羽休め No.003 ~或いは開幕~
かつて神様は七日間で世界を作ったらしい。
だが本来はそうでなかったとしたら。
神様ではなく全く別の存在がこの世界を作ったとしたら。
今いる場所は、全て変わってしまっているのだろうか。
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「……暑い」
少年は額から流れ落ちる汗を何とも恨めしそうに拭った。
「暑い暑い言ってたら余計に暑くなるわよ?」
「うるせぇ……」
銀色の髪を腰の辺りまでのばした少女に向かって、何とも雑な言葉で少年は言った。
「お前は浮いてるからいいだろうが」
「ついでに言えばアタシ、温度とか感じないし」
「精霊の存在をこんなにも恨めしく思ったのは初めてだ……」
ゆらゆらと歩く少年に対して、精霊の少女は浮いていた。
今日は一段と気温が高く市場が賑わっている。中心にある時計台へと続く通りに、何から何まで幅広く売られているこの市場は毎日ごった返してるのだが今日は特段酷い。密集しすぎて先ほどからほんの少ししか進めていない事に少年は悪態をつくが、それで道が開くわけでもなく頭を垂れた。
「それにしても今日は何かあるのかしら?」
「今日って月初めだろ」
「いえす」
「だったらあれだ。月初め恒例の奴隷商だな」
「あぁ、道理で」
少女は軽蔑したような表情で頷いた。
この世界には大きく分けて四つの身分が存在している。
一つは商人と呼ばれる、市場で商売をして生計を立てていく人々。
一つは農民と呼ばれる、田畑を耕し作物を商人と取引することで生きる人々。
一つは貴族と呼ばれる、商人と農民の上に立つ人々。
そして一つは、奴隷と呼ばれる人々。
「相変わらず今の人間の文化は気味が悪いわ」
「同感だな」
足首に錘をつけられ襤褸切れ一枚を着せられ、勝手に値札をつけられ取引されてしまう。檻の中で蹲っている彼ら彼女らの瞳は酷く淀んでいて、生きることに疲れきっているように見える。
奴隷と言う身分は本来は存在していない。奴隷と呼ばれている身分はもともと、商人と農民の仕事をどちらもこなすことの出来る者達の集まりだった。どちらの仕事も出来るので、人手が足りない時に手助けをするのが本来の仕事である。だがしかし、そのことに胡坐をかき始めた商人や農民が彼らを酷使するようになり、対等な賃金を払うこともなく強制的に働かせるようになったのだ。そこからいつしか彼らは奴隷と呼ばれるようになった。
「はぁ、さっさと買い物済ませて帰りましょう」
「そうだな」
「……暑いのは分かるけど、もう少しマシな反応は出来ないのかしら?」
じっとりとした視線を少年は少女から送られ、首をすくめるばかりだった。お前はこの辛さを理解できないだろうが、と少年は口には出さず押しとどめた。
「本当、暑いな」
再三度、額から滴り落ちる汗を拭い少年はそう呟いた。
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「ただーいまー」
玄関を潜るなり少女は元気な声で、自分の存在を知らしめた。
「はい、おかえりなさい」
ふんわりとした柔らかな物腰の女性が優しそうに微笑む。それを見て、少年と少女は安全と安心を実感した。樹木を基調とした空間も相まって、この家は何処よりも安心できる。
「頼んだ物は買えた?」
「一応、全部揃えてきたよ。足りないものは無いはず」
「あら、ありがとう」
「礼には及ばないよ」
「そうですよ。アタシ達はここに住まわせてもらってる立場なんですから遠慮しないでください」
「遠慮しないでと言う言葉はそのままお返ししようかな。貴方達も私に遠慮しないで、母親だと思ってくれても良いんだからね?」
彼らと女性に血の繋がりは無い。更に言えば、当然だが少年と少女も。
「今までこういう事は無かったんで、まだ慣れないかな」
ぎこちない笑みを浮かべる少年だがそれも仕方の無いことである。
少年は親と言うものを知らない。幼い頃から罵声と暴力を浴びせられる毎日。そんな苦痛に耐えかね少年はある日家を出た。一人になるには勇気が必要だった。それでもこの場所から逃げる為ならと自分を奮い起こし、夜の森を彷徨った。色んな音と気配が入り混じる森で、何度も泣きそうになった。その度に空を見上げ、煌く星々に希望を貰った。
『キミ、一人?』
それは朝だったか夜だったか。眼も開けないほどに泣きじゃくっていた時に、その精霊は声をかけてくれた。それが少年と少女の出会いだった。
かく言う少女は、気がついたらその場所にいた。と言う一文で、全てを語ることが出来る。誰も気がつかない時に、自分が意図したわけでもなく存在させられてしまう。最初こそ困惑したが時間が経つにつれて困惑さえ冷めていった。精霊にとって時間は意識できるほど貴重ではないのだ。そんな時に少年を見つけたことは奇跡に近いものだと少女は思っている。絶対に言葉にはしないが。
「さて、じゃあちょっと待っててね。今からご飯作るから」
「アタシも手伝います!」
「あら、有難う」
