二十九羽目
正装姿のポンコツを抱きかかえながら最高速で空を駆ける。羽を出すよりも足場を蹴った方が早い気がするのだ。一秒でも早くあの魔女に伝えなければならない。あれは、あの化物は俺では敵わない。それでもあの魔女ならばこの窮地を脱する方法を知っているかもしれない。泰樹が柄にもなく必至に時間を作ってくれている。その時間を無駄にするわけにはいかない。
「……ん。飯ヶ谷さん?」
「おぉ、気が付いたかポンコツ」
「わわっ、何で私抱きかかえられてるんですか!?」
「おいこら暴れんな!」
誰だって意識を取り戻した瞬間に抱き上げられていたら驚くだろう。それはまぁ良い。ただ、暴れながら魔力を熾すのだけは勘弁してほしい。こいつ何かある度に尋常じゃない魔力を熾すからな。もしかしたらポンコツの中では大した量ではないのかもしれないが、俺からしたらたまったもんじゃない。
「良いかよく聞け。手短に説明するぞ」
俺は現状を伝える。古代種が出現したこと。始まりの魔女の封印が解かれていること。彼女はもう一人の自分がいるかのように気味悪がっていること。今の俺では敵わないこと。泰樹が時間稼ぎをしてくれていること。
「色々と知らない単語も出てきましたが、取り敢えず了解です。それと私は一人で飛べるので降ろしてもらっても構いませんよ」
「その足で飛べるのか?」
ポンコツの右足は赤く腫れている。アレの魔法に突き飛ばれた時に挫いたのかもしれないし、その前から捻っていたのかもしれない。どちらにせよそんな足で飛ぼうなら、空気を裂いた瞬間に痛みで墜落するだろう。俺の魔法は他人には作用しない。操作できるのは自分の周りだけだ。だから俺の周りを追い風にしているようなことはポンコツには出来ない。
「いや、まぁ多少は痛みますが大丈夫ですので……」
「悪化しても困るだろ。向こうに着けば治してくれる奴がいるんだ。それまで大人しくしてろ」
「……あい」
取り敢えずは納得してくれたようだ。
「あの、飯ヶ谷さん」
「何だ」
「有難うございます」
ほのかに頬を赤らめてそう言ったポンコツは校長の所に着くまで一言も発しなかった。
####
「あ? なんだ飯ヶ谷。まだ時間には早いだろう? それともあれか。ある程度点数が溜まったから後は観客にでも回るつもりか。ともすれば私はお前を───」
「緊急事態だ。今すぐここにいる化物を全員集めてくれ」
「何故だ」
「古代種が現れた」
「あぁ?」
最初よりもドスを効かせて睨む姿は子供には絶対に見せられない。この魔女基本的に行動と言動が荒いからな。いや、今はそんなことはどうでもよくって。
「泰樹が時間を稼いでくれているが、アレは相当ヤバい。泰樹でも長くはもたない気がする」
「……」
「校長?」
「おい飯ヶ谷。お前、風使うときどんなイメージだ?」
「え、普通に自分の周りの風を動かしたい方向に……」
「そうか」
そして校長は目を閉じた。
『ここにいるやつらに告ぐ……』
何処からか校長の声が聞こえる。校長は口を開いていない。
「ちょ、え、何ですかこれ!?」
「おい朝比奈、上だけ開けて障壁展開しろ!」
「もうしてます」
『今すぐ全員戻ってこぉぉおおぉぉい!!』
朝比奈の頼もしい言葉のすぐ後、まるで落雷でもしたかのようにやかましい声が響いた。響いたというほど綺麗な表現ではないな。無理やり聞かされたというのが正しい。雷が落ちる際の轟音は電気が空気を振るわせるからだという。それと同じことを校長は魔力でしでかしたのだ。だから風を使うときのイメージを聞いてきたわけだなこの魔女。理屈は言語化出来ないが。
「な、何ですか今の……」
「ふぃー、意外とやればできるもんだな。流石だな私!」
「普通にいつもの使えよ」
「固有魔法なぁ。誰か一人に無理やり繋ぐ分には良いんだけどな。人数増えると魔力消費激しいし、お前ら対策してるから面倒なんだよなぁ」
「前々から思っていましたが、校長と飯ヶ谷さんって似てますよね」
