十八羽目
またあの場所にいた。前方には延々と続く一本道と傍らに等間隔で並ぶ街灯。背後には重く佇む大き過ぎる扉。ここは〝始まりの魔女〟の世界へと続く道。
ここに来るのはいつだって唐突だ。だからこんな質問をしてみた。
『なぁ、この場所に連れてこられるのは不規則なのか?』
『いいえ、私の気分次第です』
即答。
『俺は塔の調査をしていたんだが?』
『その点も含めてお話があります。早くこちらまで来てください』
『……?』
普段の優しげな声である事には変わりないが、どうも言葉の端が刺々しい。考えても仕方がないので、言われた通りに一本道を進んだ。歩くと時間がかかるので、黒羽を出してささっと飛んでいった。
等間隔に並んだ街灯は、進むに連れて赤や青。黄に緑に色を鮮やかに変えていった。学校に行く道よりは大分マシだな。ほどなくして眼前に大きな扉が現れた。最初の場所に佇んでいた扉と同じ大きさで、同じ紋様が描かれている。ゆっくりと扉が開く。眩しすぎるぐらいの輝が目を覆う。苦痛とも取れる弾けた輝は徐々に落ち着き、ようやく俺は瞼を開ける事が出来た。
初めて足を踏み込んだその世界は木々が青々と茂っていて、小鳥だろうか囀りが聞こえる。荒れ果てているわけではなく、しっかりと手入れが行き届いた木漏れ日の美しい森林だ。それは何処となく、時ヶ峰の東側にある森林を連想させる。そんな中に、ぽつんとレトロな一軒家が建っていた。眺めていると、まるで入ってこいとでも言うように一人でに玄関が開かれた。おずおずと俺はその玄関をくぐった。
「お邪魔します?」
家の中は外観と同じようにレトロな雰囲気で、大木を基盤として頑丈に作られているが、落ちついた色合いが自然の中にいるような錯覚を魅せる。
「良くきてくれましたね。改めまして、私が〝始まりの魔女〟ことエマです」
そう言って、魔女は頭を深々と下げた。大きめなとんがり帽子と、ゆったりとした黒いローブ身に纏って、如何にもこれが魔女と言ったような服装である。〝始まりの魔女〟と呼ばれる化物ならもっと不快感抱くような、殺気やら魔力やらがあるのかとも思ったがそうではないらしい。太陽のように暖かな魔力が溢れていて、なんだか不思議と安心してしまう。
「あぁ、そこの椅子に腰掛けてください。それから紅茶は飲めますか?」
「嫌いじゃない」
「それなら良かった」
トポトポと紅茶が眼の前で注がれる。二杯分の紅茶を淹れ、彼女はロッキングチェアに腰掛た。
「さて、貴方は調査の事を何処まで覚えてますか?」
「何処までといわれても、キュニアスとか言う精霊とおかしな迷宮を探索した。そしたら魔物とか古代種が出てきた」
「そこから先で、自分が何をしたかは覚えていませんか?」
「覚えてないな」
その言葉を聞いた彼女は盛大にため息をつき、酷く物悲しい表情を見せた。
「私は怒っています」
「は?」
「怒っています」
「……何故、と言うか何に対してだ?」
「その点も含めて話をしましょう。貴方の調査期間は一週間あるのですし、眠っている間はキュニアスが面倒を見てくれているようですからね」
そして、ロッキングチェアを前に後ろにゆらゆらさせながら彼女は語りだした。
「最初に確認します。貴方、自分がどんな存在であるかは理解していますか?」
「捻くれ者で面倒くさがりな悪魔」
「……貴方の自己評価それでいいんですか」
肩を落とされた。しかし、実際に自他共に認める面倒くさがりで捻くれ者なのだから仕方がない。
「ここから先を明かしても良いものなのか、それとも駄目なのか。一体どちらでしょうか」
「さっきから何をぶつぶつ言っているんだ?」
「端的に聞きましょう」
紅茶で喉を潤し、それから彼女は言った。誰にも知られていないと思っていた事実。知られてはならない唯一の隠し事。
「禁術。これについて何か知っている事があるんじゃないですか?」
「それ、は……」
言葉が上手く繋がらない。どうも絶対的な自信を崩されると、思考は遮られ言葉が出なくなるようだ。
禁術。かつて〝黒翼の災厄〟と称されたイザラが使っていた術式。世界の根底を覆してしまうような、常軌を逸した異常な五つの力。今はもう誰も知らない知られてはいけない術。
「貴方がどれだけ隠そうとしても、地下迷宮での出来事を見ていた私には誤魔化せませんよ?」
「いや待ってくれ。俺は迷宮で何をしたんだ。確か普通に魔物を倒しただけだろう?」
「いいえ。残念ながら違います。貴方は禁術を使って古代種を倒したのです」
「嘘だろ……?」
確かに俺は禁術について調べている。そこに関してはもう否定はしない。だとしても俺は一度も使う事が出来なかった。莫大な量の魔力を消費する上にそもそも構成が歪過ぎた。昔、下位互換の術式でも自作してみようと思ったがそれも無駄に終わった。真似できる要素が一つもなかったのだ。
