏編み込みは三等分した髪を外に編んで表編み込みは内に編み込むんです。分かりますよね」
「言われたら確かに……?」
「よく分かってないですね。あ、こら諦めて箸を進めるんじゃないですよ!」
そんな事を言われても分からないのだから仕方ない。この疲れた脳が理解するために糖分を欲しているし、摂取したとしてもシャットダウン間近まで思考力が低下してしまうのだ。
とは言え女の子はこれを簡単にやってのけるのだから尊敬する。ポンコツも手先が器用なようで、先ほどから何ともスムーズに髪型を変えている。適当に魔力を消費していた奴と同一だとは思えない。
「むぅ。よもや入口である表裏の編み込みから躓くとは思ってませんでしたよ」
「すまん」
「まぁ仕方ないです。でも次からは分かりやすいですよ」
そしてポンコツは結った髪を解き、また新たにちまちまと編み込んでいった。よくもまぁ手を後ろに回し確認もせずに結えるものだ。パッと見ているだけでもこんがらがってくる俺とは違い、ポンコツはテンポ良く三つに分けた束に規則性を持たせていく。程なくしてすらっとした一束が目の前に現れた。
「じゃーんっ! まずは手が込んでいるようで実は簡単なウォーターフォールです!」
「おぉー垂れてる髪の毛が滝に見えるぞ」
「ですです。個人的にはロングよりもボブも方が似合いそうな髪型ですね。ちなみにこれを左右で作ってダブルにする方法もあります!」
「なるほど」
「お次はフィッシュボーンです。結構難しんですよねこれ」
フィッシュボーン。その名の通り魚の骨の様な編み込みが後ろ髪で出来上がっている。見た感じだとこれは束を四つに分けているようで、それはそれは難しいのだろうなと思う。見ているだけだがさっきよりも複雑で俺の脳は理解するのを完全に放棄してしまった。ここから先は適当に相槌を打つことぐらいしか出来ないだろう。
「定番のポニーテールも編み込むだけでこんなに違う! 編み込みポニーです!」
「いよいよファッションショーじみた言い回しになってきたな」
「もう飯ヶ谷さんを楽しませるのではなく私が楽しむことにシフトチェンジしているのです。さぁさぁどんどん行きますよー!」
「お手柔らかに頼む」
「後ろだけじゃない前も編める! 両サイドの編み込みを後ろで纏めただけの簡単さが売りのロープ編みです!」
「ふむふむ」
「正式名称は分からないけれどお嬢様方がよくやってそうな髪型の一つ! 三つ編みを後ろにまとめるやつ!」
「正式名称知らないのかよ」
「いやぁ、調べても中々ヒットしないんですよねぇ。ちなみにこれもボブやミディアムの方が似合いと思います」
力説を繰り広げるポンコツをよそに気がつけば夕飯を食べ終えていた。ボブやミディアムと言われたところで長いか短いかという極端なことしか分からない。ちょっと申し訳なくなってきたな。もう少し理解する努力をしてみよう。こちらから質問を投げるところから新しい発見が生まれるかもしれない。
「ポンコツは今の中でどれが気に入っているんだ?」
「んー、私は最後の正式名称不明のやつですかねぇ。簡単な割に可愛く魅せられますからね。切ったらこの光景を見る機会が増えるでしょうし、どうです?」
「どうですって聞かれてもな。普通に可愛いと思うぞ」
「可愛い頂きましたー! わーいわーい!」
「……テンションおかしくないか?」
「深夜ですからね。仕方ないです」
首を左に回しテレビの上に視線を上げると二本の針はまごうことなく深夜を示していた。帰る時間が遅くなったのもあるが、それ以上にポンコツのファッションショーが長くなっていたらしい。もう一時間半もやっているというのに時間の流れに気がつかないほど俺も楽しんでたんだな。しかしながら明日も学校がある。どうでも良いことだが時ヶ峰の出席日数は全日数の八割を切った時点で進級不可とかなり厳しめである。受験勉強は必要ないと校長も理解しているくせに、出席数は誤差なく加算していくのだから欠席はもちろん遅刻も許されない。
「そろそろ寝ないと明日起きられないんじゃないか?」
「うわぁ、明日学校かぁ……」
「今日、というか昨日は月曜だったからな。諦めろ」
「どうしましょう飯ヶ谷さん。今までのファッションショーもどきで目が冴えてしまいました。全く眠くありません!」
「うるせぇ寝ろ」
「酷い!」
膝から崩れ落ちるポンコツを尻目に俺は欠伸を咬み殺す。週明けの一日だというのに色んなことが詰め込まれ過ぎたせいで、もう目を開けているのも難しい状態なのだ。端的に言って眠い。
「今日は珈琲も飲んでないだろ? 疲れてるんだ寝かせてくれ」
「はっ、確かに珈琲じゃなくてお茶を飲んでいらっしゃる! そんなに疲れたんですか今日のお使い」
「お使いなんて生やさしい表現をするな。あれはただの強要だ。ちょっと色々あってな」
「お疲れ様でした」
「そう言うわけだからさっさと寝ような?」
「はーい」
惣菜のパックを水洗いしてゴミ箱に捨てる。分別しているプラスチックは明日が回収日なので、箱の中から袋を出してしっかり縛っておく。ゴミ出しの回数も例によって増えた。少し前までなら捨てないとなと思いつつ来週に回しても大丈夫だったが、ポンコツが来てからは気付いた翌日の朝に出さなければすぐに溢れてしまう。生ゴミを出すことは抑えられても、プラスチック容器は買い物をすれば出てしまうから抑えられない。余分な物を作り出してもリサイクルできるのだからやはり人間の技術は素晴らしい。
「あ、そうだ。飯ヶ谷さーん」
「なんだ」
「明日の放課後は私のイメチェンに付き合ってくださいね」
「善処はする」
自室に戻る前にポンコツは有無を言わさぬ笑みで土産を置いていった。それに対してもう脳内で処理できる事は何もないようで、いつもと同じように肯定とも否定とも取れない中途半端な返答をしてしまう。ただそれでもポンコツは満足したらしく、足取りも軽やかに白を基調とした自室へと消えていった。
明日も明日で愉快な一日になりそうである。のそのそと足を引きずり目下に恋しい布団を見つけると、そのまま崩れるように身体は吸い込まれていった。ポフっと柔らかな音がしたのを最後に俺の一日が終わった。




