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第四章 the fourth moon 18

 その日は朝から騒々しかった。

 いつものように校門から昇降口に向かい、体育館シューズに履き替えようと思ったのだけど……不自然な人だかりができている。

 何だろう?

 騒がしいのは、向かって左端――僕たち三年エリアとは逆側で――つまりは、一年の下駄箱が並んでいる辺り。朝っぱらから、騒ぐ群衆を横目に、僕は自分の下駄箱の蓋を持ち上げ、中に入っているシューズと外履きを交換する。ウチの学校では、体育館に入るには必ずシューズに履き替えなければならない。もちろん、バスケ部の選手は、それとは別にバスケットシューズに履き替えなければならないのだけど……僕みたいなマネージャーや、試合に出られない補欠とかは、学校指定のジャージとシューズで充分だ。……まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど。

「ねえ、何かあったの?」

 シューズを片手に持った僕は、人だかりの中に見慣れた背中を見つけ、声をかけた。

「あぁ、ノボルか……」

 振り返った渡辺は、珍しく青ざめていて、声も掠れていた。

「いや、ちょっと大変なことが起きてな……」

「何? 靴に画鋲でも入ってた?」

「……そのくらいじゃ、こんなに大騒ぎにはならねえだろ」

「――五寸釘?」

「画鋲と五寸釘の差がどれだけあるか分かンねえけど……と言うか、靴に五寸釘なんて馬鹿でかいモン入れられたって、絶対に刺さらねえだろ……」

 呆れながらも、ちゃんとツッコミを入れてくれる辺り、コイツの人の良さが出ている。まあ、人が良いだけで何の訳にも立ちゃしないんだけれども。

「じゃあ何なのさ?」


「――猫の死骸が、入れられてたんだと」


「猫――って、え? あの、猫、が? 猫が殺されて!?」

 我ながら物凄く馬鹿みたいな受け答えだ。

「そうだ」

「下駄箱に、あの、靴を入れるトコに、猫が!?」

「そうだ」

 苦虫を噛み潰したような顔で、肯定を繰り返す渡辺。

「誰のだよ!?」


「一年の――町田梢だ」


「そ……んな……」

「最悪なことに――まあ当たり前なんだが――最初にそれを見つけたのは、町田自身だったらしい」

「梢ちゃんは、今は――」

「完全なパニックになってから、気分が落ち着くまで保健室で休むことになったらしい。一人にしておけないから、椎名(カオリ)が付き添ってる」

 さすが椎名。ちゃんと梢のことを守ろうとしている。守れてないんだけど。

「……そっか……」

「ったく、誰がこんなひどいこと――」

「……もしかして……」

 吐き捨てる渡辺にギリギリ聞こえる音量で、僕は思わせぶりな台詞を呟く。

「ん? 何が『もしかして』なんだ? まさかお前、犯人は身近な誰か、なんて言い出さないよな?」

 お前こそ、何を言い出すんだ。

「こんなの、どっかの変質者の仕業に決まってる。下駄箱に猫の死骸を放り込むような変態が、俺らの中にいる訳がないだろう」

 高校生とは思えない事なかれ主義だな。どっかの教師の台詞みたいだ。

「いや……渡辺の気持ちも分かるけど、これはウチの誰かの仕業だって。外部の人間だったら、危険犯して敷地内に入ったりしないでしょう。死骸は袋か何かに入れたとしても、ゼッタイに目立つし。せいぜい校門の辺りに放置しておくぐらいが関の山だと思うよ。――これは、校内のどっかの馬鹿が、明確な悪意を持ってやったことだよ」


「――奇遇だね。俺も同じ意見だ」


 突然の声に振り向くと、そこには眉間に皺を寄せた峰岸の姿。いつ如何なる時もスマイルを忘れないこの男が、珍しく嫌悪感を露わにしている。

「ヒデ……聞いてたのか」

「途中からだけどね。でも――だいたいの事情は分かった」

 人だかりを凝視しながら、ずいぶんと低いトーンで話す峰岸。

 ……と言うか……あれ?

 怒ってる?

