二十六頭目
世界はもう少し、僕に対して優しくても良いんじゃないかと常に思う。
あの時もあの時も。数えることが馬鹿らしく思える程に摩耗しきった時間の中で、常にここは厳しかった。
全てを僕から奪ってきたこの世界は、当然のように誰かに何かを与える役目を持っている。
僕だってその一人だった。白鯨と呼ばれ崇められてきた僕には、何かを貰い何かを与える仕事があった。
意図的に、或いは自発的にそうなったわけではなくて、ただ何となくの有耶無耶な状態の延長線だったけれど。
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「対抗戦、開始ッ!」
校長の合図によって集まっていた化物達が一斉に動き出す。今この学校にいる化物の数は僕を含めて十。これまでに何度も入れ替わってきたけれど、多分今年が一番面白い事になると思う。雫と競えるのも今回が最後だ。僕と塁は校長の補佐としてここに残り続けなければならないけれど、僕ら以外の化物はそうではない。普通に外へ出て、今まで通り自由に生きてくのだろう。
「開幕早々辛気臭い表情してますね」
「えぇー、出会い頭に言う言葉がそれ?」
朝比奈塁。僕と同じ化物の一人で無限の杖。この平坦な口調も慣れてしまえば聞きやすい。僕が雨のように間接的に人間に何かを与えるなら、塁は知恵のように直接的に何かを与える。僕らは出会った頃から似たり寄ったりの関係性で、何も変わらないままだ。
「ねぇ、塁。最初に会った日のこと覚えてる?」
「貴方ごときが神と讃えらるなんて、人の世界も荒みましたね」
「……あの時から切れ味は全く落ちてないねぇ」
劇的な出会いをした。この言葉をあの日に当てはめなければ、一体どこに当てはめようか。互いに本気で殺意を剥きだして。ただただ眼前の敵を滅ぼすことを考えた。己が信仰を認めさせるために。己が正義を貫くために。
『君が僕を否定するのなら。この信仰を偽りだと言うのなら』
『貴方が神を語るのなら。それら全てを背負うと決めたのなら』
『その信仰を覆す!』
『その正義を叩き潰す!』
なんて事があったのも、すでに過去の事だ。結局、勝敗が決することはなく、不承ながら引き分けという事でその場を収めた。
「……あれから貴方の考えは変わったのですか?」
「いや。残念だけど少しも変っちゃいない。ただ信じるモノが少し増えただけだよ」
「そうですか。まぁ主を失くし、自らの力の無さを嘆いていた頃に比べれば、幾分マシになったかと」
「その記憶を掘り返すのは止めてほしいなぁ」
僕にとってはただの黒歴史でしかないのだ。主を失った。僕は本来、塁や他の化物のように一人で成り立っている化物ではなかった。僕を使役して、この世界に繋ぎとめる優しい主がいた。魔術の知識はどんな魔女と化物の追随を許さず、あと数年生きていれば始まりの魔女と同じ景色を眺められただろうと言われた魔術師。そんな主をたった一つの出来事で失って、箍が外れて、何度も人間を恨んで、何度も壊しつくした。
「狂ったように壊して大泣きていた姿は、今でも思い出して笑えますよ」
「あーもー聞こえません」
「……まぁ虐めるのはこの変にして、そろそろ再開しましょうか」
「始めるの間違いじゃないのかい?」
僕らはまだ一度もこの対抗戦では戦ってはいない。
「私にとっては、対抗戦の勝敗なんてどうでもいいんですよ」
何とも好戦的な瞳で挑発するように塁は言う。口元をほんの少し上げて、綺麗な顔には似つかわしくない不敵な笑みを浮かべている。
「ただ白黒付けたいだけです」
「……白黒って一体誰と?」
「そんなの決まっているじゃないですか」
在りもしない空間から一本の杖を取り出して。全体に淡い翠を行き渡らせた物理用の杖を固く握り直して。
「信仰の白鯨とのですよ」
「……離脱しまーす」
後方へと跳躍。その勢いを使って全力で上空へ逃げる。
「逃がしませんっ!」
塁の合図と共に一斉に放たれる杖達。本来は魔術を扱うための媒体として使われる杖を、物理的に投げて使うのは塁しかいないだろう。
「悪いけど、僕は君と戦うつもりはないからー!」
