二十五羽目
朝が来た。かなり違った朝が。
「ほらほら飯ヶ谷さーん。起きてくださーい」
「……ん、んぅ?」
遥か彼方の意識の水面から、底にいる俺を引っ張り上げるような声。ここ数日聞けなかった声。
「全く起きる気配ありませんね……」
それもそうだ。ついさっき布団に潜ったばかりなのだから。寝かせて欲しい。
「こうなったら実力行使ですね。行きますっ!」
「だぁぁぁ、待て待て起きるから!」
そんな思いも虚しく、俺は体を早急に起き上げねばならなかった。覚醒していない意識の中で、無理やり叩き起こしたものだから節々が痛む。
「おっはようございます飯ヶ谷さん!」
「はい、おはよう。朝から元気だな」
うっすらとした視界の先にはやたらめったら眩しいポンコツがいた。何でこいつ朝から正装なの?
「元気もやる気もいっぱいですよ! 何せ今日は待ちに待った対抗戦ですからね!」
「……あぁー」
そう言えば今日は対抗戦当日だった。校長からも泰樹からも、早く寝ろと連絡が来ていた。まぁ結局その連絡は守られる事はなく、俺が寝たのはつい先ほどだったわけだが。
「にしても飯ヶ谷さん、珍しく眠たそうですね」
「ほんの二時間前まで開発してて、布団に潜ったのが一時間前だからな」
「あほだ。あほがここにいる……」
「うるせぇ」
取り敢えず魔法開発は終わったから良かったが、テストはしていなから不安が残るな。泰樹や九重にどこまで通用するだろうか。
「ほらほら飯ヶ谷さん、準備してくださいっ! 戦場はもうすぐそこですよ!!」
「あぁー、もう分かったから。着替えるから外に出とけ」
やっぱりこいつ戦闘狂なんじゃないか。
####
「おーし、全員揃ったな」
「はい皆、くじ引いてー」
今回の対抗戦はチーム戦のポイントの奪い合い。とは言えあの化物たちのことだ。結局はチーム戦ではなく個人戦にもつれ込みそうな気はする。
「飯ヶ谷さーん、紅と白のどっちでしたかー?」
「紅」
「私、白でした。ってことは一戦交えられるかもしれませんね!?」
「視界に入った瞬間に全力で逃げるからな」
「なんでですかっ!」
「やーやー、何とも賑やかそうじゃん?」
「げ、九重……」
「おいおい、人の顔見てその反応は無くない?」
九重忍。暗殺が得意な脳筋。死角を突いた奇襲に、知らぬ間に張り巡らされる魔法陣を絡め、基本的には腰に差している長刀での近中距離がこいつの範囲だ。
「んでー、そっちの小っちゃいのが噂の天使ちゃん?」
「あ、はい。姫路・ラグイル・エミリーです」
「勤勉な、ねぇ……。まぁいいや。アタシも白だからよろしくー」
「えっと、よろしくです……?」
自分の言いたいことだけ言って行ってしまった。化物の中でもとりわけ掴みにくい性格をしている九重だ。初対面のポンコツが困惑するのも無理ない。
「姫路ちゃんも白かー。僕も白だよー」
「私は紅でしたので」
「なんだ朝比奈がこっちか」
「おぉー白鯨さんが白ですか」
空になったであろうクジの箱を持って朝比奈と泰樹がやってきた。
「じゃ朝比奈、泰樹のことは頼んだ」
「では貴方はそちらの天使をお願いしますね」
「却下」
満面の、いや悪女のような笑みで朝比奈は脅迫めいた言葉を放った。笑顔が怖い。一般生徒よ、こんな恐怖ばかりしか感じ取れない笑顔の何が良いのだ。俺には理解できないぞ。
「よし、組み分けも終わったみたいだな。事前説明するぞー」
一応、対抗戦の前には注意事項の説明が言い渡される。とは言え、大したことはなく重要な事といえば死ぬな殺すなという事だけだろう。死なない程度に全力を出し、殺さない程度で本気を出せ。なんとも難しい事項である。化物を相手にするならば、殺すつもりで対峙しなければこちらが殺される。純粋な力で言えば泰樹がトップであり、魔力操作なら俺よりも長けている奴らばかりだ。そんな中でどうして俺が以前勝てたのかは、俺自身の最大の謎だ。
