かいわれ
だいこん
僕はこれまでの人生で二人、特別な人間に出会ったことがある。
その人たちのことを言葉ではどう表していいのかわからない。
尊敬しているとも言えるし、一方では近寄りがたい存在とも思っている。
好きとか嫌いとかって話じゃない、同じ人種とは思えない、理解したがたい存在なんだ。
その良く分からない存在の内の一人は鹿沼社長。
この人は間違いなく天才と呼ばれる人種だと思う。
会社は鹿沼社長一人で持っているようなものだと言っても過言じゃない。
しかし、五年一緒に過ごしてきたというのに僕は未だに社長が何を考えてるのかさっぱり分からないことが多い。
もう一人はヴォル…本名ではないけど僕にとってはその名前が一番しっくりくる。
僕の姉がある日突然、彼氏だと言って家に連れて来た男だ。
僕と違って社交的で、僕の両親にもすぐ気に入られていた。
初対面だったのにも関わらず、結構馴れ馴れしく僕にも話しかけてきたから、正直第一印象としてはうざいやつだな、と思った。
当時の僕は大学受験に失敗して、何もやる気が起きず引きこもりになっていたのでヴォル以外の誰であろうとも、話しかけられたらそういう風にとらえていた節はある。
家族と話すのさえ嫌だったくらいだ。
現実で誰とも話をしたくないから、部屋に閉じこもってパソコンを一日中いじっていた。
最初の出会いからして僕は失礼な態度をとっていたため、彼とはもう話すこともほとんど無いだろうとたかをくくっていたのだけど、どういうわけかヴォルは家にくるたびに僕に話しかけてきた。
僕がトイレとか、食事とかのために仕方なく部屋を出た瞬間、運悪く出会ってしまってしつこく話しかけられた。
その時本気でペットボトルに用を足そうか迷ったこともあるな、結局やらなかったけど。
そのおかげで僕は知りたくもなかったのにヴォルという男のことを段々と知るはめになった。
何が面白いのかわからないけど、ヴォルは僕に何か質問するたびに、自分のことも一つ話すのだ。
僕が無視しようとしてもおかまいなしだ。
気が付くと、僕がとる行動は無視からさっさと話を切り上げるために適当に質問に答えるようになっていた。
その結果…なぜかわからないけど、いつの間にかヴォルは僕の部屋に入ってくるようにもなって、僕もそれを嫌だと思わなくなり、普通に話をするようになっていた。
僕が変われた直接的なきっかけは社長との出会いだろう。
しかし、あの時社長に出会って、逃げずに話ができたことはヴォルのおかげだと思う。
だけどいまだにヴォルがなぜ僕のことを遠ざけずに熱心に相手をしてくれたのかわからない。
それとなく姉に問いただしたことがある、僕のために何度もヴォルを家へ連れて来たのかと。
違うと言われた、姉にとってもヴォルの行動は予想外だったらしい。
でも何かそれが僕の引きこもりを止めてくれることになるかもしれないと思って、ヴォルが僕の部屋に行きたがるのをとめなかったそうだ。
社長と出会って、僕が仕事をするようになり、なにもかもうまくいき始めた。
きっと姉とヴォルはそのまま結婚するのだろうと思っていた。
でもある時から突然、ヴォルは家に来なくなった。
姉と別れたらしい。
それも姉から別れを切り出したそうだ。
あんなに仲が良かったのになんでだろう…僕はそのことを姉に対し深くは聞けなかった。
どう見ても落ち込んでいるように見えたから。
自分で別れを切り出したことだけ告げられた、なのに相当落ち込んでいた。
両親もその様子を見てあまり深く事情を問いただすのはやめたようだった。
それから僕は仕事の忙しさもあって、姉とヴォルのことをあまり考えないようになっていった。
だけどそれが恐ろしい事のようにも感じられた。
こんな簡単に、友人だと思っていた人のことも忘れていくのだろうかと。
だから僕はそれが嫌で、姉にヴォルの連絡先を聞いた。
姉は素直に教えてくれた、一応まだ連絡先を残していたようだ。
未練があるのかと思ったけど…僕に教えると同時に、自分のスマホからヴォルの連絡先を消去していた。
しかしいざ連絡先を知った後、しばらく僕は何と言ってヴォルに話しかけたらいいのか悩んでいた。
普通に考えたらヴォルにとって僕は、自分を振った相手の弟という立場の人間だ。
もうあまり関わりたくないかもしれない。
そんな関係で、一体何と話しかければいい?
