その9 後遺症との戦闘中
退院までは順調だったものの、改めて女性ホルモンの一気減少による影響はすさまじいものがあると実感中です。
麻酔酔い、筋弛緩剤の効果が切れてからの「手術の傷」の回復は異状な速さだったと思う。
入浴許可が出た日以降は食事も普通(推定1500kcalに一日の摂取量がコントロールされているとはいえ、昼、夕は特に食べきれない量だったので完食は難しかったけれど)に取れ、回診の都度医師からは毎回、
「今日もお元気そうですね」
という言葉をかけられていた。
傷(内外)の癒着を防ぐために、なるべく動こうと売店には一日一回足を運んで店内をぐるぐる巡回していた。昼間はベッドを椅子状に起こしてノートPCでネットサーフィンしたり、メールのやりとり、スカイプでのチャットや、持ち込んだ本をちょっとずつ読んだりしていた。
そのせいで、あとで仲良くなった看護師さんに聞いたのだが、ガン疑いで手術なのにいつも笑顔で応対しているし、PCで何かしてる謎の患者。一体なんの仕事をしている人だろうと仲間内での話題を提供していたらしい。
貧血も鉄剤の点滴だけで数日で元の値に復活していた。我ながらなんなんだろうという感じである。
そして、本来ドレーンが取れる予定だった土曜日に退院が決定した。痛みもなく熱も下がり、貧血も解消しているわけだから入院させておく必要もないわけだ。
午前中に退院のため、荷物をまとめて(といっても大した量ではない)請求書をもらい階下の自動料金支払い機で入院手術費を支払う。領収書を事務で見せて退院証明書をもらい、手首の患者バンドを外してもらう。晴れて退院である。院外のタクシー乗り場でタクシーに乗り、自宅に帰った。
母の、
「あら お帰り」
という反応は想定内だったが、入院中すごく心配していたオカメインコの反応はというと、ピキャ! という半ば威嚇を含んだものだった。ずっといなかったからなのか、誰だっけだったのか。
それでもすぐ「いつも通り」に肩に乗って過ごしていたが。
そして後遺症だが、術後かなり時間がたってから発現した。最初は2か月くらい過ぎてからだった。
いわゆる更年期症状と言われるあれだ。特にひどかったのはホットフラッシュ。一切の予兆も気温も時刻も関係なく突然のぼせて暑くなる。これは術後2年たった今も派手に続いている。
そしてじわじわとガンマ-GPT、悪玉コレステロール値、血圧が上昇し始めたのがその半年後。
ほぼ同時期に唾液量の激減、目の乾燥、繰り返す血液を含む帯下に悩まされ始めた。いずれも女性ホルモンの減少による症状。帯下はホルモン減少による膣壁が薄くなり粘膜保護成分の分泌減少による乾燥 いわゆる萎縮性膣炎(元の名前が老人性膣炎だったけれど年齢関係なく腫瘍などで卵巣などを摘出すると発症するので改称された。最初の命名者は女性じゃないだろうな!)。
これは女性にとっては非常にデリケートな問題であり、子宮卵巣全摘と相まって、既婚未婚パートナーの有無問わず、自身の女性性を全否定されているような気持に陥るような感覚に大なり小なりなるだろうと思う。
ホルモン補充での軽減はわかっているのだが、これは選択しなかった。乳がんリスクが上がるのと、自分に合う量のホルモンがわかるまで調整に相当時間がかかり、合わないとつわりのような症状が出たりするのを知っているためだ。
翌年夏に精神症状として、異常な怒り発作に見舞われるというのを初めて経験した。これは半年ほどで完全に消失したが、PMS(月経前症候群)で毎回この怒り発作に見舞われるという友人数人がいたので聞いてはいたけれど、自身が経験したことはなかった。コントロール不能な突き動かされるような凄まじい怒りがわたしの場合理不尽と感じたことに対して一気に噴火する。これはほとほと持て余した。二度とごめんだ。
血圧と肝機能数値は食事を1200kcalまで落とし、運動(といっても外出困難なのでストレッチやスクワットなどだけれど)を続けても一向に良くならずどんどん悪化し、血圧は最高記録148/198、血中脂肪も中性脂肪まで上がりだし、やむを得ず降圧剤とコレステロール合成抑制薬を服用して現在も様子見中だ。
食事は油ものは嫌いだし、バランスは考えて食べていたし酒もタバコも一切のまない。甘いものは好きだけれどペットボトル飲料をよく飲むとかスナック菓子や連日スイーツを食べるということもないのだが。何をどう食べても(数か月一日摂取を1000lcalまで落としてもみた)悪化の一路だったため、一年くらいで食べること自体がストレスになってきてしまった。
もう食事とかじゃなく、錠剤数錠で一日の必要分取れればいいのにとまで思いつめたレベルである。買い物に行くと「お前の食べて良い物なんかない」と商品が語りかけてくるような感覚にさえ陥る。現在は朝昼夜ではなく朝(10時前後)と夕方(17時前後)の2食に落ち着いた。お菓子などを食べたいときは昼に少量持っていくことにしてみている。今はもう少し間食もするなどしているけれど、食べる楽しみがあまりなくなってしまったのは辛い。
また、もともと苛めやハラスメントの影響下にあった期間が長かったため、子供のころから「あーよく寝た」という経験がない。
夜中に地震などで目が覚めると、昼間同様即動けて頭もハッキリするから、眠りも浅いのだろう。これも悪化して、麻酔酔いのぶり返しのように夜中急にヒヤリとした感覚とともに気分が悪くなって目が覚めたり、横になった瞬間急に吐き気に襲われるという症状が出てきた。(起き上がって少しすると落ち着くが)
こっちはフラッシュバックなのかもしれない。
整形外科関連では急に膝腰が痛むようになり、閉経や卵巣子宮全摘に伴い骨密度の低下もあるあるなため骨密度測定と関節の検査のため受診した。骨密度は問題なかった(20歳代の骨密度!)が、変形膝関節症と腰椎すべり症を言い渡されてきた。ガックリである。幼少時から関節は弱いのでそのせいもあるんだろうけれど。このあたりは様子を見ていくしかないんだろうなあ。
あとは傷の外部分が一部瘢痕(赤紫色に変色し大きく盛り上がって痛痒さを伴うこともある)になってしまった。それが予後異常と気づいたのが去年だったのだが、術後早めに切開の傷あとケアを形成外科か皮膚科で相談しておいた方がいいと思う。
そしてわたしの退院後半年で母がアルツハイマーを発症した。ガンコで決まった手順や自分の常識にこだわり、新しいものが大嫌いなのでなりやすそうだとは思っていたが……なんてこった。
もっともこちらはまた別の話になるので、今回の手術記はこれで筆を(……PCで書いてるんだけれども)置こうと思う。
症状も予後も人によるとしか言えないけれど、同じ病に悩むどなたかの、何かの参考になれば幸いです。