「アオヤマ――練習の後、ちょっといいかな?」

 え?

 え?

 ちょっと待ってよ。

「何だヒデ――ノボルと一緒に、犯人見つけるつもりか」

「当たり前だよ。俺、こんなに怒ったの、生まれて初めてかもしれない。こんな残酷な……卑劣なことする人間……俺は、許せない」

 なんだ。推理のパートナー指名か。

 てっきり、僕が犯人だって、早々に見破られたかと思ったよ。



 犯行は思ったより容易かった。

 マタタビで酔った猫を路地裏に運び、(いび)り殺して――呆気ないもんだ。後はそれをポリ袋に入れ、鞄に隠して学校にUターン。後は人目のないことを確認して町田梢の下駄箱に入れて終了、と。もっと血とか色々出るかと思ってたけど、キレイに済んで助かった。案ずるより産むが易しとはよく言ったもんだね。……ま、こんなの、まだ仕込みの段階に過ぎないんだから、まだまだ油断はできないんだけれども。

 

「――私、ちょっと本気でヤバいかもしれない……」

 所変わって、場所は保健室。

 猫の死骸でパニックに陥った梢も、今は落ち着いて寝ている。鎮静剤など打った訳ではないのだろうけど、寝てくれているのは助かる。僕は椎名と話がしたくて、昼休憩を潰してまで、こんな場所にやってきたのだ。

「ヤバいって……?」

「私ね、今――かなり本気で怒ってるんだよね」

 抑えた口調で、淡々と話すのが逆に恐ろしい。

「梢にこんなことして……意味が分からない。嫌がらせにしたって……猫の死骸なんて……この娘が猫好きだって、知ってやったのかな――」

 低く、冷たく、渇いた口調。大津波の前に潮が引いていくように、彼女の顔からもまた、完全に血の気が引いている。


「絶対に、ただじゃおかない」


 穏やかじゃないなぁ。町田梢と一緒にいる時はあんなにハイテンションのくせに。ここは僕も細心の注意を払って事を進めないと。

「そうだよね……。ひどいって言う言葉じゃ足りないくらい……。『王子』って言ったっけ? 梢ちゃんの可愛がってた野良猫。よりによって、その猫を殺すなんて――」

「……青山君、知らないの?」

「何が?」

 表情に俯いていた椎名が、意外そうな顔で僕に視線を移す。


「あの猫、『王子』とは別の猫なんだけど」


「……え? あ、そうなんだ。そりゃ何て言うか……よかったと言うか……よくないけど……まあ、不幸中の幸いと言うか……自分でも何言ってるか分かんないけど……」

 ここで一つ注意。この部屋には、眠っている梢を除けば、僕と椎名の二人しかいません。今しどろもどろになっている男と僕は同一人物です。そう言う僕自身、自分が喋っているという実感が日に日に薄くなっていってるのだけれども。

「殺されてたのは三毛猫だけど、『王子』は白猫だから」

「そっか……いや僕、渡辺から話聞いただけで、実際に死骸を見た訳じゃないからさ。……でも何で、別の猫を……」

「猫を可愛がってるのは知ってたけど、種類までは特定できなかったんじゃないの……」

 怒り疲れたのか、そう答える椎名はどこか気怠げだ。

「でもまぁ、確かに青山君の言う通り、『王子』を手にかけなかったのは、かろうじてよかったかも。知らない猫でもショックなのに、それが可愛がってる猫だったりしたら――梢、どうなってたか」

「どう……なってたかな?」

「ヤメテ。考えたくもない……」

 全ての感覚を遮断するかのように、現実を拒絶するかのように、椎名は頭を抱えてしまう。……何だか、ひどく衰弱しているかのように見える。どうやら、梢への攻撃は、イコール椎名への攻撃として連動する仕組みとなっているらしい。面白いな。