「貴方が使ったのは恐らく〝破壊〟でしょう。この世に存在しているモノの全てを緩やかに分解する力」
言い換えれば破壊でも分解でも無く、ただただ目の前の存在を否定する術式。そう彼女は言った。
俺は言われたそれを使った記憶はない。と言うよりもどうして使えたのか。火事場の馬鹿力、と言われても簡単に納得できるような代物ではない。何もかもデタラメな魔術だ。
「それで俺は一体どうなったんだ。あんな術式、代償なしには使えないだろう?」
「普段、熾す事のない魔力を急激に爆発させたので気を失っています。ただ……」
「ただ?」
「貴方はもう閉ざされていた扉を無意識に開けてしまった。抑えられていた鎖も何もかもを、自らの手で取っ払ってしまった」
だから、と眼を伏せて彼女は続けた。
「だから、この先に待ち受けている運命は過酷な物になるでしょうね」
「そうか」
これから先に何があるかは誰にも分からない。その時に何があったとしても、冷静に対処するだけだ。と言うか、ポンコツのせいでもう十二分に過酷な生活を強いられているのだ。
今ではもう一人の過ごし方なんて、ろくに思い出せやしない。最初は嫌だったはずだった。上っ面だけは許容したようで、内心は拒絶していたはずだった。それなのに気がつけば、あの喧しいほどに賑やかなポンコツとの空間が当たり前になっていた。これ以上の過酷な運命なんて俺には考えられない。
「まぁ、何とかなるさ。俺もそう柔な化物ではない」
「そうですね……」
申し訳ないとでも言うように、彼女は弱弱しく微笑んだ。それはまるで何も出来ない自分を責めているような、そんな微笑にも見て取れた。
「これから少し大神と話をしてきます。何かあればまたお呼びしますね」
「あぁ、よろしく頼む」
「ではまたお会いしましょう。あぁそれからキュニアスにもよろしく言っておいてください」
「分かった」
意識が深く沈んでいく。視界は黒く染まっていく。この瞼の重みだけは逆らえない。
そうして俺は、何度目かの魔女の世界を後にした。
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「……ふぅ。何でも知ってる世界の創造主でありながら、全てを伝えられないのは歯痒いですね」
意図していた来客が彼女の家を出てから、ゆっくりと溜息混じりに彼女は呟いた。彼女はそもそも誰かと会話する事を昔から苦手としている。会話が続かないなどと言った理由ではないが、それでも彼女は会話をするのが苦手なのだ。
それからもう一つ。彼女は滅多に自分の世界から出る事はない。引き篭もりだ。そんな彼女が、大神と話をするべく天界に出向こうとしているのだ。彼女を知る化物からすれば、余程重要な案件があるのではないかと身も引き締まる事態だ。
飯ヶ谷雫。またの名を〝静寂の悪魔〟
彼女は理解している。これから彼に起こり得るであろう出来事を。
彼女は悩んでいる。これからどうすべきかを。
それ故に、大神と話をするのだ。程よい狭さの家を出て、だだっ広い天界へと行くのだ。
「さて、少し留守にしますが家の事は頼みましたよ?」
何もない空間に彼女は放しかけた。すると、そこからのそのそとした黒い塊が。訂正。黒猫が現れた。
ふわふわとした質の良い毛並みで、瞳は黄金色に輝いている。この黒猫はもともと捨て猫だった。しかし、人の世界に捨てられていたたんなる捨て猫ではない。彼女の世界に紛れ込んでいたのだ。どういった経緯で彼女の世界に入り込んだのかは未だ定かではないが、もう何年も経ってしまったので彼女自身そんな事は気にも留めなくなった。いて当然とでもいうような存在になってしまったのだ。その存在を疑うことはもうない。
黒猫を両足で経ち、さながら軍人が敬礼でもするように、左腕を頭の横に持って、ふみっと返事をした。
「ふふっ。では行ってきますね」
そして彼女はを開けて天界へと歩いて向かった。
━━━━なんて事はなく、魔方陣を扉に展開させた。これから使われる魔法は、化物であるならば一度は使った事があるであろう魔法であり、一度も使った事のない魔法だ。幾何学的とも取れる陣の中に彼女は足を踏み入れて行く。そしてその足が辿り着く場所は。
「相変わらず広い場所ですね」
「せめてノックぐらい出来ませんかね。魔女様?」
だだっ広い天界の一室。大神の職務室なのだ。
「基は私の魔法で隔てているのだから仕方のないことでしょう?」
「あぁ、はいはい。そうですね」
