十三羽目
昨日は何だかよく分からない日だった。ポンコツに対して可愛いと思ってしまってまごついた。いっそのこと記憶を消してしまおうかとも思うが、生憎な事に記憶消去の魔法は使用者には掛けられない。かと言ってポンコツに掛けてもらうのも、事情を説明しなければならないし、泰樹は面白がってやらないだろう。他に頼れそうな化物もいない。残念な事に、俺は今後この記憶を残しながら生きていかなければならないようだ。
最悪じゃないか。
「飯ケ谷さーん。顔洗いたいので早くどいてくれますかー」
「うわっ」
「むう。なんですかその化物を見たような感じは。まぁ実際に化物ですけど」
昨日の元凶は何も知らずに、何とも間抜けな声だ。それにしても、おかしい。どうしてポンコツが起きているのだ。俺はまだお越していないし、もちろんポンコツは自分では起きられないはずだ。そんなやつが勝手に起きていたら、あれぐらい驚いたりするものだ。
「いやだって。えぇ。どうしたんだお前。熱でもあるのか?」
「何言ってるんですか。私は元気ハツラツですよ!」
ポンコツは元気を表したいのか腰に手を当て、左手でブイサインを作った。何をしてるんだこいては。
「元気があるなら、どうして一人でに起きてきたんだ?」
「……飯ケ谷さん。時計を見てください。今が何時か分かってますか?」
ジトーっとした眼で俺を見上げてくるポンコツ。言われた通りに時計を見てみると。
「九時半、だと」
「えぇ、そうですよ。九時半ですよ。お腹すきました。朝ごはん!」
元気よく両手を俺に差し出してきた。あつかましい。
「いやいやそれよりも学校」
「……飯ケ谷さん本当に大丈夫ですか。今日は日曜日ですよ?」
「え?」
慌ててリビングのテレビを付ける。確かにそこには平日に見る事のない情報番組や、バラエティー番組が放送されていた。携帯で日付を確認してみても、やっぱりポンコツの言うように今日は日曜日だった。
「これじゃまるで俺がポンコツみたいじゃないか」
自分で言っていてショックを受ける。魔法が掛かっているような事もないので、そのせいにもできない。
「ぷはぁ、さっぱりした。飯ケ谷さん。これで貴方もポンコツですね」
「……」
顔を洗い、しっかり目覚めたのか満面の笑みでそう言ってきた。左手で親指を立てるあたりが更に腹立たしい。しかし反論できないのも事実。落ち着け俺。切り替えよう。まだ俺がポンコツ以下に成り下がったわけではない。
「飯ケ谷さん、ご飯今から作れますか?」
「普段より簡単な物でよければ作るが……」
「簡単でもなんでも良いので、取り敢えず何か食べましょう。このままでは空腹死してしまいます!」
「空腹で死にそうだろうと、作るのは手伝え」
「はーい」
そそくさと俺の眼の前から立ち去ろうとしているポンコツの首根っこを掴んで、台所へ強制連行した。
さて簡単に作るとは言ったものの、時間も時間だ。昼食に影響が出ない程度に腹が満たる料理は一体なんだよ。トーストしか出てこない俺がおかしいのか。いやもうこの際トーストで良いだろう。いつも通りのハニートーストだ。
「飯ケ谷さんまたハニートーストですか……」
「これしか思いつかないんだよ」
「たまには他のやつ作りません?」
「ハニートーストしか知らない」
「驚愕の新事実!」
眼を飛び出さんばかりに驚くポンコツ。そんなに驚くぐらいなら、お前は他に知っているんだろうな?
