三十羽目
雲一つない快晴という景色を見ると、大半はその雄大さに魅せられ気分は高揚するだろう。少なくとも負の感情になることはないと思う。俺だってそうだ。目に映る全てを雄弁に語る蒼で塗りつくされると、なんというか心も呼吸も落ち着く。だが今は違う。もちろん理由はある。いや、あると言うより目の前に居ると言うのが正しいな。
「飯ヶ谷さんのやる気を出すためにも、ここは一つ賭けをしましょう」
「賭けって言われてもベットする物は何も無いぞ……」
「いやいや本当に何かを賭けるわけじゃないですよ。ちょっとした口約束のような感じです。正式に書類やらサインやらを用いるわけでもないので、破ってしまっても御咎めはなしみたいな。あ、でも破っちゃダメですからね」
「つまり?」
流暢に喋っているが何を言っているのか一つも分からん。
「んー、そうですね。負けた方が勝った方の言う事を一つ聞くってのはどうですか?」
「どこにでもありそうな安い賭けだな」
「む。こういうのはベタだからこそ良いんです」
「そんなもんかねぇ」
「そ、そんなもんなんです! それで、どうしますか? 当然この賭けの席に座りますよね?」
そんな子供みたいに煌びやかな目で圧をかけられてもな。仮に賭けに参加したとして負けた場合、ポンコツから何を言われるのか分からない。それが嫌なら勝てばいいだけの話だが、そう簡単にいかないから悩んでいるわけである。けれども乗らなければ泰樹や校長にひたすら笑われ続けるだろう。それもそれで中々に鬱陶しい。前門の天使に後門の魔女とでも言った所か。
「あぁー、はいはい。分かった分かった」
「乗ってくれるんですか!?」
「仕方なくな」
「えっへへ。よーし、やる気出てきたぁ!」
お前のやる気が出てどうする。俺のやる気を上げるためじゃなかったのか。
「行っきますよー、飯ヶ谷さんっ!」
この負の感情の発信源である天使様は、日の光よりも眩しく鬱陶しい笑みを浮かべ右手を高々と掲げる。何の因果で一日に二度も宣言されるのだろうか。どうしようもない罪人だとでも言うのか俺は。天使に見下されるような立ち位置で俺はそれを聞く。
「神から人への御使いが一人。我が主との契約に従い、今ここに門を開く。我が名はラグイル。世界と光に復讐せし者────」
空に大きな陣が架かる。唸るようにうねりながら魔力を解き放っている。それはミルクのように濃密で、蜂蜜のように甘く、泡のように弾けて降り注ぐ。ただしそれは他の誰の物でもなく、ポンコツの、天使ラグイルだけの魔力。これちょっと前に見たばっかなんだよな。同じ場面を違う場所で繰り返されているようだ。
「もう逃がしませんからね」
狂気的な表情を晒すポンコツ。仮にも天使がそんな表情浮かべても良いのだろうかいや良くない。そしてこいつの戦闘欲求はどこから涌き出てくるのだろう。ポンコツだけが特別なのかそれとも天使が皆そうなのかは分からないが、どうやっても逃げ切れないということは分かる。どうも今日の空は雲一つとて俺を助けてはくれないらしい。
「中立な夜明け!」
にべもなく右手が振り下ろされる。それと同時にポンコツ特有の魔力の色である碧色を纏った光が数発放たれる。羽を出す。後退するよりも先に一筋の光が迫る。体を捻る。頬のそばをとんでもない熱量が通り去る。後ろに退きながら、上に飛んだり落下したりして残りも対処していく。髪やら服の切れ端やらが焦げた芳しい香りがする。
「これキツイなぁ」
「紙一重で避けるあたり流石ですね。でもこれからですよ」
「うおっ!?」
ポンコツは無造作に右手を横に振る。それに応じて躱したはずの光はしっかりと俺の後ろを追いかけてくる。便利な魔法だ。天使だけに伝わる効率的な魔法。一度放ってしまえば魔力を消費し続ける限り、自分の思うように動かせる。視界で捉えようが想像しようが変わりない。これは頑張って避けていくのが正攻法なのだろうが、相手はかの天使長でさえ上回る魔力の持ち主だ。どうやったって俺が先に根負けする。