その評価はどちらに対しても最低なものだぞポンコツ。こんな野蛮な魔女と同じにしないでくれ。俺はまだ面倒なことを極力したくないだけだ。やらなければいけないことはやっている。対して校長は面倒事は言うまでもなく自分の仕事でさえ他の奴に丸投げする。要するにただのサボタージュだ。
「それは違うぞ飯ヶ谷。私は別に故意に不良品を生産する積極的でも、間接的に業務妨害をする閉口でも、上司の命令に意図的かつ部分的に服さない消極的でもない。何もしたくないだけだ」
「余計タチ悪いじゃねぇか! てか心を読むな」
「お前、本当に精神防御ヘタだなぁ」
「周りが上手すぎるだけなんだよ」
「二人とも落ち着いてください。飯ヶ谷、校長のサボり癖は今に始まったことではありません。校長、飯ヶ谷に繊細な魔力操作を求めるのは野暮なことです。まぁ、そんなことはどうでもいいとして」
「どうでも良いとかいうな!」
「どうでも良いとか言わないでくれ」
「ハモった……!」
目を輝かせるんじゃないポンコツ。
「飯ヶ谷の口調からして、あのバカでも骨が折れる相手なのでしょう?」
「そうだな。なぁ飯ヶ谷、何か特徴とか覚えてないか?」
「片翼で老人と言われればそう認識できたし、見た目は屈強な肉体ではないが鉄のように硬かった」
淡々と俺はその特徴を羅列していく。短いけれども濃密な時間を戦ったのだ。思い出したくなくても自然と思い出してしまう。
「古代種に老人みたいな奴は何人かいたからなぁ。名前でも分かれば一発なんだが……」
「あぁ、そうだ。始まりの魔女はアレのことを〝メルム〟って呼んでたぞ」
その瞬間、空気が凍った。誇張でも何でもなく冷気にも似た緊張感にこの場は凍らされたのだ。
「おい飯ヶ谷。それは本当か」
地の底から聞こえてきそうなほどに低い声がする。
「あの魔女、流石に嘘はつかないだろ」
「相手がメルムだというのなら、今のバカには相当荷が重いのではないでしょうか。ただ、少々疑問は残りますが」
「疑問ですか」
「不思議には思いませんか姫路さん。そもそも何故、封じられていたはずの古代種が現れるのか。そして何故ここだったのか」
杖に体重を預けながら朝比奈は言う。印が解かれたことは恐らく校長と大神しか把握していないのだろう。多分これから他の化物に伝えるはずだったんだな。それよりも一歩早く向こうが仕掛けてきたのだ。メルムの目的に関してはもしかしなくとも俺だ。同胞と呼ばれる意味は分からない。けれどあの口調からして俺は何か忘れていることがあるのだろう。
「紐が解かれたことは大神から通達があった。だが伝えるべきなのか悩んでいてな」
「そうですか。貴方達が知っていたのならばそこまで問題はありません」
全てが腑に落ちた言わんばかりに朝比奈は首を縦に振る。こいつ一人で勝手に理解するからな。周囲に理解したことを共有してほしい。
「えっと、私、多分何も分かってないんですけど急いだ方がいいんじゃないですか?」
「そうだな。よし、塁は私と来い。飯ヶ谷と姫路は他の奴らがここに来るまで待て。特に姫路、お前はその足を鈴に治してもらってから来い」
「りょ、了解です」
おいおい敬礼してるよこの天使。ここはいつから軍隊になった。
「それと飯ヶ谷」
「何だよ」
「……いや、何でもない。姫路の面倒ちゃんと見とくんだぞ」
「ん? まぁ任せろ」
釈然としない言葉と態度を取って校長は泰樹の所へと向かって行った。らしくもなく目を伏せて言う姿はあの魔女と似ていた。申し訳なさを醸し出すその雰囲気は、ここ最近よく見て来たものだ。行こうと思って行ける場所なのかは分からないが、一段落したらしっかり聞いてみるか。
「あれまぁ、ここやあらへんの? 確かにここから声が来はったよぉな……」
「校長が先に行っただけだから合ってるぞ」
「あぁぁ、飯ヶ谷はんやぁ。それに噂の天使さんやぁ」
