二羽目
果てしなくつまらないLHRも、泰樹の素晴らしい進行によりつつがなく終わり放課後になった。新学期早々だというのに、あちこちから部活動の音が聞こえてくる。軽音楽部の派手過ぎなビート、剣道部の訳の分からない奇声、野球部の耳をつんざく甲高い金属音、などなど周りからは実に様々な音が聞こえてくる。この音を聞きながら屋上で寝転がるのが俺はかなり気に入っている。刻一刻と形を変える雲と、それを許容する空。それは人間なんかよりも、ずっと眺めている価値があると俺は勝手に思っている。だからこそ、俺は今日も部活なんかせず、屋上に足早と向かうのだ。
「ん?扉が開いている……」
屋上の扉が開いているなんてことは珍しく、というか異例なことだ。俺以外にこの屋上に足を運ぶ人なんて、余程の変人はいないはずなのだが。なんとも言えない気味悪さを感じながらも、俺は足を進める。
そして俺は、校長が心配していた理由を文字通り体感する。
「……どうして、お前がこんな所にいるんだ転入生?」
「うぇぁぁ!誰ですか一体どうして認識阻害つけた私の姿が見えるんですか!?」
屋上には、眼を見開き今にも死んでしまいそうな勢いで驚く、大きな翼の生えた姫路・ラグイル・エミリーの姿があった。
「質問に答えろ馬鹿天使。何故ここにいる?ここは俺の場所なんだが?」
「ほっほう、この私を馬鹿天使呼ばわりとは、いい度胸ですね人間?」
「……人間ね。そういうお前は天使で良いのか?まさか転校初日に屋上でコスプレしてるちょっとアレな子とかじゃないよな?」
「アレな子って何ですか!はぁ、仕方ありません正直に言いましょう。ええそうです、私はラグイル。正真正銘の天使です!」
本当に天使だったのか。まぁ名前を露骨に入れてれば、普通は気が付くか。制服を着たたま翼を生やしていても、生地が裂けていないのはあの制服が天使特有の生地だからだろう。背中が大きく空いた服を着たり着なかったりする悪魔とは違い、ちゃんとした服を着て活動する天使たちは、翼を出せるように、五年ぐらいかけて生地に魔法をかけたのだとか何とか。服ごときにそこまで熱心になれる天使様凄い。
「でも可笑しいですね。認識阻害はしっかりかけたはずなんですが、まさか見破る人間がいるなんて……」
「それで、一体お前は何をしてるの?もう一度言うがここは俺の大事な場所なんだけど?」
「屋上が大事な場所って……。まぁもう姿見られたし、話しても良いか。後でバレないように記憶消去すればいいだけだし」
記憶消去とか中々に物騒な単語が聞こえたような気がするが、黙って話を聞いておこう。
「私がここに来たのは、ある悪魔を監視するためです。ここは大神様が建てた学校で〝化物の巣窟〟なんて呼ばれているらしいんです。そしてその呼び方の通りこの学校には悪魔、もとい堕天使がいるのです」
「その悪魔の名前ってのはシルベラだったり?」
「……!?何故、人間がその名前を」
「あぁ、まぁそのなんだ、非常に言いにくいんだが……」
校長やっぱり貴方は素晴らしき魔女だよ。そして貴方の心配事のせいで俺の最後の学生生活は更にめんどくさくなりそうだ。重々しい空気の中、俺は言葉に詰まり、ようやく事実を口にした。
「シルベラの息子って、俺の事なんだよ」
「……は?」
「いやだから、お前が監視するシルベラの息子が俺なんだよ」
「……えぇぇえええええええええ!!」
俺に姿を見られたとき以上に驚き、動揺している姿は本当に名高い天使なのかと疑ってしまう。ここまで叫んでいても、下の部活動性がまったく意に介さずに練習しているのは、ただ単に熱心だからという訳ではなく、こいつの認識阻害が正確に働いているからだ。
「もしかして私は、とんでもないミスをしでかしたのでは……?」
「まぁ監視対象に監視すること公言しちゃったからな」
「いやホント勘弁してくださいこれ以上ミスるとかマジで洒落になんないし給料減らされるんで」
「そんな心配しなくても大丈夫だろう。自分で言うのもなんだが、俺は大して危害が及ぶような存在じゃないぞ」
「……確かに、言われてみれば他の悪魔と違って全く悪魔感ないですね」
