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第一章 the first moon 1

 青山登(あおやまのぼる)という、少年がいる。

 別段、特に際立った特徴もない、普通の高校生だ。頭はそんなによくない。顔は十人並み。そして、チビだ。男のくせに身長が百六十しかない。そのくせ、バスケットボールが好きだったりする。

 悲しいかな、好きなだけで実力は伴わないのだけど。彼女イナイ暦十七年。地味で平凡で、特筆すべき点のない少年、それが青山登だ。

 まあ、僕の事なのだけれど。

 地味で平凡で――と言うか、全てに置いて人並み以下のこの僕の、地味で平凡で特筆すべき点のない日常。何者かに支配されることもなく、何者かに依存することもなく、人と合わせ、周囲に同調し、世界と折り合いをつけて生きていく――そうする権利が僕にはあって、そうする使命が僕にはあった。僕は、そうやって生きていける人間の筈だった。

 なのに。

 どうして、こんなに息苦しいんだろう。

 どうして、こんなに満たされないんだろう。


 今、僕は、僕自身に潰されようとしている。



 六時限を終えた僕は、その足で体育館へと向かう。空が馬鹿みたいに青くて――錆び付いた渡り廊下の隙間から、光がこぼれている。

 今日も暑い。

 うっとうしい梅雨が終わったのも束の間、今度はもっとうっとうしい、灼熱の季節がやってくる。こんな日は、さっさと家に帰りたいんだけど、そうも言ってられない。汗くさい体育館が僕を待っているのだ。

 と言っても、バスケができる訳じゃないんだけどね……。


 放課後の体育館は薄暗く、蒸し暑い。ジャージの袖で汗を拭う。どうやら、僕以外にはまだ誰も来ていないようだ。重厚な鉄扉を全て開放し、練習の準備を始める。可動式のゴールとスコアボードを設置し、ボールを用意する。さらに練習着とタオルを部室から持ってきて、近くの自販機からお茶やらポカリスウェットやらを買ってくる。

 一通りの仕事を終えた頃になって、ようやくバレー部やバトミントン部、ハンドボール部、卓球部の人間が揃い始める。そして、バスケ部の連中も――。

「ヨォ、ノボル。いつも早いな」

 一番最初に声をかけてきたのは、キャプテンの渡辺(わたなべ)久嗣(ひさつぐ)。大柄で、バスケットなどより格闘技系の方が似合っている。もっとも、一八七センチのコイツの方が、一六〇の僕よりバスケットに向いているのは言うまでもないのだけれども。

「当たり前だよー。選手が来る前に準備を済ませておくのはマネージャーの勤めだし」

『努めて、明るく、朗らかに』をモットーに、模範的明朗さで答える僕。それを聞いて、一瞬だけ複雑な表情をした渡辺だったけど、

「……そうか」

 とだけ言って、さっさとストレッチに移っていった。これでいい――これで、いいんだ。

 僕はバスケ部の男子マネージャーであって、選手ではない。部活に来ても、練習に参加することはない。いつも準備やサポート――って言うか雑用――ばかりやらされている。

 僕とは別に、(たちばな)あずさという、れっきとした女子マネージャーもいるにはいるんだけど、今週に入ってからは部活に顔を出していない。だから練習前の準備は全部、僕一人に押し付けられてしまう。

 もちろん、僕だって最初からマネージャーだった訳じゃあない。最初は選手として入部したのだ。毎日、真面目に練習に参加していたおかげで、僕みたいな人間でもそれなりの実力にはなっていた。少なくとも、僕はそう思っていた。

 それなのに――二年の秋に交通事故に遭ったせいで、全てが変わってしまった。全治四ヶ月の大怪我だ。そんな体ではハードな練習に参加できる筈もない。先生が僕に命じたのは、みんなの練習のサポート役だった。まあ、その判断は妥当だったと思う。

 ――なんだけど。

 怪我が完治して、三年に進学しても――僕は、練習に参加させてもらえなかった。レギュラーはもちろん、補欠の席さえ、僕には用意されていなくて。練習の足を引っ張る人間など必要ないってことなんだろう。三年生は夏の大会を最後にして引退しなければならない。大会までの、この時期が一番大事なのは分かる。だから、数ヶ月のブランクで筋力もテクニックも極端に落ちた三年生の面倒など、とてもではないが見てもらえないのだ。

