無免許
ヴォルガーも無免許医みたいなもんだな。
その日俺はうっかりしていた。
朝、授業を受けにやってきた二人を家に入れ、うーんトニーが九九を完全に覚えたらどうしようかなとか考えつつ引き算もまだできないディーナを見たら、今日のTシャツには『細土服』と書いてあって「サイドフクってなんだよ」と思わず声にだして言ってしまった。
言われた当のディーナはぽかーんとしていたが、隣にいたトニーが「あ、これサイドフクって読むっすか」と変な知識を身に着けそうになってしまったので
「いやそれは字が間違ってる、そんな言葉はないから覚えなくていい」
そう教えたんだがそうすると今度は「じゃあいつもはなんて書いてるっすか?」と聞かれ、ここでうっかり「シンシフクだよ」と言ってしまった。
それに対しディーナが「え…あれってサイシフクだって大司教様が言ってたよ?」と言い始め、しまったと思った。
タックスさんも『紳』という字を説明するときに『サイ』と発音してて、紳士という漢字すら読める人間がいないのか?と思い、漢字に詳しい人間がやっぱりこの世界では少ないんだなとわかったんだった。
その時は訂正したら絶対意味を聞かれると思ってスルーしてたのに。
そのことを完全に忘れていた…
で、意味を聞かれる前にじゃあ早速授業をやろうか座って座ってと二人を急かして話題をごまかして危機を乗り越えたと安堵していたら
「トニーから聞いたのですが、ディーナの服に書いてあるのはシンシフクというらしいですね?」
今俺は、昼の報告を終えて、タックスさんにそう聞かれている。
くっ…トニーに口止めしておくべきだったか…
「シンシとはあれですか、『紳士淑女』の『シンシ』ですか?」
何で紳士という単語の概念があるのに漢字は知らないんだよ!!
俺は内心激しくつっこんだ。
しかしもうごまかせそうにない。
「…ええそうです、実は最初に見たときから読めてました、だけどあれは決して『紳士服』なんかじゃあありません、なんというか…ふざけてそう書いてあるだけだと思います、しかしそれを伝えていいのかどうか迷ってまして…」
「まあ、迷う気持ちはわかります、男の貴族が着るような礼装にもあんなものはありませんからな。私も、いえ、恐らくあの服に関わった大多数の人が同じ気持ちでしょう。ただ神殿の大司教様があれは聖衣とみなした以上誰も口を挟めませんでしたが」
何かホントゴメン…としか言いようがない。
「それであのーディーナにはどうしましょう、伝えた方がいいですかね?」
「いえいえ伝えなくて結構、本人はあの服気に入ってますからほおっておきましょう」
「い、いいんですかそれで」
「彼女あれの失敗作しか服を持ってませんから、それに他に着るものを用意すると面倒なんですよ、背が高いので彼女に合う女物の古着もあまりないですからな」
「では今後もこのことは秘密ということで…」
「はい、何も問題ありませんな」
許せディーナ、責任は元の俺にあるんだ、今の俺は悪くないはずなんだ。
「それよりヴォルガーさんはカンジに詳しいと思っていいのですかな?」
「いやあどうなんでしょう、それなりに勉強はしたんでわかりますが、この辺に住んでる人がどれくらい漢字が読めるのかよくわからないんで、比べられないんですよね」
「皆たいした違いはありませんよ、字が読める者は普通はひらがなが読めるだけです、学校に行ったものや私のような商人などは、それに加えカタカナと、あとは店の看板や商品の名前に使われてる簡単な漢字を覚えてるくらいでしょう」
そうなのか…じゃあすごい頭がいい人でも小学校低学年レベルかな…?
