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第四章 the fourth moon 16

 翌朝、二日ぶりに練習に向かう。根が頑丈なのか、それとも若さのおかげか、顔の腫れは完全にひいていた。体の怪我も、まだ多少痛みは残っているものの、ほとんど治っている。手首の傷も完全にカサブタになっている。極限まで絶望して切ったというのに、呆気ないもんだ。もっとも、治療らしい治療など何もしなかったので、(あと)になって残るかもしれないけど。


 案の定、バスケ部のメンバーは心配そうな顔をしていたが、それも練習が始まるまでの話。興味本位の心配など数瞬で霧散していく。だったら、最初から声などかけないでほしい。人のことを、道端で見かけた捨て猫みたいに――日常の間を埋めるためのダシになど、使わないで欲しい。

 ――捨て猫、か……。

 不意に梢を思い出した。いつだったか、駅前でみかけたという猫を可愛がっていた――確か、『王子』という名前をつけていたような。拾って帰るつもりもないくせに、『カワイイ』なんて馬鹿丸出しな理由で中途半端に情けをかけて……。

 ――僕と、同じじゃないか。

 いや、それ以下だ。僕に対しては、中途半端な『情け』すらかけていない。僕は畜生以下の存在ということか。

 淀んだ感情が脳内を掻き回す。血の気がすぅっと引いていく。と同時に、思考が冴え始める。

 ――行動を、開始しないと。

 表面上、練習を甲斐甲斐しくサポートしながら、僕は機会を窺う。女バスコートの片隅で基礎練を真面目に消化する少女を、視界の隅に止めながら。



「実は――大事な話があるんだ」

「……だだ、大事な話――ですか?」

 若干緊張した面持ちで、若干赤面して、僕の言葉をオウム返しにする梢。緊張しているのは、他でもない僕という人間と対峙しているからか、それとも、初めて足を踏み入れた屋上という場所のせいか……。

「ゴメンね。いきなりこんな所に呼び出して。ビックリしたでしょう?」

「あ、はい。お、屋上は立ち入り禁止だと思ってたんですけど……」

「ホントはね。だけど、入り口を見つけた阿呆がいてさ――ああ、あまりそっちに近付かない方がいいよ。その部分だけ、フェンスが低くなってて、危ないから」

 手持ち無沙汰にフェンスに近寄ろうとする梢に注意する。

「あ、ホントだ……。でも、何でここだけ――」

「うん、何年か前に大型台風が直撃したらしくてさ。そこのフェンス、半壊しちゃったらしいんだ。屋上が立ち入り禁止になってるの、そのせいかも。だったら、さっさと修復すりゃいいと思うんだけどね。いくら貧乏私立でも、それくらいのお金はある筈だし」

 冗談めかして、もっともらしい嘘を吐く。実際がどうなのかなんて知らない。興味もないので、特に調べてない。大切なのは、一画だけ低くなっているフェンスと、その存在を梢が認識するという点にある。……この下準備が意味を成すのは、もう少し先の話なのだけど。

「扉は施錠してあるくせ、窓の鍵が壊れたままだし――ウチの学校って、何か抜けてるんだよねー。……でもまぁ、そのおかげで梢ちゃんと秘密の話ができるって訳だけど」

「――ひひ、秘密の話、ですか……」

 またオウム返しだ。それも、緊張というより、動揺しているようにも思える。

「……梢ちゃんにとっては、悪い話かもしれない」

「――え」

「と言うか、他の誰にとっても、悪い話になるんだけど」

「…………」

 途端、瞳の奥の警戒色を強くする梢。それが演技なのか、本気で怯えているのかは判断がつかない――が、恐らく後者だろう。

「……聞かせて、もらいますか」

 それでも、僕の目を真っ直ぐに見つめ返し、そう問う。彼女は脆いし、鈍いけれど――その実、芯は僕なんかよりずっと強い。……勿論それは、峰岸や椎名といった人間に支えられているから、という部分も大きいのだろうけど。

「僕、昨日練習休んだよね? 実は、それが関係してるんだ」

「夏風邪をひいたって……」

「それは口実。本当は――橘の家に行ってた。……アイツを説得するために」

「説得って――」

「うん。これは末永から聞いたんだけれども……橘の奴、最近ますます挙動がおかしくなってるらしくってさ。末永に無言電話かけたり、新しい彼女に怪文書送って二人を別れさせたり――」

 ――と、僕はここで実際に起きた出来事を、『事実』として梢に聞かせる。会ってもらえない末永に代わり、僕が橘家を訪れたこと、そこで彼女の説得にあたったこと――全て本当のことだ。ただ違うのは、それが昨日ではなく、数日前の話ということと――その結末部分。

「結果的に、説得は失敗に終わった。……橘の精神状態は、想像以上に悪化してる。今のアイツには、周囲の人間全員が敵に見えてるみたいだった。末永も、僕も、バスケ部のみんなも――そして梢ちゃんも――アイツにとっては『敵』で、『攻撃すべき相手』らしい」

「……そんな……」

 見開いた目の色が、警戒から恐怖へと変わる。

「でも、あたしは何も――」

「そう、梢ちゃんは関係ない。と言うか、梢ちゃんは完全な被害者であって、これ以上攻撃を受ける謂われはどこにもない。……だけど、問題は橘はそう思ってないってことだ。アイツは今、視野狭窄と被害妄想のために、現実を正しく把握できなくなっている。タチの悪いことに、周りが何を言っても、今のアイツには『自分を言いくるめるための適当なごまかし』か『さらに自分を陥れるための巧妙なペテン』にしか聞こえない。おかげで、僕もひどい目に遭った。手当たり次第に物を投げつけられて、最終的には馬乗りで殴られて――おかげで顔は腫れるし、躰にはアザができるし……。本当、顔の腫れがひかなかったら、今日の練習も休もうかと思ってたくらいでさ」

 七割の嘘に三割のリアリティ。まぁ、『リアリティ』は『リアリティ』、どこまで行っても『リアル』には成り得ないのだけれども。

「……あんまりこういうことは言いたくないんだけど……あの女は、危ない。はっきり言って危険人物だ。間の悪いことに、夏休み中はかなり自由に行動できる。……アイツが何をしでかすか――考えただけで恐ろしいよ」

「……わたしが、襲われるかもしれないってことですか?」

「そういう危険性もあるってコト。僕もできるだけのことはしてみるけど……梢ちゃんも、充分に警戒してほしい。特に帰り道には気をつけて」

「……それは、椎名センパイが一緒にいてくれるんで、大丈夫だとは思いますケド……」

 ずいぶんな信頼されてるな、椎名。

「そっか。……なら少しは安心できるかな。……でも、本当に気をつけてね。何かあってからじゃ遅いんだから。取りあえず、鈴の音には気をつけな。あれ、橘の叔父さんの形見らしいんだけど、アイツ、余程大事にしてるらしくて、肌身離さず身につけてるから――近づけば、音で分かる筈だ」

「――ありがとうございます」

 しおらしく礼を言う梢を、僕は浅薄な笑みで受け流す。


 何にせよ、第一段階は終了した。もう後戻りはできない。僕たち二人は窓をくぐり、工具箱を元に戻し、屋上を後にした。


 もうすぐ、満月だ。


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