 そして僕は、今でも惰性でマネージャーを続けている。

 みんなも、僕がサポート役に徹しているのを普通だと思っている。

 僕よりずっと下手だった補欠も。

 今年入部したばかりの一年生も。

 みんながみんな、僕よりも優位な立場にいると思っている。彼らに、僕は顎で使われているのだ。

 下僕のように。

 奴隷のように。

 ……もう、慣れたけどね。

 鬱屈とした内面を悟られまいと、僕はわざと無邪気な態度で選手に接している。そうすることで、見捨てられるのを避けようとしている。無能な落ちこぼれにできる、唯一の処世術。

 要するに、媚びているのだ。

 見捨てないでください。

 嫌わないでください。

 仲間にしてください。

 卑屈に。低姿勢に。自分を殺して。自分を偽って。

 ただでさえコンプレックスに押し潰されそうだってのに、自己嫌悪に拍車がかかる。


 心が削り取られ、血を流している。


 傷の痛みに耐えながら、僕は今日も練習に顔を出す。

 キャプテンの渡辺だけは唯一、僕の痛みを察してくれているみたいだけど――だからと言って、何かが変わる訳でもない。コイツはキャプテンとして、チームの士気を高めなければいけない立場にいる。大した戦力にもならない僕のことまで構っている余裕なんてない。悪いヤツじゃないけど――少なくとも、僕の味方ではない。味方なんてどこにもいない。

 どこにも、いないんだ。


 体育館の隅で黙々とボールを磨いていると、いつの間にか、レギュラー部員のほとんどが揃っていた。すでに準備運動が始まっている。レギュラーで来てないのは、軽音楽部と掛け持ちしている末永拓(すえながたく)だけだ。自分勝手で、いつもチャラチャラしてるような奴なんだけど、不思議とバスケは上手い。熱心に練習している訳でもないから、きっと、元々センスがいいんだろう。ギターも弾けるし、口も達者だし――僕とは、大違いだ。僕みたいな塵芥以下の人間とは、本当に大違い。

「ノボル……タクちゃんはどーしたよ?」

 腕の筋を伸ばしながら、渡辺が聞いてくる。

「えぇと、どうだろ。多分バンドの練習か何かだと思うけど」

「辻岡、知ってるか?」

 僕の答えが頼りなかったのか、今度は隣にいた辻岡慎哉(つじおかしんや)に聞いている。

「……なんで俺に聞く。知っている訳がない」

 メガネの汚れを拭き取りながら答える辻岡は、いつも不機嫌そうだ。コイツは勉強もできるしスポーツも得意という、ある意味許せない存在である。ただ、恐ろしく無愛想で無表情なので、いつも一人でいることが多いみたいだけれど。

「でも仕方ないんじゃいかな。ライブが近いって言ってたし、あっちはあっちで色々大変なんだよ、きっと」

「……よし! じゃあそろそろ基礎練いくかぁ!」

 キャプテン渡辺の号令と共に、いつもの基礎練習が始まる。ランニング、ダッシュ、ドリブル、パス、シュート――目の前で行われる練習を、僕はただボーッと眺めていた。


 へえ……僕の言葉は無視ですか。

 

 自分勝手な理由で部活休むような奴をわざわざフォローしてあげたってのに。する必要のない気遣いを、見せたってのに。……そうか。そりゃそうですよね。僕の言葉になんか何の価値もない訳だし。僕の言葉に返答する暇があるなら、ちょっとでも練習してた方がいいんだろうし。そりゃそうだ。そりゃそう。渡辺は何も間違ってないや。さすがはキャプテンだね。凄い凄い。僕みたいなゴミ虫とは大違いです。尊敬しちゃう。


 他の学校はどうか知らないけど、実際に練習が始まると、マネージャーの仕事はほとんどなくなる。まあ、ない事もないんだけど……そんなに熱意を持って取り組むような仕事じゃあない。何せ雑用係ですからね。


