十二羽目
普段ならぶつくさと文句を言いながら行く通学路も、空を飛んでしまえば意外といいものだ。黒羽を出現させて飛ぶ姿を人間に見られたら大問題なのだが、俺の認識阻害は完璧なので大丈夫である。というか、日曜の午前中にこの辺を出歩く人間もほぼいない。大抵は西側のアパートに行ったり、何処かのレジャー施設に行っていることだろう。俺としてはわざわざ休日を使ってまで娯楽を求めるのはどうかとも思うが、人間はそうでもないのだろう。仲間意識の高い人間の事だ。きっと大人数で楽しめるのだろう。
五分もかからないうちに学校に着いた。このまま正門から入っても良いのだが、必要最低限の歩数で生徒会室まで行きたい。何か方法は無いものかと辺りを見渡せば、ちょうど生徒会室の窓が開いていた。よし、ここからダイレクトで入るか。
「おいこら、泰樹いるかー?」
「……捻くれ者は窓から入らないでもらえますか? というか扉からも入って来ないでください」
「中々に珍しいな。お前がここにいるなんて」
腰まで伸びた黒髪をたなびかせながら、俺に毒を吐くのは時ヶ峰の副生徒会長を務める朝比奈累だ。才色兼備で、淡く輝く茶色の瞳がどこか不思議な雰囲気を醸し出している。その黒髪が男子生徒に絶大な人気を誇っているのだが、本人は全く知らないもよう。それから、彼女も化物であるということはもう分かり切っているだろう。泰樹と同じくLostNo.の一人だ。
彼女の異名は〝無限の杖〟というのであり、泰樹とは昔から交流があったようだ。泰樹から聞いた詳しい話によればかなり扱いづらい性格のようで、人見知りで正直すぎるから何かと擦れ違いが多いようだ。それでも泰樹はニコニコと一緒にいる。この二人を見ているとなんだか絶妙に切れない糸で、それこそ呪いか何かで繋がれているようにも思う。過去に何があったかは泰樹に関してしか聞いていない。俺がずけずけと踏み込んでいける話でもないし、泰樹が聞かれることを拒んでいるようにも思える。まぁ今のところは俺も興味が無いし、話たければ話して欲しいぐらいの感覚だ。
「それで、一体何の用ですか?」
「いやだから泰樹に用があるんだよ」
「あの馬鹿もとい会長は只今席を外しておりますので、早急にご退出願います」
「お前のその対応は誰に対してもなのか……?」
泰樹に対してもその対応なのか。てか、おいおい。出ていけとか言いながらお茶を出すなよ。待ってていいのか出ていけばいいのかどっちなんだ。しれっとお菓子まで出してくるな。
「……こういう所がわからん」
「何か言いましたか?」
「いえ、別に何も」
頼む泰樹。早く戻って来い。俺では会話を成り立たせる事すら不可能だ。
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「ふいー、疲れた。おりょ? どったの雫?」
「……遅えよ」
結局、あれから一時間ほどお互い無言の膠着状態が続いた。気まずい雰囲気であったわけではないが、会話もなく視界の隅で淡々と仕事をされると、俺は何をして良いか分からなくなるのだ。手伝いましょうよ、とポンコツは言ってきそうだが、朝比奈は自分のペースで驚くほどの量をこなしているので、俺が手伝えることなんて何もない。寧ろこうして何もしないことが最善なのだ。
「にしても一体どうしたんだい?雫がわざわざ生徒会室に来るなんて。しかも休日に」
「いやまぁ、大したことでもないんだがな」
「そうかい? 僕としてはそれなりに……」
次の言葉を発しかけて、泰樹は眉間にしわを寄せた。そして下から上へ、俺の身体をまじまじと観察した。
「ねぇ、何か変な魔法使ってない?」
「あぁ、やっぱり気付いたか」
泰樹が変な魔法というのならやはり変な魔法なのだろう。俺がいかに魔法に詳しかろうが、俺の倍以上を生きる泰樹には敵わないのだ。なにせ見て、使ってきた量が違う。俺が知らない魔法だって沢山知っているし、知識も経験も比べ物にならない。
「この魔法、何処かで似たようなの見たことあるよね?」
白鯨は不思議がりながら杖に聞く。情報取集に関して右に出る者はいないと称される〝無限の杖〟こと朝比奈累。彼女の頭の中には、今まで見聞きしたことが蓄積されている。一つの事に対して十も知っているような情報量の多さ。それこそ無限のように湧き出てくるのだ。
「胡散臭い旧式魔法の複製じゃないですか? それにしては、精度が良すぎるというか式に落とし込んだ様子もありませんが」
「そうなんだよね」