空間転移。物質をある地点から特定の地点へと移動させる魔法。何でも移動させることが出来る。どれだけ大きく重いものでも、どれだけ小さく軽いものでもだ。しかし、一つだけ移動させられないものがある。
生物だ。化物、人間、動物。これらだけはどうやっても移動させる事は出来ない。だが、彼女は例外である。彼女に世界の常識は通用しない。それもそのはず彼女は〝始まりの魔女〟なのだから。
「……それで、引き篭もりの魔女様が俺に何か?」
嫌味を存分に含ませて大神は言う。
「私がわざわざ、ここに出向いたのです。取りとめもない日常会話でもしに来ると思いますか?」
「だから、一体どれほど深刻な問題なのかを聞いてるんですが?」
唐突だが、大神は彼女の事が一番苦手なのだ。話す事は何度かあった。しかしその度に必ず面倒な、基い深刻すぎる事を持ち込んでくるからだ。しかも彼女は世界の創造主。プレイヤーがゲームマスターに勝つ事が出来ないように、彼女には勝てない。それがどうしても大神は理不尽であると思いながらも、なんとか理解しているのだ。
もちろんそれだけが原因ではないのだが、今は知る由のない事だ。
「まぁ、俺も多少なりとも察してはいますがね。どうしてあのクソ餓鬼、いえ〝静寂の悪魔〟の制限を解いたんですか」
「……制限を解いた。はて、なんの事でしょうか?」
「嘘をつかないでください。感情の制限が解かれていた」
「感情の制限」
オウム返しで彼女は言葉を放ち、唐突にパンッと手を叩いた。
「あれは違いますよ。解いたのではありません。付け加えたんです」
「付け加えた?」
「そうです。人間が持つであろう感情の一部を一時的に付け加えてみました」
「そんな事も出来るのか……」
いとも簡単に恐ろしい事を言ってのける彼女に対して、大神は苦笑いを浮かべてる事しか出来なかった。
「それではそろそろ本題に入らせてもらいましょうかね」
「して、本題とは何です?」
「貴方の口からも出てきましたが、〝静寂の悪魔〟についてですよ」
「あいつの事?」
大神は訝しげに眉をひそめた。
「端的に言うと、あの子には何処まで伝えて良いのですかね?」
「……何がだ」
「何がって。それは当然、全てですよ。どういった経緯であれが生まれ、かつて何があったのか」
「今更、伝える事などない」
「本当にそうですか?」
いつだってそうだ。この魔女は時ヶ峰の校長のように心が読めるわけでもないのに、何故だか全てを見透かされているような気分になる。まるで全てこの魔女の掌で踊らされているような、そんな感じだ。これも大神が彼女を苦手とする一つの原因である。
「ではどうして、あの子の下に監視役をつけたのですかね。しかもよりにもよってラグイルを」
「それは」
言葉に詰まる大神を尻目に彼女は淡々と続ける。
「本当はもう分かっているんじゃないですか。あの子の身に何が起ころうとしているのか」
沈黙。
それは一瞬のようで、はたまた恐ろしいほどに長い時間だったのかもしれない。どちらにせよ、纏わりついた空気を先に払ったのは大神だった。
「何故、今になってあいつに干渉した?」
「あの子、随分と前から不安定でしたよ。そして遂に、一つ箍が外れた」
「どういうことだ」
誰が見ても焦りを隠せていない大神を見て彼女は思った。なんだ、まだしっかりと普通でいられているじゃないですか、と。そして彼女は言う。キュニアスのいる迷宮での出来事を。禁術が使用された事を。
「それは、本当のことなのか?」
「私が見たと言っているのだし事実に決まっているでしょう?」
その言葉を聞き、大神は小さな肩を更に小さくした。
「……使ったのは一つだけなんだな?」
「えぇ、そうです。と言うより、あの場所で古代種が現れる事の方が有り得ないのですが」
「それについては同感だな。キュニアスのいる場所と言えば十六番だろう?」
「えぇ、本来は現れるはずのない十六番ですよ。そしてここで今一度聞きましょう」
大きく息を吸い込み、彼女はさっきと同じ質問をした。
「あの子には、何処まで伝えて良いんですかね?」
大神は腕を組んだまま動かない。
「或いは、私はどうすべきでしょうか?」
「自分で決めたらいいだろう」
「選択権は世界に干渉している貴方に在って、私ではありません。だからここまで来たのです。わざわざ」
最後の言葉に鋭さを感じた大神だが、ようやくゆっくりと顔を上げた。
「そろそろ良い頃合なのかもな」
「それが貴方の答えですか?」
「あぁ、この際だ全て話そう。あいつの過去を」
「その言葉に免じて、途中から敬意が無くなっていた事は多めに見てあげましょう」
そう言われて、初めて大神は自分が普段の口調に戻っていた事に気付いた。そして心の底から安堵した。