「仕方ないですね。今日は私が作りましょう。飯ケ谷さんも昨日から調子悪いみたいですし、見てるだけでいいです」
「いやいや、流石に手伝うぞ」
「いいえ、見るだけにしてください。これで私がポンコツ呼ばわりされる屈辱も少しは晴らせますからね」
そう言うと、ポンコツはテキパキと調理器具を揃えていった。一分の迷いもなく調理器具と材料を揃えるその姿が、ポンコツがここに来てからの一ヶ月を暗喩している。それに対してもう一ヶ月かと思う反面、まだまだ先は長そうだなとも思う。何とも言えない感情が体を巡り、それら全てを吐き出すように大きく溜息をついた。
「さーて、それでは張り切って作っちゃいましょうかね!」
「頼むから大掛かりな料理はしないでくれよ。というか、他のトースト料理にしてくれ……」
「ふむふむ。それならピザトーストでもしましょうかね」
「そんなものが作れるのか?」
「まぁ、ピザソース塗って適当に具とチーズを乗せて焼くだけですからね」
「なるほど」
鼻歌まじりに調理していく姿は、なんだか見ているこっちも微笑ましくなる。本当に料理に関してはポンコツじゃないんだよな。それ以外が駄目過ぎるが故に、唯一の料理が埋もれてしまっている。残念なことだ。小さな背中からは相変わらず白い翼が出ていて、天輪はないにせよほぼ正装である。それに対して、不信感を抱かないあたり、どうやら俺は相当毒されているようだ。
ほどなくして、ポンコツはピザトーストなる物を作り終えた。香ばしいベーコンの香りが鼻腔をくすぐる。
「さてさて、もうお昼も近くなってますが頂きましょう」
「頂きます」
ポンコツが腕によりをかけて作ったとされるピザトーストは、正直めっちゃ美味しい。普通のピザとは少々違って、食パンの上に盛り付けているので柔らかい。しかしそれも、美味しさを引き立てているのだろう。取り敢えず美味い。
「ふっふーん。どうですか、渾身のピザトーストは?」
「……普通に美味しくて言葉が出ない」
「はっ、でしょう! そうでしょう!! 美味しいでしょう!!!」
調子に乗ってちょっとウザいが、それすらも今は許してしまえる。というかポンコツに構うよりピザトースト食べたい。
「ご馳走様。美味しかった」
「ふふん。当然です。何せ私が作ったんですからね!」
ドヤァと薄い胸を張るが、実際は食パンの上に盛り付けるだけだ。物凄く簡単である。トーストの良い所は、作るのが簡単な上に料理の種類が豊富といことだな。時間がない時には重宝しよう。
「さて、ちょっと遅めの朝食も食べましたし、散歩にでも行きましょうか」
「散歩って一体何処にいくんだ?」
「何処って……」
何を言っているんですか、とでも言いたげな顔でポンコツは首をかしげる。え、なに。これ分からない俺がいけないのか?
「天界に決まってるじゃないですか」
「は?」
やれやれこの悪魔分かってないなぁ、とでも言いたげ様子でポンコツは首を振る。いやいや何を言っているんだこいつは。天界に散歩に良くだと。俺も一緒に。まかりなりにも俺は悪魔だぞ。確かに今は三つの世界に隔たりがなくて、天使も悪魔も好きなように行き来することは出来る。しかし、だがしかしだ。大丈夫なのだろうか。
「何を不安そうな顔してるんですか。ほら、行きますよ」
「え、本当に行くの?冗談じゃなくて?」
「当然です。だって他に行く所もないですしね」
「マジかよ……」
「マジです。大マジです!」
「意味分からん」
「あぁ、もうほら。ぶつくさ言ってないでパパッと準備してください。さっさと行きますよ!」
「えぇ……」
####
不本意ながらも、強引に手を引かれた俺は逆らうことが出来ずに、結局空を飛んでいる。帰りたい。そう思い隙をついて逃げようと試みたのだが、案の定ポンコツに捕まってしまった。飛行スピードが違い過ぎるのと、背後からの拘束魔術は流石に避けきらない。とまぁそんなわけで、ポンコツは絶対に離すまいと力任せに腕を引っ張っている。そろそろ腕が痛くなってきた。これはも、諦めるしかないか。
「分かった分かった。もう逃げないから。だから手を離せ」
「駄目です。だって飯ケ谷さんまた逃げるじゃないですか!」
「いやだから、もう逃げないって」
お手上げ。という意味を込めて片手を上げる。
「……本当ですかね?」
「ホントホント」
「むぅ」
未だに疑いは晴れていないのか、ゆっくりとポンコツは手を離した。あぁ、ようやく解放された。仄かに赤みを帯びた腕を見ながらそんな事を思う。ポンコツはふわふわと浮かびながら未だに俺の凝視して、眉間にしわを寄せていた。
「なぁ、どうして急に天界に行こうなんて言い出したんだ?」