その声は張り詰めた空気を一瞬にして弛緩させる。常日頃からの着物姿と、鈴を転がすような声で時間を使えるだけ使う話し方は、佐伯椿や朝比奈に次いで時ヶ峰の生徒に人気がある。なんでも同じ年齢とは思えない包容力がいいんだとか。とは言え片や世界を終わらせる魔女であり、片や無限の杖と呼ばれる古くからの化物である。そして必然というか避けられないというか、例にもよって彼女もまた化物である。とは言え彼女は化物の中でも人間に近い分類だ。時代が進むにつれ血筋が濃くなり、ついには人間としての枠組みを踏み外してしまう例は珍しいが実在する。
「あ、えぇっと、姫路・ラグイル・エミリーです」
「えらいけったいな名前してはるんなぁ。うちは薬師院鈴って言うんよぉ」
「や、やくしいん?」
「薬師院って名も大概だよな」
分かるぞポンコツ。薬師院なんて一回聞いただけじゃすぐ忘れる。そもそも字が浮かばない。
「あれま、ほんまやなぁ。よう覚えてへんのやけど、確か薬学に秀でた人を集めてはったんよ」
「薬師院ってかなり古くから続いているらしいからな。まぁよくあるんだよ、先人がしてたことが名前になるのは」
「ほぁ、そうなんですね」
「そやさかい、うちもよう知らへんの。兎も角、よろしゅうお頼申します」
「あ、ご丁寧に。こちらこそです」
金髪碧眼の天使が深々と頭を下げるのは新鮮な風景だった。最近知ったがポンコツ意外と人見知りするんだよなぁ。内弁慶とでも言うのが正しいか。慣れた相手に対しては容赦ないくせに、初対面になると一気にしおらしくなる。天界でもそうだったのだろうか。もしかしたら大神は人見知りを治させるために下に行かせたのかもしれない。俺の監視という適当な理由を引っさげて。だとしたら傍迷惑も良い所だ。
「ほいで、一体何があったん? あらくたい魔女さん、かなり焦ってはったけど」
「詳細は後で話す。その前に、まずこいつの足を治してくれないか?」
「天使さんの足?」
薬師院は背が高い。下駄でかさましされている分を除いてもポンコツとはかなりの差がある。つまり薬師院の目線からはポンコツの足首は見えないのだ。どれどれと膝を折り、正装姿のポンコツにしゃがみ込む。確かにこの光景を見れば、時ヶ峰の生徒達がいう包容力云々も理解できるかもしれない。
「こらよっぽどわやにされたん?」
「や、それがよく覚えてないんですよね。わやという言葉の意味は測りかねますが……」
「理由が分からへんのはなんぎやなぁ。あんさん何か知らへんの?」
「その辺はまとめて話した方が理解できると思う」
「ふーん。まぁ、ええわ」
それだけ言って薬師院は近くの樹の傍に歩いて行った。そして何処からか風呂敷を取り出した。ちょっと待てお前何も持ってないだろうが、そう突っ込むのもそろそろ疲れた。顔を合わせる度、何もない場所らお決まりの風呂敷を出されるのだから見慣れてもしょうがない。
「何してはるのー? 天使さんはよぉねきへおいで」
「え、ええ?」
「こっちに来いって言ってるぞ」
「あ、そうなんですね。じゃ、行きましょうか」
ポンコツはひょっこひょっこと右足を引きずりながら、俺の手を強引に引っ張って行く。その後ろ姿に何となく、もう二度と怪我をさせないようにしよと思った。普段やかましい姿が一度の怪我で見れなくなるのは俺としても少々寂しい。
「ほんなら始めよか」
「よ、よろしくお願いします」
「ふふっ、そないに緊張しいひんでもええんよ?」
柔らかく微笑み薬師院は詠唱を始める。その手は鈴を垂らしている。あまり重要ではなくなってきたが詠唱の有無というのは違いがあるらしい。端的に言えば魔法か魔術かということだ。元々、魔法というものは詠唱が必要だったらしいが、思い込みの強さや理想の在り方の変化に伴って省略され、いつしか無詠唱になったのだという。また魔術は魔法を術に落とし込めたものだ。一握りの化物しか扱えなかった摂理を超えた力を、特定の道具を媒介にして多くの者が使えるようになった。まぁ、そのせいで戦争は増えたらしいが。
「嘆き悲しむ隣人よ・我らは常にそこにいる・世話をしよう・引き受けよう・如何なる者も癒してみせよう」