大声で叫びながら空を逃げる。追い付かれたら最後、対抗戦が終わるまで撃ち合いになる。そんなのはごめんだ。
「……敵影、物凄い速さで離脱と。全く、いつまでたっても逃げ足だけは最高峰ですか」
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「はぁー、酷い目にあった……」
塁の正面からの奇襲を受け、全速力で離脱したあと僕は時計台に来ていた。対抗戦には少し休んで戻れば問題はないだろう。でもあまり休みすぎると校長が来かねない。
「まぁ、もう来てるんだがな」
「……ですよね」
あらゆる人の心が読める。校長の固有魔法。それはもちろん、化物に対しても有効だ。
「最近じゃ魔法と魔術の区別はめっきり無くなっているがな」
「本来はどういったものでしたっけ?」
「魔法ってのは自然法則の一種だ。魔力が熾きることで起こり得る絶対的な法則。対して魔術ってのは魔法からの派生形だ。魔力を熾す事で法則を術に落とし込む。まぁ、魔術の進歩が凄まじいが故に最早区別なんてないようなものだがな」
「雫が使っているのは魔術ですか?」
「あー、あいつが使ってるのはまた違うな。厳密に言えば自分で開発出来ている以上は魔術だ。とは言えあいつのは根本的に違う。さっきの説明に付け加えるが、魔法は元々〝始まりの魔女〟にしか使えない代物だ」
「僕たちは借りたり真似たりしてるだけですもんね」
「そうだ。人間にせよ化物にせよ、あの魔女が創った世界に生まれているという時点で、あの魔女を超えるオリジナルは使うことも作ることも出来ない。何かしら劣化する」
時計台の下に広がる街並みを、そのさらに先にある空を眺めて校長は告げる。
「だがあいつは違う。飯ヶ谷雫という悪魔もとい自立人形は既にオリジナルを所持しているんだよ」
横目で見る校長は酷く怒っていた。誰に対して、何に対してかまでは分からない。自分自身にかもしれないし、或いはもっと別の事にかもしれない。
「私たち魔女とお前らが持っている固有魔法とも違う。あれは、あの禁術は根底から瓦解している」
「瓦解?」
「魔女の固有魔法は、それこそあの魔女の血を引いているからこそ成り得る代物だ。対してお前らのは概念を練り上げることで成しているだろ? だがこと禁術に限って言えば魔法でもなければ魔術でもない。あれは人間が作り出した代物だ」
「……は?」
僕の知る限り、いやさっき校長が言ったように魔術は魔法の下位互換だ。天使と悪魔がそれぞれで発展させてきた術。化物達が独自に展開させてきた式。この世界において万能具とも言える代物。それに勝る物を人が作り上げたなんて信じられない。
「人間。と言いえば語弊がある。正しく言うならば、かつて人であった者。人ならざるもう一つの種族の成れの果て。そんな奴らが憎悪と執念と宿怨に駆られて、造り上げてしまった術式。それが禁術だ」
重く重く魔女から紡がれる言葉。
今からどれほど遡るのだろう。僕らが存在するよりも遥かな過去。天使にも悪魔にも席が必要なかった大古の世界。その全てを知るの化物が一体どれほどいるだろうか。
「……雫は、どこまで思い出したでしょうか?」
「分からん。だがそこら辺も含めてラグイルの監視だろう」
「校長は姫路ちゃんに聞いたりしないんですか?」
「いや、流石にそこまではしていない。あの大神が送りこんだ天使だ。それだけで信用に値する」
「だから全て任せると」
「手は二本しかないからな。私の最優先すべきはあいつじゃない」
それは僕もそうだ。最高位の魔女から直々に頼まれたのだから、雫の事も気にはなるけど気は抜けない。
「ま、対抗戦が終われば嫌でも終わりが来る。それまでは、こっちに集中してくれ」
僕の心に向かって含みのある笑みを返した。
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校長はあの後すぐに何処かへ行った。対抗戦に戻るとは言っていなかったが、そろそろ僕も戻らなければいけない。きっと塁が僕を探し回って、雫が忍ちゃんに絡まれて、姫路ちゃんが引っ搔き回しているのだろう。鈴音ちゃんはいつも通り読めないな。今回の参加者は紅白合わせて十。程よい人数だ。