 自然、目線は女子バスケ部のコートへと向いていく。


 そこでは男バスと同じく、基礎練習の真っただ中だった。

 バスケ部に入るだけあって、女バスのメンバーは僕より背の高い連中ばっかり。でも立派なのは身長だけで、テクニック的には男バスより数段劣っている。中学からの経験者が少ないので、それは仕方ないのかもしれないけど……。

 コートの隅で、一年生たちがドリブル練習を続けている。僕の視点は、そのうちの一人に固定される。たどたどしい手つきでボールを操る少女――名前を、町田梢(まちだこずえ)という。彼女も高校からバスケを始めた初心者組で、毎日真面目に基礎練習に励んでいる――んだけど、お世辞にも上達しているとは言えない。背も低いし、バスケットに向いてないんじゃないだろうか。 

「ほら、こずえー。もっと膝曲げて、肘は体の横っ。こう、体の横でつくイメージでね――」

 女バスキャプテンの椎名香織(しいなかおり)が手取り足取り、指導している。彼女はかなりの長身で、背中まである黒髪を後ろで縛っている。美人の部類に入るんだろうけど、『キレイ』や『カワイイ』より、『カッコイイ』という言葉がよく似合う。ただ、いつもは冷静な癖に、練習になると途端に熱血キャラに変貌してしまう。基本的に面倒見がいいので、後輩の受けはいいみたいだけど――なんて、椎名のことはどうでもいい。

 それより、梢だ。

「ね? ドリブルはバスケの基礎中の基礎なんだから、しっかり練習しなきゃ」

「あ、はいっ! ありがとうございますっ!」

「じゃ、やってみな?」

「ハイ――」

 素直に返事をして、その場でドリブルを始める梢だが――前よりもおかしな動きをしている。キャプテンが懇切丁寧に指導してくれたいうのに、逆に動きがギクシャクしているのだ。それでも、彼女は一生懸命らしいのだけど……。

「う~ん、どこがいけないんだろう? ひょっとして、私の教え方がヘタなのかなぁ?」

「そ、そんなことないですよぅっ! ワタシが下手くそなのが悪いんですっ! センパイはゼンゼン悪くないんですよっ!」

 おー、テンション高いなー。いつも何事も一生懸命で――少し呆れることもあるけど――何だか、微笑ましい。

 何だろう。

 何なんだろう、この子。

彼女は女バスの一年生だし、こっちは男バスのマネージャー。全く接点がない。

 でも、気が付くと彼女の方ばかり見ている自分がいる。何でだろう。小さい体を不器用にバタバタ動かしてるのが小動物みたいで面白いからかな。多分そうなんだろう。

 何なんだろう、あの子。

 やたらに人懐っこくて――暇そうな人間がいれば、先輩だろうが何だろうが、誰彼構わず話し掛けている。もちろん、その中には僕も含まれている。僕みたいな男に声をかけたって、何のメリットもない筈なのに。小柄な体を数十センチの所にまで近付け、人の目をじぃっと見ながら話す彼女はとても真っ直ぐに思えて――卑怯で卑屈な僕のような人間には、あまりにも眩しすぎて。

 ――本当に、何なんだろう、この子。


「――ノボル」

「うあぁっ! お、あ――えと、何!?」

 急に背後から声をかけられ、異常な程に狼狽してしまう。

「……ごめん。びっくりさせちまったか」

 声をかけた渡辺、僕の肩に手をかけたまま固まっている。……ああもう。また恥ずかしいところを見せてしまった。ただでさえ、どうしようもなく、救いようがない程に、愚鈍で貧弱でただひたすらに恥ずかしい存在だってのに、これ以上に醜態を晒してどうするんだ。

「もぉ、何だよ~! 急に声かけるなって! 心臓止まったら、責任とってカッコイイ戒名つけてよ?」

 自分の失態を取り繕うように、必要以上に明るい声を出す。偽りの笑顔を浮かべて――これ以上の深手を避けるように。いつも、そうしているように。

「いや実はさ……ノボルに、ちょっと頼みたいことがあってよ」

 僕の軽口を華麗に無視(スルー)して、さっさと本題に入る渡辺。まあ練習の途中だし、キャプテンは忙しいのだからしょうがない。そうやって、いつまでも僕の存在を無視してればいいよ。

 ……それより、渡辺が言う『頼みたいこと』の方が気になった。僕なんかに、こんな塵芥の如き、道路に捨てられた軍手程の価値もない僕に、頼み事?