「絶対的な治癒」
鈴が鳴る。焼け付くような鈴の音がする。詠唱と共に辺りに眩い光を纏った蝶が舞う。それらは全てポンコツの足首にぶつかり消えて行った。最後の一匹が弾けて消えた瞬間、ポンコツの足首の赤みはみるみる内に引いていった。俺の治癒魔法、いや正確に言えば魔術であるが、それは傷口の細胞を活性化させてるだけだ。それとは違う。薬師院に伝わる魔法は傷を完全に治す。気味が悪いほどに完璧にだ。
「わ、痛くないです」
「いつ見ても凄いな」
「おおきになぁ。でも真似したらあかんよぉ。術者にかかる負担が尋常やないさかいなぁ」
「も、もしかして大変なことをさせてしまったのでは……!!?」
「天使さんええ子やわぁ。あんさんこの子、うちの妹にしてもかまへんか?」
「冗談言ってないで説明してやれ」
「もう。相変わらずいけずやなぁ」
いけずて。しかも相変わらずって何だ。俺は別に何もしていない。
「まぁ、そんなに心配せんでもええんよ。詳しいことは教えられへんけど」
「はぁ……」
「かく言う俺も知らないんだ。何度聞いても教えてはくれないぞ」
「長う続いていると秘密の一つや二つあってもおかしないさかいねぇ。乙女の秘密もそやろ?」
「薬師院家の機密と乙女の秘密は同じなのか」
「天使さんは理解出来ると思うんやけどなぁ」
「えっと、分かるような分からないようなぁ……?」
「語尾も音も釣られてるぞポンコツ」
「うそっ!?」
ちょっと調子は違うが薬師院の口調に乗っ取られた。その気持ちも分かるぞポンコツ。薬師院と会話をすると鬱陶しいぐらい音が残るからな。特徴的な話し方と綺麗な声が噛み合って頭から離れないのだ。泰樹と朝比奈はよく平然としていられるなと感心さえする。
「あっはは。天使さんほんまに可愛いなぁ。伝い話だけ聞いとったら、なんやえらいはんなりな化物かなぁと想像しとったのに、実際は可愛い子やないの。はぁ、ほんまにうちに欲しいわぁ」
「だ、駄目ですよ。私には飯ヶ谷さんの監視という仕事があるので!」
「あれまぁ。振られてしもうたわぁ」
柔らかな抱擁に包まれ、そこから必至に抜け出そうともがく姿は小動物を連想させる。ポンコツそれ体重前にかけたら首もってかれるやつだぞ。手の平で相手の背中を押して体重を崩すと、左右どちらかの足が前に出る。出た足と同じ足を相手の外側に半歩踏み込めば、意図的に開けた空洞に首が入る。それを絞めればいいんだよ、とにこやかに言われた時はどうしようかと思った。加えて言えば、左右の足どちらが前に出るかなんて一見しただけじゃまず分からない。そう聞くと、見れば分かると至極当然のように答えられた。薬師院家の護身術怖い。
「その辺にしとけ。あんまりいじめると泣くぞ」
「泣きませんよ!」
精一杯体を後ろに逸らせながら目を見開いて反論する姿がもう幼い。
「えぇ仲やなぁ。羨ましいわぁ」
「そんなことよりもだ。ポンコツの足も治ったことだし早く行くぞ。ここで和んでる場合じゃないんだ」
「あぁぁ、ちょい待ちぃ。そろそろあん双子はん来るさかい……って、言うとったらきゃはったわぁ」
薬師院が指す方向に顔を上げると、ふわふわと飛んでくる影が二つあった。あいつら低速使ってんのかよ。もっと速く来れるだろうが。ゆっくりと若草を揺らしながらそれは下降してくる。その見た目は瓜二つだが見分けるのは難しくない。どちらも儚げな白い髪であるが長短の違いで判断がつく。
「呼ばれた気がする」「呼ばれた気がした」
「お前ら遅い。高速使えるだろうが」
「今日は長くなりそう。だから使わない」「今日は長くなりそうだった。だから使えなかった」
「また知らない子達が……」
しまった。人見知りが怯えている。
「あぁー、待て待て怯えるな。紹介するから落ち着け。こっちの短髪がアーラでこっちの長髪がペンナだ」
「アーラ」「ペンナ」