「悪魔感て。まぁなんだそうことだから、気にするな。じゃ、俺は帰る」
そう言ってさっさと家に帰って寝ようとしたかったのだが、待ってくださいと、天使様に呼び止められてしまった。
「あの、その、私、今身寄りがなくてですね」
「は?住む場所なんて支給されてるだろう?そうでなくとも魔法とか使って何ともでもできるじゃないか」
「残念ながらこれもいい経験だという事で支給されてないんです。それに魔法は原則としてこの世界での使用は禁止されていてて……」
「でも、自分で物件探すぐらいはできるだろう?」
「いえ、まぁそれもできるのですが……」
中々に煮え切らないというか、やけにもじもじと両手を合わせたり離したりしている天使様の姿は、普通の少女のようだった。というかなに、何でそんなに物件探すのめんどくさがってんのこいつ。早く帰って寝たいんだけど俺。
「一体なんだ。俺は早く帰って寝たいんだが?」
「あぁ、えっとですね。私さっき支給されてないと言ったじゃないですか」
「うん?確かに言ったなそんなこと」
「えぇ、それでですね。大神様がその、経験だからという事でですね……」
「もうなんだ天使ともあろうにその煮え切らない態度は。なんだ、探すの手伝えばいいのか?」
睡魔が限界に達し、少々尖った物言いになってしまう。我ながら、ここまで睡眠欲があるというのは少々いただけないな。でも仕方がない悪魔なんだもの。
「手伝って欲しいわけではありません。ただその、驚かないでくださいね?」
「わかったから早く言え、眠い」
わかりましたと、腹を括ったように天使様は大きく息を吸い込んだ。そして吸い込んだ空気を思いっきり吐き出すように、こういった。
「貴方の部屋に住まわせてください!!」
「……は?」
一瞬にして眠気も吹き飛ぶその言葉は、全く持って理解出来ない。いやいやいやいや、俺の部屋に住まわせてくれだって?冗談言うな。流石に信じられないぞ。天使と悪魔が一つ屋根の下とか、他の連中に笑われる。
「いきなりで申し訳ないのですが、大神様の提案で監視対象の部屋に住まわせてもらえとの命が下てしまったのです……」
「あの、くそ大神め……」
大神様の話は父から何度か聞かされいるし、俺も数回会ったことがある。かつての戦争を六本の刀で沈め、このよの平和を築き上げた凄い奴だと父は俺に言っていた。そして父は毎回決まって最後にこう言うのだ。〝あの、くそ大神め〟笑いながらその言葉を呟く父の姿は、かつての時代を思い出しているかのようで、とても遠い所にいるようだった。そんな言葉を幼い頃から聞かされていたので、自然とこの言葉が出てきてしまった。でも父のように笑いながらではなく、本当に怒りがあるのだが。
「なぁ、それ撤廃したり無視したりできないのか?自分で部屋探したりできないのか?」
「大神様の命は絶対ですからね……」
そう言って視線を斜め下に落とす姿は、天使とは思えない姿だった。あぁ、面倒くさい。ただでさえ面倒くさいこの日常に、さらに面倒くさいことが重なるなんて。これはあれか、所謂試練とかいうやつか。あぁそうかそれなら納得……できねぇよ。試練とか全く望んでないし、そもそも天使と悪魔が同姓だなんて絶対に有り得ない。
「はぁ、一体私は何をしているのでしょうか……」
「そりゃ、こっちの台詞だ馬鹿天使。お前みたいな天使と同棲なんて考えられん」
「奇遇ですね、私も考えられません。……ですが、大神様からの命ですので」
捨てられた子猫のように小さくなっている馬鹿天使は、本当に困っているようで、流石にここで断るのは俺にも罪悪感が湧いてくる。大神様に会うことがあったら、そのときはなんと言ってやろうか。こんな面倒ごとを思いつきで下すんじゃない。
「あぁ、もう分かったよ!どうせこの一年で部屋の契約は終わるし、行く当てもないんだろう?」
「ホントですか!?」
「はぁ、もう本当に面倒くさい」
こうして俺の代わり映えしない日常は、天使との同棲生活というあまりにもスパイスが効きすぎる日常へと大神様によって無理矢理に軌道修正させられたのだった。