「えー、何だよ急にー? 言っとくけど、女の子の紹介なんてできないよ~?」

「いや、真面目な話なんだけどな……」

 ハイ。もう黙ってますねごめんなさい。

「部活の後――お前、空いてるか?」



 ……後悔していた。

 いや、そりゃ後悔なんていつもしているし、自己嫌悪なんて僕の一部だし、そもそも生まれてきたことが最大の失敗だと思ってるくらいだから、別に今さら何を厭ってんだ、って話ではあるんだけど……。


「そりゃまあ――いつまでもこのままでいい訳ないってのは分かってンだけどね……」


 駅前のマックにて。

 二階席の一番奥のテーブルで、隣には僕を誘った渡辺が、正面には栗色の髪をツインテールにした派手な顔立ちの少女――橘あずさが座っている。さっきから喋っているのはこの二人ばかりで、僕はただ黙ってバニラシェイクをすするだけ。

「だったら話は早いだろうがよ。そろそろ部活にも顔出してもらわねぇとさ……大会も近いってのに、ノボルだけじゃ色々と大変だし……なぁ?」

 同意を求めるようにこちらに顔を向ける渡辺。

「まーねー。ホラ、僕って要領悪いじゃん? 僕だけじゃ、みんなのフォローがおっつかないんだよねー」

 調子を合わせました。

 男子バスケ部のマネージャーという職にありながら、ここ最近無断欠席が続いている橘――今日は、その彼女を部に戻るよう説得するためにこの場を設けたのだという。責任感の強いキャプテンが動くのは当然だけど、もう一人のマネージャーである僕も当事者の一人ということで、この場に呼ばれたらしい。

「今まで姫と一緒に仕事するのが当たり前になってたからさー、もう、僕だけじゃ全然ダメなんだよね。本来ならマネージャーなんて一人で充分なんだろうけど、ウチは違うんだよ。姫がいないと――」

「『姫』はやめてね」

 静かに、冷たく、橘は自分に対する呼称を訂正する。彼女の父親は有名な資産家であり、実業家である。県内だけでもいくつもの店を持っている。平凡な私立校であるウチの学校では珍しい、いわゆるお嬢様だ。彼女自身、そういった家庭環境(バックボーン)を感じさせる個性で――要するに、なかなかにワガママな性格をしていて――僕たちは親しみ半分、皮肉半分で『姫』などと呼んでいるのだけど、彼女はそれがお気に召さないらしい。

「いやまぁ、だから、今も言った通り、このままじゃいけないのは分かってるの。今は大切な時期だし、青山クンだけじゃ大変なのも分かる。分かってンだけど――」

 彼女はそこで言葉を区切り、目の前のトレイを見つめている。口をつけられることもなく、徐々に冷えていくベーコンレタスバーガー。人差し指で、わずかにくせのある栗毛をくるくるといじっている。苛ついた時や考え事をしている時にする彼女の癖。

「あの――末永クン、いるでしょ?」

 そして、彼女は口を開く。

「……タクがどうしたよ」

「あたしと末永クンのこと――渡辺クンは、知ってたっけ?」

「……一応な」

「そう……」

 言ったきり、また逡巡を始める彼女。だから僕は無視ですか。別にいいけど。別にいいけど。別にいいけど。

 僕だって、橘と末永が付き合っていることぐらいは把握している。大っぴらに公言している訳ではないけど、バスケ部の人間なら誰でも知っていることだ。派手な橘と軽薄な末永と――お似合いのカップル。別に興味なんてない。それはこの二人に限ったことではなくて――誰と誰が付き合ってるだの、好きだの嫌いだの、別にどうでもいいし、何がどうなろうが知ったことではないし。