「――少なくとも、私はあずさを殺しにいってるだろうけど……」

 抱えた腕の隙間から物騒な台詞が聞こえてくる。大丈夫か、この女。

「え、ちょっと待ってよ……。椎名は、この犯人が橘だと思ってる訳?」

「他に誰がいるのよ――青山君だって、一昨日梢にあんな話したばっかじゃない。あんまり刺激しない方がいいって言うから、私我慢してるけど、本当はいますぐにでも、あずさの家に押しかけたいくらいなんだから」

「いや――だけど……」

 ここで決定的な一言。


「多分、橘は犯人じゃないと思うよ」


「……はァ?」

 うわ、態度悪いな、コイツ。

「もしよろしければ、そう思う理由を話しなさい」

 椎名、詰問するのはいいけど、口調がおかしくなってるぞ。

「椎名は知らないかな――これは本人から聞いたんだけど、橘、極度の動物アレルギーでさ、近付くこともできないらしいんだよ。クシャミが止まらなくなるんだって」

「……嘘じゃないの?」

「んや、この話聞いたのずいぶん前だし……それは本当だと思うよ」

 これは本当の話です。去年の夏、体育館裏に野良犬が迷い込むという事件があって、その時、僕は彼女から動物アレルギー云々という話を聞いているのです。……と言っても、本人もその話を忘れていたのか、数日前に同じ話を聞かされる羽目になった訳だけれども。何にせよ、椎名はそのことを知らなかったらしい。そりゃそうだろうな。あの時に騒いでたのは、主に男バスの連中ばかりだったし。

「でも、クシャミが止まらなくなるだけでしょ? 死ぬわけじゃないし、できなくはないんじゃないの?」

「いや、嫌がらせのためにそこまではしないと思うよ。アレルギー我慢して猫殺すくらいなら、別の方法選ぶと思うし」

「……じゃあ、誰がやったってのよ……」

「今はまだ分からない……けど」

「けど?」

「言ったでしょ。僕には強力なブレーンがいるって。練習終わったら会うことになってるから……」

「結局、峰岸君が頼りなんだ」

「身の丈ってものがあるからね。僕なんかがいくら知恵絞ったって、分からないものは分からないよ。……それより、僕らは自分にできることを精一杯するべきだ。そうでしょ?」

「自分たちにできること?」

「そう。僕にしかできないこと、椎名にしかできないことってあるでしょ? もう起きちゃったことはどうしようもないんだからさ、今は自分のできることを、精一杯やるべきじゃないかな」

 反吐が出る。偽善的で独善的で胡散臭くて青臭い。耳障りがいいばかりに徒に人の心を動かす――こういうことを平気で言う奴って、本当に信用できない。自分で言っておいて何だ、って話だけど。「私にしか、できないこと……?」

「椎名は梢ちゃんを守るんじゃなかったの? そう決めたんでしょう?」

「……そうだけど……」

「じゃあ、頑張ろうよ。僕は椎名の味方だよ。僕にできることがあれば、できる限り応援するし」

『頑張れ』『味方だ』『応援してる』――調子に乗って、僕的NGワードを連発してんな。何か、加速度をつけて人間終わっていく気がする。別にいいけど。 


「ところで、椎名って――ポケベル持ってる?」

 閑話休題。口調を変えて、僕はようやく本題に入る。

「持ってない。高校生に必要ないでしょ」

「……いや、今は普通にみんな持ってるし。椎名も一応、女子高生なんだから、もっと流行に敏感になった方がいいよ?」

「『一応』が物凄く余計だけどね」

「……でも、真面目な話、これからは持っておいた方がいいよ。梢ちゃんに何かあった時、どこにいてもSOS受信できるようにしておかないと」

「あー……それはそうかも。でもあれって、すぐに契約できるものなのかな? 親の同意とか、いらない?」

「んや、これから新しいの買うのも面倒だから――僕のを貸してあげるよ」

「青山君の?」

「うん。椎名が持ってた方がいいでしょ。頭使って解決するのは峰岸の役目、体張って梢ちゃん守るのは椎名の役目、んで、僕は二人のサポートに徹する。適性を考えて役割分担する――『身の丈』ってのは、そういうことだから」