「あー、細かい説明もかったるくなってきた。取り敢えず点数たくさん持ってきたチームが勝ちだ。以上!」
「いよいよですね飯ヶ谷さんっ!」
「……そうだな」
この対抗戦、紛れもなくこいつが搔き乱す要因になるだろう。ポンコツの実力は俺も含め誰も知っているやつがいない。俺がポンコツについて知っているのは、あくまで魔力量が桁違いに多いという事だけ。戦闘スタイルも、どんな魔法が得意なのか。それが分からないからこそ、一度やり合ってみたい気持ちもあるが、出くわしたら全力で逃げよう。
「制限時間は三時間。それじゃ、対抗戦……開始っ!」
開始の合図を受け各々一斉に飛び出す。場所は時ヶ峰から見て右側に位置する森の中。この中に一から十の五十枚のポイントが隠されている。それを相手よりも多く見つけ、三時間後により多くのポイントを所持していたほうが勝ちである。なお、力業による奪取可。
「取り敢えずは探すか」
「良い頃に貰いに行くからねー」
「……」
絶対に泰樹だけには見つからないようにしよう。はてさて森の中に入ってみたはいいが、何処にあるか全く見当がつかない。校長よく一人で隠したな。もしかして俺の知らない魔法があるのかもしれないな。
「なぁー、飯ヶ谷ー」
「……なんだよ九重」
「ちょっと一戦交えない?」
「何も所持してない。却下」
「えぇ、アンタまだ見つけてないの?」
「まだ始まって五分も経ってないだろうが」
その言葉に対して、すっと見せびらかしてきた九重の手の中には、三が三つ並んでいた。
「アタシの一枚やるからさ、それの奪還って体でどう?」
「じゃあな」
風を使って加速する。
「まぁ、待ちなって」
それでも九重は振り切れない。掴まれた肩がキシキシと鳴る。力強すぎだろ馬鹿。流石は脳筋。
「だぁぁぁ分かった分かった!」
この台詞、朝にも言わされたなぁ。
「やぁっと乗り気になったか」
「乗り気じゃない。条件付きだ」
「言ってみ?」
「そうだな。俺が勝ったら最終的にお前が集めたポイントの三分の一を貰おう」
「おっけー。それじゃ、早速───」
〝始めようか〟
その一言を境に九重の纏う空気が一瞬にして豹変する。限りなく透過し、限りなく重く。刀を抜き、距離を詰めてあいつにとっての規制距離が作り出される。
「アタシさ、アンタにリベンジすんの楽しみだったんだよね」
「そりゃどうも」
「今度こそ切り裂いてやる」
「……」
何て物騒な物言いだ。
「一刀一閃っ!」
眉間に向かって一直線に刀が投げ出される。空を裂きながら瞬きを禁ずる速さで飛んでくる。障壁は展開せず体を横に反らす。幸いな事に泰樹の弾幕よりは遅い。
「……っと」
続けざまの九重の特攻。魔力でコーティングした手套。こいつのセオリー通りならば同時に。
「やっぱり裏もあるよな」
「まぁね」
投げだしたはずの刀が首筋に迫る。先端からの冷気が本能の危険を知らす。背後に障壁を展開。九重は正面から迎え撃つ。当たり前のように狙われる頸動脈。高々と掲げられた九重の右手。振り下ろされる瞬間に左手を挟み込む。手套として機能しているのは手首から上。掴んだ左腕と掴まれた右腕が拮抗する。
「ちょっとキレが増したんじゃないか?」
「アンタはちょっと防御足りてないんじゃない?」
何が、と問おうとした時にはすでに遅かった。脇腹から赤い液体が滴り落ちる。一滴、一滴と落ちる度に鋭い痛覚が頭に流れ込む。切られた感じはしなかったし、飛んでくる一本以外に気付くこともなかった。それでも切られたことは事実だ。
「……」