風の動きを感じながら辛うじて光の軌道を追い切れている現状。小さな針に糸を通すよりも集中するし、精神が擦り切れていく。目を絶えず動かす。耳を澄ます。こんなにも五感が冴えわたる日はもう二度と来ないと思う。
「あちゃー、これも躱されるんですか。でもまぁ、天使長も回避してましたし仕方ないですね」
光の弾丸が俺を不規則に囲んで止まる。
「俺を天使の長と同じ分類にするんじゃない!」
「そうですか? ラファエル様は厳しいかもしれませんが、ガブリエル様とウリエル様相手なら案外良い線いくと思うんですけど……?」
「それはただの過大評価ってやつだ」
「うーん」
なにやら納得がいかないようだが、事実として俺は天使長を前にして数分も立っていられないだろう。相手は天使を統率している長であり、ちっこい大神の側近でもあるのだ。どうやったて負ける。
「あ、でもでも私に勝てたら模擬戦時のラファエル様には勝てますよ! 引き分けましたし!」
「……」
なにその謎理論。ポンコツが引き分けたことに対しては称賛するが、その時にどれだけ天使長が手加減していたのかも分からない。いや確か前にその話を聞いたような気もするが思い出せない。畜生こんな時に限って使えない記憶力なんて意味がないじゃないか。
「んー、多分このまま撃ち合っても当たりませんよね」
「いやお前、撃ち合ってはいないぞ。一方的に撃ち込まれてるだけだ。無様にも逃げ回ってるだけだ」
「とは言え避けられてるのは事実ですし、よし」
ポンコツは開いていた右手を軽く閉じる。それだけで俺を追いかけていた光は呆気なく霧散する。続けざまに新たな陣を展開し、その中に手を突っ込んだ。これはいつぞやの空間転移だ。あの部屋に置かれているポンコツの私物が全て入っている驚きの収納量。引っ越しが楽になるよなと感嘆した記憶があるのだが、本来の用途としては武具の収納である。その用途に違わず、やがてポンコツは一本の剣を取り出す。それは小さなポンコツとは不釣り合いな大きさの大剣。一目見ただけでその脅威を身体が覚えてしまう威圧感がある。歴戦の傷なのか名誉の損傷なのか分からないが、細々とした線がいくつも刻み込まれている。
「お前、剣術も使えたんだな……」
「言ってませんでしたか?」
「言ってねぇよ!」
可愛らしく小首を傾げて誤魔化すんじゃない。初知りだぞ本当に。ただでさえ魔力量で勝っているにもかかわらず大剣なんて出されたらいよいよ勝ち目がない。
「これ可愛くないから好きじゃないんですよね」
「剣に可愛いも何もないだろうが」
「名前も〝雷霆〟なんていかついですからね。健気で可憐な乙女が振るう剣とは思えませんよ」
「健気で可憐な乙女って誰だよって、なに雷霆? え、それ大神のやつじゃないのか? 数千年前に愛用してた一振りで地形も変えるとかいう馬鹿みたいなやつ?」
「大神様の大剣を馬鹿と言える飯ヶ谷さんも大概ですけどね」
化物なら誰しも一度は聞いたことがある大神の逸話。誇張されているだろうと幾度も思う昔話。その中の一つに名を残しているのが、今ポンコツが両手で持っている大剣なのだ。
「私この日のために上に戻ってたじゃないですか。そしたら大神様が飯ヶ谷さんと戦うんだったら持っていけーってくださったんですよ。殺しても死なないから殺す気で振るうようにと念も押されました」
「いや普通に死ぬだろそれ!? 何を根拠にそんなことが言えるんだクソ大神!」
「死ぬ前に止めてやるから安心していいぞー」
「仮に怪我してもうちが責任持って治すさかいねぇ」
「死ぬ寸前まで止めないだろうが!」