うむむ、と泰樹は唸りながら椅子に座った。なんだかんだで、生徒会長という役職が板についてきているのが腹立たしい。というかそれでいいのか。数千年を生きる化物が高校の生徒会長を全うするとか、もう訳が分からない。
「……さて雫。その魔法、何処で知ったの?」
「いやまぁ、知ったというより掛けられた」
「掛けられた?」
「あぁ。まぁ、その実は俺も断言は出来ないんだが……」
首を傾げながらオウム返しをする泰樹に向かって、俺もなんとも言えないようなニュアンスで答える。
「始まりの魔女が土産だとかで、掛けたんだと思う。なんかそんな事を言ってたような気がする」
「あぁ、なるほど。あの魔女の魔法なら胡散臭いのも納得ですね」
途端に朝比奈が首を縦に振った。いやいや、なるほどて。そんなに胡散臭い魔法なのだろうか。というか胡散臭い魔法ってそもそもなんだよ。
「そっかそっか。あの魔女の魔法かぁ。なら旧式なのも合点がいくよ」
にこやかに、もとい面白そうに言う泰樹。こういった特殊な話を知られると面白がってくるから、泰樹に相談するのは得策ではなかったな。くそぅ。だがしかし、他に頼れるアテもいないので必然的にこいつに相談するしかないのだ。こういう時だけは自分の乏しいを友好関係を改善していったほうが良いと思う。
「よしよし。それなら面白そうだし、ちょっと詳しく見てみようかな」
「私は特に興味がないので、大図書にでも行ってきます」
特にじゃなくて、お前の興味は情報にしか向いてないだろうが。そんな視線を軽くあしらい、朝比奈は生徒会室を出ていった。大図書に行くと言っていたからしばらくは戻らないだろう。図書と言っても学校にあるような図書室ではない。天界でも地界でもなく。はたまた人間の世界でもない、要するに不安定な場所にある世界最大の図書館だ。そこには現在出回っている物から絶版になった物。提唱されたすべての論文。世界中の全ての読み物が保管されている。ちなみに俺はまだその場所を見つけられていない。泰樹から聞けば良いとも思ったが、どうやらそう簡単には見つからないようだった。なんでも、その利用者ごとに道順が決まっているようで、他人の受け売りでは辿り着けないらしい。不安定な場所にあるから余計にだ。
「さて、それじゃ雫。そこに立って」
そう促され、俺は生徒会室の中心に立った。魔法陣が描かれているわけでもなく、机が端に寄せられているだけだ。まぁそもそも、今どき魔法陣なんて使う必要も無いだろう。昔はこぞって使われていて、早く簡単にかつ効果は最大に、と皆それぞれ独自の魔法陣を作ったそうだ。だがそれもいつしか使われなくなった。理由は単純に、描くのが大変だったからだそうだ。
使われなくなったと言えば、詠唱魔法もだろう。ほんの数百年程度前までは魔法は詠唱ありきであると考えられていたが、何処かの優秀な魔法使いが無詠唱魔法を確立したのだ。その際に〝魔法とは超高度な自己暗示である。故に言語性ではなく想像性である〟という説を見出したがため、今では無詠唱が基本となっている。この説が出てから今までは不可能と思われていた魔法も、案外違う考え方では可能だったりと魔法の幅が限りなく広がったのだ。
「自分が魔法陣の中にいるっていうのは変な感じだな」
「確かにね。どうでも良いけど、昔はこんな感じで魔法陣の中に敵を誘き寄せて、中に入ってら魔法を発動させるっていうトラップが流行ったんだよ」
「……壊されるの、俺?」
「流石にここではしないよ?」
ちょっと待て。ここではってなんだ。笑いながら言っているから冗談なんだろうが、こいつの笑い顔は何か裏がありそうで信用できない。
数分して、泰樹は魔法陣を解いた。その顔は新しいおもちゃを見つけた子供のような、キラキラした表情だった。本能的な感覚が危険を知らす。残念なことにこの表情の危うさと言うか、面倒くささはもう知っているのだ。
「それでどうだったんだ?」
「あー、別に日常生活に影響はないし、命に関わる魔法でもないから安心していいよ」
「……」
「本当に大丈夫だったよ。掛けられてる魔法も明日には解けてるはずだよ」
「……本当か?」
「うんうん。大丈夫だいじょーぶ。何も心配することは無かったよ。だから早く帰りなよ」
未だににこやかなその表情を見ているとなんだか不安が消えない。とは言え、ここまで力強く肯定されると信じるしかない。若干の疑心は残るが、ここは泰樹の言うように部屋に帰るか。あぁでも、なんだかポンコツと顔を合わせづらいから、飛び出しって来たんだった。これも一応言っておいた方が良いのか。もしも、天使に対しての拒絶反応とかだったら色々と考えないといけないし。
