二十一羽目
久し振りに学校に行くと、そこは戦場だった。誇張とか比喩とかではない。飛び交う罵声の数々。東奔西走、いたるところで生徒が走り回っている。
「……これ、一体どういう状況ですか?」
「……」
「ノーコメントですかっ!?」
三年も通った学校のことだ。この状況を説明できないはずが無い。ただ面倒だ。この状況を見て全てから眼を逸らしたくなったのだ。
「じゃ、雫の代わりに僕が説明してあげよう」
「うわぁ!」
「いい加減、背後から出てくるの止めないか?」
「姫路ちゃん久し振りー」
ニコニコと手を振る姿が腹立たしい。こいつの隠密行動は何とかして欲しいものだ。急に背後から現れると誰でも驚く。
「お久し振りです東さん。それで一体この状況は何なんですか?」
「実はね、もう少ししたら文化祭なんだ」
「文化祭。ですか?」
「そう、文化祭。楽しいよ。ね、雫」
「……さぁな」
文化祭。色んなクラスがそれぞれに展示をしたり、売店を出したりして学校一環で楽しもうと言う行事だ。生徒だけでなく外部からも多くの人間が来る様子はうじゃうじゃしていて気持ちが悪い。
「ほうほう。中々楽しそうじゃないですか」
「それはそれはもう、とても楽しい行事だよ!」
泰樹のテンションが高い。
「……それで、どうして飯ヶ谷さんはテンションだだ下がりなんですか? 聞く感じだととても楽しそうなイベントじゃないですか」
「……はぁ」
仕方が無いことだがポンコツはまだ知らないのだ。今の会話で語られた文化祭と言うものが儚い幻影であると言うことを。この学校の呼び名は時ヶ峰高校。そしてまたの名を〝化物の巣窟〟一般生徒と化物が共に学ぶ場所。そんな場所でごく普通の行事が行われるわけがないのだ。
「じゃ、雫に姫路ちゃん。調査から帰ってきたばかりで悪いんだけど、また荷造りしておいてね」
それじゃ、と肝心なことを完璧に端折って泰樹は駆けていった。あいつの悪い癖だが、気分が乗ると自分の言いたいことを弾丸のように言い放ってしまうのがある。お陰で何度、校長に聞き直しに言ったことか。
「飯ヶ谷さん、私は説明を求めます」
「だよな」
と言うことで説明を始めよう。
端的に言うと、この文化祭は一般生徒と化物で違うことが行われるのだ。一般生徒が普通に文化祭を楽しんでいる間に、化物は別の場所で他のことをする。校長は粋な計らいだと言っているが、俺としては無粋な計らいだと思う。
「それで、実際には何をするんですか?」
「生徒会と校長が主催する───」
ゆっくりと息を吸い直して、俺は言う。
「対抗戦だ」
対抗戦。この学校内にいる全ての化物を二組に分け勝負させるという行事だ。これも何か面白げな種目が沢山あれば俺もここまで嫌にはならないのだが、残念な事に一種目だけだ。ではそれは一体何なのか。簡潔である。一対一の戦闘と言う、肉体労働だ。
「つまり飯ヶ谷さんは面倒だと、そう言いたいんですね……」
「よく分かるようになってきたじゃないか。めちゃくちゃ面倒だぞ」
「でも楽しそうじゃないですか?」
「何故?」
「だって他の化物と戦えるんですよね。そんなの面白い以外ありえないじゃないですか!」
「……」
軽く眩暈がした。
「……まぁ、楽しめればいいんじゃないか」
眉間を押さえて俺は言う。
「はい!」
非常にご機嫌なご様子の天使様とは裏腹に、面倒くさがりな悪魔は憂鬱である。
「詳しいことはまた校長から連絡があると思うが」
「いやー、本当に楽しみですねぇ。久し振りに私も体動かしておこうかな」
「聞いてるか?」
「そうだ。天界に行くのも……」
「いいから聞け!」
「ぎゃー」
痛みって大事だなと思うので手套を振り下ろしてやった。俺とポンコツでは身長差があるから、多分かなり痛い。それにしてもテンション上がりすぎだろこいつ。
「詳しい話は校長がするからそれまで大人しく待ってろ」
「……あい」
痛みで廊下にうずくまっているポンコツを引きずって俺は教室に入るのだった。
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退屈な授業もほぼ寝て過ごし、気がつけば放課後になっていた。特に何も無いだろうと思い、帰り支度を整え足早に教室を去った。だがしかし、階段を下りてすぐの踊り場で校長に捕まった。
「よっ、お疲れ」
「アンタのせいで疲れは倍増しそうだよ」
