38話 死神ウォッチング3
僕が隣の人物の奇行に目を奪われている間に、事態は急展開を迎えていた。
PK達に増援がやってきてしまったのだ。
蠍を模した赤い鎧を纏った5人のプレイヤー。
相手の数はこれで10人。
モヒカン達はLV25。赤鎧達のLVは28となかなかに高レベル。
死神とPK達のレベル差がかなりある。
それにあの死神がいくら強いと言っても、この人数差だ。数の暴力に敵わないだろうと結論に到り、隣の彼女に声をかける。
「加勢に入りましょう! 僕と御影さんが死神の援護すれば、だいぶん楽になるはずです。その間に、あの少女を逃がしましょう。僕が先行するのでフォローお願いします!」
そう言って僕が一歩踏み出した瞬間――天と地が逆さまになった。
いや……僕自身が逆さまになったのか……。
気がついたら頭が地に着き、足が宙に浮いていた。
「……だから、私の観察の邪魔をするなと言っているでしょ。貴方には学習能力がないのかしら? その頭は飾り? それなら今すぐ脳味噌を取り替えることをオススメするわ」
――速い。
相変わらず何をされたのか分からないまま地面に倒されていた。
そして、あまりも辛辣な言葉だ。
「相手は10人ですよ! 一人で勝てるわけないじゃないですか! それに、あの死神がやられたら次の狙いは少女に向きますよ、見殺しにするつもりですかっ!」
「……なんの冗談かしら? 彼が負ける? それこそあり得ない話ね。それに見てみなさい、彼は焦っていないわ。それどころか、彼……笑っているわよ。……ふふふふ、まるで、これから楽しくなってきたとでも言わんばかりだわ」
僕はうつ伏せになり、慌てて彼女が言うように死神へと視線を向かわせる。
すると、ローブのフードで表情こそ窺えないが、覗いている口元は弧を描くように吊り上がっていた。
僕はゾワリと背筋が震える。
それは、獲物を狙う狩人のような獰猛な笑み。けれども子供がオモチャを与えられて喜ぶような純粋さも感じさせられる不気味な雰囲気を感じた。
「とりあえず、貴方はそこから動かないで……迷惑だから」
彼女はそう言うと、僕の背中に体育座りで腰を下ろした。どうやら余計な行動に出られないように座布団替わりにされてしまったようだ。
背中に感じる重みと温もり――そして彼女の柔らかなお尻の感触。
彼女は、無愛想で余計なことを言うと刃物を押しつけてくるような危険人物だが、見てくれだけは美少女だ。
僕だって男。なんとも言えない気持になる。
……落ち着け、落ち着くんだ僕!
煩悩退散!
煩悩退散!!
煩悩退散!!!
僕は頭の中で呪詛のように呟きながら、地面へと頭を何度もぶつけて正気を取り戻す。
そんな僕を、まるで珍妙な生き物でも見るかのような目で彼女が見ていた。
どうやら彼女は男女の機微には疎いように感じられる。
本当に観察以外はどうでもいいみたいで、自分自身のことさえも興味を抱いていない様子。
それにしたって変人に変人を見るような目を向けられるなんて納得がいかない!
僕が非難めいた視線を彼女に送るが、当の本人はすでに興味を失い、死神へと熱い視線を向けていた。
それにしても、あの死神はこの人数差相手にどうやって戦うつもりなのだろうか?
僕は気持を切り替えて死神の動向を窺っていると、動きがあった。
死神が、その辺りにいるスライムを一匹捕まえ、小脇に抱えると一瞬で消えた。
また、あの移動か?
隣にいる彼女の視線を追うと死神がPK達と結構離れた位置まで移動していた。
あの様子を見るに、逃げたわけではないだろう。
なら、なぜ距離を取った?
僕が死神の動向を訝しんでいると、その答えは返ってきた。
死神は拉致したスライムを地面に降ろすと――大鎌でスライムを切り裂いたのだ。
……二匹に分裂した?!
それから、二撃、三擊と刃が振るわれるたびに増殖していくスライム達を、僕は口を開けたまま呆けて眺めてしまっていた。
スライム大量発生の原因は死神のせいだったのか!?