悩んだ挙句、僕は「一緒にゲームをやらないか」と連絡した。
まだ家にヴォルが来ていた頃、ヴォルは元々あまりゲームをしない人だったのに、僕がやってるネットゲームなどを熱心に眺めてはあれこれ質問してきていたのを思い出したからだ。
もしかしたらネットゲームで一緒に遊ぶくらいなら、顔を合わせずに済むし、上手くいくかもと思ったのだ。
その僕の提案に対し、ヴォルは昔の調子のまま、軽い様子で「やるやる!」と返して来た。
彼は僕より年上なのにそういうのを感じさせない不思議なところがある。
そして僕は…あるゲームをヴォルに提案した。
それが「ほわほわオンライン」、社長が生み出したVRMMOだ。
僕が開発にもかかわっている部分がある。
ヴォルはそれが僕の会社で作られた物とは知らない。
ほわオンが世に出る前に姉と別れたし、僕も社内の機密を外に出すわけにいかなかったので何を会社でやっているかはほとんどヴォルに話してなかった。
僕が自社のゲームを、ユーザーとして遊ぶのは会社からすると割とアウトな行為だった。
それでも僕はどうしてもヴォルにこの作品を見て、遊んでほしかった。
僕は会社には黙ってヴォルを誘い、一般ユーザーとしてのアカウントでほわオンをプレイすることにした。
勿論、ヴォルにも僕がこのゲームの開発にかかわっているなんてことは内緒だ。
彼のことをヴォルと呼びはじめたのはここがきっかけだ。
最初のキャラクリエイトで名前を決めるのにてこずっていた彼に対し、僕がヴォルガーという名前を提案したのが始まり。
悪ふざけで言ったんだけど彼は本当にその名前をつけてはじめてしまった。
名前の意味がバレた時は、初めてヴォルに怒られた。
まあそれも、本気で怒ってたわけじゃなかったけどね、彼はなんでもすぐ割り切って楽しもうとするところがある。
意外だったのはヴォルが支援役に徹したところだ。
もっとぐいぐい前にでるようなタイプの職業をやりたがるかと思ったが違った。
もっと意外だったのはネットゲーム初心者のくせに、少し教えただけで完璧に支援役をこなすようになったことだ。
ほわオンでは大体皆、自己支援くらいはできる戦闘型のキャラクリエイトをするので支援特化というのは貴重な存在だった。
だからヴォルは一人では何と戦うこともできない、必ず誰かを誘う必要がある。
そうやって色んな人に声をかけていたせいか、いつの間にかほわオン内では彼を中心に人が集まるようになっていた。
僕とヴォルがほわオンで遊ぶようになってから数年が経過した。
僕はオフでもヴォルと会うようになっていた。
でもヴォルは姉と別れた後、遠くに引っ越していたからすぐには会えない。
年に数回程度だ。
やがてほわオン内のメンバーで集まってオフ会をやろうという話になった。
ヴォルはそのことにはすぐ賛成した。
なぜなら彼は、ほわオン内で見つけたある女の子に目をつけていたからだ。
ヴォルは結構女性関係にだらしないところがあって、ゲーム内でも女の子を露骨にひいきしたりすることがある。
姉と別れたのも、ヴォルが浮気したとかじゃないのかと思ったこともあるが…
まあそこは、当人同士の問題なので尋ねたことは無い。
そしていよいよオフ会当日が来て、ヴォルは目論見通り目を付けていた女の子と二人、オフ会の終わりにどこかへ消えて行った。
たぶん相手の家に泊ったんだろう。
…ただ、そこからが問題だ。
それから数日後ヴォルはほわオンにログインしなくなった。
最初は例の女の子と何かしてたり、仕事が忙しいのかと思っていたのだけど、ログインしなくなって一週間が過ぎたので変だなと思って連絡すると…とんでもないことになっていた。
電話したときヴォルは滅茶苦茶焦っていた。
「みかんちゃんに家を特定されて押しかけられてる!何とか隙を見て逃げ出したけど…家に勝手に入られて財布とか全部どっかに隠されててわからねえんだ!スマホだけお前が電話してくれて音がなったからわかったけど…このままじゃまた見つかってベッドに手錠で繋がれる!」
