十五羽目
午前四時。普段よりも少々早い時間帯に俺は眼を覚ました。カーテンを捲れば外はまだ日が出ておらず、もうひと眠りしても良いかなと思ってしまうぐらいに静かだった。そんな気を紛らわすように、洗面台に行き冷水で顔を洗う。鏡の中には不機嫌な様子の悪魔がいた。それもそのはず、今日から一週間は調査に駆り出されるのだから。学校に行かないで済むのは良いのだが如何せん面倒くさい。しかしそれも、あの魔女直々に頼まれてしまっては断れない。下手に断ればそれこそ命の危険がある。わざわざ自らの命を賭けてまで面倒事を断るのもいたたまれない。
兎も角、ポンコツを叩き起こして朝食を作ろう。あいつは放っておいたら、自分の調査の事を忘れてしまいそうだからな。流石に昨日準備もしていたし、それは無いとは思うのだが、断言できないのが姫路・ラグイル・エミリーである。
つかつかとポンコツの部屋まで行き、聞こえてはいないだろうノックを一応する。最低限のマナーはポンコツであれ尊重するのだ。
相変わらず部屋だけは片付いていて清楚感があるが、本人には一切そんなものはない。空間転移で持ち込んだベッドの上に、規則正しく上下する布団が小さく丸まっている。俺はその布団を思いっ切り引き剥がし、幸せそうに眠っているポンコツの頭に拳骨を落とすのだ。
「ふんっ!」
「ぴゃー」
訳の分からない奇声とともに、勢いよく起き上がるポンコツ。
「ほら起きろ。お前も今日から調査なんだろうが」
「うぅ。痛いです。痛すぎなのです……」
「さっさと顔洗ってこい」
「ふぁーい」
ポンコツを叩き起こし、朝食を作る。今日は弁当を作らなくても良いから、少々凝った物も作れるのだが、朝からそんなに食べられるわけでもないので、普段通りのトーストでいいだろう。まぁ、せめてハニートーストとピザトーストの二種類を作ってやるか。
「ふわぁ。おはようございます飯ケ谷さん」
「随分と眠そうだな。ちゃんと顔は洗ったのか?」
「洗いましたけど、いつもより時間が早いですからね……」
「なるほど。ほれ、朝食取って眼を覚ませ」
「ありがたき幸せ」
そんな冗談を交わしながら、俺たちは早めの朝食を食べた。
「はぁ、それにしても今週はもうこのトーストが食べられないんですよねぇ」
「トーストだけじゃなくて、三食だけどな」
「あぁ、もうそんなこと言わないでくださいよ……」
どうも俺の作る料理は魔力補給の効率がいいらしい。ポンコツだけに限らず、泰樹や校長も時たま俺に飯を作らせる。まぁ、別に作る分には良いのだが、せめて片付けぐらいはしてほしいものだ。
「ふぅ、このひと切れが最後なんですね」
「たかが一週間だろう」
「たかが一週間、されど一週間ですよ。ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
朝食を食べ終えると六時になりかけていた。朝が早かった分、普段以上にゆっくりとしていたみたいだ。さて、そろそろ出るか。
「じゃ、ポンコツ。俺は先に出るから」
「あぁちょ、ちょっと待ってください。途中まで一緒に行きましょうよ!」
「なんでだよ」
「まぁまぁ、良いじゃないですか」
どんな魂胆があるのかは分からないが、駄目だと言っても聞かないだろうし途中までなら別に構わないだろう。ポンコツの調査場所は学校から見て西側の森林だそうだ。普段の一本道と変わらない。それに対して俺の調査場所は、デパートの方であるからポンコツとは交差点辺りで全く逆の方向に行くことになる。
「交差点で全く逆の方向に行くから、そこまでな」
「やたー!」
無邪気にはしゃぐ姿が、どうしても遠足前の子供のように見えてしまう。こいつもしや実際年齢よりも遥かに精神年齢が幼いのではないだろうか。言動がいちいち子供らしい。
「……なにか失礼なこと考えてませんか?」
「いや別に」
妙な所で鋭くて困る。
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まだ日が昇り始めていない中、俺とポンコツは一本道を歩く。交差点には案外すぐについたので、俺はポンコツとここで逆方向に行くことになる。
「じゃあなポンコツ。また一週間後に」
「はい。調査頑張ってくださいね飯ケ谷さん」
「お前こそ下手な事はするなよ?」
「失礼な。私を誰だと思ってるんですか!」
「ポンコツ」
「あぁ、そうですよ! 分かってましたよその答えは!」
くだらないやり取りを終え、俺たちは逆の方向に進み始めた。
交差点を右に曲がり、そこからまた真っ直ぐに行くと古城のようなデパートがある。ここのタイムセールが食費の助けになってくれるので有難い。校長から貰ったボロい地図を見ると、目的地である〝十六番目の塔〟はそのデパートから少し北に行かなければならない。