「相変わらずその口は減らないな。まぁそれはともかく、姫路を連れて私の所に来い。用件は、言わなくてもいいか」
「はぁ。大方、対抗戦のことでしょう?」
「その通り。じゃ、早く来いよ」
颯爽と踵を返して階段を下りていく背中を眺め、俺はもう一度溜息をついた。
ポンコツを撒けたと思ったんだがな。残念だ。そうこうしている内にきっとあいつは来る。
「あぁ、飯ヶ谷さんこんな所にいたんですか!?」
「ほらな」
「ほらな、じゃないですし、酷いですよ。置いて行くなんて。まぁ、習慣化されつつあるので慣れはじめましたが」
「その調子でずっと俺に撒かれてくれ」
歩きだすとポンコツも急ぎ足でついてきた。
「監視者としてそこは譲れません」
「初日に監視対象に公言するポンコツだがな」
「……それは言わないでください」
眼が虚ろだ。どうやら未だに気にしているらしい。
「まぁ、このまま帰ってもいいが、残念なことに校長がお呼びだ」
「帰ったら燃やすって言ってました」
「何をだよ。てか会ったのか」
「いえ、会ったのは今朝方ですが」
「あの魔女本当に何なんだ」
「現段階での最強の魔女、でしたっけ?」
「魔女じゃなくて悪女の間違いじゃないか?」
そんなくだらない話をしながら校長室へと向かう。階段を下りて一階まで行き、そこから左に行けば校長室だ。ちなみに右に行けば職員室である。顔を右に向ければ、ちらほらと生徒が出入りしているのが見受けられるが、一方の左側は物静かだ。
基本的に校長室に行くのは化物ぐらいだし、と言うかそもそも校長がいること自体が怪しい。本当にどうしてアレが時ヶ峰のトップなのだろうか。謎である。
「私がトップで悪かったな」
「うわっ」
「ぴゃぁ!」
ニコニコとどこか凄みを感じさせる笑みで校長が背後に立っていた。泰樹にせよ校長にせよ、いい加減背後に立つのは止めて欲しい。ここに来てまで背後に意識を配りたくはない。
「揃いも揃って酷い反応だな。まぁ兎も角、早く入れ」
酷い反応ではなく正常な反応である。
「相変わらずごちゃごちゃした部屋だな」
入ってすぐに上から下まで散乱している紙を、校長は手の動きだけで適当の退かした。それからパチンと指を鳴らし、何処からともなく椅子を二つ出現させた。どちらも高難度の魔法ではないが、一切の無駄が見られないその動きは尊敬すべきことだ。徹底的に無駄を削ぎ落とせば、他の魔法に割ける魔力が増える。これがどれだけ重要な事かは言わずもがなだろう。
「報告書とか色々多いんだよ。コーヒーと紅茶どっちが良い?」
「珈琲」
「じゃあ私もコーヒーで」
普通の人からすれば、校長にコーヒーを淹れてもらうなんて考えられないことだろう。しかし、校長が使っているコーヒーメイカーは特注品であり、誰にも使わせようとしない。何処で売っているのかと聞いてみるのだが、毎回決まってはぐらかされる。困ったものだ。
「さて、それじゃ始めようか」
「対抗戦の説明ならポンコツだけでも良かったんじゃないか?」
「いやいや駄目ですよ。だって私は飯ヶ谷さんの監視者ですし」
「初日でバレたがな」
「今日だけで二回も言いますかねそれ!?」
「まぁ、落ち着け」
俺とポンコツのくだらないやり取りをカップ片手に校長は嗜める。
「姫路は対抗戦については何も知らないんだよな?」
「いえ、飯ヶ谷さんから簡単に聞いてはいます」
「そうか。なら少し捕捉といった感じだな」
校長はカップを片手に話し出した。
「対抗戦はこの学校にいる化物どもを二組に分け、競わせるってのは知ってるよな?」
「競わせると言うか、ただただ個人で戦うだけだがな」
「今まではな。だが今回は以前よりも人数が集まりそうだからな。そう言ったら、同じことしててつまらないだろう。趣向を変えろと上のチビ、もとい大神が言ってな」
「具体的には?」
「二組に分けるのは変わらないが、勝負の決め方を変える。勝利数の多い方が勝ち、ではなく集めたポイントの合計で勝敗をつけるんだ」
「ポイントを集める、ですか?」
ポンコツは頭を捻っている。俺も良く分からない。
「散らばってるポイントを集めるみたいな感じか?」
「あぁ。だがそうなると戦場は広いほうが良いだろう?」
それはまぁ、確かにそうだ。狭い場所で隠したところで化物どもは数分もしないで全てを見つけきってしまうだろう。色々と変な能力を持っている輩が多いからな。というか戦場とか言うな。
「てことで、今回の対抗戦の場所は近場の森林だぞ」