ええい外野も全て敵だ。誰一人として俺の味方はここにはいないらしい。小休止前の段階でほとんど勝てる見込みはなくなっていたのだが、ここから先はどうやれば死なないかを考るとしよう。使える物は惜しみなく使い、背を向けることもこの際やむを得まい。身の安全が第一だが、それでも勝つことを諦めたくはない。
「来い」
だから相手が剣術を使うのならば俺も剣術で対抗しよう。これは呼び覚ます為の言葉。何処からか物凄い音が聞こえてくる。やがてそれは一筋の輝きを見せ俺の手元へと納まった。
「おぉ、ちゃんと見つてけてたんだな」
足下から間の抜けた校長の声が聞こえる。
「おいまさかとは思うが、あの調査ってこれが目的だったのか……?」
「んにゃ、そいつはサブだ」
十六番目の迷宮で見つけた片手剣。かつて一人の精霊が用いたもの。雷霆とは違い刀身は細くなにより軽い。重戦車のような一振りが売りの大剣とは違い、手数が売りの剣。その名も龍殺し。どう考えても雷霆の方が龍を殺すには向いてそうではあるが、剣に疎い俺でも格の高いものだと分かる。持ちやすく振りやすく、なにより突きやすい。これが意外と風と相性がいい。俺の身体強化と龍殺しの軽さは捌きの速さを生み、風を読むことで無駄なく相手を攻撃できる。しかしながらそう甘くはないのが世の中で、利点があれば欠点もついてくる。魔力消費が激しいのだ。重さはないのに持っているだけで疲れる。
「い、飯ヶ谷さんも私のこと言えないじゃないですか!」
「いやいや剣術なんて俺は触ったことないからな? 今までずっと近接格闘しか知らなかったのに、ポンコツがそんなの持ち出すから仕方なくだぞ。ちなみに名は〝龍殺し〟らしい」
「私のより物騒!?」
「背後の逸話まで含めて大差ないって」
天使と悪魔は再び対峙する。俺は左足を半歩引き剣を前に突き出し、ポンコツは大剣を片手で背に回す。可愛さを追い求める乙女にしてはかなり野蛮な構え。うっすらとポンコツの背後に大神の気配を感じる。あの模擬戦の時は見られなかったが大神本来の戦闘スタイルは剣術らしい。つまりここ何日かでポンコツはみっちり鍛え上げられたのだろう。戦況はかなり不利である。
数十分前とは違う沈黙が訪れ世界は静謐となる。風が木々を揺らす。周囲をアクリル板に覆われたかのように空気が硬くなる。やがて自分の鼓動さえも聞こえなくなる。一秒を限りなく薄く長く伸ばされた感覚が天使と悪魔の足に絡みつく。
「はぁぁあぁぁ!」
雄叫びとは言い難い威勢を放ち、平穏を切り裂いたのはポンコツだった。張り詰めた糸に沿うように一直線で飛び込んでくる。右手で背後から抜き右斜め上の頂点で左手を加え加速した大剣が、文字通り目前に迫る。俺の片手剣は正面から受けて耐えられる強度ではないかもしれない。そう直感したので剣先をほんの少しズラす。小さく無数の火花を散らしながら剣がすれ違い、立ち位置が入れ替わる。そこから間髪を入れずにもう一度ポンコツは下から切り上げて来た。お祈り程度の風の壁はザクザクと簡単に切り裂かれ、二度目の剣筋が目下に迫る。下からの攻撃は流れに逆らわず上に逃げるのが吉だ。片手剣の腹を大剣の切っ先に添え、ポンコツの振り上げとともに跳躍。そして俺は何故もっと距離を取らなかったのかと後悔する。
「まだまだっ!」
「がっ────!?」
俺の躱した大剣を軸にポンコツはハイキックを決めてきた。小さな体躯からは想像を絶する威力で空中から地面に叩きつけられる。受け身を取る間もなく地面が盛り上がる音に覆われる。体中の空気が一塊になって吐き出される。口の中が鉄の味で満たされる。どうも俺は回避することに重きを置きすぎて大剣が真横に降りていたことに気がつけなかったらしい。十秒ぐらい休もう。背中と咄嗟に受けた左腕がとても痛い。あぁー、ピクリとも動かない起き上がれない。もう五秒ぐらいこのままでいよう。
