十九羽目
「……うむ」
「おぉ、やっと起きましたか」
重い頭を上げ、うっすらと見える視界の先には不貞腐れたようにも見えるキュニアスが仁王立ちしていた。
「……どのくらい寝ていた?」
「おおよそ二日ほど」
「そんなにか」
どうやら魔女の世界とこちら側では時間の流れに幾分かの違いがあるようだ。
「あぁ、そういえば」
「はい?」
「〝始まりの魔女〟がよろしくってよ」
「は?」
ピシッと何か亀裂が入ったような音がした気がする。見ればキュニアスは固まってしまってピクリとも動いていない。首を捻っていると、徐々にワナワナと体を震わせるやいなや、カッと眼を見開いて俺の胸座を両手で掴んで来た。苦しい。
「貴方、本当に会ったの? あの引き篭もりの魔女に!?」
「別に今回が初めてではないがな。と言うか苦しい離せ」
「良いから答えないさい。何を話したの。いえ、そもそも貴方とエマにどんな接点があるの!」
胸座を掴んでいた両の手は今、これでもかと言う力で俺の喉を絞めている。あ、ヤバイ。力が抜ける。
「良いから」
魔力を溜める。
「離せって!」
そして思い切り爆発させると、思いのほか衝撃が強くキュニアスは飛んでいった。
「貴方、私を殺す気!?」
よろよろと戻ってきながらキュニアスは叫んだ。
「げほっげほっ、それはこっちの台詞だ……」
お互いに肩で息をするほどに焦る場面だった。ゆっくりと深呼吸をして息を整える。寝起きの体に苦行を強いてしまった為か異様に疲れた。
「魔女からは聞いた話は、俺が禁術を使った事ぐらいだ。後は自分でもどこまで伝えて良いのか分からないらしく、大神と話をしてくるんだとさ」
「それ本当ですか」
にわかに信じられないとでも言うような冷たい視線が帰ってきた。酷いなこいつ。
「こんな話で嘘をついても仕方がないだろうが」
「……それもそうですね」
渋々とキュニアスは頷いた。それから満点の星空を見上げて、こんな事を言い出した。
「この世界も随分と変わったようで、実は全く変わってないのですね」
「どういう意味だ?」
「いえ、単なる言葉の綾ってやつですよ」
怪訝な表情で首を捻る俺を見て、キュニアスは微笑むだけだった。その先は聞いてはいけないような気がするので俺も聞くのは止めておこう。
「さて、これから貴方はどうするんですか?」
「そうだな。まだ日は残っているしもう一度塔の中にでも潜ろうと思う」
「あれだけ大変な思いをしてまだ足を運びますか……」
やれやれ、とでも言いたげな冷ややかな視線が帰ってきた。
「調査なんだから仕方ないだろうが」
「はぁ、それもそうですね」
大きな溜息をついてキュニアスは、何も言わずに塔の方へと向かって歩き出した。俺もその後を、三歩ほど遅れてついていく。歩き出したと言ったがキュニアスはよく見ると、浮いていた。
####
塔の中は相変わらず静かだった。それこそ小さな声でも反響して大きな声と錯覚してしまうほどに。直線で進んでいるだけかとも思ったが、下に行く階段があったりした。何段降りたかは覚えていない。
「それで、貴方は一体何を求めているんでしたっけ?」
「いや、求めているも何もこの場所を知ったのが初めてなんだが」
「……それなら少しこの迷宮の生い立ちでも話しましょうか」
「それは有難いんだが、そんな悠長に話していてもいいのか?」
「あぁ、もう大丈夫ですよ。魔物も古代種もいませんから」
涼しげな顔でそう言った。それから如何にも煩わしそうに、緩やかに語りだした。この迷宮と塔の話。それからキュニアスの話を。
「ここはずっと昔、一人の少女が幽閉されていた場所なんです」
「幽閉?」
「そう。この塔の中には歴史上で類を見ないほどの魔力を抱え込んだ少女がいた。人間たちはその魔力を忌み嫌って幽閉し、挙句それを利用する為に十六の塔を建てた」
なんとも人間らしい話だ。それは別に珍しい話でもない。
「にしてもどうして十六なんだ?」
「一本だけだとバランスが取れなかったみたいです。一本ずつ増やして鎖で繋いで、そこから魔力を搾り取って変換して。そして最終的に一番安定したのが十六だったらしいです」
その感じだと多ければ多いほど安定できるのだろうが、費用と場所も限られているのでこれ以上増やす事はしなかったのだろうな。
「もしかしてその塔の少女ってキュニアスだったりするのか?」
「いいえ違いますよ。少女の名前はマデリン。地界へと続く門を開けて死にました」
「……」