女性に会ったのはおよそ一年ほど前だ。この街に入ってきた頃、食べるものもそれを買うお金も無く、路地裏で二人して蹲っていたところを拾ってくれたのだ。子を授かったことがないと言う女性は、彼らを我が子のように可愛がってくれる。それに感謝をしつつ、恩を返すべく女性の手伝いをしているのだ。
「悪い、俺ちょっと出てくる」
「すぐ帰って来いよー。じゃなきゃアンタの分まで食べてやるから」
「あいあい。すぐ戻るよ」
「気をつけてね」
二人の声を背後に少年は重い木の扉を開けた。
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少年はもう一度、市場へと向かった。正確に言えば市場の先にある時計台へと向かった。
ずっとここがお気に入りの場所だった。親とは呼べない大人に連れらて街に出て、当然のごとく一人で放られたときに決まって訪れた場所だった。精霊と出会ってからも、彼女と共に女性に拾われてからも、気が向いたときに特に理由も無く足を運んでいた。
「ふはぁ~、涼しい……」
時計台の影で体から熱を逃がす。丁度そのとき鐘が鳴った。それを境に市場の賑わいは徐々に落ち着きを見せ始め、五分もしないうちに辺りは先ほどの喧騒が噓のように静かになった。
「……」
空を見上げる。雲ひとつない快晴の空はどうしようもないくらいに青くて、綺麗だった。意味も無く手を伸ばしてみる。届くはずも、そもそも手にしたい物も無いが何となく。そろそろ帰ろう。でないと俺の昼食が無くなってしまうな。そう思い、腰を上げた。名残惜しいわけはないけれど、時計台の上を見上げる。近くで見ると時間なんて見えず針が線のように見えるだけだ。
『助ケテ欲シイ』
「……っ!」
不意に何処からか声が、いや頭の中に直接響くようにして声が聞こえた。 辺りに人がいるわけではない。性質の悪い精霊のイタズラでもない。酷く悲しげで重い想いで満ちていて、まるで悲しき槍で心を貫かれているようだ。
「だ、れ、だよ?」
掠れた声で、荒れた呼吸でそう問うた。心臓が警鐘を鳴らす。
『誰デモ良イ。助ケテクレ』
「俺の問いかけには無視かよ」
暑さとは別の汗をかき得体の知れない恐怖に強がるように口角を上げて少年は言う。
「……あぁ、もう。行けば良いんだろ行けばっ!」
声のする方向が分かるわけでない。思考するよりも先に足が動く。何処へ向かっているか頭は理解していない。けれどもこの足が向く先に声の主はいると直感した。前から後ろへと風景が飛んだ先に辿りついたのは、一本の路地裏だった。
「アンタが、俺を、呼んだんだよな?」
両膝に手をつき、乱れた呼吸を整えて聞いた。
「オマエガ、ワタシノ声ヲ聞イタノカ?」
「だから、それを俺が聞いてんだろうが」
「助ケテ欲シイ」
まだ完全に整っていない呼吸で見た先には、鮮血のように真っ赤な瞳の老人がいた。角ばったような声で、おおよそ美しいとは言えない話し方。まるで、ノイズの奥にトーンを置き忘れてしまったようだ。聞き取るだけで色んなものが擦り切れていく。
「見ズ知ラズノ、幼キ者二全テヲ委ネテシマウ我ラヲ、ドウカ赦シテクレ」
老人は、困惑する少年に線とも見えるか細い指を伸ばす。小さく小刻みに震えるその腕は、触れることさえ躊躇ってしまいそうなほどだ。
「少年。世界ヲ託ス……」
困惑と恐怖さえ無かったものにしてしまうような微笑を浮かべ、コツンと指を少年の額に当てた。
「……っ!?」
刹那、燃えるような痛みが、身に染み入るような絶望が、無数の絵となり画となって少年の脳を蝕んだ。
詩のように紡がれる言葉。紅く染まる大地。黒い羽の何かと白い翼の何か。空の上。泣いたように笑う黒。弾け飛ぶ無数の光。嘆くように突き出す紅。悟った蒼。眼を逸らす緑。黒が笑う。笑う。
『お前、自分が何をしたのか分かっているのか!?』
『うるさいよ。……私にはもうこれしかないんだ』
火柱の中で黒と白は睨み合う。白の剣幕に臆することなく黒は睨み返す。
『もう一度だけ、弁解の機会をくれてやる。だから何故だ。答えろっ!』
『……世界を、壊すため』
理解しえない空の上の戦場を、少年は見ていた。
「なぁ、爺さん。アンタは俺に何を見せたんだよ?」
老人は短く応えた。
「アイツヲ頼ム」
「いや、だから」
問い直そうとすると額から指が離れた。力なく垂れ下がった腕。俯いた表情は、酷く満足しているようで後悔しているようで。それからほどなくして、老人は光となって弾けて還った。
「……くっそ。何なんだよ結局」
少年の問いも虚しく、それは世界に馴染んで消えた。きっとこれから厄介な事が起こる。少年はそれだけを確信した。黒い羽と白い翼。おおよそ自分のいる世界では考えられない力の数々。頼まれたアイツとは誰なのか。どうして世界を託されたのか。謎は深まり、捻じれ、絡み合い、思考を鈍化させる。
「夢であってほしいんだがな」
戦場だった空を仰ぎもう一度老人のいた場所を見た。しかし先ほど儚く消えた老人がもうその場にいることはなく、薄暗い路地裏には少年が一人、呆然と立ち尽くしているだけだった。暑さは厳しさを増し必要以上に体を刺す。だが、うつむいた少年から汗が落ちることは無かった。