それにしても、十六番ということは他にもいくつか塔があったのだろうか。だとしたら一体、何の為に作られたのだろうか。校長は行けば自ずと分かると言って、俺には教えてくれなかったから疑問が募るばかりだ。まぁ、行けばわかると言うのならそうなのだろう。
ある程度開けた場所に出たので俺は羽を出す。この時間帯なら人間もいないので空を飛んでも大丈夫だろう。たとえ人間がいたとしても認識阻害を掛けるので見られることはない。魔法の使用も校長から事前に許可を得ている。普段から使っているじゃないかと言われれば耳が痛いのだが。兎も角、ようやく俺の自作魔法がしっかりとした目的の為に活躍できそうだ。
空はまだ紺色に染まっていて、涼し気な風が加速させる。徐々に日が昇り景色は次第に朱色に染まり始めた。太陽の光が眩しくて思わず眼を覆おう。天界の輝にせよ太陽の光にせよ、どうしてこうも眩しいのだろうか。もう少し主張を抑えてくれても良いと思う。夜のように静かにひっそりとはしてくれないのか。暴力的とも取れる日の光は、一日の始まりを嫌でも感じさせる。仄かに煌めく月とは大違いだ。
そんな事を思いながら進んでいると、どうやら目的地に着いたようだ。どうしてそれが分かるのかと言うと、眼の前に塔の後と思わしき残骸があるからだ。近づいて中を見てみると、どうやら中は空洞のようでそこから二つの魔力が感じられる。随分と古い魔力があって、これはとても温かな穏やかな魔力だ。それからもう一つ。こちらは最近の魔力のようで、何も感じない。そこには確かに魔力があるのに、本当はないような、なんとも不思議な感覚だ。
「……それにしても、デカいなこの塔。跡地という割にはまだ十分な高さを保っているようにも見えるが、もしかして、俺が思っている以上に本来は大きいのか?」
この塔にも認識阻害が掛けられているから、人間には見えない。更に言えばここまで来るような生粋の変人もいないだろう。しかし、この塔の残骸は俺がある程度上に飛んで初めて中の空洞を見ることが出来る。これだけ大きければ、俺でも気づきそうなのだが、ここに来るまでは全く気付かなかった。もしかしたらこの塔だけでなく、ここら一体に認識阻害が掛けられているのかもしれない。だとしたら恐ろしい量の魔力だ。天使長を凌ぐポンコツ並みか、はたまたそれ以上の魔力量か。俺には到底無理だな。
『おぉ、飯ケ谷。ついたようだな』
「毎度思うんだが、その唐突に会話始めるのどうにかならないか?」
『無理だな』
羽をたたみ、地上に降りると校長から一方的に会話が始まった。校長の固有魔法は〝他人の心が読める〟それは思考に強力なプロテクトをかけていても、強制的に解除されてしまうから困ったものだ。相手の思考に乱入し今みたいな唐突な会話を引き起こす。更に言えばその魔法に限界距離はない。これが相当に凄い事で、どんな魔法にもここまでなら変化を起こせるという距離があるだのだ。しかしそれが無いということは、たとえ何処に居ようとも心は読まれてしまうわけだ。そんな便利な通話手段以外にもっとましな使い方はないのかと聞いたこともあるが、忘れたの一言で一蹴されてしまった。
「というかおい。調査しろとは言われたが、具体的に何をすればいいんだ?」
『あぁ、そういえば言ってなかったな』
「……」
『今回してもらいたいことは、そこら一体の散策、弾けた魔力の解析と塔の中に行け』
「待て。最後の二つが良く分からない。弾けた魔力っていうのは、今感じている微量なやつのことか?」
『あぁ、恐らくそれだ』
「適当だな。まぁ良い。それで、塔の中に行けとは?」
『もうすでに見たと思うが空洞だっただろう。その中に文字通りの意味で入れ。面白い物が見られるぞ』
「あまり気が乗らない」
『まぁそう言うな。近いうちに白鯨に途中経過を聞かせに行くからな』
「はいはい、分かりましたよ。やりますよ」
『うむ。それでいい。じゃ、あとは頼んだぞ』
そう言って校長との会話は終わった。勝手に会話を初めて勝手に終わるのだからなんとも自由な人だ。
さてと。それじゃ、辺りの散策から始めましょうかね。
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唐突だがこの街には森というか自然が多い。なんでも〝終末〟が終わった後に、一人の化物が人間の復興支援の為に自然を増やしたらしい。しかしまぁ、万能ではない人間は与えられた場所もロクに整地できていないようだ。学校から西にある森林は割と手が行き届いているが、塔の周りは好き放題に荒れている。仕方ない。散策の前にある程度、整地するか。