二人は自分の名前を口にしながら手を挙げる。うん。こいつらいつみても小学生だな。さっきの見分け方に追加するなら話す順番だろう。基本的にはアーラが喋ってから後を追うようにペンナが喋る。これも製作者の意図なのかは知らないが、判断基準が増えるので良いことにしよう。
「お兄様、アーラこの天使知らない」「お兄様、ペンナこの天使知らなかった」
「言ってなかったか? こいつが件の監視役だよ」
「ひ、姫路・ラグイル・エミリーです……」
おいおい語尾がどんどんすぼんでるぞ天使様。薬師院の時はまだはっきり喋ってた。それも薬師院の包容力があってこそだったのだろうか。それとも一日で三人も知らない化物を認知するのは無理だったのだろうか。
「人間の子供みたいな姿をしてるが、今や数少ない自立人形だ。そんなに怖がるな。薬師院より安全だぞ」
「そら一体どないな意味かなぁ。あんさん?」
「ひっ」
「な、怒らせると怖いんだよ」
「鈴、怒ると怖い」「鈴、怒ると怖かった」
「……しょぼ~ん」
感情の沈み具合を口に出す奴初めて見たぞ。少し前に流行った顔文字かよ。
「あはは……にしても、なんか二人って兄妹って感じですね」
「言われてみればそうだな。その辺どうなんだ?」
「主様、何も言ってない」「主様、何も言ってなかった」
「ほんでもあんたら、異名の方は〝双子〟やんなぁ? ええよなぁ。うちとは違うて実名とちゃうんやさかい」
「お前の異名はそのままだもんな」
「そのままってことは、薬師院?」
「そうやったらまだ良かったのになぁ……」
「ラグイル、鈴は鈴だ」「ラグイル、鈴は鈴だった」
「も、もしかして名前が異名なんですか!?」
「正確には異名が名前になったって所やねぇ。理由も伝えんといて、両親共々消え去ったさかいねぇ。うちはなぁんも知らへんの」
曰く薬師院は数千年前から続いているらしい。そしてその誰もがある日を境に消息を絶っている。相変わらず詳しい内容は分からない。ただ一つ分かっていることは、長く続いてきた血は今や薬師院鈴を除いて他に誰もいないということだ。薬師院の血筋を絶やすも残すも、全ては彼女の気分次第なのだ。
「よし。そろそろ行くぞ。アーラとぺンナを使えば追いつけるはずだ。頼めるか?」
「お兄様の願いなら仕方ない」「お兄様の願いならしかたなかった」
「他の方々はどうするんですか?」
「そのうち来るだろうが、これ以上は待ってられない」
「ほな行きましょか」
「場所は校長の所で良いぞ」
「今から始める」「もう始めた」
アーラとペンナを中心に幾何学的な線が描かれる。やがてそれは時計のようで羅針盤のような魔法陣となる。二人にしか唱えられない限定的な魔法。魔女の固有魔法にも似た特異性と逸脱性。他の誰もが模写することを諦める陣の緻密さ。この二人を生み出した技術者は間違いなく天才だったのだろう。それ故に孤独だったのかもしれない。
「巡り巡る者達よ・目を開け」
前後に別れる二人の言葉が重なり再び離れていく。
「やがて針は動き出す」「そして針は動き出した」
「時ヶ峰の魔女のもとへ」
####
魔法陣が作動する際に起こる特有の眩い光に瞬くと、そこは木々よりも高い空中だった。
「翼広げとけよポンコツ」
「え、えぇぇぇぇえぇぇぇえ!!?」
「落ちてもうちが治したるさかい安心しやぁ」
「お兄様、白鯨見える」「お兄様、白鯨見えた」
落下を軽減させながら下に降りながらアーラとペンナの指さす方を見ると、珍しく泰樹が片膝をついていた。あれだけ俺と戦っても汗一つかかずにいた泰樹が疲弊している状態からして、やはりあのメルムという名の古代種は並大抵の敵ではないのだ。
「降伏か撤退かを選びやがれ!」
圧がありながらも何処となく懐かしさを内包した声がした。一方的なまでに選択肢を突き付ける詩が泰樹とメルムの間に檻を降ろす。それは延々と空を突き抜けている。捕らえられたなら抜け出すことは叶わない。
「校長がいるならもう大丈夫かな」
「あんなのも出来るんですか……」