 僕には関係のない話だ。

 自分を取り繕うのに必死で、適当なことばかり口にして、本気で人と触れあえない、臆病な僕は――誰も好きにならないし、誰にも好かれない。全ては僕とは別世界の話。


「タクと、姫――いや、あずさのことは、みんな知ってる。今さら隠すようなことでも――あん?」

 そこで何か気付いたのか、途中でガラの悪い感嘆詞を投げかける渡辺。言葉を区切り、橘に先を促す――が、彼女は口を開かない。十数秒くらいだろうか、たっぷり間をとった後で、


「別れよう――って、そう言われたんだよね」


「ああ……」

 彼女の言葉で、渡辺はだいたいのことを察したらしい。流石と言えば流石だし、当たり前と言えば当たり前だし。

「三日前くらいかな――部活終わった後に、一方的にそう言われて……」

 そう言って、橘は再び俯いてしまう。

「でも……なんでだ。アイツ他に、好きな女でもできたのか?」

「分かンない。何にも言わないんだよね。でも……何か、あたしの方から問い質すのも、何か違うって言うか……あたしに何か非があるのなら直すし、他に好きな人ができたとか、もっと単純に、あたしのことが嫌いになったとかって言うんだったら、納得もできるんだけど……そんなのも、何もなくて。……で、何か顔を合わせづらくって……」

 なるほど。だいたいの事情は分かった。分かったけど納得はできない。付き合ってた男に別れ話を持ちかけられて、理由が分からなくて――で聞くに聞けなくて、気まずくて顔も合わせたくない。だから部活にも行きたくない――そういうことらしい。

 なんだそりゃ。

 要するにただの痴話喧嘩じゃないか。付き合ってられない。だいたい、僕は別に橘が練習に顔を出そうが出さなかろうが、別にどうでもいいと思ってる。さっきは調子を合わせて渡辺の言葉に乗ったのだけれど……正直なところ、仕事は僕一人で充分にこなせる。と言うか、元々橘は部のムードメーカーのようなもので、実質的な仕事は全部僕に押し付けていたのだ。別にいなくたって僕は困らない。どうでもいい。興味ない。なんだけど――

「そんな……ダメだよ! 末永にホントのトコ聞いてみなきゃっ!」

 意識せず、本意とは全く別の言葉が口をついて出ていた。

「青山クン――」

「姫さあ、末永と別れたくないんでしょ? このまま練習に来てくれないんじゃ僕だって困るし、もちろんみんなも困るし――それより何より、姫自身、末永自身、それじゃけじめがつかないと思うんだよね。あんまり無責任なことは言えないけど、本人に話を聞いたら――案外それで、うまくまとまるかもしれないし」

 真剣な顔をして適当なことを言っている。友達ができない訳だ。ここしばらく、僕は本音というものを口にしていない気がする。その場その場で適当なことを言って、取り敢えずその場を丸く収めることばかり考えている。事なかれ主義、日和見主義の臆病で卑怯な偽善者。塵芥(ちりあくた)以下の虫螻(むしけら)だ。

「……それはそうかもしれないけど……」

 僕の言葉を受けながらも、どこまでも煮え切らない彼女の態度。いつもはうざったいほどに明るくて饒舌なのに、一度落ち込むと手がつけられない。橘あずさというこの個性、どうも情緒不安定と言うか、軽度の躁鬱と言うか――正直、僕は苦手だった。

「――よし。だったらさ、俺らがタクに直接話をつけといてやるよ。お前の変わりに別れたい理由を聞いてやる。それで駄目ならしょうがないし、練習に出る出ないはお前の自由。……それでどうだ」

 渡辺が勝手に話を進めている。末永に話をつけるのは勝手だけど、それが『俺ら』って複数形なのが気になる。何だそれ。僕もメンバーに組み込まれてンのか。組み込まれてるんだろうなぁ。別にいいけど。ただ――どうしよううもなく下らなくて、全身から力が抜けていくのを抑えることができなかった。

 話が終わり、各々帰り支度を始める。手際よく皆のトレイを片付ける渡辺と、学生鞄を手に立ち上がる橘。


 ――りん……。


 彼女の鞄に結わえられている鈴が、透き通った音を鳴らす。何だか今は、その鈴の音さえも僕を馬鹿にしている気がして――人知れず、溜息を吐いたのだった。


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