二十四羽目
この世界の全ては対になっている。表と裏。技術と魔術。力と力。理性と本能。
ありとあらゆる物が対になって、重なって、捩れて。今となっては境界なんて無いに等しい。
白い薔薇と黒い百合。決して交わることの無い正反対の者。
思えば最初から、世界は破滅へと向かっていたのかもしれない。
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泰樹との一戦から早くも一週間が過ぎた。悔しいが俺も負けたくは無い。面倒だなんだと言っても、戦いだせば純粋にそれを楽しめるし勝ちたい。やっぱり俺は生粋の悪魔なのだ。
「飯ヶ谷さんも実は戦闘狂だったり?」
「いや流石にそこまでは無いと思うが……てか帰ってきたら声ぐらいかけろ」
「ただいまです!」
「はい、おかえり」
現在時刻は午前二時。朝食にはまだ早い。窓の外は真っ暗で、当然だが星ぐらいしか見るものがない。それでも何故か、この景色は懐かしく思う。悲しくなるほどに、寂しくなるほどに静かな時間。渺渺とした世界の中心で、まるで自分だけが眇眇とした者のようだ。などと高度な洒落を考えらえるということは睡眠が足りていない。
「……終末、ねぇ」
「うみゅ?どうかしたんですか?」
「いや別に……っておいコラ、どっから取ったそれ」
「そこら辺から」
「そこら辺に饅頭を置いた記憶は一切ないんだが」
「あー、まぁいいじゃないですか。美味しいですよ?」
お一つどうですかと差し出されたので、納得はいかないが貰っておく。と言うか俺が買ったやつだ。美味しいことぐらい知っている。
「こんな時間に甘い物なんぞ食べたらふと、もごっ!」
「それ以上は言わないで下さい」
気にしているなら食べなければ良いのに。口に詰められた饅頭を処理しながら、そんなことを考えた。
「いいんです私は。今日も散々カロリー消費したので」
「正当化してるだけじゃないか……?」
「ナニカモンダイデモ?」
眼が笑ってないんだよな。うっすらと魔力が出てるし。
「はぁ。仕方ない。そんなに腹が減ってるなら何か作ってやるから待っとけ」
「本当ですか!」
「朝食にはちょっと早いが、まぁいいだろ」
「あ、じゃ私あれがいいです。うどん」
「お前本当にうどん好きだな」
「美味しいじゃないですか!」
「否定はしないけども」
胃にも優しいし、この時間に少し食べる程度ならうどんでも確かに十分だ。卵でも落として、ねぎでも入れればそれだけで美味しい。
この時間に何かを食べるというのも新鮮だ。自作魔法の開発時には徹夜だったりは良くあるのだが、そのときは飲み物しか口にしない。別に固形物を取らない工夫があるとかそんなのではなく、純粋に作るのが面倒なのだ。お菓子のストックもポンコツが来てから増えたので、一人の時ではわざわざ何かを作ろうという気も起きなかった。我ながら大分毒されているな。笑えない。
台所へ向かってささっとうどんを茹でる。ねぎと、それだけじゃ少し物足りないだろうから昼の残りの牛肉を入れて、最後に卵を落として完成。
「ほれ、うどん」
「わーい、ありがとうございます」
ポンコツはうどんを、俺はお茶を持って椅子に座る。美味しそうに食べている姿は、なんだか心に染みた。
「最近はどうだ?」
「どう、というのは?」
「いやほら上で稽古つけてもらってるんだろ? 少しは成長したか?」
「……あぁー、まぁぼちぼちって感じですかね」
一瞬だけ、普通なら気がつかないような間があった。気にはなる。だがそれを尋ねようと俺が口を開くよりも先に、ポンコツは口を開いた。
「私のことよりも飯ヶ谷さんはどうなんですか?」
「どう、というと?」
「何だかんだで新しい魔法を開発してたり……」
「そこは秘密だな」
「えぇー、ケチー」
すぐさま意識を逸らされたことで、先ほど尋ねようとしたことは抜け落ちてしまった。まぁ、ただ疲れているだけかもしれないし、余計な詮索は無用か。
「……さて、ではそろそろ行きますかね」
「また上に行くのか?」
「えぇ、まぁそんなとこですかね」
「そうか」
追い込みなのだろうか。それにしてはポンコツの顔色が優れないのが気になる。
「疲れているなら、休んでもいいんじゃないか?」
「あ、別に疲れてるわけではないです。うどんも食べましたしね!」
「……」