ポンコツが驚くのも仕方ない。あれを見て素知らぬ振りを出来る奴なんていないだろう。幻覚ではなくしっかりと質量も持った檻を出現させているのだ。膨大な魔力と緻密な計算が必要なはずだし、完全に形成させるには相応の時間が必要なはずだ。にもかかわらず校長は一瞬と呼べるほどの時間で完成させたのだ。流石は時ヶ峰の魔女と言ったところだろうか。理屈に合わない。
「あれも固有魔法ってやつですか?」
「いや。あれは普通の魔法だ。詠唱さえ出来れば誰でも出現させられる。ポンコツも同程度を出せるんじゃないか?」
「無理ですよ!?」
「制御法がまともになれば大丈夫だと思うんだがな……」
ぶんぶんと首を横に振るポンコツ。翼をしまし一番最後に着地したポンコツに安心していると、ふと腰の辺りを突かれた。両脇には警戒した表情を浮かべた二人が何かを睨みつけていた。
「お兄様 何かおかしい」「お兄様、何かおかしかった」
「ほんまやなぁ」
メルムの周囲が歪む。やがて空間はパズルのピースのように崩れ新たな空間へと変貌していく。天使の空間操作と似ているが、違和感が漂っている。何かもっと異質めいた感じがする。泰樹とメルムが話しているが聞き取れない。そんな時、ふと違和感を覚えた。あれだけ気味の悪い魔法を見ているからだということで片付けられないほどに些細なこと。泰樹の様子がおかしい。あれだけ疲弊していたはずなのに普段以上の魔力が熾っている。だが熾し方が雑だ。丁寧に矢を放つのが取り得の泰樹らしからぬ熾し方だ。
「おい泰樹───」
制止の声をかけようと足を出した時だった。
一つの記憶は唐突に蘇る。
左腕を肩から切り落とされたナニか。それは一度その紅い瞳を煌めかせると、己の中に陣を描き魔力を熾す。際限なく膨張し続ける魔力に、対面の誰かは叫びながら怒っている。それでもナニかは熾し続ける。理解出来ないほどの魔力を躊躇いなく熾し続ける。対面の誰かは駆け出した。数秒が恐ろしいく引き延ばされる。視界が灰色に染まる。行くなと叫びたくなる。駆け出したくなる。体は動かない。抗う術もなくどうしようもない感情を抱いた視線の先で世界は廻りだす。無数の光と音が拡散した。
それと同時に俺は、前に出したはずの足元を見ていた。額を抑え膝に手をつく。呼吸が乱れる。意味が分からない。分からないことばかりだ。どうしてこうも立て続けに、そして今になって事が起こりだしているのか。いや今はそれよりもだ。さっき見たのが仮にも現実だとしたら、あれは今の泰樹と同じだ。
「行くな泰樹!」
痛みを噛み殺し声を張り上げる。こめかみが弾丸に貫かれたかのようだ。
「ちょ、飯ヶ谷さん!?」
「大丈夫だ。心配、するな。それよりも向こうを見とけ……」
肩で息をしながら全員の視線を誘導する。心配する声が聞こえる。届いている。けれどそれに応えるだけの余裕を痛みは作ってくれない。
ようやく息が落ち着き痛みも引いてきた時には、もう崩れていた空間が元に戻っていた。重い空気が纏わりつく。誰一人として声を上げることはない。災いを垣間見たのだ。絶句していても仕方がない。俺は一体、何を知っているのだろう。死と隣り合わせの場所からくすんだ物を本当に理解しているのだろうか。始まりの魔女の場所で紅茶が言っているような気がした。お前は何も知らないし、上辺の知識を理解しているつもりになっているのだ。この現状を見て改めて思う。何一つとしてそれは間違いではないのだと。
改めて一から考えようとした時だった。
「わ、私の森があぁあぁぁあああぁぁぁぁ!」
突如として聞こえた絶叫が大波を立てて思考を搔き乱した。
「ナ、ナトゥーラ!?」
「ちょっとちょっとアンタ約束が違うじゃないの! 森の被害は最小限に抑えるって言ったわよね!?」
アーラとペンナと同じくらいの背丈のちびっ子が校長を問い詰めている。一体全体何事だ。
「や、まぁちょっとしたイレギュラーがあったというか……」
「時ヶ峰の魔女様がそんな事に対応出来ないはずがないでしょ!」
「痛い痛い! 放せってこら」