辺り一面が見えるように上空へ飛び、俺は自作魔法を使う。風を使って、雑草だけを綺麗に刈りたい。地面とは言え、言い換えればただの表だ。木が生えている座標を以外を刈って行けば良い。風に魔力を込めて、手の一振りで風が吹くようにすれば綺麗になるはずだ。草を刈っただけで抜いたわけではないから、どうせすぐに生えてくるのだろうが、俺が帰った後まで考える必要も無いだろう。
「……よっと」
手の一振りで風は動いてくれるのだからなんとも使いやすい。水や土だと重いし、炎に関しては問答無用で全てを燃やしかねない。ざっくりと掃除も終え、ようやく俺は散策に行ける。
辺りにを適当に歩いていても、案外目ぼしい物は見つからない。時折、微弱な魔力を感じるがそれを追ってもすぐに消えてしまうので、途中でやめた。特に何もなかったが、強いて言うなら蜜柑の木が多い事だろうか。今は六月であるから、緑色の果実が目立つ。柑橘系の、ツンとしたようなサッパリしたような匂いがする。本格的な夏になったら、またここに来てみよう。ちょっと蜜柑が食べたくなった。
「あぁ、くそ。疲れた。休憩するか」
気が付けばどうも長い時間ウロウロしていたようで、お腹も空いてきた。時計台の針はちょうど十二を指している。昼食には丁度いい時間だろう。元居た塔の所まで飛んで帰る。歩いても良かったのだが、迷ういそうな気がしたので一番安全であろう策を取った。決して面倒だったとかではない。
よし、元の場所に戻ってきたことだし、軽めの昼食を作るか。一応、フライパンと包丁は持ってきている。食材は二日分を持ってきた。残りの五日分はきっと泰樹が持ってきてくれるだろう。あとは問題なのが、火と皿をどうするかだが、これもまぁ魔法が使えるので問題なしだ。
取り敢えず、豚肉を炒める。適当に火をおこして、フライパンで焼く。当然、油は豚肉の油のみだ。下手に油を引かなくても食材の油だけで調理ができる。こっちのほうが体には良い。化物にとって健康なんて関係ないだろうと校長は言うが、こうやって考えるからこそ魔力補給はできるのだ。最近魔力消費が著しいと校長が言っていたような気がするが、それは消費量ではなく回復量が少ないからだ。普段からカップラーメンばかり食べていれば、大した量の魔力は補えない。それに見かねてしばしば、俺もご飯を作ってやったりして自炊の素晴らしさを説いたが、校長の食生活は治らなかった。
「しまった野菜を持ってくるんだった」
俺はポンコツのように空間転移が使えない。あれはやはり天使のみが使うことを許された魔法なのだ。仕方が無い。昼はこれで我慢しよう。夜の分はデパートで買えばいいか。
いや待てよ。これだけ近くにデパートがあるのだったらもしかして、二日分の食材も持ってくる必要がなかったんじゃないか。どうせ買った分のお金は、校長に請求するし。
「完全に失敗した……」
今更悔いても仕方がない事なので、結局俺は適当に肉を焼き適当に野菜を切った物を昼食とするのだった。
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昼食もしっかり取り、再び調査を再開していたらもう夕暮れになっていた。デパートに行って買い出しでもしたいところだが、生憎今日は特売日ではない。それにまだ消費しきっていない持ってきた食材がある。これがなくなるまではデパートには行けないな。
調査の方にも大した進展はなく、いい加減飽きてきた。赤い夕陽に照らされた塔は何処となく悲し気な雰囲気が漂っている。この塔で昔、何があったかのかは知らない。校長はそれも調査している内に分かると言っていたが、今日の感じだとそれも本当か怪しい。ともあれ、日も暮れてきた事だ。今日はこれぐらいにして切り上げよう。
念のため校長に出す報告書を書いた。それから夕食にしようと思ったのだがお腹があまり減っていない。どうしたものかと空を見上げると、紺色に広がるキャンバスに白い星が点々と輝いていた。俺はそれに誘われるように空へと向かった。
雲を突き抜け、地上が見えないほどに高く昇る。見渡す限りの星空は圧巻で、思わず身震いした。やはり俺は夜が好きなのだ。静かにひっそりと輝く星に囲まれている方が良い。ひとしきり星を堪能し、俺は羽をしまう。頭から真っ逆さまに落ちて行く。白く厚い雲で視界が覆われる。
ふと眼を開けると隣に白い翼を生やした天使が、俺と同じように落ちていた。
ぎょっとして即座に羽を出し、目を擦った。けれども上にも下にもその姿は無い。
「気のせいか……?」
もう一度だけ眼を擦り辺りを見回す。だが当然のように周りにはただただ雲があるだけだった。見間違いにしては妙にハッキリし過ぎていたような気もするが、何も無かったと言い聞かせ俺は再び落ちて行った。




