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その7 長い長い20時間

「終わりましたよ!」


 唐突に明るく元気な主治医―執刀医でもある―の声で、さながらスイッチが入ったかのように意識がハッキリと戻る。状況も解っている、さっき手術開始だったのだ。ゾクリと背中に冷たいものを感じたがその感覚はすぐ消えた。


 しかし気分体調は最悪だ。無茶苦茶眠くて眠りかけたところを無理に起こされたかのような異常な眠気、気管支挿管の影響でノドになにか引っ掛かっているような違和感がすさまじくあり、咳払いしたいのに呼吸がやっとでそれもできない。過呼吸発作もそれがトリガーで起っているのだが、弱い呼吸しかできないため過呼吸発作不全である。ストレスがすごい。目を開けたいのに瞼も動かないし、自分の体が自分のものではないかのようにどこも全く動いてくれない。さらにちょっとなんな話だが、尿意がすごい……。いや、カテーテル入ってるはずなんだけど、そのせいか。うわあこれ最悪だわ。そしてニブイ乗り物酔いのような気分の悪さがじわじわ広がる。眠いのに金縛りにあっていて気持ち悪くて眠れない感じ。


「良性でしたが、子宮卵巣、全摘になりました。病室にこれから移動になります」


医師の声と同時に、寝かされているモノが移動を始めるのがわかる。凄まじい努力で一瞬瞼を開けると、エレベータの天井がちらっと見えた。そのまま移動感覚はしばらく続き、寝ているものの動きが止まった。どうやら術後病室ベッドにそのまま移されて覚醒、ベッドそのまま病室で固定された模様。


「それで、どうでしょうか?」


妹とバトンタッチした叔母の声がする。


「無事終わりました、簡易検査では良性です。念のため組織検査を行いますが、おそらく問題ないでしょう。

 かなり癒着がひどかったので時間がかかったのと、出血がかなり多くて、ですがどうにか輸血しないで済みました」


主治医の可愛い声。どうにか輸血しないですんだって、外科医が言うってよほどである。ということはすごかったんだろうなと思う。そんな風に脳はいろいろ判断し思考できていて意識もはっきりしているのだが、とにかく自分の体が自分のものになってない。ミリも動かない動けない。やっとのことで目を開けてみたが、目線すら動かせない。ひどい。頭上の酸素発生装置が作動し、ボコボコと盛大な水音を立てはじめ、酸素マスクがつけられるのがわかった。


「……大丈夫?」


叔母が声をかけてくるが、返事をしようにもやっと絞り出せたのは微かなうう、といううめき声だけ。いやこれどう見ても大丈夫に思えないだろうな。そしてとにかく眠いし喉が喉が! 咳払いしたいッ!! お手洗いも行きたいよう! 

 そして意思疎通ができるほど長い言葉は出せなかったものの、どうにかこうにか看護師さんに頼んで左手に腕時計を付けてもらった。


「血栓防止のため、足にポンプつけますね」


圧迫感のある何か布っぽいものがひざ下部分に左右3つずつ巻かれたのがわかる。スイッチオンとともに、聞き覚えのあるブーという音と、圧迫感に続きプシューという音とともに緩む感覚がひざ下、すね、足首近くと3か所順番に左右の足に感じられ、聞こえる。ようはあれ、血圧計の腕に巻くやつが片足3つづつ装着されて締め付け>緩ませるを繰り返すことで血行を良くするわけか。しかしぶーぶーうるさいなこれ……。


 そしてしばらくして、異常な寒さを感じ始めた。一応下調べの際、術後しばらくして寒くなるケースが多いとは知っていたが、本当に寒い。

 ようやく少し声が出せるようになったので、必死で寒いと伝える。夏場で冷房がきつめの部屋だが、フトンと毛布を掛けてもらってもまだ寒い。さらに看護師さんがいったん冷房を切ってくれる。普通なら30度あまりの部屋でフトンと毛布にくるまっていたら暑さで蒸しあがるだろう(特に私は無類の暑がり)。なのに寒くてたまらない。

 どのくらい経過したかわからないが、ある程度たったら寒さは落ち着いてきたのでそれをなんとか伝え、エアコンを入れてもらい、フトン1枚にしてもらう。だがとにかく体が動かない。声もほとんど出ない、咳払いもできないしお手洗いに行きたい切迫感も消えない。そして気分も良くない。そして酸素マスクの息苦しさが無茶苦茶きつい。これは実際に息苦しいわけはなく、わたしの患う各種神経症および過呼吸特有の閉塞感からくる精神的な圧迫感だ。そして気分の悪さもおそらくそっち。緊張感からくる気分の悪さである。最悪。