「あぁ、えっとですね。実は大神様からの伝言で飯ケ谷さんを連れてこいと言われてまして……」
「なんだって?」
「大神様が飯ケ谷さんを連れてこいと」
「意味わからん」
やはりというか何というか。何となくそんな気はしてた。
「クソ大神が……」
「という訳で、さっさと行きましょうか」
「はいはい」
もうこうなったら自棄だ。なるようになれ。
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やたらと空気が重い空中飛行は初めてだったかもしれない。いつだって風を切りながら飛ぶのは少なからず、気分を高揚させてくれたはずなのだがな。場所とこれから会うやつによって、こうも変わるとは。なんとも恐ろしい大神様である。
「さてさて、着きましたね飯ケ谷さん」
「相変わらず眩しいな」
「第一声がそれってどうなんですか……」
悪魔にしてみれば天界は眩しいのだ。実際は人間の世界と何も変わらないのだが。
「そう言えば、飯ケ谷さんはここに来るのは初めてではないんですよね?」
「そうだな、父に連れられて来た記憶がある。その時もクソ大神から連れて来いって言われたらしいが」
「気に入られてますねぇ」
「こっちとしては大迷惑なんだがな」
大神がいるのは天界の中心部にある屋敷の中だ。屋敷と言ってもあまりにも大きすぎるので、城と言った方がニュアンス的には近いような気がする。
ポンコツは俺の前を歩きながら、色んな天使に話しかけられていた。ほぼ大半が尊敬の眼差しを向けていて、改めてポンコツの凄さを認識させられた。天界では優秀な天使であれ、俺の前ではポンコツなのだから不思議である。本当に何故だ。
「ふふ。みんな全然変わってなくて安心しました」
「とか言って、ラグイルはドジっ子だからあの悪魔さんに迷惑かけてるんじゃないの?」
「失礼なっ。私の何処がドジっ子ですか!」
良かった。どうやらポンコツは天界でもポンコツだったようだ。ポンコツとは対照的で瞳は淡いピンク色で銀髪ショート。それから纏っている空気感もポンコツの賑やかさとは違い、深く静かなものだ。背丈はポンコツより高かった。
「貴方が、ラグイルの監視対象?」
「そういう事になるのかな」
銀髪の天使はポンコツとの話を切り上げ、今度は俺の方に寄ってきた。
「そう。多分もう分かっているとは思うけどあの子、相当ドジだから」
「それはもう痛いくらいに実感してる……」
酷い言われようだが否定は出来ない。
「天使全員を代表して謝罪するわ」
「いやいや天使全員の代表って」
「冗談よ。まぁそうね。これからも出来る限りあの子の面倒を見てあげて欲しいわ」
「善処はする」
「うん。よろしくね」
ふんわりと微笑み、一輪の花を渡された。紫と白が交ざった小さく、けれども力強い印象の花だ。
「これは?」
「デュランタよ。貴方にあげるわ。そしてそれをあの子に渡しなさい」
「……何故?」
「貴方、暇ならもう少し花言葉を学びなさい」
謎の花を残して、銀髪の天使は飛んで行った。ポンコツにこの花を渡せと言われたが、一体どういう意味なのだろうか。
「ふぅ。やっといなくなりましたね」
「なぁ、なんかこれを渡せって言われたんだが?」
「花、ですか?」
「デュランタっていう花らしいぞ。と言うかあれは誰なんだ」
「あれは私の小さい頃からの友達で、植物に関する知識が豊富なアリエルです」
「ポンコツとは全然印象が違ったな」
「昔から良く言われましたよ……」
何か苦い思い出でもあるのか、自嘲するように微笑むポンコツ。取り敢えず、言われた通りに花を渡した。前を見ると、大きな城がこれでもかと言うぐらいに存在を主張してきた。どうやらもう少しで着きそうだ。
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もう少しで着くと思った俺が馬鹿だった。あの大きさだから、遠近感で近く見えただけであって、実際は想定していた倍以上の距離があった。流石に疲れた。
ポンコツは大きな扉を前に術式を詠唱していた。セキュリティは万全らしく、ある魔術を使わなければ扉は開かない仕組みのようだ。それにしても、この扉は〝始まりの魔女〟と話すあの空間にあるものと同じように見える。何かあるのかはたまた偶然なのか。考えても良く分からない。
「さて、入りましょうか飯ケ谷さん。中で大神様が待ってます」
「そうだな」
頭を捻っている間に詠唱は終わったらしく、大きな扉がゆっくりと重々しく開いた。