何がどうなってるのかわからなかったけど…みかんちゃんというのがオフ会で会った女の子のことだ。
聞く限り相当やばい性癖の持ち主だったらしい。
僕は一応警察に行くことを勧めたのだが
「け、警察はまずい!なんか問題起こしたらまた仕事を変えなきゃいけなくなる!それにみかんちゃんを怒らせたら何をされるかわからん!だからとりあえずほとぼりが冷めるまで俺は身を隠す!このスマホも後で捨てるから!いずれまた会おう!さらば!」
とか言って一方的にどこかへ消えてしまった。
また急な別れだった。
…焦っていた割にそれ以降本当に連絡がつかなくなって、誰もヴォルの行方がわからなくなったので実を隠すことが妙に手馴れているなと思ってしまった。
過去に同じような経験があるのかもしれない。
いよいよもってヴォルのことがよくわからなくなった瞬間だった。
そのヴォルが、突然僕の目の前に現れたのだ。
それもほわオンの、社長専用のテストサーバー内に。
その時ヴォルと一緒にいたアイシャという女の子は、たまにヴォルが二人きりでほわオン内で遊んでいた女の子だ。
みかんちゃんかアイシャちゃんのどっちかを狙ってるんだろうなとは思っていた。
もしかしたら両方だったのかも。
なぜその女の子と一緒にテストサーバー内にいるのかわからない。
もっともおかしな点は、ヴォルはほわオンのアバターではなく、ほぼ現実のヴォルと同一の姿でふらついていたことだ。
ほわオンのキャラクリエイトはかなり細かくできるが、現実の姿とほぼ同一なんてありえないことだった。
僕はあまりに理解不能な出来事に、黙って二人を見つめることしかできなかった。
やがて二人はどこかに消え…サーバーの管理ログからも存在を消した。
そのことを僕は社長に報告しなかった。
言えば間違いなくヴォルは二度とほわオンにはログインできなくなるし…というか犯罪行為にあたるのでなんなら逮捕される。
そして僕がヴォルのことに詳しいのがバレると、僕が会社に黙って一般アカウントでほわオンをプレイしてることもバレてしまう。
結局僕は、それから何事もなかったように取り繕いつつ、グロ鯖の監視を続けた。
またヴォルとアイシャちゃんが現れるんじゃないかと思って。
結論として言うと二人は何度も現れた。
しかし毎回どこからログインしてるのか特定できない。
恐ろしいことに…ネットワーク回線から遮断した状態であっても、二人はログインしてくるのだ。
ここまでいくともう幽霊かなにかと疑いたくなる。
こんなの超常現象だ、誰にも信じてもらえない。
二人はそうやってログインして何をしてるのかというと、普通にほわオンをプレイしているだけ。
わざわざグロ鯖で遊ぶ意図が全く分からない。
強いて言うなら、ここならみかんちゃんに見つかる心配はないということくらいだけど…
僕は二人にどう対応すべきか考えた。
僕がかいわれで、実はほわオンの運営会社の社員だと言うべきかどうか。
それはできればヴォルには知られたくないことだ。
彼をずっと騙していたことがバレてしまう…
しかし普通にGMとして話しかけるとその瞬間逃げられる可能性がある。
これまでも唐突にログアウトして姿を消している。
こっちが何か制限してもおかまいなしに二人はこのグロ鯖を行き来できるのだ。
二人にすぐ逃げられず、会話をする方法として僕はまずアイシャちゃんに話しかけることにした。
ゲーム内のメール機能で。
これなら他の人に知られることなく1対1で会話ができる。
『アイシャちゃん、僕だ、かいわれだ、これを見たらまず落ち着いて冷静になってヴォルには悟られないよう、何か返事をしてほしい』
余裕のない文章になってしまったが、僕はそう書いてアイシャちゃんにメールした。
これがうまく届くのかどうかも怪しいところだったが…
少しして、返事が返って来た。
『かいわれさん?本当にあのかいわれさんですか?』
どうやら本当に、あのアイシャちゃんで間違いないようだった。