「この程度じゃ何ともないですよね、飯ヶ谷さん?」
「可愛い声で完璧に煽ってんじゃねぇよ……」
ポロポロと小石を落としながらゆっくりと俺は立ち上がる。見据える先には相変わらずアンバランスな剣を携えた天使の姿。ここまでくると強者の余裕ってやつは潔いな。
「はっ!」
一寸の怯みもなくポンコツに向かい突き刺す。首が左に傾けば左を刺し右に傾けば右に刺す。二度ほどフェイクを挟んだり、同じ場所を狙ったりするもポンコツは全てを最小限の動きで躱す。しかもその合間に反撃も挟んでくるのだから力量が凄まじい。俺の付け焼刃とは違い完全に体得してやがる。
「飯ヶ谷さん、それ誰に習ったんですか?」
最後の一突きをバックステップで対処したポンコツは涼しい顔で、それでいて怪訝そうな表情で聞いてきた。
「こいつを保持してた精霊に記憶をみせてもらったんだ」
「記憶、ですか?」
「なんでも古くから愛された武具ってのは使い手の記憶が宿るらしくてな。頼み込んで見させてもらった」
「なんだ飯ヶ谷。キュニアスとそこまで打ち解けたか」
「小間使いにされた挙句に、頭を地につけないといけないような関係を打ち解けたとは言わない」
「でも実際、それぐらいしないと見させてもらえないからねぇ。代物も訳あり品だし、寧ろ死ななくてよかったと思うべきだよ雫」
「なにそれ怖い……」
対価に命を要求するってどこの悪魔だよ。今時探してもそこまで非道な奴は見つからないぞ。
「まぁこれで公平になったわけですし、私もギア上げていきますよ!」
爛々とあどけない瞳を輝かせポンコツは大剣を構える。もうやだこの戦闘狂。
「第二ラウンドですっ!」
自らの声をゴングにポンコツは俺の視界から消えた。魔力が熾った気配はない。背後がざわつく感じもしない。ともすれば考えられることは一つだ。
「上か」
「おっりゃぁあぁ!」
相変わらずどこか間抜けな雄叫びと共に、ポンコツは視界の上から大剣ごと降ってくる。龍殺しの名を疑うわけではないが、やはりこの細い刀身がポンコの雷霆を受けきれるとは思えず後退する。けたたましい力が大地を起き上がらせる。質量に高度を乗算したら威力が増しましたってか。脳筋過ぎて震えるな。この震えは決して恐怖感からとかではない。そうでも言ってないと多分ポカって死ぬ。
「さっきから避けてばっかりですよ!」
「うるさい!」
地にめり込んだ大剣をすぐさま抱え上げ、再び切りかかってくるポンコツに対して俺は逃げることしかできない。一撃が命取りになるのだから仕方ないだろうが。ぶんぶんと気持ち悪い質量を振り回すポンコツが怖いよ俺は。そんなことを思いながらこちらも反撃はする。身体強化に風の加護を重ねた高速の突き。だというのにどうしてこの天使様はことごとく避けてるんだ。
「お前なんで躱せんだよ。おかしいだろ!?」
「類い稀な直感ってやつですよ」
「流石にそれはバグだろ……」
軽口を叩きながら手元の剣では相手の刀身を叩く。振り幅の大きい攻撃を後退したり、ポンコツの頭上を飛び越えたりしながら命からがらで対処していく。メルムと同じような緊張感だ。よく考えると今日の三戦は全て死に際の攻防だ。これただの対抗戦だよな。化物同士、仲睦まじく点を取り合うだけの競技だよな。軽率に命を天秤にかける競技じゃないはずだが、もしかして解釈違いだったのか。
「なんかどうでも良い事考えてません? 剣筋鈍ってますけど……」
「今後に関わる重要な事なんだけどな」
「今後じゃなくて今だけを考えて欲しんですけどねっ!」
「危なっ!」
ポンコツは今までのタイミングから一拍早めで切り込んできた。虚を突かれたせいか体重が右足に傾いた。それでも辛うじて回避できたのでよしとしよう。浮いた左を地に降ろして、そのまま距離を取ろう。いや本当にその便りない細い腕でどうしてそんな芸当が出来るのか不思議でたまらない。身体強化を使用しているにしても限度があるだろう。なにせ強化したところで筋肉が増長するわけではないのだ。その分を魔力に補ってもらう形で成立しているのが身体強化である。改めてポンコツの魔力量は規格外れだな。