疲れてない。その言葉がどうしようもなく弱弱しくて、とても信じられるようなものではなかった。きっとポンコツは何かを隠している。天界から来た俺の監視役。言えないことも沢山あるだろう。けれども、今の言葉はそういった仕方ないで片付けてしまうのは、どうしても収まりが悪い。
しかしながら、それを聞ける程の、踏み込んでいけるほどの技量は持ち合わせていない。
「じゃ、行ってきますね!」
「……今度はちゃんとしたうどん作ってやるから、しっかり帰ってこいよ」
そんなフラグめいた言葉しか出てこなかった。
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数年前、と言ってもかなり昔だが、誰にも知られず独りでに解決した事件がある。解決したと言うよりは、終わらせられた、闇に葬られたとでも言った方が正しいだろうか。
〝羽売り事件〟
天に生きる者と一部の化物しか知らない忘れ去られた事件。あまりにも悲惨過ぎるが故に、公にされる事が無かった出来事。被害者。姫路・ラグイル・エミリー。
天使は全ての時間を天界で過ごしているわけではない。人間が買い物に出かけるように、或いは特に意味も無く外へと足を運ぶように、天使もよく下へ降りる。その理由は調査だったり視察だったり、天使それぞれにあるのだがラグイルの場合は監視であった。天使を監視する者として置かれた立場。それは幼い頃から逆らうことは出来なかったのだ。
『あのー、大神様?』
『どうしたラグイル』
『いや、何でアリエルは遊んでるのに私はここにいるのかなーって』
『それがお前の仕事で、アリエルは花の世話をするのが仕事だからだ』
『……難しいことわからないです』
『難しくない難しくない』
この日、ラグイルは大神に連れられ人間の世界へと降りていた。これから監視しなければならない者の事前調査とでも言ったところだ。
『……あ、そうだった。ラグイル』
『何ですか?』
『俺はちょっと時ヶ峰に顔を出してくるから、お前ここで待っていられるか?』
『大丈夫です』
『すぐ戻るからな』
現に人間の世界は平和だった。〝終末〟という戦も終わってかなりの時間が経ち、最早それを覚えている人間は全くいない。だからこそ大神は油断した。人間という罪深き者達に対して、ほんの少し緊張を解いたしまった。かつて自分もその一人であった、決して警戒を解いてはいけない者達に対して。
『むー、大神様が戻ってくるまで何してようかなー』
もう一度言うが、当時の姫路・ラグイル・エミリーは幼い。好奇心が理性を上回っている年頃だ。
『あ、ちょうちょだ!』
初めて降りた人間の世界に、理性が敵うはずもない。
『ふぉぉぉぉ!ここが人の世界の森っ!天界とは全然違う!!』
目に映るありとあらゆる物が新鮮で、斬新で、それだけに没頭してしまうほどに飲み込まれていた。だから、背後の声に気がつかなかった。普段ならば絶対に聞こえるであろうはずの声に。
『……おい、あれ見ろ』
『いってぇな急に止まんなって』
『どうかしたんすか』
『仕事だ。迅速にかつ丁寧に狩れ』
『珍しいっすね、小さな天使なんて』
『あの程度ならほとんど魔法も使えないだろう。傷はつけるなよ』
『分かってるよ。大事な商品に傷はつけねぇって』
この頃、密かに一部の人間の間で行われていた取引がある。
天使の羽は高値で売れる。
噂は噂を呼び、遂にはそれを事実としてしまう。しかしながら天界で大きく騒がれることは無かった。何故なら人間の体感時間と天使の体感時間が全くの別物だから。天使にとってはほんの少しの時間が、人間にとっては一生だったりもするから。だから下で天使が殺され、その羽を狩られたとしても天界では誰も気付かない。気付けない。
とは言え、天使が人間に殺されることは普通に考えればありえない話だ。身体能力が違い過ぎる。人間は空も飛べないし魔法も使えない。少し走れば息が切れるし疲労も溜まる。けれども実際に天使は殺されている。人間の持つ〝道具〟によって。
誰に与えられたかも分からない不思議な道具。ありとあらゆる魔法を否定する道具。それが天使に対抗する術であった。
『周り込んで俺の合図で縛りあげろ。鎖は持ってるだろ?』
『もちろんっす』
『しくじんじゃねぇぞ』
三人の人間が手に持つ鎖は天使を拘束するためだけにある。天使の存在を一度鎖が認知してしまえば、それは天使を捕まえるまで止まることなく動き続ける。