 

「無事終わったようなので帰るね」


叔母が不安げに声をかけてくるが、返事をすることもできない。ゴボゴボゴボ ブー プシュー。部屋の音はそれだけになった。とにかくうるさい、眠いのに気分が悪くて眠れない。恐怖症と相まって気分精神状態は最悪だった。かろうじて目を開け、微かに動かせるようになった左手の腕時計を見るともう夕刻を過ぎていた。


(いつまでこの気分の悪さ続くんだ……)


 やがて消灯時間の21時となり、明かりが消された。この段階では両手が少し動かせ、目はどうにか開くようになり目線は動かせるもののほかは全く動かない。気分の悪さも変わらないし眠い。けど眠れない。そして夜が更けるにつれ、術前から全く同じ姿勢でいたために腰が折れそうに痛くなってきた。気分の悪さも増してくる。夜の闇に対する不安感のせいもあるな。わかっていてもコントロールができないのが不安感と神経症と不発(実際には過呼吸特有のぜんそくのような呼吸ができないのだが)過呼吸発作。むきーーーーー。とりあえず腰が猛烈に痛い、両手でベッドサイドにつかまって体の向きを変えようと必死でがんばるがダメ。微動だにしない。

 握らせてもらっていたナースコールのボタンを押し、どうにかかろうじて話せるようにはなっていたので、体の向きを変えたいことと、気分の悪さを伝える。横向きにしてもらって腰痛はウソのようにおさまった。しかし状況から安定剤と吐き気止めの投与は効果がない。処方された安定剤が合わないんだろう、静注と同時に余計気分が悪くなる。最悪だー。

 不幸中の幸いは傷の痛みが一切ないことだ。もともと傷の治りが人より異常なほど早く、痛みに強いというか親知らずを一気に3本抜いても大して痛まない体質。痛覚がだいぶ鈍いんだろうな……。硬膜外麻酔の効果もあるのかもしれないけど、それでも動いた時の傷のツレ感以外一切痛みすらないのは体質が大きそう。


 ううものすごく眠い気分悪い咳払いしたいお手洗い行きたい……の中、何度かうとうとはしたものの、時計を見ると30分程度しか進んでいない。なにこの夜の長さ。意識飛んでほしいと切に願いつつも、あまり眠れないまま朝になった。


「いかがですか?」


医師が顔を出す。知らない男性医だなあ。


「……まだ気分が悪いです」


医師が看護師の方を振り返ると、看護師さんが手元のノートPCを見て返事をする。


「薬は~と~を夜間投与しましたが……」

「それで収まらない。ふむ」


医師がわたしの方に向き直った。


「じゃ 普段飲んでる安定剤と抗うつ剤を服用してください。それで大丈夫でしょう」


看護師さんが水と薬を飲ませてくれる。まだ頭を少し動かせる程度とは歯がゆい。もともと安定剤類が効きにくい(ちなみに下剤、睡眠薬類も効かないのだ)ので、かなり強いものを飲んでいるけれど、そんなに劇的に効果が出ない体質が裏目に出たなあ。


 それでも明るさとともに幾分気分がましになった。ベッドは手元のボタン操作で椅子~ベッドまで角度調整可能なものだ。それで少し上体を起こし気味にするとだいぶ楽になった。しかしお手洗い行きたい感は抜けないネ。腰痛と気持ち悪いのがほぼ消えたのはありがたい。


 10時の回診ごろには足も動かせるようになり、血圧計状のブッタイが外された。


 12時にすでに普通食が出されたが飲食? 無理! ほうじ茶で持病の薬だけ飲む。14時に一回歩行の試行が行われたが、頭を起こすと視界が回転してしまい断念。16時過ぎにようやくヨレヨレのフラフラだが腕をとってもらい、数歩歩いてベッドにドサリと倒れこむ。


「歩行確認できたので、導尿管外しますね」


異常な尿意が消えた。ヤレヤレである。18時にはどうにか自力で立ち上がって自室トイレにも行けた。何か食べるの無理! な昼食に続き夕食も普通食が出たがとても無理! デザートのヨーグルトだけでも冷蔵庫に入れておきますから、大丈夫そうになったら食ベて下さいねーと看護師さん。


ふう。まだクラクラはするけど今日は眠れそうだ。


 長い、長い20時間だった。

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