二十羽目
長かった調査も終わり今日は休日である。報告は週明けでいいと校長が言っていたので、わざわざ今日出向くことはない。とは言え身についた習慣を簡単に変えられず、普段通りに目が覚めてしまった。現在時刻は六時過ぎ。
ポンコツは相変わらず起きてくる気配がない。昨日帰ってくると既に眠っていたようで、声をかけることはできなかった。あれもあれで疲れたのだろう。今日ぐらいはゆっくり寝かせてやるか。
「さてそれじゃ俺は何をするかな……」
取り立ててやることが無いのはいつもの事なのだが、いつもはポンコツがいるからな。退屈したくても退屈になることが残念ながらないのだ。おもむろにテレビをつけると、画面の向こうではリポーターがパフェを紹介していた。
『これ凄く美味しいですよ。甘くてふわふわしていて食べ応えがあります!』
朝からパフェの紹介もどうかと思うが、少し甘いものが食べたくなった。具体的に言えばスイーツが食べたい。台所を漁り何が残っているかを確認する。一週間も空けていたからか、思いのほか材料が無い。と言うか殆ど残ってなかった。かろうじて卵とグラニュー糖、それからチョコレートとベーキングパウダーはあった。これで作れるのはあまり無いが、人の多い場所に食べに行きたくもないし買いに行くのも面倒だ。
「よし、プリンとチョコバーでも作るか」
テレビに影響され甘味に飢えた悪魔がそこにはいた。
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まずはプリンから作るとしよう。レシピとしてはこんな感じだ。
〝カラメル〟
・水(大さじ一)
・グラニュー糖(四〇グラム)
・お湯(二〇ミリリットル)
〝プリン〟
・卵(一個)
・砂糖(二〇グラム)
・牛乳(一〇〇ミリリットル)
・生クリーム(三〇ミリリットル)
材料をズラッと並べてフライパンを出す。水を中に敷きその中にグラニュー糖を入れる。中火でジリジリと熱していく。徐々に色が白から黄色に変わり茶色のような黒のような色になれば火を止めて、色止めの為にお湯をまく。いつ火を止めるかというのは誰に聞いても、なんとなくだと思う。火を止めるのが遅ければ苦くなるし、かと言って早すぎてもいい甘さにならない。つまり経験による勘なのだ。
出来たカラメルをココットに注ぐ。分量的に四つ分で作っている。ポンコツが食べたことあるかどうかは知らないが、二個は普通に食べるだろう。俺には想像もつかない量をいつも食べるからな。
ボウルに卵を落とし、グラニュー糖を加えて手早く混ぜる。ザラザラとした感じが無くなったら二回ほどこして、それをココットに静かに注ぎ上からアルミホイルを被せる。
蒸し器があれば良かったのだが、生憎そこまで調理器具は揃っていない。蒸し器の代用は鍋で十分だ。ココットを鍋に置き、その半分ほどまでお湯を注ぐ。あとは弱火で七分蒸して、最後に火を止めてもう七分蒸して冷やせば完成だ。
プリンを蒸している間にチョコバーに取り掛かる。こちら簡単で材料も少ない。
・チョコレート(三枚)
・ココアパウダー(大さじ一)
・牛乳(一五〇ミリリットル)
・卵(一個)
・ベーキングパウダー(一袋)
別のボウルにベーキングパウダーとココアパウダーを投下し混ぜ合わせ、そこに牛乳と卵を加えて再び混ぜ合わす。ほどよく混ざったらレンジに五分ほど突っ込む。その間にチョコレートを細かく刻んでおく。レンジが鳴ったらボウルを取り出し、刻んでおいたチョコを入れ替えで入れる。チョコを溶かしている間に、ボウルの生地をフォークでほぐす。本来ならここに荒く砕いたカシューナッツを加えれば食感が楽しいことになるのだが、唐突に思いついたので無かった。
甲高い機械音が時間が過ぎたことを告げる。中からチョコを取り出しスプーンで形の残っている物を完全に溶かし、生地に流し込んで更に混ぜ合わせる。チョコの甘い香りが台所一杯に広がる。
満遍なくチョコと生地が混ざったら弁当箱にラップを敷いて詰め込んでいく。しっかりと詰め込むのがポイントである。ギュウギュウと詰め終わったら、これまた冷蔵庫で冷やして完成である。
「よしよし、我ながらいい出来じゃないか」
お菓子作りの技術も母から鍛えられたものだ。朝は決まってトーストしか作っていないが、教わった料理のレパートリーは沢山ある。ただただ朝は面倒なだけなのだ。決して作れないわけではない。