「私つい最近行ったばかりなんですけど」
「既に許可は取ってあるから問題は無い」
「無視ですか!?」
本日二度目の無視をくらうポンコツ。
森林なら広さは十分にあるし、魔法を使っても問題はない。大神だったか誰だったかは知らないが、あそこには強力な多重結界が張ってある。そんじょそこらの魔法では自然破壊にはならない。
「で、具体的にはどうなんだ?」
「前日に私が森林のありとあらゆる場所にポイントを隠しに行く。制限時間は三時間。ポイントの詳細だが、合計は五〇〇で一から十までの五十枚だ」
「ポイントって見つけたらその時点で見つけた化物の物になるんですか?」
「残念だがそう簡単にはしていないぞ。制限時間内であれば何をしても構わん」
「なるほど。だから森林か」
「どういうことですか?」
未だによく分かっていないかポンコツは小首を傾げて俺と校長を見る。
「つまり探しに行かなくても、ポイントを持ってるやつから力ずくで奪うのも一つの手段なんだよ。五十枚なんてあいつらならすぐに見つけるだろうし」
「ご明察の通りだ。探すのも奪うのも自由。勝負するのも逃げるのも自由。魔法だろうと物理法則を捻じ曲げるのも自由。好きなように力を奮って勝敗をつける。それが今回の対抗戦の趣旨だ!」
興奮気味に言う校長。毎回この時期はテンション高いんだよな。と言うかそれ、結局今までと変わらず個人戦じゃないか。ポイント集めなんてただのオマケじゃないか。
「ま、そう言うことだよな」
「心を勝手に読むんじゃねぇ……」
「対抗戦の日程は文化祭と同じだ。それまで各々しっかりと準備しとけよ」
「ラグイル了解です!」
軍人のように敬礼をするポンコツを横目で流しながら俺は、肩を落とした。
「相変わらず珈琲は美味しいなぁ」
「現実から眼を逸らすなよ前回王者」
「飯ヶ谷さんあれだけ面倒だとか言ってた割りに前回勝ったんですか!?」
「あー、五月蝿い五月蝿い。おっともうこんな時間だー。帰るぞポンコツ」
笑えるくらいに棒読みだった。絶対に俺は俳優なんて出来ないだろうなと思った。残りの珈琲を飲み干して立ち上がり、ポンコツの背中を押すようにして扉に向かう。
「ちょっと、押さないでください。自分で歩けますから!」
「いいから早く歩けー」
「じゃ、準備しとけよ」
右手で手を振りながら校長は何かの書類を睨み付けていた。この魔女もこの魔女なりに大変なのだなと、ほんの少しだけ同情した。それからそんな感情必要ないなと思い返した。
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「雫たちには説明したんですか?」
「あぁ、ついさっきな。お前と入れ違いだったよ」
東泰樹の問いかけに彼女は机から眼を離さずに答えた。ふらふらとしているイメージの強い彼女だが、実際は至る所で動き回っている。魔女の頂点に立つ彼女は、それだけでやることが格段に多いのだ。
「なぁ白鯨、これちょっと手伝って」
「自分の仕事は自分でしてください」
「……ちっ」
恨めしそうな視線を送られるが、東泰樹は涼しげな表情だった。
「今年の対抗戦はいつにも増して面白くなりそうですね」
「何もなければな。もっとも何かあっても私が対処するんだが」
「期待してますよ」
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六月の湿度の高い帰り道。ポンコツの絡みも相まって物凄く鬱陶しい。
「聞きたいなー。飯ヶ谷さんの対抗戦の話聞きたいなー」
「止めろ語尾を延ばすな鬱陶しい」
「えぇー」
「まぁもう少ししたら対抗戦なんだ。落ち着け」
「むぅ、仕方ないですね」
聞き分けの良い天使で助かる。対抗戦が行われるのは六月三十日。今日から二週間程度、学校は更に熱気を増すだろう。その裏で化物たちはのんびりと魔力調整をしたり、気が済むまで寝たりする。一般生徒の手伝いをしなくて良いのかと思われるかもしれないが、そこに関しては校長が色々と手を回しているので全く心配ない。
「あっ、六月三十日って夏越の祓じゃないですか?」
「なんだそれ」
「一年も半分が過ぎたので、心身を清め厄を払いましょうというやつです」
「そんな日に肉体労働を強いられるなんてな……」
「まぁまぁ、楽しんで行きましょうよ!」
力強く握られた右手には仄かに蒼い魔力が熾されていた。