化物は互いに切れぬ糸を持っている。かつての主の言葉はきっと正しい。そうでなければ、今この時代に時ヶ峰に僕を含む十人がいるはずがない。数奇な時の流れに、まるで仕込まれたかのように集ってしまった彼らはまだ何も知らない。これから先に起こってしまうこと。過去に起こってしまったこと。僕は全てを知っている。覆されることのないこの世界の脚本の全てを。
「……難儀な時代まで生きてしまったなぁ」
そこまでポツリと呟き落としてから、遠くから聞こえる甲高い音に気が付いた。焼け付くような鈴の音ではない。空を切る刀の音でもない。もっとこう。聞き覚えのある声のような。
「だーれーかーとーめーてぇぇえええぇぇぇ!」
「姫路ちゃん!?」
閉じた瞳からは雫が横流れて、何とも情けない表情の姫路ちゃんが物凄い速度でこちらに向かって来ていた。何をどうしたら弾丸以上の速度が出るのだろう。
「……って違う違う。今はそんなことを考えてる場合じゃなくて」
弾丸以上の姫路ちゃんを受け止めなければいけない。あぁ、こんな時に塁がいたらなぁ。きっとあの杖で何とかするのだろう。本来は防御用の杖を。
「基は奇怪の礎であった」
仕方ない。見よう見真似だけど、塁の術を借りよう。
「蛇は邪を・星は聖を・怪は戒を」
塁が使っている杖をイメージする。代用は魔法円。中身は六芒星。発動キーを抜いて、更に短縮しているというのに五節も必要だなんて。それだけ模倣する塁の魔術が凄まじいということだ。
「されば全てを偽に示せ」
空間上の全ての円が一つとなって縦に連なるクッションとなる。
「え、ちょ、前! どいてぇぇぇぇぇ!!!」
バリバリと円が割ける音がする。一つ、二つと簡単に消えていく。あぁ、もう三重追加しないと。じわりじわりと蒼い魔力を全身に纏った姫路ちゃんが近づいてくる。そりゃ確かにこれは本物ではなく疑似的な代物だから、塁の完全防御壁に比べれば数段劣るけど。
「自信なくしちゃうなぁ」
円そのものを小さく姫路ちゃんのサイズに調節して、余った魔力を再形成。
「いい加減止まれー」
半ば悲鳴にも似た声に合わせて密度を高める。何てことをしていると、もういくつ重ねたか分からない円は、僕の眼前にある一枚を残しあとは全て崩れ去っていた。いやいや、塁に倣ってかつあれだけ重ねたのに残ったのが一枚ってどんな力だ。
「ふぃー、死ぬかと思った……」
「ここにいたのが僕で良かったね。他なら本当に死んでたよ?」
「あ、東さん!」
「やほー」
安堵するや否やすぐさま目を見開いて、驚く姿は飽きることがない。これは雫も楽しいだろう。
「にしても、一体何をすればこんなことになるんだい?」
「えっと実は、天界で教えてもらった術を試そうとしたらこんなことに……」
「術式を間違えたとか?」
「ち、ちゃんと同じように組んだんですよ! 本当ですよ!?」
「えぇー」
となれば結論は一つだ。恐らく術式と姫路ちゃんの魔力量が相まっていない。式の方が量に耐え切れずに暴走めいた効果を招いたのだろう。術式は基盤が同じなだけであって、細かな所は化物によって変わっている。それを直感でするのか、計算でするのかだ。もっとも、大半が直感だけども。
「雫に魔力制御教えてもらったんじゃなかった?」
「そうです……」
「出来るようになったの?」
「できては、ないです……」
「一体どんなのを?」
「何かこう、びゅーんって飛べるようなやつを……」
「んん?」
「ばーんみたいな飛行魔術です」
「あぁー、そういう」
僕たちが飛行する方法にはいくつかの種類がある。一つは魔力を足場として空を歩くこと。一つは純粋な魔術で飛ぶこと。他にもいくつかあるけれど、大概はこのどちらかに分かれる。
「普段は翼を出したり魔力を固定したりしてるんですけど、天使長がどうせなら移動手段で攻撃でもしてみろって言って……」
「その結果がさっきの状態と」
「うぅ…」