凄いぞちびっ子。時ヶ峰の魔女の耳を引っ張っている。もっとやれ。
「……なぁ泰樹、これは一体どういう状態なんだ?」
「あ、雫に姫路ちゃん無事だったんだね」
「飯ヶ谷さんのお陰で何とかです。して、あちらの私よりも小さな方は?」
「あの子はね、この森を根底から支えている精霊だよ」
「精霊ですか?」
ポンコツは小首を傾げるのも無理はない。目の前にいるちびっ子は純粋な精霊であり、この森全体を支えているナトゥーラという。その旨をポンコツに説明してやると、自分より小さな子が頑張っているなんてと感心していた。
「全くもう。お姉ちゃんがいないからって好き勝手しすぎよ。怒られるの私なんだからね」
「面目ない」
「本当に思ってるんでしょうね?」
「思ってる思ってる。というかこの原因はあいつだ。私じゃない」
「白鯨は今、アンタの管轄下である時ヶ峰の生徒なんだから校長が責任を取るのは当然のことでしょ」
「うぐっ」
「……あはは」
指を向けられ泰樹は苦笑いを浮かべる。それにしても正論を言われたじろんでいる校長の姿は新鮮だ。普段は俺らがうろたえる立場だからなぁ。
「まぁ良いわ。ここは私が見ておくからアンタは説明でもしてきなさい」
「そうか。あー、お前ら集合ー」
覇気も威厳も感じさせないやる気のない声が呼ぶ。あれがさっき災いを追っ払った魔女かよ。緊張感なさすぎだろ。
「あー、まぁそのなんだ。うむ。見ての通りだ」
「もっとマシな説明はないのか……」
「つってもお前らがどこまでの知識を持っているか知らねえからなぁ」
「うちの書庫にあるのは知識と呼ばれへんの?」
「薬師院の記録は一族としての記録だろう? 読ませてくれなかったから分からん」
両手を組み唸りながら校長は考えている。始まりの魔女にしても校長にしても、どうして何かを伝えることを躊躇するのだろうか。何かを隠しているわけではなくて、ただ本当に言っていいのか分からないという感じだ。
「あー、もう面倒だ。よし、お前ら対抗戦の最中だよな? こんな状況だが続けるか?」
「ちなみに、森にいるのはここにいるので全員よ。アンタのとこってこんなに少なかったかしら?」
「あいつら適当に動きやがって……」
ナトゥーラの言葉からして九重もすでにいないらしい。刀が折れたから仕方ない。折ったの俺だけど。
「となると人数不足で続けられないね。まぁ元々、団体戦という名の個人戦ではあったから強硬は出来るけど」
「んー。名目は団体戦でやれって言われてんだよなぁ。あ、そうだ。紅白揃ってんだから代表一人出せ。それで勝った方が今回の勝ちで良い」
名案を思い付いたかのように話しているが、結局は個人戦かよと言いたくなる。しかし代表を選んでいるから団体戦だ言われればそれまでだ。
「僕はちょっと厳しいからパスでよろしく」
「うちも本格的な戦闘はやりたないなぁ」
「あ、じゃ私やりますよ」
「すまへんなぁ。天使さん」
「姫路ちゃん助かるよー」
「それなら飯ヶ谷、貴方が出なさい」
「なんでだよ」
「向こうが姫路だからよ」
「やりましょうよ飯ヶ谷さん!」
「ほら、彼女もこう言っているのだし。拒否権はない」
「えぇ……」
キラキラした瞳のポンコツに、有無を言わさない朝比奈。ついでに言えば泰樹が野次を飛ばしている。お前ら他人事だからって緩みすぎだろ。
「よし。じゃ、五分経ったら勝手に始めろ。この森に対する被害はナトゥーラが責任を持って修復するから安心しろ」
「ウソでしょ!?」
「お兄様、頑張れ」「お兄様、頑張った」
みるみる内に退路が塞がれていく。ポンコツと鉢合わないよう、わざわざ見通しの悪い所を選んでいたというのにどうしてこうなった。これもメルムの災いだとでも言うのだろうか。それとも今日の俺がツイていないだけなのか。どちらにせよ、もうポンコツと戦うことは決定されてしまったらしい。少しは俺に発言する機会を設けて欲しいぞ。
「では飯ヶ谷さん。改めて試合ましょう!」
満面の笑みだった。引いた。




