魔法のある世界
君にこれを託そう。
そう落ち着き払った声で俺にそう告げたのは、銀髪の少年だ。
年齢は十歳くらいだろうか。少年は碧の目で俺を見据え、何か眩く輝く光の球を俺に渡した。
その玉が俺の胸に入っていき、俺の胸から溢れんばかりの光が漏れだした。
「池上君」
どこかで聞いたことのある声が鼓膜を刺激する。俺はゆっくりと目を開け、名前を呼んだ主を確かめようとした。そこにいるのは黒髪のやけにまつげの長い少女。彼女は俺と目があったのに気付いたのか、目を細めると目元を指先で拭う。その彼女の目元に光が宿る。
泣いている。
俺はそう思うと反射的に体を起こす。
「大丈夫? 何かあった?」
俺は彼女の肩をつかんで問いかけた。
「違うよ。池上君に何かあったらどうしようと思ったんだ。こんなところで一人なんてどうしたらいいか分からないから。無事でよかった」
少女の澄んだ目に移る自身の姿を改めて視界に収める。知り合いのいいなと思っていた女の子にこういうことを言われたら嬉しいことには間違いない。だが、彼女の言葉を再び思い返し、俺は首を傾げた。引っかかったのはこんなところでという言葉だ。
だが、俺が理由を聞く前に、小野瑞希が俺に問いかけてきた。
「さっきうなされていたけど、なにかあった?」
「変な夢を見ていたんだ。銀髪の」
そういった俺の手を、目の前の少女がつかむ。
「小野?」
戸惑いを声にする俺の体を自らの後方に引き寄せると、彼女は何か念仏のようなものを唱え始めた。
何やってんだ?
だが、もっと驚いたのはその後だ。小野が手を掲げた先には燃えたぎる炎の塊があった。辺りの空気を焼きはらいながら俺に迫っていた。火災現場にでもいるのかと思ったがどうやらそうでもなく、燃えているのはそれだけだ。
「小野、危ない。逃げろ」
傷でも残ったら大変だ。それに下手すると焼死する可能性だってある。
「大丈夫。そこから動かないで」
小野は振り返ると優しく微笑んだ。
小野がそう言うのを待っていたかのように、小野の指先を中心として、白く輝く光の壁が現れる。その壁は燃えたぎる炎と衝突し、破裂音を残し、壁と炎が消失された。
俺の知る小野瑞希は高校の同級生だ。ものすごく可愛いという容姿の面ではずば抜けているが、勉強が普通で、運動は若干苦手な普通の女の子だったと思う。こんな手品のようなことができるとは思えない。
「怪我はない?」
そう優しく微笑んだクラスメイトの言葉に俺はたた頷く。
だが、俺のそんな思考は彼女の背後にある景色を見た途端、吹き飛んでいた。
目の前には木々が連なり、どこかの避暑地と思しき景色が並んでいる。人気はほとんどない。
なんで俺はこんなところにいるんだ?
そう思った時、やっと周りの景色が目に入り出したのだろう。俺は小野の服がいつも見ている紺色のセーラー服ではなかったことに気付く。彼女は黒髪と対照的な純白のコートのようなものに身を包んでいた。
「折角その邪魔な男をころしてやろうと思ったのに」
そう言って寄ってきたのは髪の毛をスポーツ刈りのように短くかりあげた男だ。彼は切れ長の瞳で俺と小野を舐めるようにして見る。
「やめてください。わたしはあなた達の仲間にはなりません」
彼女は俺の前に通せんぼをするように、腕をぴんと横に伸ばす。
「こんな奴より、俺のほうが頼りになるよ。今だって女の子に守られているだけじゃねえか」
彼の背後に髪の毛を伸ばした男と、体格の良い男が歩み寄っている。彼らは同じ黒のローブを着ている。
俺もこいつらと同じ黒のローブを身に付け、同色のショルダーバッグを肩にかけている。
小野を護らないといけないのは分かるが、そもそもこいつらは何だ、俺はなぜここにいるんだという疑問が心の中で先行するばかりで動けないでいた。
俺はすがる思いで、少しずつ記憶を逆行させていく。
ここで目を覚ます前。その一点に集中したとき、最後の記憶を手繰り寄せた。
学校帰りに小野に声をかけられ、一緒にあるゲームを起動したまでは覚えている。その後は何をしていたのかさっぱり思い出せず、夢で変な男に出会い、現在に至ったのだと思う。
「ここはどこだ?」
日本なのか?
