魔に堕ちた賢者
俺の耳に届いたのは何かが割れる音だ。俺は思わず体を起こし、辺りを見渡す。
辺りは闇が落ち、電燈の光さえ、辺りには届かない。
俺の目の前にブルーノが舞い降りた。
「物音は恐らく、あなたの隣の部屋。あの少女の部屋に侵入者が現れたようです」
「早く言えよ」
俺は部屋を飛び出すと、小野の部屋のドアノブを回す。だが、鍵がかかっている。
そういえば俺がカギをかけろといったのだ。
こんなことなら同じ部屋にしてもらえばよかった。
俺は自分の部屋に戻ると、ブルーノの問いかけを無視して、窓をあけた。そして、そこから外に飛び出した。
隣の小野の部屋の窓も開いており、そこから黒のローブの男がぐったりとした小野を窓の外に運んでいた。別の男が小野の体を受け止める。彼は小野を両手で抱きかかえる。もう一人が俺に気付いたのか、小野を抱える男と俺の間に割って入る。
「小野を離せ」
窓から残りの男が飛び出してきた。その時フードを被った男の姿が俺の目に露わになる。
あれは昼間、小野を自分と一緒にこいと誘っていた男だ。この村の中で絡んできた彼らがここの住人でもおかしくはない。彼らはどこからか小野を誘拐するために忍び込んだのか。
俺が予想外のできごとに不意をつかれていると、炎の塊が襲いかかる。俺は思わず手で顔を隠すが、炎が俺の髪と皮膚を焦がす。声にならないうめき声をあげる。
突然魔法を使って攻撃してくるような世界だ。俺も同じようにすべきだったのに、うっかりしていた。
「待て」
俺は彼らを氷の魔法で攻撃しようとするが、腕の痛みが全身を支配し集中できない。
男たちはその姿を闇に消そうとする。
追いかけようとするが、痛みが俺の集中力を奪い、男たちの姿が消える。
「何かありましたか?」
俺の後方から村長の声が聞こえる。だが、俺はその声にこたえる余裕はなく、意識が途絶えていた。
俺が目を開けると、村長の奥さんが俺の顔を覗き込んでいた。
小野が連れ去られたときのことが頭を過ぎり、思わず体を起こしていた。
俺は思わず痛みで声を漏らした。
「まだ無理をしないでください。酷いやけどをしているんです」
村長の奥さんが慌てて俺を寝かしつけようとする。
「小野は?」
俺の言葉に彼女の顔が曇る。
「恐らく連れ去れてしまったのだと思います」
「なら、今から連れ戻しに行かないと」
起き上がろうとする俺の肩を彼女はつかんだ。
「その体では無理です」
「それでもいかないと。彼女はこの世界に来た時から、あいつらに目をつけられていました。何か企んでいるんだと思います」
俺はそのままベッドから起き上がるとベッドの脇にある靴を履いた。
まだ腕は痛むが、心持ち楽になった気はする。
「お世話になりました」
俺はベッドの脇のショルダーをやけどをしていないほうの方にかける。部屋の中を見渡してみたがブルーノの姿はどこにもない。どこかに逃げたのだろうか。幸い荷物もほとんどない。あとは小野の部屋に行き、彼女の荷物を持っていこうとしたとき、女性の落ち着き払った声が届く。
「おそらく、今夜までは彼女は無事だと思います」
「今夜?」
「この村には生贄を捧げる風習がありました。それが今日なんです。その生贄をわたしたちは巫女と呼んでいます」
俺はその言葉に彼女を見る。
彼らは小野に言っていたのだ。巫女になってくれ、と。
それはすなわち生贄になってくれということだったのだろうか。
想像してぞっとする。いわゆる生贄というものだろうか。
「何のためにそんなことをするんですか?」
「願いごとをかなえるためですよ。彼女にはその素養があるという話になったんです。もうこの村には素養のある娘が残っておらず諦めかけた矢先のことでした」
「素養って、小野も俺もこの世界の人間じゃないのに」
俺は思わず口を押えるが、彼女は首を傾げる。
俺は言い直すことにした。
「何で小野なんですか? 小野はこの村の住人でもないし、関係ない」