九重の腕を振り払って後退しながら、切られた脇腹を治癒魔法で止血する。治癒魔法は細胞を活性化させ、本来ならば時間をかけて再生するところを無理やり一瞬で再生させる、ある意味では荒治療だ。付け加えて言えば、治癒した場所は痛みは引くがちょっとした不快感が残る。むず痒いような、焼けるような。意識しなければ忘れてしまうし、戦闘中でそんな事を気にできる余裕も普通はないのだが、風を主に扱う俺としては肌に風が触れる度に治癒した場所が気になって仕方がない。
だから俺の治癒魔法は血を止めるだけ。完全に再生させるわけではない。それでも多少の違和感が残るのだが妥協点だ。
「新しく練り上げたのか?」
「自分で考えなっ!」
地面すれすれの低姿勢から全速力で突っ込んで刀が振り上げられる。後退。すかさず最高点から振り下ろされて、手首を返して再び振り上げられて振り下ろされて。眼で追うのも辛くなってくる速さで、傾向を全く掴ませない捌き方。俺が何とか躱せているのは、風が動くから。微かな風の流れでどう動くかが分かるようになったから。魔法が二、鍛錬が八の割合である。
「ちったぁ当たれってーのっ!」
「変な魔法習得しやがって」
明らかにこいつの魔法はおかしい。いくらこいつが気配を消すのが上手いからと言って、至近距離で魔力さえも感じることが出来ないのはおかしい。さっきの謎の切られ方もそうだが。まるでそこに何も無いかのように。それでいて、常にそこからあったかのように平然と意識の外から刀身が出てくる。世の理を外すのが魔法であれば、既に外れた魔法。まるで迷宮で不意に使ってしまった魔法のような。
「禁術か」
「アタシが知らないことをアンタが知っているように、アタシもアンタが知らないことを知っているってわけよ」
「世界は広いな」
「アンタは多分、その全てを知っているはずだけどね」
「……」
こいつも俺について知っているのか。
「さ、立ち話はこんぐらいにして」
切り合いを左斜め上から中断して九重はゆっくりと息を吐く。俺は弾かれた勢いで後退。九重との間にはそれなりの間が出来た。ようするにこいつは終わりにしようと言っているのだ。
「勝負つけようかって?」
「そゆこと」
言いながら九重は刀身を鞘に納めた。なんだかんだ言って芯が真っ直ぐな九重は、どんな勝負であれ最後には一刀両断を狙う。鞘に納めた瞬間を狙えばいいじゃないかとも言われるかもしれないが、九重の放つ殺気を受ければそんな甘ったるい考えも含めて、動いた瞬間に切り殺される。
俺が風の動きで相手を判断するように九重は殺気で判断する。あいつのテリトリーに少しでも入ったが最後、気付かぬうちに切られて終わりだ。
「今回はアタシの勝ちで終わらせる」
九重の周囲が歪む。空気が震える。張り詰める。一秒が延びる、延びる。時が止まる。音が消える。本気も本気の最後の一刀。それならば俺も持てる全てで迎え撃たなければならない。
扉が開く。視界が紅く染まる。思考が置き換わる。衝動を潰す。音が消える。
「───はっ!」
眼も眩むような速さで九重が飛び掛かる。終点を定めて、力を理性で収めて。俺はまた禁術を使う。絶対的で暴力的な、ただただ壊すためだけの魔法を。
「……すまない」
指先から物凄い魔力が飛び出していく。空間を裂いて草木を飲み込みながら。
「はぁっ!?」
驚きと共に九重が飛んでいく。かと思えば、酷く鈍い大きな音がして木が二、三本倒れていた。立ちこむ煙と、倒れた木々の先で九重が仰向けになっている。刀は折れて、先の方が地面に突き刺さっている。
「……いったいなぁぁぁぁぁぁ!!」
良かった生きてた。
「ちくしょうアンタも変なの習得しやがって。というかそれ、アタシのより駄目なやつでしょ絶対」
「まぁな」
「あんな馬鹿みたいな魔法、もう魔法と呼んでいいのかも危うい魔力の塊は防ぎっこないって」