「そっか……そうだよね……」

 今の今まで俯いていた椎名、その僕の一言で顔を上げる。そして何とも晴れやかな顔で、

「ありがと、青山君。――何か、一人で怒って悩んでたのが馬鹿みたい」

 などと宣う。


 ――勝手に救われるなよ。


 橘も椎名も、何故僕の言うことを簡単に信じるんだろう。その先に何が待ち構えているかも知らないで、耳障りのいい戯れ言に考えなしに同調して、勝手に人を信用して――いいさ、そのまま、勝手に信用して、勝手に絶望したらいい。僕は計画を曲げるつもりはない。

「じゃあ、いつ渡そうかな……」

「今は?」

「んや、僕も普段使わないからさ、家に置いてきちゃったんだよね。明日は朝から地区予選だし……その後でもいいかな? ちょっと遅くなっちゃうかもだけど」

「私は構わないけど?」

「じゃあ決まりってことで。取りあえず、ベル番だけは後で梢ちゃんに教えておくよ」

「そうだね、お願い」

 こうして、いとも簡単に計画は進んでいく。滞りなく、遂行されていく。止める者はない。止めるつもりはない。

 僕を追い込んだ報いは受けてもらう。

 今度は僕が――嘲笑(わら)う番だ。


 

 保健室から体育館に戻る途中、意外な人物に声をかけられた。

「青山、ちょっといいか?」

 振り向くと、そこには肩にタオルをかけた辻岡の姿。ここで休憩していたらしい。

「……ん? どうしたの?」

 あー、この男のこと、すっかり忘れてたなー。一時は殺意まで抱いた相手だってのに、まさか歯牙にもかけない日が来るなんてね。

「いや……どうでもいいことなんだが、結局どうなったんだ?」

「――何が?」

 この男にしては珍しく、ぼかした聞き方をしてくる。

「……お前の頭は名古屋コーチンか?」

「あ、ちょっと高級なんだ」

「俺は何のために、お前に屋上を譲り渡したんだ」

「ああ……そのことか」

 と言うか――

「ちなみに、『屋上を譲り渡した』というのは言葉のあやであって、『そもそもあの場所はお前の所有地ではない』などという揚げ足取りは聞きたくない」

「誰もそんなこと言ってないじゃんか……」

 言おうとしてたけど。

「で、どうなんだ」

「いや……もうちょっと、待ってもらえないかな」

「いつまでだ」

「遅くても、来週までには何とかするから。――て、これじゃまるで」

「何も知らない人間がここだけ見たら、まるで俺が借金取りか何かに見えるだろうが、それは成り行きだから仕方がない。俺だって好き好んでこんなことをしている訳じゃない」

「……僕の軽口を潰すなよぉ。何その牽制球」

「いい加減、お前の思考パターンが読めてきたからな」

 表面上だけの、だけどね。この男、本来なら充分に脅威となる力を持っているのに、他人に無関心であることでプラマイゼロになっている。勿体ないと言うか、有り難いと言うか。

「ゴメンね、いつまでも辻岡の持ち場借りてて。……うん、明後日には、決着をつけるから」

「そうか――こんなこと言っておいて何だが、別に急かしている訳じゃないんだがな」

「僕のこと、心配してくれてるの?」

「勘違いするな。俺は早く自分の持ち場を返してほしいだけだ。お前の告白の成否になど興味ない」

 物凄く嫌そうな顔をしてそんなことを言っているけど、お前、さっきの台詞と矛盾してるぞ。どっちなんだよ。

 まぁ別にどうでもいい。この男に関しては、屋上を提供してもらった時点で、すでに用済みだ。しかし――場所を借りたのが計画を立てる前だったのは、僥倖としか言いようがないな。今まで僕を突き放すばかりだった世界も、ここに来て僕の味方をし始めたということか。