片付けもすみ、リビングでお茶を飲む。コーヒーブレイクならぬお茶ブレイクだ。テレビは点けっぱなしだった。時間は最初に画面を見たときから一時間ほど経過していて、もうそろそろ朝食の時間だ。ポンコツは未だに起きてくる気配がない。このまま寝かせておいても良いような気がするが、俺は優しげな神様ではないので叩き起こしに行く。
ポンコツを叩き起こすのも、一週間しか経っていないのに酷く久し振りな感じがする。扉を開ける。何も変わっていない風景の右側に、ふわりと膨れ上がった掛け布団が規則正しく上下している。そっと布団を捲くると、気持ちよさそうに寝息を立てるポンコツがいた。
普通の人間ならこの寝顔を見れば一撃なのだろう。だが残念なこと慣れというものはかくも恐ろしく、最早何も思うまい。さて、それでは一週間ぶりの拳といこうか。ゆっくりと小指から握っていき、親指で四本を固定する。天高く、いやこの場合は天井高く拳を振り上げ、一切の躊躇無く叩きおろす。
「ふんっ」
「ぴゃーー!」
「起きろポンコツ。久し振りだな」
「うにゃ、いいがやひゃんでしゅか……?」
寝起きで呂律も意識もまともな状態ではないな。金色の髪はあらゆる方向にボサボサと向いており、碧い瞳も淀んで見える。そう、これがポンコツだ。眼をごしごしと擦りゆっくりとポンコツは眼を開けた。すると突然こんなことを言った。
「あぁ、私。ちゃんと帰って来れたんですね」
「何を言っているのかは知らんが、早く顔を洗って髪を梳かして来い。寝癖が酷いぞ」
「ふぁ~い」
張り詰めたような表情が少し気がかりだったが、次の返事にはそれを一切感じさせないような呑気なものだった。だから俺は気のせいだと言う事にして深くは考えなかった。そのときにしっかりとポンコツに聞けていたのなら、これから先に待ち受ける結末は変わっていたのかもしれない。
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「改めましておはようございます。飯ヶ谷さん」
「あぁ、おはよう。よく眠れたか?」
「それはもうぐっすりと」
例にもよってハニートーストを食べながら俺とポンコツはくつろいでいた。
「そう言えば飯ヶ谷さんは昨日私よりも遅かったですよね?」
「あぁ、色々と大変だった」
「それはそれはお疲れ様でした」
ペコリとポンコツは頭を下げた。気がつけば四枚あったトーストは既に無くなっていた。
「それで、今日は何か予定があるんですか?」
「特に無い」
「即答ですか」
「調査終わった次の日ぐらい予定なんてなくてもいいだろ」
ま、それもそうですね。とポンコツは納得した。会話するような話題もなく、沈黙で室内が埋まる。聞こえてくるのは時計の秒針が進む音だけだ。
沈黙、と言うか空白は嫌いじゃない。何も無いと言うことは何も考えなくて良いと言うことだ。辛いことも悲しいことも全部忘れて考えなくてすむ。だがまぁ、完全なる空白と言うものは存在しない。今だって外では鳥が鳴き、子供の楽しげな声が聞こえてくる。それがあまりにもこの世界に見合いすぎていて、思わず俺は笑みをこぼしてしまった。
「何か良いことでもあったんですか?」
「そうだな。お前とここで羽を伸ばせて良かったよ」
「それはどうも、光栄なことですね」
迷宮に潜ってから改めて今の日常が大切なのだと感じた。明日が必ず来るわけではない。だからこそ今ある時間を大切に生きていかなければならないのだろう。キュニアスや始まりの魔女の態度からして俺には何かが眠っている。思い出すことも出来ないが、世界を揺るがすような忽せに出来ない事がきっとある。
「あぁ、そうだ。プリンとチョコバー食べるか?」
「プリンとチョコバー?」
なんですかそれ、と首を傾げるポンコツ。やはり知らなかったか。まぁ、こいつは天界にある物以外はまったく見たことがないのだろうし仕方が無いか。
「どっちも甘いぞ。食べるか?」
「食べます」
勢いよく手を上げて体を前のめりにするのを完璧にスルーし、俺は冷蔵庫に向かった。この二つに合う飲み物が何なのか分からないので、普通にお茶を取ったが恐らく正解だと思う。
「ほれ。右がプリンで左がチョコバーだ」
「なにやら不思議な食べ物ですね」
「お前が初めて見る物は大抵そうだろうが」
「否定はしません」
「そんなことより食べてみろ。美味しいから」
「では失礼して」
ポンコツはスプーンを手に取った。どうやらプリンから食べるようだ。