だが、それにしては何か違和感がある。
「その男を殺した後、たっぷり可愛がってやるよ」
男が舌を舐め、こちらににじり寄ってきた。
その時、小野の体が震える。いや、少し前から彼女の体は小刻みに震えていたのだ。彼女の恐怖に気付かなかった、自身を恥じた。そもそも俺が今、どこにいようとそんなことは関係ない。
まずは彼女を怖がらせている彼らをどうにかする方が先決だと思ったのだ。
彼女より俺のほうが腕力だって強い。
その男の手が小野に触れようとした。俺はその手をつかんだ。
「小野、後ろに下がっていろ」
「でも、危ない」
「大丈夫。小野に怪我させるわけにはいかない」
男が腕を振り、俺の手を強引に振り解く。
俺と距離を取ると、先ほど小野がしたように手を前方に突き出し、何かを唱え出した。
俺はとっさのことにその男を凝視するが、さっき燃え滾る炎をみたこと、そして、小野が意味不明な光の壁をだしていたこともあり、さっきよりは状況を理解しようとする心が働いたのだろう。男の指先に炎の塊が現れる。そして、さっきの炎の発端も彼だ。こいつが炎を投げてきて、それを小野が防いだ。理屈はどうであれ、それが目の前で起こったことだ。
「池上君、下がって。わたしが何とかするから」
俺はこうやって小野に守られ続けているだけなのか?
そんなのかっこ悪い。
そう思った時、俺の胸が眩い光を放つ。夢で見た光に似ているが、それよりは何ランクかは明るさが落ちている。
何時に宿りし水の力を今こそ開放する。
夢の中で聞いた声が俺の頭の中で響いた。
水の力。
それを心の中で反復した時、俺の頭に何か言葉の羅列が浮かんできたのだ。俺は、体の赴くまま、手を地面と平行に伸ばし、そのまま口にする。
すると、俺の目の前に小さな小売りの粒子が現れる。それは一つの塊をなし、目の前の炎に飛びかかる。煙を残し、炎が消えた。
「なっ」
男は目を見張り、煙へと姿を変えた炎を見つめている。
「すごい。池上君」
小野が目を輝かせている。
「小野もすごいじゃん。さっき、俺を護ってくれたし」
そう言いながら彼女の言葉に照れていた。
だが喜んでばかりもいられない。
俺は男を再び睨む。
「今に見てろよ」
いかにもな捨て台詞を残し、男たちは速足で去っていく。
とりあえず一難は逃れたのだろうか。
「さっきの男たちは知り合い?」
彼女は何度も首を横に振る。
「わたしのことを巫女だなんだと言ってきて、自分の村に連れて行こうとしたみたいなの。わたしにはそのつもりはないと言っても聞いてくれなくて、池上君と一緒だと言ったら、池上君を殺せばわたしを連れて行けると思ったみたい」
「殺す……?」
やけに物騒な言葉に、俺は眉根を寄せた。
小野は頷く。
「それなら警察を……」
と言いかけて、首を傾げた。
そもそもここがどこなのかという根本的な問題が解決していないのだ。
辺りを見渡すと、自然豊かな見たこともない場所にいたのだ。
「そもそもここはどこなんだろう? 俺たち、近くの公園でスマホを触っていたよな……?」
「わたしも分からない。池上君とゲームをして、いつの間にか気を失っていたの。そして、ここについたらすぐに見知らぬ男たちに囲まれて怖かった」
彼女の眼には涙が浮かんでいる。
「悪いな。気付くのが遅くなって」
彼女は首を横に振る。あの男たちが小野を狙ったのは可愛いからだろうか。
まず大事なのは俺たちがどこで何をしているのか。そして、さっきまで持っていたはずの制服や鞄はどこにいったのか。
小野に確認したように俺たちは学校帰りに公園でスマホを触り、ゲームを触っていたのだ。
別にゲームを楽しんでいたわけじゃない。
事の発端は小野から弟が二日前から行方不明になっていると聞かされたのだ。彼の荷物も貯金も持ち出された様子も、身代金の連絡もなく、ただ学校帰りに忽然と姿を消した、と。彼の友人に当たっても、誰も弟の行方を知らず、手がかりさえつかめなかったようだ。