「……もうこんな時間か。そろそろ戻らないとな」

 気が付くと、すでに昼休憩の終わる時間となっていた。椎名と辻岡のせいで全く休んでないのだけど、別にいい。計画が完遂するまでは、休んでなどいられるか。

「もう明日だもんね、予選。頑張らないとね」

「この期に及んで、頑張らない人間などいないだろう」

「……違いないね」

 相変わらず、取っ付きにくさ県下一だな。好きにしたらいいよ。

 お前はお前だし。

 僕は、僕の好きなようにするだけだし。



「朝にも言ったかもしれないけど――」

 前置きをして、カリカリのメロンパンに齧り付く峰岸。

「俺は、罪もない動物を平気で殺す輩が許せない。どうしても、許せないんだ。マチダを追い詰めるためにそんなことをしたと言うのなら、尚更ね」

 滔々と、伏し目がちにそう語る峰岸。

 ひどく――怒っている。

 何をそんなに憤っているんだろう。

 表面上はあくまで柔和に保とうとしているけど、目の奥の光をまるで隠せていない。こんな峰岸を見るのは初めてだ。今日の練習中も、事情を知っている僕や渡辺はもちろん、他のチームメイトですら容易に話しかけられなかったくらいだ。明日は試合だってのに、こんなんで大丈夫かな。どうでもいいけど。

 つい最近、これと同じ目を見た気がする。……あぁ、椎名か。今日の昼、保健室で会った椎名も、これと同じ目をしていた。

 二人とも、何をそんなに憤っているんだろう。

 よく分からない。

 まぁいいや。計画に支障はない。むしろ、怒りで我を失ってくれた方が、操作しやすくて都合がいい。

「どうする……つもりなの?」

「必ず犯人を突き止めて――それなりの報いを受けてもらう」

 峰岸にしては珍しく、強い言葉を連発している。どうやら、この男は人や動物の命を粗末にする行為が心底許せないらしい。例えばそれは殺人であり、例えばそれは自殺であり――。

 どんなに辛くても絶望的でも、生きてさえいれば、必ず繋げる明日もある――あの時、この男はそう宣っていた。

 だけど。

 だけどさ。

 肉体が生きてても――精神が死んでしまったら、意味がないんじゃないの? 人のこと弄んで、嘲笑って――その報いは、どう受けてくれるの?

 どう(つぐな)ってくれるの?

 どう(あがな)ってくれるの?

 どんな顔して――僕に懺悔してくれるの?


「報いを受けさせるとか、まあ、そういうのは置いとくとして――犯人を突き止める、ってのは僕も賛成だよ? だけど……ヒデは、もう何か手がかりを掴んでいるの? 僕ら二人だけで人手もないし、しかも明日は試合で、時間もないし……」

「手がかりと言うか――はっきり言って、犯人の候補となる人間はかなり絞り込めてるよ。まず――」

「あ、待って」

 放っておいたらまた長々と自説を展開しそうな勢いだったので、慌てて先手を打っておく。

「その前に、僕の考えを聞いてもらってもいい?」

「……アオヤマ、何か仮説があるの?」

「んや、そんな偉そうなモンでもないんだけど――これは昼に椎名にも話したことなんだけど……ええと、何て言うか……結論から言うと、『橘は犯人ではない』ってこと」

「……続けて」

 橘あずさは動物アレルギーで、猫にも、猫の死骸にも近付けない。無理をすれば可能ではあるけれど、単に町田梢にダメージを与えることが目的なら、別の方法を選択する筈だ。よって、橘は犯人とは考えづらい――椎名に話したのと同じ内容を、若干自信なさげな感じを装いながら、峰岸に話す。

「なるほど……」

 思案に耽るような面持ちで、峰岸は新しい菓子パンの袋を開けている。

「どうかな?」

「――いや、驚いたよ。まさかアオヤマがそのことに気付いてたなんて」

「え? ……てことは……」

「うん、俺も同じことを考えていた。ちょうど一年前のことだけど、練習中、体育館裏に野良犬が迷い込んできたことがあってさ。橘の動物アレルギーのことは、その時から知ってたんだ」