店の看板もそういえば全部ひらがなの方が多かった気もする。
露店は看板すらなかったけど。
「店の看板に漢字が入ってるところはもしかして値段が高い店ですか?」
「そうです、学がある客というのは大体金持ちですからね」
あぶねえ聞いといてよかった、実は街に来て最初の日に見かけたテムテム料理の店とかいうのも気になっていて近いうち行こうかとか考えてた。
あそこは言わば高級料亭みたいなもんか。
「本屋とか無いですかね?一回普通に売ってる本がどの程度の漢字を使って書かれてるか見てみたいんですが」
「いやあ本自体が高級品なのであまり売って…あ、そうだ!ちょっと待っててください!」
タックスさんはそう言って店の奥にドタドタと駆けて行った。
なんだろ、何か本を持ってきてくれるのかな。
少し待ってると何か一冊の本を手にタックスさんが戻ってきた。
「ヴォルガーさんこれ読めませんか!」
古い、結構ボロボロな本を手渡されて表紙を見てみると…
「なんだろ…『マドウシャ?取扱説明書』」
「うおおおおおおお!ちょっと私と一緒に来て下さい!!」
表紙を読んだだけでタックスさんにひっぱられて連行された。
おいおい何事なんだよ…
………………
………
俺が連れていかれたのは敷地内にある倉庫のひとつだった。
ここに入るのははじめてだ。
中は薄暗かったので久しぶりに<ライトボール>の魔法を使って明かりを出した。
タックスさんが一瞬ビクッとしたがああそうだ魔法が使えるんでしたねと特に気にせず、そんなことはどうでもいいんだと言わんばかりに布がかけられた何か大きな物の前まで俺を連れて行った。
「これが『魔動車』です!!」
そう言って布をバサっと取り払い、中から出て来たものは…
「ちょ、これって…」
鉄の箱状の物体にバカでかいゴム製の車輪が4つ着いてて、箱の中、半分より前には人が座れるような座席が二つあり、後ろ半分は特に何もないスペースになっている。
その物体の正面と思われる場所には恐らく明かりが着くのであろう透明な…いやもう車、自動車だよこれ!完全に!
何かこういうオフロード車のラジコン昔持ってた記憶あるよ!
「あのこれ…乗り物…ですよね」
「ええ!そうなんです!凄いでしょう!なんと馬なしで走るんです!」
ああうん、まあそうだろうね。
馬はこれ引かされたら拷問だよ。
「詳しく説明してほしいのですが」
「わかっておりますとも!」
タックスさんは生き生きとしてこの『魔動車』とやらの説明をしてくれた。
詳しい説明を要求しなければよかったと後で思った。
なぜならコレの説明をする彼の姿は、自分の趣味について必要以上に聞いてないことまで話す人の姿であり、言ってみれば車オタクとでもいうのだろうか、とにかく話が長かったのだ。
話を要約すると、タックスさんは若い頃、亡くなった嫁さんと共に冒険者をやっていて、あるダンジョンでこの車を見つけた。
タックス夫妻はなぜかこの物体に一目惚れした。
絶対乗り物に違いないと確信してから、なんとかして動かせないかと日々研究するために冒険者なんかやってられねえ、そんなことより学者を雇ったりこれを綺麗に修復したりするのに金が必要だ!と思って商人になった。
しかし嫁さんは動くところを見る前に病気で死んだ。
最後の言葉が「どうかあれを動かして」と最後まで車のことを気にしていた。
息子が生まれていたのに息子そっちのけで車のことを頼んで逝った。
親としてそれでいいのかと思うがタックスさんは嫁さんの願いを叶えるために研究を続けた。
そしてようやくなんとか動かし方がわかった。
つい最近のことだ。
そしてぶっつけ本番でタックスさんはコイツにトニーとディーナを乗せて、王都リンデンから逃げた。
馬車で10日以上かかる距離をわずか1日で走破した。
時速何キロでていたか考えると恐ろしい。
そうやってコムラードまで来たんだがどうやらぶっ壊れたのか車が動かなくなった。
タックスさんの夢はなんとか修理して再びコイツに乗って走り回ることである。
夫婦で冒険者だとかダンジョンあるとか車以外もつっこみどころが満載だったが話は以上だ。
「直す手がかりはこれと一緒に見つけたその本だけなのですよ!ですがカンジが多すぎて完璧に読める者が今までいなかったのです。ヴォルガーさんどうかこの本を翻訳してください!」
「はあ、まあ構いませんが…」
「直ったら乗せてあげますから!」
「いやそれはいいです」
不安しかないので是非お断りしたい。
「いやいや乗ったらわかりますから!物凄い速度ですよ!他では味わえない快感です!」
トニーとディーナは乗った時どんな気持ちだったんだろうな。
後で二人に聞いてみようと思った。