折れた刀を悔しそうに鞘に納めながら九重は項垂れる。けれどこの魔法擬きは頻繁に使える代物ではないだろう。迷宮での一件から一枚の大きな扉が見えるようになった。あれはきっと残虐的な魔力をせき止める防波堤のようなものなのだろう。使えばかなりの負荷がかかる。それに何かが、断定出来ないほどの雑然とした何かが俺の中で少し擦り切れたような気がする。
まぁ、それは兎も角としてだ。
「お前の魔法も酷かったがな」
「にしてもって話でしょ。アタシのはまぁ攻略の余地があるし、なんなら弱点とかあるけど。アンタのにはそれが全くない……一体どこから出たのかね。この脳筋は」
「……」
脳筋だと思っているやつから脳筋呼ばわりはされたくない。
「あぁー、今回も負けかぁー」
「いや、流石に俺もあれはやりすぎたし、引き分けでどうだ」
「どんな魔法を使ったとしてもアタシが負けたことに変わりないっしょ。それにアタシだって使ってたんだから」
正五角形の札が三枚投げ渡される。ポイントだ。
「ほら、やるよ。アンタの勝ちだ」
「最後に三分の一を貰う約束だったんだが?」
「それは当然渡すけど、取り敢えず持ってて。前金みたいな物よ」
「要するに自分で持っていると叩き割ってしまいそうだってことか」
「そゆこと。んじゃアタシはポイント探しに行くから」
そう言って九重は森の中に消えていった。初っ端からかなりの勝負をしてしまったが、俺もそろそろポイントを探さなくてはいけない。朝比奈に怒られてしまうのだけは勘弁だ。
「他はどうなってんだか……」
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九重忍は森を駆ける。飯ヶ谷雫に負けたことを噛みしめて。
「あぁー、また負けたかぁ」
折れた刀が納めらている鞘を撫でながら先ほどの戦闘を思い返す。出だしの感触は悪くなかった。アレも上手いこと決まって、ある意味での奇襲は成功した。その後、当たり前のように接近戦で一太刀も浴びせることが出来なかったのは癪ではあるが、飯ヶ谷には風がついている。やはりそこは何とかしなければ。そう反省しながらも、より大きく脳裏によぎるのは最後の一発。常識を超えた化物の常識を遥かに凌駕するあの魔法。
「あんな魔力量と質はどこから出てんだか。アンタは何か知ってんじゃねぇの?」
足を止めて、背後へと呼びかける。何も無いであろう、誰もいないであろう森の中に。
「アレは彼自身のだよ」
「アンタもうちょっとマシな登場の仕方ない?」
ゆらりと揺れた風景から黒いフードを被った化物が現れた。
「魔術師ですから」
「あっそう。まぁいいや。それで飯ヶ谷自身のってのはどういうことだ?」
「そのままの意味だよ。恐ろしいほどの魔力の量と質は全て彼自身が元々持っている物だ」
「チートじゃん」
「キミも知ってるでしょう。飯ヶ谷雫がどんなモノかは」
「〝負の遺産〟だろ」
「あぁ、そうだ」
「けどそれ以外に知っていることはない。けどアンタは知っているんじゃないのか?」
「ワタシが知っていたとして、それを聞いてキミに出来ることはあるのかい?」
「ないな」
九重忍が飯ヶ谷雫に対して出来ることはないし、しようとも思わない。ただ勝ちたいだけの相手だ。
「いづれ全てが分かる時が来る」
「……アンタ、絶対詐欺師の方が似合ってるよ」
「心外だなぁ」
そう言う魔術師の顔は見れない。
「まぁいいや。キミも対抗戦、頑張りなよ」
「言われなくても集めるっての……あぁ、そうだ」
胸元から一枚の紙を取り出して九重は自嘲気味に言う。
「アンタに貰ったタロット気に入ったよ。アタシにピッタリだ」
「それは良かった」
ほくそ笑むような、微笑むような。そんな不敵な笑みを口元だけ見せて魔術師は消えた。