「うん、それは僕も覚えてる。……その時って、男子バスケ部は全員揃ってたんだっけ?」

「一応ね。ただ、その内の何人が橘のアレルギー云々のことを今でも覚えているかどうかは、不明だけど」

「女バスには知らない人間も多いみたいだしね。現に、椎名はそのことを知らなかった」

「とにかく、そういうことがあったから、橘犯人説は一番最初に却下したんだ。――だけど、だとすると、どうなるか……」

「……どうなるの?」

 パンを次々と消費しながら、徐々に本来のペースを取り戻していく。さあ、ここからが長いんだ。

「――朝、アオヤマが披露してくれたもう一つの仮説、覚えてる?」

「仮説? んや、僕はそんなの――」

「ほら、ワタナベが『こんなことするのは変質者の仕業に決まってる』みたいなこと言った時、アオヤマ断言したじゃない? 犯人は絶対に校内の人間だって。夏休み中とは言え、部活や補習なんかがあるから、日中から夕方にかけては、案外人目がある。ただ下駄箱に猫の死骸を放り込むのでも、誰かに目撃されるリスクが高すぎる。かと言って、人目が完全になくなる夜間は校舎が施錠されている。部外者には不可能だ。つまり、犯人は生徒か教職員か、いずれにせよ、校内の人間に違いない――そう、言ったよね?」

「確かに言ったけど、仮説ってほど偉そうなもんでもないよ。第一、『校内の人間』って言ったって、全校生徒と教職員、合計したら千人以上になるんだけど……」

「だけど、重要なことだ。いい? 今回のことは、タチバナが不穏な動きを始め、アオヤマがマチダにそのことで警告をした――その直後に起こっている。他でもない、マチダ自身にね。こんな偶然、あると思う?」

「あり得ないね」

「そう、あり得ない。つまり必然ということだ。しかも容疑者は校内の人間ときている。さて、以上の条件から真っ先に疑われる人間は誰だろう?」

 そんなの、一人しかいない。だけどそれは僕が先手を打って否定している。

「だから橘は違うって――」

「それは、俺やアオヤマが彼女のアレルギーのことを知っていたから導き出せる結論だ。犯人はそうじゃなかった。タチバナのアレルギーのことを知らなくて、その上で――彼女に罪を着せようとした」

「……ってことは、どうなるの?」

 白々しくならないように、すっとぼける。要所要所で的確な相槌を打ちつつ、推理を引き出すのが僕の役目なのです。

「話を戻そう。今回のことは、タチバナに罪を着せるため、必然とも言えるタイミングで起きている。

 ……そんなことをできる人間が、何人いるだろう?

 タチバナの様子がおかしくなって、そのことでマチダが怯えていて――そういう事情を知っている人間が、校内にどれだけいる?」

 なるほど、そういう風に持って行くのか。確かに、それなら容疑者は大幅に限定される。梢と橘を除いて、そのことを知っていたのは、僕と、椎名と、後はこの峰岸くらいか。――って、疑われてんじゃん、僕。

「それプラス、タチバナの動物アレルギーのことを知らなかった人間、という条件もつく」

 よかった。僕のことは容疑圏外に置いて考えているらしい。そもそも、この推理自体、僕の話を信用して成り立っている訳だし――僕を疑う材料がない。そりゃそうだ。峰岸と梢の関係に、僕が気付いてるってことを、この男は気付いてないのだから。『誰も死んだりしない』と僕が宣言した一件以来、この男は僕を信用しつつある。

 否、信用とは、違う。

 そんなポジティブな感覚ではない。

 僕みたいな男には何もできないし、仮に何かを企てたとしても、自分を欺ける訳がないと――高を括っている。見下し、馬鹿にし、嘲笑しているのだ。忌々しい。早くその高い鼻を折ってやりたい。早く――絶望するところが見たい。

 早く。

 早く。

 煮えくりかえり、突沸しそうになる内面を皮膚一枚で押しとどめ、表層の僕は峰岸の相手を続ける。……本当の僕が何処にいるかなんて、もうどうでもいい。

「――なるほど。確かに、それならずいぶんと絞り込めるね」

「だけどここで注意しなくちゃいけないのは、誰が何を知っている、誰が何を知らない、なんてことを安易に推理の材料にすべきではないってことだ。マチダとタチバナの事情を他の人間が何かの拍子に知ってしまった可能性は充分にあるし、動物アレルギーの件にしたって、誰が知っていて誰が知らないなんて、証明もできないし考察もできない」