城内の構造は至ってシンプルで、外観の大きさが嘘のようだ。一階はただ広いだけ。真っ直ぐ進み、エレベーターらしき物に乗って、二階に行くとそこが大神のいる場所だ。どうして一階が広いのかとポンコツに聞けば、なんでも一階は闘技場として使われているようだ。ポンコツの試験もそこで行ったらしい。天使長の極大魔法を撃っても壊れる事のないそこは、大神の魔力コーティングによって補強されているらしい。あの広さを一人で補強する大神はやはり化物だ。
「ささっ、飯ケ谷さん。この先に大神様がいらっしゃいます。覚悟は良いですか?」
「なんでお前そんなプレッシャーかけてくるの……」
「なんとなくです」
「マジか」
大きく深呼吸をしてから、ノブを回す。そして扉の向こうには。
「久し振りだな」
小さな大神がいた。
「相変わらず小さいな大神」
「相変わらず口が悪いな、クソ餓鬼」
困ったような、それでいて嬉しそうに大神は言う。
「で、今日ここに俺を呼んだ理由は一体なんだ?」
「大した理由はないと言えば?」
「一階に降りて摸擬戦するか?」
「ほー、大神である俺に勝てるとでも?」
お互いに殺気を放ち、相手の出方を探る。強気な姿勢でいるが、実際にクソ大神と戦ったのなら、五分程度で勝敗はきまるだろう。当然、俺が負ける。
「全く、冗談だよ。血の気が多いなぁ」
「……あのー。ちょっと良いですか。飯ケ谷さんと大神様って意外と仲良しなんですか?」
おずおずと言った様子で、ポンコツは口を開いた。先ほどからの大神とのやり取りに啞然としていたようだ。
「あぁ、ラグイルお疲れ様。そうだよ。この悪魔が小さい頃から俺は知っているよ」
「だからと言って、仲が良いわけではないからな」
「いえいえ飯ケ谷さん。その様子を見て仲が悪いとは思えませんよ?」
ブンブンと首を横に振るポンコツ。今までの会話を見て仲が良いと思うのか。
「まぁ、そうだな。まずはここまで来てくれた事に礼を言おう。有り難う」
「前置きは良いから、さっさと要件を言えよ」
「……どうして飯ケ谷さんは大神様に向かってそんなに強く言えるんですか?」
「昔からの仲だからだ」
理解できない、とでも言うようなポンコツにそう答えると諦めたのかそれとも理解したのか、なるほどと答えた。そんな様子を大神は、泰樹と同じように微笑ましそうに眺めている。泰樹と言い大神と言い、一体どうしてそんな眼で見てくるのだろうか。
「要件と言っても、そんなに大したことじゃないさ。純粋に君たちの様子を見たくてね。年寄りの過剰な気遣いとでも思ってくれれば良い」
「まぁ色々とあったが、普通に生活は出来ているぞ」
「そうですね。朝が早いという点以外は大丈夫ですね。飯ケ谷さんのご飯も美味しいですし」
「そうかそうか。楽しそうで何よりだよ。これからもラグイルをよろしく頼むよ」
「この一年だけだからな?」
「……何で監視役である私が面倒見られる側になっているんですかね」
それからもう少しだけ、三人で話してから俺たちは部屋を出た。またおいで、と言われたが出来る事ならもう二度と来たくないものだ。にしても、ここまで疲労の溜まった散歩は初めてだったな。
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天使と悪魔がいなくなってから、大神は静かに眼を瞑る。そして思い詰めるように眼を開き、焦りを言葉に乗せる。
「……どうやら大変なことになりそうだな」
彼が今日、二人を招いたのには実はもう一つの理由がある。寧ろこちらの方が本命だ。
〝始まりの魔女〟が飯ケ谷雫の制限を解き、おかしな魔法を掛けた。そして彼女らしからぬ魔法の掛け方だと、白鯨が言っていた。そう時ヶ峰の校長に聞かされた。彼は別に〝始まりの魔女〟がおかしな魔法を彼女らしからぬ掛け方で、飯ケ谷雫に掛けたことは重要視していない。聞かされた内容で最も重要なのは、飯ケ谷雫の、
〝静寂の悪魔〟の制限が解かれたことだ。
それが本当なのかを確かめる為に、彼はわざわざ二人を呼んだのだ。そしてそれは事実であった。
本来あの制限は、彼と時ヶ峰の校長が苦肉の策で付けたものだ。有り余る魔力の抑制と、終末と禁術に関する記憶の消去。これは誰にも解けないはずだった。しかし〝始まりの魔女〟がそれを解いた。あの魔女は、この世界に大きく関わる事にしか手を出さない。その彼女が一部とは言え、飯ケ谷雫に眠る悲劇と残虐の記憶を解いた。これが一体何を意味するのか。考えなくとも、何かしら重要な事が起こり始めているのだ。
これから徐々に飯ケ谷雫は記憶か力か、あるいはその両方を取り戻すだろう。時ヶ峰の校長は、私が守り切れる自信はないと焦りを感じていた。彼は椅子から腰を上げ外に出る。
「何も起きなければ良いんだけどなぁ」
天界を見渡しながら呟いたその言葉は、天使たちの賑やかな声に溶けていった。