俺のプリンは少し甘めに作ってある。だからカラメルの方は少々苦めにすべく火止めは遅くしているが、今回は寝起き故にそこまで明確な差は出せていない。
「これ凄いですね。何から出来てるんですか?」
「卵と砂糖だ」
「ほへぇ~、それだけでここまで美味しい食べ物が作れるんですか!」
「甘味のレシピに関しては俺の完全オリジナルだからな」
「あのあの、プリンとやらは甘いのでそれと釣り合いを出す為にこの黒いのは苦めにしてるんですか?」
「……」
「どうかしましたか飯ヶ谷さん?」
「いや、よく気がついたなと」
本当によく気がついたと思う。作った俺でもポンコツと同じ立場なら気がつかなかっただろう。
「その黒いのはカラメルって言うんだ。砂糖を熱したやつで、熱しすぎると苦くなるから加減が難しいんだよな」
「材料の割りに作るのは難しそうですね」
「まぁな。今度時間あるときにでも一緒に作るか?」
「それは何とも素敵な提案ですね。是非ともご一緒させていただきます!」
ニコニコと嬉しそうなポンコツを見ると作ってよかったなと本当に思う。お菓子にせよ料理にせよ、これらの本髄はやはり誰かに食べてもらうことだ。食べてくれる人が美味しいと思ってくれるのを作る。これが一番大事であって、一番のやりがいなのだ。実際に俺も一人の時よりも、ポンコツが来てからの方が料理の質が上がっている。慢心ではなく事実だ。
「ほら、お茶飲んでからチョコバーも食べてみろ」
「ではでは失礼して」
「おぉ、これまた何とも美味ではありませんかっ!」
「……お前さっきからキャラおかしくないか?」
「いや単純に美味しすぎて感動してるんですよ!」
「……そうか」
これでもかと言う熱量で言われてしまっては仕方が無い。まぁ美味しいと思ってくれるのなら俺も嬉しい。
「こっちもこっちで美味しいですね」
「だろう?」
チョコバーを上機嫌に頬張るポンコツの姿はさながら小動物のようだ。チョコレートは大目に使っているからしっとりとした食感になっている。更に言えばミルクを二枚、ビターを一枚という割合にすることでくどすぎない甘さになるのだ。
「ふぃ~、ご馳走様でした」
「お粗末さま」
「と言うかこれ一体いつ作ったんですか?」
「起きてからだな。俺も疲れていると思っていたんだが、案の定いつも通りの時間に起きてしまってな。適当にテレビを点けるとパフェの紹介をしていたから食べたくなったんだが、材料が足りず急遽プリンとチョコバーに変更したわけだ」
「なるほど。じゃ、今度は一緒にパフェ作りましょうよ」
「作るのか?」
「もちろん喫茶店とかに食べに行っても良いんですが、飯ヶ谷さんが知っているはずもないでしょうしね?」
「それはまぁ、図星だが」
「でしょう。だから一緒に作りましょうよ」
満面の笑みでそう言うからには本当に作ることになるだろう。それを楽しみしてしまっている自分がいるのが何とも可笑しくて不思議だった。本当に少し前までは煩わしいと感じていたはずなのに、もうすっかり馴染んでしまっている。俺も天使様に毒されてきているということか。
「はてさて飯ヶ谷さん?」
「うん?」
「さきほどの話を伺う限り、この部屋にはもう殆ど食材が残っていないのではないですか?」
「あぁ、そういえばそうだな」
買出しに行かなければ夕飯も作れない。しかも明日はちゃんと学校があるのだから弁当も作らなければならない。
「じゃ、買出しにでも行くか。この時間ならもう何処も開いているだろ」
時間はもう十時を過ぎていた。ポンコツが起きてからもう二時間も経っていた。
「そうですね。では久し振りに空でもどうです?」
「一杯どうですみたいなノリで誘われてもな」
元来、空を飛ぶのも魔法を使うのも原則としては禁止なのだ。まぁこれも形だけの規則のようで、校長や泰樹も含めて魔法は使うし空も飛ぶ。認識阻害と言う便利な魔法もあるのだし撤廃してもいいような気もする。
「えぇ~、いいじゃないですか!」
膨れるポンコツは本気で飛びたいと思っている訳ではなさそうだったが珍しく俺も空を駆けたかった。だから今日は同意してやろう。
「そうだな。まぁ今日ぐらいは良いだろう。付き合ってやるよ」
「流石ですね飯ヶ谷さん。すぐ支度します!」
「俺も身支度あるんだからゆっくりでいいぞ……ってもう聞こえてないか」
こうして天使と悪魔は一週間振りの日常を謳歌するのだった。