「スキありですっ!」
「しまっ────」
斬撃を躱したことで余裕を持っていたが、よもや目下から再び迫るとは考えなかった。慣性の法則ガン無視じゃないか。よく見ると右手で振り下ろして左手で振り上げているのか。体勢を崩され重心が後ろに逃げている中、ポンコツは下から切り込んでくる。これはどうやれば防げる。この距離じゃ風を使ったとしても剣筋から逃れられない。取り敢えず風の障壁を全力で展開だ。しかし膨大な魔力の宿った攻撃はこれだけじゃ防ぎきれない。くそっ、何か他にないか。そうだ、右手に握った物で防げるかもしれない。でもこれ防げるのか。あぁ、もう考えてる暇はない。頼むぞ龍殺し。龍をも仕留めたお前なら雷霆ぐらい受け止めてくれるよな。いや本当頼むぜおい。
「はっ!」
やがて耳をつんざく音が鳴る。右腕が意志に逆らって跳ね上がる。少しでも向かってくる力を逃がそうと後ろに跳躍したものの、思いもしなかった距離を飛んでいる。浮遊感が四肢を支配する。おかしいな、なんで空を見ているのだろうか。そんな安い疑問の答えはすぐに訪れた。本日二度目の背中から着地するという形で。
「……痛い」
脱力した身体に今一度力を入れ右手を見た。どうやら縋るように握っていた龍殺しは払い飛ばされてしまったらしい。おまけに魔力も底が尽きた。俺の残っている全魔力を注いでもポンコツの一撃は防げなかったらしい。分かっていたけどね。さて絶体絶命であり万策も尽きた。背後は気が付けば大樹に阻まれている。
「これで私の勝ちですっ!」
そうだよな。今ポンコツの目の前にいるのはガス欠で左手に傷を負った悪魔だ。勝ちを確信してもおかしくはないし、ほんの少しおざなりな歩き方になっても仕方がない。ただなポンコツその余裕が命取りになることもあるんだぞ。
「それがそうでもないんだよなぁ」
この一言を合図とする。さぁ、仕掛けに仕掛けた大仕掛けだ。勝負を決めるとしよう。
「剣の箱庭」
「んな!?」
これは俺の扱える唯一の魔法。魔術と魔法の境界線をしっかりと引いてしまえば、俺の愛用する身体強化やら風やらの認識阻害を除く全てが魔術に当たってしまう。しかしこれだけは違う。龍殺しだけに備わる確立された魔法。己が魔力を生贄に剣の箱を生み出し圧縮し串刺しにする。彼の精霊はこれで龍を獲ったという。形成逆転の一手を俺に見せてくれて有難うキュニアス。
魔力で生成したのは龍殺しよりも短く肉厚で幅広な短剣。簡単に言えば泰樹のうざったい矢の短剣版だ。残念なことに俺の魔力量は低い分類になるから残っていた全てを注ぎ込んでも泰樹の本数には及ばない。それでもポンコツを囲むには十分な数だ。逃げられる隙間は潰した。媒体である龍殺しも外側に配置してあるから叩き落されて包囲網が消える心配もない。
「うぇぇ、どうやっても全部は捌き切れませんね。策士というより性格がひん曲がってますよ飯ヶ谷さん……」
「何とでも言え。しかし悪いなポンコツ。この勝負、俺の勝ちだ」
「むぅぅぅ、次は絶対勝ちますからねぇぇえぇぇぇえぇぇ!」
「龍殺し」
ポンコツの悔しそうな叫びと多くの剣が交差する。甲高い音を奏で数が舞う。その中で天使は一人、決して華麗とは言えなくも目を惹く動きで、自身に向く線を切り落とす。それでも全ては断ち切れない。その視界の隅を突き一本の片手剣が高速で迫る。振り向いた天使は目を見開く。下がりきった腕を上げようと力を込める。だがその動作が完結するよりも先に線は引かれる。
「そこまで!」