それにしても、どういう理屈でこんなことが起こっているのか分からない。
こういうときこそ頼るべきは安心と信頼のミカゲペディアだ!
「ミカゲさん、説明よろしくお願いします!」
全力の他力本願!
餅は餅屋に任せるに限る。ストーカ……もとい、死神研究家の彼女ならば理解しているはずだ。
「……はあ。少しは自分で考えたらどうかしら? ま、まあ……彼のことを詳しく知っているのは『私だけ』だから説明してあげてもいいわよ。あれは、スライム自身が持つ種族特性と、あるスキルの――」
なんだかんだ文句を言いつつも、死神のことを語れるのが嬉しいのか質問に答えてくれる。死神が関わると途端にチョロくなる彼女は素直に可愛いと思う。
口に出したらどんな酷い目に遭うか分からないから絶対に言わないけどね。
スライム大量発生の謎が解けたよ。
それにしても【手加減】のスキルを意図的に利用するとは……彼女が言うとおり死神の発想力は傍から見ていて楽しい。
それで、スライムなんかを増やしてどうするつもりだ? 次は何を見せてくれる?
次の瞬間。
死神がバットでも構えるかのように大鎌を持ち、振り抜いたものは――スライムだった。
超加速して飛来する青い粘着物質は赤モヒカンに着弾すると後方へとぶっ飛ばす。
はあ!? そんなのあり?
自由すぎるだろ、あの死神。おかしい……僕とやっているゲームが違くない?
もしかして、少女がPKに襲われたときに飛んできたスライムは死神がやったものだったのか!
だとしたら、あの死神に感謝しないと……。
あの刹那の瞬間では間違いなく、僕では間に合わなかったのだから。
それから死神の一方的な蹂躙が始まった。
残りのモヒカンどもをまとめてぶっ飛ばし。対策を練って挑んできた赤鎧達の列車作戦も、緩急をつけたスライム玉をぶつけて軌道変化させるといった離れ技を死神がやってのけて、あえなく撃沈した。
そこへ倒れたPK達が小山になっている箇所に、死神が情け容赦なくスライム玉を弾き飛ばしてボーリングのピンのように崩れ飛んだ。
それを見て一仕事終えたと言わんばかりに、どこか満足げに死神が頷いていた。
「…………ぷっ、はっははは――あっはははははははっ!!」
僕は耳を疑った。
届けられた音は喜色に富んだ明るい声……それが僕の頭上からするのだ。
それはあり得ないと思った。
なぜなら、僕の知る彼女は無愛想で鉄面皮で観察以外に興味を一切抱かない、人間味の薄い冷たい印象が強くあったからだ。
ふと、僕の背中にあった重みが軽くなる。
僕は恐る恐る、後ろを振り返った。
そこには地面の上でプルプル震え、耐えかねるとばかりに、お腹を押さえてゴロゴロと笑い転けている彼女。
彼女は、紅い瞳に涙を堪えて子供のように邪気のない純粋な笑みを浮かべている。その笑顔は本当にとても魅力的で、僕は思わず見惚れてしまっていた。
「はあはあはあ……もうだめ、お、お腹痛い………苦しい……ぷっ、あはははははははは!!」
笑いすぎて息もたえだえの彼女は苦しみながら藻掻くと、また思い出し笑いをして苦しむという無限地獄を味わっていた。
死神の荒唐無稽な行動の数々は彼女のツボに嵌まってしまったらしい。
それから彼女は数分もの間、笑い続けてなんとか正気に戻った。
そこでやっと僕の視線に気づいたのか、スッと顔の表情が消えて冷静になる。だけど、耳や頬に残る朱色までは隠せていなかった。
僕は彼女の思わぬギャップに頬が緩むのを感じた。
「っ……。何か言いたいことでもあるのかしら?」
「ヒェッ、いえいえ何でもございません! み、御影さんの思い違いじゃないでしょうかっ!」
僕は、そんな彼女に親近感を覚えつつも、首筋に当たる冷たい鉄の感触に怯えるのだった。