絶句。
「少女が門を開けるまでには色々と物語がありますが、そこまで教える義理も必要もないので割愛します」
「割愛の使い方おかしいだろうが」
「言葉って難しいですね」
白々しくそっぽを向くキュニアス。こいつ絶対に思ってないな。
「まぁそんな事がありまして、時間が流れて塔はついに壊されました。そのときに出来たのがこの十六番目の塔であり、十六番目の迷宮なのです」
「なるほどな。一つ聞くがそもそも迷宮って何だ?」
「迷宮と言いますが、言い換えればただの遺跡です。人間や化物が歴史とかを後世に伝える為に出来たのが迷宮です。しかし、完全に安全とも言えなのがこの場所なんですよね」
「どういうことだ?」
「先ほど、いえ二日前に御覧いただいた通り迷宮内には魔物が住んでいます。何故だか」
何故だかて。どうやら精霊も魔物がいる理由は分かっていないらしいな。
「そしてこれまた不思議な事に、本来現れるはずではないこの場所に古代種まで出てきましたと。なにせ魔物の強さと数は、迷宮の番号に比例しますから」
「数が大きければ大きいほど、その分魔物の数も強さも大きくなるって言うことか」
「そうです。更に言えば、最深部にある歴史だったりの重要度も上がります。そして、古代種が現れるのは、四十四番目以降の二十二箇所だけなんですよね」
「にも拘らずここに出てきたと」
「えぇ。案内役を務めるはずの私もビックリですよ。まぁでも他の迷宮で、似たような報告も受けてないですし、あまり深く考えない方が良いかもしれませんね」
そう言えば随分とキュニアスの雰囲気が柔らかくなったようだが、何かあったのだろうか。これもあまり深く考えない方が良いのだろう。そもそも考えられる事でもない。
「さて、もう少しかかりますし次は私自身の話でもしましょうか」
「いや待て。それ自体は有難いんだが急にどうしたんだ」
結局、聞いてしまった。
「いえ少々気が変わっただけですよ。エマと面識があるとは思ってませんでしたし、何よりあの引き篭もりを外に出した所からも考えて多少は警戒を解いても大丈夫なのではと」
「……そういうなら有難く聞いておこう」
「私の事は貴方が知りたがっている事にも繋がっていますし、聞いていて損はさせませんよ」
「どういうことが?」
「いいから黙って聞く」
「はい」
なんだこのデジャブ感。
「私の名前の意味って分かりますか?」
「いや全く」
「もう少し考えてみても良いと思うんですがね?」
いやいや、名前の意味なんて分かるわけないだろうが。と言う言葉は喉の奥に押し込んだ。
「キュニアスっていうのはですね、楔っていう意味なんですよ」
「それはあれか。繋ぎとめるやつか」
「えぇ、そうですよ。たった一つを繋ぎとめておく道具。けれど私はたった一人の化物を繋ぎとめておけなかった」
名前の意味から切り出したキュニアスは語りだす。過去の話を。
####
私が生まれたときの事はもうよく覚えていない。気がついたら自我を持っていて、気がついたら知らない場所に一人で立っていた。それは別に珍しい事でもなく、精霊として今を生きている者なら大抵がそうだ。
覚えている事と言えば、茹だるような暑さで、雲ひとつない煩わしいぐらいの快晴だった事ぐらいだ。周りには何もなかった。人間も化物も、草も樹も、建造物なんて以ての外で。未開拓の地とでも言うべきだろうか。だから私は、当てもなくふらふらと彷徨い続けた。ひたすら真っ直ぐ進む事もあったし、左や右にだけ進んだ事もあった。もしかしたら元の場所に戻っていた事もあったのかもしれない。
やがて、景色が変わった。息を呑むという表現があっているのかは知らないが、酷く心を揺さ振られたのを今でも鮮明に覚えている。
時計台を見たのだ。
世界の中心に神々しくそれはあった。誰に言われるでもなく理解した。これが、この時計台が、私のいる世界を回しているのだと。
「ねぇ君。もしかしてここ初めて?」
声を掛けられた。背中から大きくて綺麗な翼を生やした天使に。
「……」
「あぁ、君。精霊か」
「……」
その問いかけに私はすぐに答える事は出来なかった。自分が何者であるかなんて考えた事もなかったのだから当然だ。しかし答える事が出来ない理由の大本はそれではない。声の出し方が分からないのだ。そもそも会話と言う概念が無く、声という道具の使い方も分からないのだ。仕方が無い。
「うんうん。ゆっくりでいいよ」