『あっちもこっちも緑だらけ! アリエルの庭園とは全然違う!』
ラグイルは気付かない。気付けない。
『三つ数える。その次の合図で飛び掛れ』
『了解っす』
『……オーケー』
『三、二、一……行けっ!』
『わっ、ちょっと何!?』
鎖の原理は詳しくは解明されていない。ただ唯一、天使にのみ反応するという事だ。まるで意思を持った一つの生物のように天使を拘束するまで止まらない鎖。しかしそれでも人間が天使に敵うかは五分である。
『おら鎖、縛り上げろ』
『いたっ!ちょっと、止めてよ!離して!』
『あぁぁぁうるせぇ。少し黙ってろよクソガキが!』
『かはッ』
『あ、ちょお前、何蹴ってんだよ。丁寧に扱えって』
『あぁ? どうせ取んのは羽だけだろ。身体がどうなろうと影響ないだろうが』
腹部を蹴られ生まれた初めて感じた激痛と恐怖の中で、ラグイルは人間を知った。おとぎ話で聞いた者とは全く違っていた。優しさでも気高さでもない虚ろな眼。私が知っている人間はこんなのじゃない。そう思って信じたいけれど、身体に羽にきつく纏わりつく鎖と、人間の冷たい眼がラグイルを蝕んでいく。大神様はまだ帰ってこない。
『身体も高く売れるんだがまぁ良い。活きの良い内にさっさとバラすぞ』
『解体は俺がやるっすよ』
チラつく刃物に反射する自分の姿があまりにも不気味で、ラグイルはぎゅっと眼を瞑った。
『へへっ、甲高い声響かせてくださいっすよ―』
本能的に全ての感覚を遮断した。次に訪れるであろう鋭い痛みに対して。 視界が黒く染まる。でも次に訪れたのは、想像していた鋭い痛みではなく、人間の悲鳴だった。
『ぐあぁぁぁ』
眼の前で先ほどの人間が血を赤々と流している。意味が分からない。
『ちくしょう腕がああぁぁ!!』
腕を落とされ眼を潰され、痛みの中で心臓を貫かれて二人の人間は倒れた。黒い羽を持つ何者かによって。
『何なんだお前は!?』
『何でも良いだろ』
次いで、一人、二人とあっさりと躊躇いもなく命を狩りにくる眼の前の異形に対して、最後まで人間は恐れ慄くことしか出来なかった。静寂。夥しい赤で緑が塗り替えられた世界が、先の喧騒をまるで無かったかのように静まり返る。ラグイルの思考は定まらない。
『怖いだろ。けどもう大丈夫だからな』
三人を簡単に殺した手が。返り血に塗れた手が頭を撫でる。
『じゃぁな天使』
笑顔だった。悲しそうで、寂しそうな小さな笑顔。震えるラグイルを落ち着かせるように、悪魔はそう言ってすぐさま消えた。この後しばらくして大神が戻ってきて、あまりの惨状に絶句しラグイルに事を問い詰めるが、ラグイルの口から出た言葉は。
〝悪魔〟
この一言だけだったという。
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冷えた空気が澄む星空の上。私はある場所を目指していた。
「あー、あー、こちら大神。ラグイル聞こえてるか?」
「こちらラグイル。聞こえてますよ」
「なら良い。悪いなこんな時間まで手伝わせて」
「いえ、私の本来の役目は監視ですからね」
「そうは言いつつも、近々ある対抗戦が楽しみだったりしてるんだろ?」
「それはまぁ、はい」
姫路・ラグイル・エミリーは監視者だ。悪魔バラキエルの息子、飯ヶ谷雫を監視する天使だ。
「分かっているとは思うが、あいつらバグみたいに強いぞ」
「だからこそ天界に戻ってきてるんじゃないですか。ついでに仕事も頼まれましたけど」
頼まれた仕事と言うのは、魔術師についてだ。大樹調査時の出来事を報告したところ、もう一度向かえとの任務が追加された。
「やっぱ気にしてんじゃないか。けど、魔術師のことが本当ならちょっとな……」
「タロットは普通のタロットでしたか?」
「あぁ。解析させてみたが特に何もない」
「本当にわけが分かりませんね……」
とは言え魔術師の言っていた事は聞き逃せない。
台本。天使長の秘蔵っ子。大アルカナ。そして羽売り事件。
魔術師は何を知っていて何を企んでいるのか。
「まぁ一応、大樹に向かってもらうが期待はしていない」
「だったらなんで行かせるんですか……」
「世の中ってな体裁で成り立ってんだよ」
何とも面倒な世の中だ。姫路・ラグイル・エミリーはそう思いつつ大樹へと向かった。