「この村だけの問題ではありません。この世界のためにやっているんです。彼らの願いはエメリヒを殺すことです」
エメリヒという名前を俺は、ブルーノから聞かされた。
この世を闇で包もうとしている魔法使いだと。
おそらく小野の言っていたクリアするのに必要な相手。
「小野を、少女を生贄にしたからといっても、エメリヒを倒せるわけがありません」
「みんな分かっています。それでも何かにすがりたいんです。彼はとても高名な賢者でした。しかし、彼は魔に取りつかれ、この世界の人々を滅ぼし始めた。魔を持ったものは暴れ、人を襲い始めたんです。みんな自分がそうなってしまうんじゃないか、と恐れているんです」
「だからって小野をさらって、生贄にしていい理由にはなるわけがない」
女性は頷く。
「分かっています。あなたがたがあの魔物を退治してくれた。だから手を出さないでほしいとお願いしました。一度はそれで納得したのに、それでも強引に押し切る者が現れて、こんなことに。こんなことならあなたたちを泊めなければよかった」
女性は唇を噛む。
彼らが言っていることも分からなくない。
突然狂い出し、誰かを襲うなんて考えられない。
だが、俺にとってはこの世界の人がどうこうより、小野のほうが大切だ。
それに、生贄でエメリヒを倒せるなんて、そんなバカげたことがあるわけがないのだから。
そのとき、村長が扉を開け中に入ってくる。彼の背後には村人なのか他の男が立っている。
「俺は小野を探しに行きます。今日は泊めてくれてありがとうございました。荷物は全て持っていきます
俺は村長を一瞥すると、小野の部屋に戻ろうとした。今後、彼女をうまく連れ戻せたとしても小野を連れ去ろうとした村人がいる村に戻るのは気持ち的にも避けたかったのだ。
俺が小野の荷物を整理し、自分の荷物と一緒に纏める。
その時、ブルーノがどこからともなく現れた。
「わたしは外で待っていますね」
そう言うとブルーノは窓から外に出ていく。そうするのが懸命かもしれない。
俺が小野の部屋を出ると、村長が立っていた。他の男たちは気まずそうに俺を見ています。
「本当にすまないね」
「いえ、こちらも浅はかだったと思います。あなたは反対して下ったんですよね」
「結局、他のものを抑えることは出来なかったけどね」
俺はバッグから彼からもらったお金の袋を取り出した。
「ガラスはこれで修復してください。足りないなら後日お支払いします」
彼はそれを見て目を丸める。
「でも、この村の人間があなたの友人を連れ去ろうとしたのに」
彼は言葉を切る。その目には涙が浮かんでいた。
村と言っても一枚岩ではないのだろう。
「あなたは本当に良い人ですね。恐らく、オノさんをさらった友人はこの村の北にある洞窟にいるのだと思います。その先にこの村の神殿があり、そこでいつも生贄の儀式が行われてきました」
「ありがとうございます」
彼の発言を尊重として見るか、ひとりの人間として見るかで彼の発言の信ぴょう性は変わってくる。だが、目に涙を浮かべた彼の様子を信じたかったのだ。それに、闇雲に探すよりは手がかりがあったほうがいい。たとえ罠だったとしても。
彼は手にしていた地図を俺に差し出した。その地図は部分的に色がついているが、大半がモノクロで妙な感じだ。色が塗りかけなのだろうか。
「この地図はこの世界の地図で、むかしからこの村に伝わる地図です。所有者の言ったところがこうして地図に色がついていくんですよ。昔はわたしが持っていたのですが、あなたに差し上げます」
彼は色のついた部分を指差した。どうやら部分的に色がついているのが、この村近郊ということだろうか。
「その洞窟はここにあります」
村長は村の少し上を指差す。
一見目とはなの先にあるように見えるが、尺度は分からないので近いとも遠いとも言い難い。
だが、これから地図が欠かせないだろう。
俺はお礼を言うと、その地図を受け取った。
彼はその後、食料と水を見つくろい、俺に渡してくれた。