「なぁ、泰樹。一つ補足させてくれ」
「魔法のことで何か補足?」
「えぇっとな。その俺も変だとは思ってるんだが……」
「なんだい?」
何故だか必死に笑いを堪えているような泰樹。それでも俺は続ける。
「ポンコツと顔を合わせられないんだよ。なんだか変な感情が出てきてな。なんというかその恥ずかしい」
「ぷはっ、うん。うんうん。それも魔法の影響だと思うから。大丈夫だから早く帰りなよ」
なんか知らんが頬は膨らみ眼には涙を浮かべている。気分でも悪くなったのだろうか。仕方がない。これも魔法の影響だというのなら大人しく帰るか。顔を合わせづらいのなら顔を合わせなければ良いのだし、なにより今日一日だけだ。それなら対策も出来るだろう。俺は泰樹に礼を言い、生徒会室をあとにした。
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生徒会室に用があったから行ってみれば、そこには一人で腹を抱えながら笑い転げている東泰樹がいた。いやいや、ちょっと待て。何をしているんだこの鯨は。
「気持ち悪い。さっさと起きろ」
「すみません校長。今ちょっと無理です」
「何があったんだ」
三分ぐらいして普段の調子を取り戻した東は、ついさっき飯ケ谷が来ていたことを話し始めた。しまったな三分もかかるのならカップラーメンでも作っておけばよかった。
「……と言った感じだったんですよ」
「まさかあの魔女の名前をここで聞くことになるとはな。世界を創った魔女が一体どうして飯ケ谷に眼をかける?」
「それについては分かりません」
「だよな。それで、飯ケ谷にはどんな魔法が掛かっていたんだ?」
「感情を表に出しやすくする、というか人間の感情に近くなってました」
「なんだそれ」
人間の感情に近くなる魔法なんて聞いた事が無い。いやまぁ、私は別に個人魔法があるから心理系統の魔法なんて一つも知らないのだが。もしかしたらあいつが追加してたのかもしれん。
「ほら、雫って色々と制限されてるじゃないですか。なんかその制限が期限付きで解除されてましたね」
「あの制限を解かれるのか……」
相手が〝始まりの魔女〟とは言え、あれを解かれると自信をなくしそうだ。
「だが別に腹を抱えて笑い転げる話じゃないだろう?」
「ここからなんですよね。姫路ちゃんいるじゃないですか」
「雫の監視役だろう。それがどうかしたのか?」
「ほら彼女、相当可愛いじゃないですか。それこそ学内で噂になるレベルで。そんな子と一つ屋根の下なんて普通に考えたらねぇ?」
「ねぇ、と聞かれても良くわからん」
その言葉を聞き鯨は、ですよねと苦笑いを浮かべた。分からないものは分からないんだよ。
「まぁ、はい。可愛いんですよ。それで普通の、というより人間の男ならそんな可愛い子と同棲、なんてなったら恥ずかしさと言うか、ドギマギしてしまうわけですよ」
「あぁ、なるほど」
うん。納得した。確かにそれは腹を抱えて笑い転げても仕方がない。つまり今の飯ケ谷雫は、普通の男子高校生というわけか。それが姫路との同棲で緊張して、顔を合わせずらいと。なんというか。
「あいつも大変だな」
「それについては概ね同感ですね」
と言いつつ笑い話にするあたり、この鯨は面白がっているだけなのだろう。
「でも一応、明日には解けるんだろう?」
「そうですね。でもそこが少し疑問なんですよ」
「疑問だと?」
さっきとは打って変わって、真剣な雰囲気を醸し出しながら鯨は言う。
「効力が短いのはそう設定したからなんでしょうが、まがりなりにもこの世界の創造主である魔女が掛ける魔法にしては、やけに手抜きと言いますか、雑だったんですよ」
「ほう」
「何か焦っているようにも見えましたね」
「焦っている、か……」
ふと外を眺める。
窓の外はもう夕日が世界を淡く照らし始めていた。帰宅途中の学生の声が楽しそうに響いている。まだ、大丈夫だ。まだこの世界は生きている。任されたこの場所は、もう少しだけ待ってくれるはずだ。やらなければいけないことが、守らなければならないモノが沢山ある。あの魔女が焦るような事態が仮に起こり始めたともすれば、私が全てを守りきれる確証はない。あの魔女は自身の世界を壊され眠りにつく前に、何を伝えるのだろうか。
「あまり大変な仕事は出てこなければ良いのだがな……」
小さな不安を抱きながらつぶやいたその言葉は、紅く染まった空に吸い込まれていった。