指一本分の距離で片手剣は止まった。やがて繋がれていた紐が千切れたかのように地面にカツンと落ちた。能動的に止めた感じよりも強制的に止められた感じが手元に残る。恐らく校長の仕業だろう。術よりも高位な法に割り込めるとは考えにくいが時ヶ峰の魔女ならやりかねない。まぁ、俺はもう片手剣を引き戻す力さえなかったわけで、校長のおかげで助かったことに変わりはない。
「はぁ……」
口元から長く大きな息が漏れた。それと同時に俺の膝も崩れた。もう無理。一歩も動けん。
「いやぁ、去年に続き見事な勝ち方だったよ雫」
「気持ち悪いぐらい理詰めだったが、まぁ取り敢えずお疲れさん」
「お兄様、凄い」「お兄様、凄かった」
「あんさんも疲れてる思うけど、先に天使はんの方から診たるさかいねぇ」
「くぅぅ、勝てると思ったのに……!」
本気で悔しがっている様子のポンコツ。よく見るとその白い肌は所々に赤い線がついていた。死力を尽くした一撃でほんの少しでもダメージを与えられたのならよかった。いや逆に言えば、そうまでしないと傷一つ負わせられない俺の力量が浅いのだろう。終わってみればもっと上手く立ち回れた箇所もある。使いたい魔術は通用しないだろうと勝手に思い込んでいたのも反省点だ。どんな相手であれ通用するかしないかは使ってみなければわからない。もっと頭を柔らかくしないとなぁ。
「さて、色々あったがなんとか対抗戦を無事に終わらせることが出来たな。これで私が怒られなくてすむ。あぁ、飯ヶ谷連覇おめでとう。賞品は特にないがコーヒーぐらいは奢ってやるぞ。感謝しろ」
「雑なんだよなぁ……」
「それはそれとして雫。姫路ちゃんとの賭けに結果として勝ったわけだけど、一体何を命令するつもりなんだい?」
「いや命令って」
「賭けを吹っ掛けたのに負けるなんて私とってもダサいのでは!!? こんなことがラファエル様に知られたら殺されるっ! ひぃやぁぁあぁぁ……あ、出来る限りのことは私しますよ!」
「情緒不安定かお前」
天使長ってそんなに怖いのか。面を合わせることはないだろうが、もしもの時は死を覚悟しないといけないのかもしれない。
「で、どうするんだ飯ヶ谷。この私が立会人になってやるから、姫路が仮に破棄したとしても大神に言いつけてやるから安心しろ」
「ほわぁっ!?」
「あー、そうだな……」
張著逡巡するほど選択肢が浮かんでいるわけではない。戦闘中は賭けのことなんて気にする余裕もなかったし、終わった今でも疲労が頭を埋め尽くしている。そんな状態の中でも思いつくことがあれば本物だろうが残念ながら何も浮かばない。
「保留にしてくれ」
「なんだよつまんねぇなぁ」
「まぁ私は寛大な心の天使なので待ってあげますよ」
「だそうだ飯ヶ谷。良かったな」
「うい……」
一体全体なにが良かったのかは分からないが、ようやく解放れそうだ。早く帰って眠ってしまいたい。
「じゃ皆、後始末は校長がやってくれるだろうから解散しようか」
「何言ってんだ泰樹。お前も手伝うんだよ」
「ですよねー」
頑張れ泰樹。お前の分まで俺はぐっすり休んでやるからな。
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場所は変わり、時ヶ峰の時計台の頂点に黒いフードを深々と被った何かがいる。
「うーん。あの子が龍殺しを手に入れているとは思わなかったなぁ。ちょっと台本と違うから困るなぁ」
それは人差し指で頬をかきながらぼやいている。
「いや、これはどうとでもなる範疇か。ちょっと弄れば元通りになる。あ、こっちから出向くのも一つか。よしよし少し考えようかな」
上空の強風を意に介すことなく楽し気にそれは微笑んでいる。
「ま、今は羽を伸ばしていると良いよ。そう遠くない日に針は動くのだからね」
その言葉は風に流され空に溶けていく。世界はとうの昔から動き出している。