「あれ、今回はずいぶんと慎重なんだね。いつも大胆に推理を展開してるのに」

「……目的が、分からないんだ」

 伏し目がちに、そう呟く峰岸。

「目的?」

「猫を殺して、下駄箱に死骸を放り込むなんてリスクの高いことをして、それが犯人にとって何の利益になるんだろう?」

「んや、利益とか損得じゃなくて、単に梢ちゃんに対する嫌がらせなんじゃ……。それに、そう――橘に罪を着せようとしてるのなら、同時に橘のことも攻撃しようとしているのかも」

「誰が、何のために?」

「や、僕に聞かれても……」

「マチダを傷つけ、タチバナを陥れるのが目的なら、何も猫を殺すなんて過激な手段を選ぶ必要はない。得られる結果に対して、あまりにもリスクが高すぎる。目的と手段と結果に、まるで整合性がないんだ」

 整合性はあるよ。

 だけど、お前には絶対に分からない。

「第一――如何なる必然性があろうとも、そのために何の罪もない猫を死なすなんて――人間の出来ることじゃないよ」

 自分の物差しで人間を語るなよ。

 人を(かた)って、騙して、弄んだその口で――人を語るな。

 ああこいつ、早く地獄に堕ちればいいのに。

「――ゴメン。もっと煮詰める必要があるみたいだ。アオヤマと話してれば、何か新しい発見でもあるかと思ったんだけど……いずれにせよ、今は頭に血が上りすぎている」

「そうだよ。事件のことも大事だけど――ホラ、明日は大事な地方予選なんだからさ。今はそっちに集中しないと」

 物凄く、どうでもいいんだけどね。

「もちろん、それはそれで全力を出すつもりでいるけどね。みんなに迷惑はかけないよ。それに……そうだね、バスケの方に集中すれば、逆に冷静になれるかもしれない」

 バスケの試合をお前の推理に利用するなよ。そう言う発言が、メンバーや試合の参加者を馬鹿にしていることに、どうしてこの男は気が付かないんだろう。

「うん、とにかく今は試合だよ。……その後で何かに気付いたら、また誘ってよ」

「何かに気付いたら……ね」

 大丈夫、そんな機会は未来永劫訪れないから。

「――あと、そうだ。一つお願いがあるんだけど」

「ん?」

 食べ終えたパンの袋を片付けながら、峰岸が顔だけをこちらに向ける。

「今日は、もう梢ちゃんと連絡取らない方がいいかもしれない。相当ショック受けてるみたいだったし……」

 今日から明日にかけて、峰岸、梢、椎名の三人はできるだけ引き離しておきたい。無駄に情報交換でもされたら、全てが無駄になってしまう。そう思って牽制の言葉をかけたのだけど、当の峰岸は不思議そうな顔で、

「……いや、そのつもりだけど……と言うか、なんで俺がマチダに電話すると思ったの?」

 何を今さら。

「え、だって連絡取り合ってるんでしょ? ――じゃなきゃ、橘のこととか、それを僕が梢ちゃんに警告したこととか、ヒデが知ってる筈ないし」

「ああ……いや、それは椎名に相談されたんだ。どうしたらいいだろうって。俺もあまり刺激しない方がいい、って言っておいたけど……」

 そっちか。……それはそれで都合が悪いな。

「だったら、椎名にも連絡しない方がいいね。アイツも今、相当気が立ってるみたいだから。下手に刺激したらどんな行動に出るか分からない」

 それは本当だ。ただ、それを注意する僕の思惑が違うところにあると言うだけの話で。

「そうか……分かった」

「じゃ、明日、頑張ろう」

「そうだね」

 適当な台詞で締めくくり、僕たちはベンチを立つ。

 先を歩く峰岸の後ろ、僕は軽く空を仰いだ。

 いつものように、月が僕たちを照らしている。

 限りなく、円形に近付いていく月。


 ――明日は、満月だ。

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