流石というか何というか。天使の長が考えることは想像がつかない。移動手段で攻撃をしようとか普通は考えつかないよ。直接会ったことがあるのは一翼だけれど、残りの三翼もぶっ飛んだ思考回路をしているんだろうなぁ。
「兎に角、あっちに戻ろうか。まだまだ対抗戦は続いているだろうし」
「そうですね。早く戻って飯ヶ谷さんを探さないとです」
「ちなみに姫路ちゃんは今、どのくらい持っているの?」
「ざっとこんな感じです」
得意気に何処からか取り出した物は、確かに凄い量だった。
「凄いね、その量」
「ここに来るまでに三人と鉢合わせて、一人と戦って残り二人は譲ってくれましたね」
戦闘を挑んだのは恐らく忍ちゃんだろう。もう二人は流石に分からないけれど。
「そのポイントって首にぶら下げなくても良いの?」
「んー、どうなんでしょう。でも別に相手に見えるようにしておくってルールはないですし」
「……」
姫路ちゃん可愛い顔に似合わず負けん気が強い。
「あ、そうだ東さん!」
「何だい姫路ちゃん?」
「飯ヶ谷さんがどこにいるのか知りませんか?」
「あぁー、雫ならきっと適当な場所で隠れてるんじゃないかな。自分から仕掛けるわけでもないし、かと言って仕掛けられても余程でない限りは全力で逃げるからね」
「むぅ。飯ヶ谷さん隠れるのだけは上手いですからね」
「そうかい? 僕からすればあんなに簡単に見つけられるのは雫ぐらいなんだけど」
「え! 何にかコツとかあるんですか!」
「コツってわけでもないけど、あの緑が深い場所があるでしょ?」
若葉に一面を覆われた森林でも、一方は淡い緑の葉が茂っていて、他方は濃い緑の葉が茂っていたりというように場所によってムラがある。
「はい。あそこは周囲よりも濃いめの葉ですね」
「そうそう。で、そこに目掛けてこう」
一斉放射。
「ち、ちょっとそんなにやって大丈夫なんですか!?」
姫路ちゃんが心配そうに煙の立ち込める一帯に近づく。でもこれぐらい大袈裟にしなければ雫は絶対に出てこないのだ。雫が出てこないのならいそうな場所を焼き払ってしまえば良い。無意識なのか意図的になのか雫は緑の濃い場所に隠れがちだし。
「うん。おおよそ三十秒もすれば雫は出てくるはずだよ」
「いやいやそんなこと―あ!」
「……いったた。誰だよこんな場所で魔力ぶっ放したやつはってポンコツ!?」
「じゃぁ、後は頑張ってね」
「はい! 見つけましたよ飯ヶ谷さーん!!」
元気よく、威勢よく飛び出した姫路ちゃんが雫に向かって一直線で向かっていく。なるほど。さっきの弾丸のような飛行魔術はこのためにあったのか。
姫路ちゃんは塁とは違った猪突猛進な子なのだろう。獲物を見つけたらすぐさま仕留めにかかる。周囲を視界に入れることはなく。ただただ自分の獲物だけを追いかける。戦いたいから勝負を挑む。乗ってくれないのなら乗り気にさせるまで追いかけまわす。うん。単純明快。至極当然のことだ。知恵を振りかざしていく塁とは正反対だ。
あぁ、というか僕もそろそろ塁に見つかってしまうだろう。何だかんだで森林から半径一キロ圏にまで戻ってきた。しっかり塁の領域だ。きっと今頃、杖に見つかって……。
「ですよねぇー」
目の前にふよふよと意地汚く浮かんでいる木の棒が、どうやら僕の命運を導いてくれるらしい。雫と戦う前に、まずは塁かぁ。骨が折れそうだ。
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ここはどこだろう。霞む思考が突如として現れる。何も思い出せない。覚えていない。それでもここは居心地が悪い。吐き気がする。そうだ、壊さなくてはならない。あいつとあいつとあいつとあいつを。殺さなくてはならない。何だ。全部覚えているじゃないか。激しい憎悪が蠢きだす。
日が漏れることのない木々の静謐が飲み込まれる。侵される。喰らわれる。強奪される。壊される。黒と紅に染められる。
いつ以来の感覚だろう。手と足が動く。不完全な翼がある。耳がある。全てある。
「何も知らない愚者共よ。復讐の時だ」
その殺意を聞いた者は。それを認識出来た者は。この未来を知り得た者は。ただの一人もいなかった。




