その6 手術前夜~手術へ
体調悪化やらなんやらでだいぶ時間が空いてしまいました。
日曜日の15時ごろ、妹の友人が病院まで送ってくださるという。もうとにかく感謝の一言に尽きる。小さいお子さんのドライブがてらなので気にしないでくださいねとおっしゃる気遣い。退院したら感謝を込めてお菓子セットを送ろうそうしよう。
入院病棟につきすぐに2Fの婦人科病棟に案内された。手続きは説明時に済んでいるので待ちはない。そして手首に誤診防止策として耐水性の柔らかい樹脂素材の氏名年齢とそれらデータのバーコードがプリントされたテープ状の腕輪が装着される。……うんなんかの犯人になったみたいな気分ダネ。
病室は淡いサーモンピンクの壁に花の絵がかけられ、ウッドフローリング調の同系色の床。シャワー、トイレ、洗面台、2人掛けのソファに細いワードローブ、医療用ベッド(布団カバーも淡いピンク系の花柄!)というなかなか豪華かつ病院らしくない印象の部屋だ。多分一番高い個室だろう。ベッドサイドにレンジ棚に似た大型の引き出し付き家具が設置されている。170センチほどの高さがあるだろうか?
一番上に天板、その下部に折りたたむと天板底部に収納される液晶TV、これを畳むとTV画面が降りる部分をもの置き場に使える。さらにそこに引き出し式テーブル板。雑貨を入れる引き出しが一番上、真ん中には簡易金庫、そして一番下は何と引き出しが冷蔵庫になっている。一般家庭の冷蔵庫のやや広めの野菜室のような感じで、結構モノが入る。なにこれめちゃ機能的で便利ではないか……これTVはいらないけど家に欲しいな。
病院のタイムスケジュールとしては夕食が18時、消灯22時、起床6時。わたしの場合明日の朝8時半より手術のため朝食はなしで、8時20分に迎えに来てくれるという。それまでは自由時間だ。個室なので消灯や携帯電話、退屈しのぎに持ち込んだノートパソコンの使用は病室で自由に行っていいということだ。とはいえ朝が早いし夜更かしすると昼寝できないたちなので厳しかろう。Wi-FiルーターとPCをセットし、ネットサーフィンしたり友人にメールしたりして消灯時間には横になった。
全身麻酔はごくごくわずかではあるが死亡のリスクもある。それだけでなく開腹手術のリスク、末期がんである可能性もある。明日はいろんな意味で人生最大の節目のひとつだな。
わたしは確定診断は受けていないが、軽度だとは思うが自閉症スペクトラムのASDではと思われる。うまくコミュニケーションが取れず、小学校から高校卒業までいわゆるいじめを受け続けた。当時は今のように問題視されていなかったため放置状態だった。自分でもここまで続くのは自分にも何かあるのだろうとは中学時代に思い、自分なりに試行錯誤してきた。短大に入るころにはだいぶマシになったとは思うけれど、自信が持てないままだったためその後も20年ほど世間から半隔離状態のままモラハラに遭ってきた。ようやく抜け出したところで今回の大病である。うんツイてないな。
自然界っていうのはもともと公平ではない。平等公平をどこのヒトのコミュニティも掲げているけれど、もともとヒエラルキーが存在するのでそれを払拭することは不可能だ。
ヒトの場合は反社会的にならない限りはさまざまな条件、リスクを伴わない、個人の努力で変えようがない部分、容姿や年齢や性質傾向について差別しない方向でコミュニティを形成できれば良いのではないだろうか。なんてことを考えていたら眠くなったので寝た。
もともと試験やらなんやらで眠れないとかがない性質は、多分得なんだろう。
「おはようございまーす、検温です」
明るい声でナースが医療機器や資料、ノートパソコンを乗せたワゴンを押して6時に部屋に入ってきた。夜も病状急変がないか定期的に部屋を見て回るので、その都度気配に敏感なわたしは目が覚めたが、出ていかれればすぐ眠れたし、もともと眠りは浅いのでそこそこ眠れた方だったと思う。
呼びかけ確認と手首のバーコード記載の名前の視認とノートパソコンに繋がれたスキャナーで読み込みダブルチェックし、体温を測る。35・7度。平熱だ。
「ではあとで8時20分にお迎えに来ますねー」
そうそう。天気予報で今日は早い台風来てるんだったな。ナースが開けてくれたカーテンの向こうは暴風雨がすさまじい。木々が風に激しく揺さぶられているのがガラスに叩きつける雨粒の隙間から垣間見える。病院の中は防音がいいので雨音も風の音も聞こえない。
あと2時間ちょいか。食事は当然抜きなのでヒマだな。PCを引っ張り出してスカイプやメールのチェックなどをし、しょぼい性能でも遊べるゲームで暇つぶしをしていると妹がやってきた。
「……姉ちゃんこんな時よくゲームとかできるね」
「だってヒマだし」
「その神経が羨ましい!」
「うん。そこはお得かもしれない」
妹と駄弁っていると時間通りに看護師さんがやってきた。そして術衣に着替えてくださいという。ゴムのような材質のごわごわと分厚くて固いガウン状の術衣に着替え、看護師さんと妹と連れ立って手術棟へ向かう。途中の渡り廊下の窓から外を見ると凄まじい嵐だ。
「妹、午後出張なんだっけ。そもそもこれ電車止まらない?」
「止まるとこも出そうだね」
手術棟の該当階にエレベータで上がると、そこは放射状に手術室が並ぶ広い待合室だった。壁も床も明るいグリーン。ブルーの使い捨て術衣に被り物、マスク姿で目だけ見えている執刀医、麻酔医、助手さんや看護師さん数人と同じ時間帯の患者さんが話し合いをしている。
……なんか食品加工工場みたいだなー、というのが感想。加工されるのはわたしだ。
「ご家族の付き添いはここまでです」
「んじゃ、また。出張気を付けてー」
「……ほんと姉ちゃん平気よね」
不安げな妹に笑顔で手を振り、案内された手術室に入る。最新の医療を誇るこの病院の手術室は、明るいグリーンで統一された広い部屋に手術台、周囲には多数の液晶ディスプレイや機器が並び、手術室というよりは昔見た映画の宇宙船のコンソール・ルームのような感じだ。
「硬膜外麻酔を行いますので、横を向いてぎゅっと丸くなってください」
あ、こないだのクールな麻酔医の方の声だな。指示通り丸くなると腰椎付近に軽い痛み。
「はい、そのままでいいですよ。ではマスクつけますね」
吸入マスクが顔に装着される。透明な太いパイプが長く伸び、少し樹脂っぽい匂いの空気が流れてくる。
「では、吸入麻酔入れますね」
声からまもなく、微かに薬品っぽい香りが流れてくる。あーこれが麻酔薬か。と思ったところで脳の電源が切れたらしい。カウントダウンも何もない。唐突なシャットダウンであった。