そう言って天使は微笑んだ。その微笑みに勝てる表情を私は今まで見たことがない。どのくらい待っていてくれただろうか。声の出し方を試行錯誤している間、ニコニコとその天使は笑顔を絶やす事はなかった。だから私はようやく不恰好な音を発せたのだ。
「ワタシ、ハ……?」
片言で喋ったとは言えなうのだろうけど、声を出して疑問をぶつけられたのだ。
「……あぁー、残念だけど君がいつ生まれたのかは、誰にも分からない。けどね、これだけは確かだよ」
天使は言った。
「君は綺麗な翠色の瞳をした精霊だ」
そこで初めて自分の存在を認識したのだと思う。そこからの時間は飛ぶように早く過ぎていった。天使と一緒に色んな場所を回った。
人間の世界を歩き回って、天界で他の天使に会ったりした。その途中で大図書に足を運んだりした。エマに初めて会ったのも大図書が初めてだった。
「珍しいっすね。貴方ともあろうお方がここにいるなんて」
「それはこっちの台詞でもあります。今日は一体どうしたんです?」
「いえ、ちょっとこの子に教えてあげようかなって」
「へぇ、これまた可愛らしい子ですね。名前はなんと?」
「あぁー……」
「もしかして考えてなかったんですか?」
「恥ずかしながら……」
それに加えて、自分のことも名乗ってはいない。
「ふむ。なら私が考えてあげましょう。そうですね、貴方がここまで連れてくると言う事は何か見込みがあるのでしょうし」
腕を組みながら彼女は考えている。私はその様子を、天使の影に隠れながら見ていた。
「キュニアス。これはどうでしょう?」
「キュニアス?」
「楔と言う意味です。これからの貴方にピッタリじゃないですか?」
「……そうですね」
そのとき天使の表情が曇った理由を私は追々知る事になるのだが、それも次の私に向けられた微笑で忘れてしまったのだ。
「と言う事で、今から君の名前はキュニアスだ」
「きゅにあす」
「そう。キュニアス。これからよろしくね」
「……た、は?」
「うん?」
恐らく今まで生きてきた中で一番、緊張した気がする。
「あなたの、なまえはなんていうの?」
「貴方まさか自分の名前すら名乗っていなかったのですか」
「いやー、あははっ……」
照れたように笑ったあとに、私はようやく天使の名前を聞く事ができたのだ。
「僕の名前はイザラ。神様に仕える天使だ」
####
キュニアスの話を聞いてから俺は言葉が無かった。イザラ。まさかこの名前をここで聞く事になるとは思ってなかった。俺が彼について知っているのは禁術を使っていた事と大神と争ったこと。災厄と呼ばれていたこと。どれもキュニアスから聞かされる話とはイメージが違いすぎる。全くの別人だ。
「大方、自分の知っている印象と違う。とでも思っているんでしょう?」
「……」
図星である。
「まぁ無理も無い事ですがね。彼も堕天する前までは普通の天使だったんですが、それはもう知る者も少ないですし」
「どうしてイザラは、その、堕天したんだ?」
「彼は世界を変えようとしたんですよ。間違いだらけのこの世界を少しでも正しい世界にしようとしたんです」
悲しそうに、それでいて自慢するようにキュニアスは語る。
「本来の目的を知っていたのは私とエマだけでしたけどね。大神様に負けたときは凄くいい表情でしたよ。でも私は、役目を果たす事が出来なかった。キュニアスと言う名を果たせなかった。結局、彼は災厄とまで呼ばれて舞台を降りてしまってますしね。ただまぁ、その、何と言いますか」
一滴がキュニアスの瞳から零れた。気がした。
「もっと一緒にいたかったなぁって」
我ながら執着し過ぎですけどね。とキュニアスは言ったが、恐らく心の底から一緒にいる事を望んでいるのだろう。
「だから私は、彼の二の舞を出さないように。今度は繋ぎとめていられるように、この迷宮の精霊になったんです」
「……そうか。お前も随分と色々あったんだな」
「それ、貴方が言います?」
「どういうことだ?」
「……残念ながらここから先は私の独断では話せませんね」
エマと同じ事を言う。俺も馬鹿ではない。ここまで言われると俺には何かが有るということは分かりきった事だ。俺の知らない何かが俺の中にはあるのだろう。 誰かの許可なくしては、語ることさえ許されない何かが。
「さて、着きましたよ。ここがこの迷宮の最深部で最下層です」
「これは?」
最深部とやらは小さな部屋のようで、その中心に棺が置いてあった。
「まぁ、開けたら分かりますよ」
キュニアスに促され、俺は棺に手を掛ける。思っているよりも軽い。
「これってまさか……」
「えぇ、そうです。かつて大神様と共に終末を闘った一人の精霊。今はこうとも呼ばれていますね」
「〝時計台の精霊〟だろう?」
「そうですそうです。そしてこれは彼女が使っていた物。小さな魔力を倍以上にする反面、使用者の魔力を恐ろしいほどの速度で喰らっていく諸刃の刀です」
手に取ると不思議な感覚がした。刀身に魔力は流れてはいないが、俺の中からぐんぐんと吸い上げられているのが分かる。
「この刀の名前は〝龍殺し〟かつて彼女が一人で龍を獲ったという逸話から名付けられてます」
「そんな逸話があるのか。それにしてもこれ、物凄い勢いで吸い上げられるな。俺なら五分も持たないぞ」
「まぁ、彼女の魔力量は歴史上で他に類を見ないほどでしたからね……」
頭を抱えて説明する様子からして本当に凄かったのだろう。俺が扱う事は無理だろうが、ポンコツならもしかしたらという考えが浮かんでくる。
「なぁ、この片手剣って持ち出しは可能なのか?」
「持ち出すも何も、それはもう貴方のものですよ?」
「いやだが〝時計台の精霊〟の物だろう。それに、これを守る為にキュニアスがいるんじゃないのか?」
「何か勘違いしているようですが、私は一言もそんな事は言ってませんよ」
腰に手を当て呆れながら言う。
「迷宮には色々と歴史に関するものが眠っています。それは武器だったり魔道書だったり様々ですが、それらは既に所有者自体がいない、いわば迷子です。更に言えば迷宮を見つけることが稀ですし、見つけたとしても魔物がいたり、先の見えない暗闇を進むことに耐えられず途中でリタイアするのが殆どです。ですが貴方は魔物と古代種に勝った。それが何よりの理由です」
貴方は十分にこれを持つ資格があります。
キュニアスの言葉は逆らえない圧がある。だから俺は、そうかと有難く受け取ることにした。
「ではそろそろ出ましょうか。なにやら上で待ちぼうけている化物もいるようですし」
恐らく泰樹のことだ。
「でも一体どうやって出るんだ。まさか来た道を逆戻りするのか?」
「いえいえ、流石にそんな面倒なことはしませんよ。何の為に私がいると思っているんですか」
そう言って、キュニアスは慣れた手つきで床に魔方陣を書き出した。これもまた何度か見てきた幾何学的な魔方陣だった。今度エマに呼ばれたときに聞いてみることにしよう。と言うか、自分でも作れるのではないだろうか。
「あぁ、この魔方陣を自分でも行おうなんて間違っても考えないでくださいね」
「何故、バレた……?」
「貴方、結構分かりやすいですから」
「……」
「一応説明しておくなら、この魔方陣は私たち精霊だけに許された特権です。大神様であれ、どんな化物も使う事は出来ませんよ。まぁ分かっていると思いますが、エマだけは例外ですがね」
「なるほど」
「じゃ、行きましょうか」
手招きされ、俺は魔方陣の中に足を踏みむ。キュニアスが魔法を唱えると、眩い光が零れ始め眼を瞑った。再び眼を開けるとそこには。
「ようやく帰ってきたね」
膨れた面をした化物もとい泰樹がいた。
「なんだ貴方だったんですか。知っている感じの魔力だとは思いましたが」
「なんだお前ら面識あったのか」
「色々とね。まぁそれよりも、一体何処にいたんだい雫?」
「こいつの迷宮に潜ってた」
キュニアスを指差し、俺は今までの経緯をあらかた伝えた。
「ふーん。大変だったね雫も」
「お前も大変だったんじゃないのか。大神に会いに行っていたんだろう?」
「まぁ、それは別に大したことじゃないしね。寧ろここで待つ方が大変だったよ」
「悪い」
どうも聞くところによると、迷宮にいた時間は思っているよりも長かったらしい。校長から出されていた一週間と言う期限は既に一日過ぎていた。
「じゃ、僕たちはそろそろ帰るよ。キュニアス、雫をありがとう」
「まさか貴方に礼を言われる日が来るとは思ってませんでした」
「助かったよキュニアス。お陰で色々と知る事ができた」
「知る事は結構ですが知りすぎには注意ですよ。何かを得るには対価が必要ですからね」
「分かっている」
俺と泰樹はキュニアスに礼を言い、十六番目の塔を後にした。
「帰ったら、たまにはポンコツの淹れる珈琲でも飲んでやるか……」
「なにか言ったかい雫?」
「いや、別になんでもない」
そんな事を思ってしまうほどに俺は驚くほどに疲れていたのだった。




