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四章 姉の時代はいつくるの

 第四話


「やー。正加ー。久しぶりだなー。一ヶ月も経ってないけど」

 遊園地での親睦会の後。

 帰宅した俺が一番最初に聞いた声がコレだった。

 遊園地は体を疲れさせる為に行く所では無い筈だが、俺はすっかり疲れていた。

 まぁ、その疲れた体でも帰宅する位は普通に出来る。

 帰ったら早く寝てしまおう。

 そんな決意を固めて玄関を開けて、今の台詞を聞いた。

「……」

 何かの間違いだと信じたい。

 いや、きっと間違いだ。

 あまりに疲れていたから、幻覚を見ているのだろう。

 砂漠で歩きつかれると水が見えると言うが、きっと今はそんな感じなのだろう。

 まぁ、この例えだと、俺はこの幻覚を望んでいた事になるので相応しくない。

 幽霊を怖がって夜道を歩いていたら、揺れる木の枝が幽霊の手に見えた。

 そんな例えの方が的確だろう。うん。そうだ。

 何が言いたいかと言うと、目の前に居る人間は俺の疲れが見せた幻覚に過ぎなくて。

 俺はその幻覚を望んでいる訳では無い、と言う事だ。

「ムムム? どーして固まってんの?」

 後ろからあああああの声がした。

 俺の背中が邪魔をして、あああああの位置からは部屋の中が見えないらしい。

「いや、ちょっと……。な?」

 俺は小声であああああに言った。

 何が『な?』なのか、自分でもよく分からない。

 そんな事はどうでも良い。

 今考えるべき事は。

「ん、どうした? まさかお前、たったの数週間で姉の名前も忘れたのか?」

 この幻覚、夢霧村正美むむむら まさみを、どうするかだ。


「あははっ!」

 数分後。

 ぬるめの麦茶を三つのコップに注ぎ、ここは居間。

 俺は擬人化した悪魔を相手にしていた。

「何ソレ、あああああ? まぁアンタならやりかねないとは思ってたけど、本当にそれにするなんてっ。ぷくくっ」

「笑うな」

「……」

 順番に姉、俺、あああの台詞だ。

 まぁ、三つ目を『台詞』とカウントして良いかは知らない。

「あああ……、コホン。綾香も久しぶりー。悪いねー。変な名前にさせちゃって」

「……」

 俺が玄関での硬直を解いて(正確に言うと、姉の手によって強引に解かされて)、あああああが室内を確認してから、あああああは一言も喋っていない。

 ずっと、暗い表情で下を向いたままだ。

 それもそうか。

 あああああが、俺の所に出現した日。

 あああああの家(みたいな物)であるゲームソフトは、この姉から送られてきた。

 言われて見れば、あああああ出現後、あああああはそれっぽい事を言っていた。

『また、捨てるの?』

 これが何人の人間に向けられた台詞か、なんて知らない。

 だが、ほぼ確実に、その不特定多数の人間の中に、俺の姉は居たのだろう。

 自分を捨てた人間を相手に、好意的に話すのは無理だろう。

「……なぁ、姉貴? 人を家から追い出しておいて、今更何しに来たんだ?」

 同じ事は俺にも言える。

 俺だって、規模は違えど、姉に捨てられた様な物だ。

 好意的に話そうとしても、何処かで言葉に棘が入ってしまう。

 今の発言も、そうだった。

「愛する弟に会いに来た、じゃ駄目?」

「良い訳無いだろ」

 こいつは愛する弟を家から追い出したのか?

 まぁ、愛されていない事は百も承知だが。

 だから、俺もあああああも、こいつと積極的に話したい訳が無い。

「まぁ、冗談は置いておくとして」

 最初から置いておいてくれよ。

「アンタの横に居る奴の事で、よ」

 姉がそう言った瞬間。

 あああああの顔が凍りついた。

「……『School Utpia』、今出せる?」

 School Utpia。

 あああああが主人公のゲームであり、(恐らく)世界に一つしか存在しないゲームソフト。携帯ゲーム機対応。

 まだ全くプレイしていないが、オープニング映像から察するに乙女ゲー。

「……あああ、出して良いのか?」

「……どうぞ」

 ここまで来て、初めてあああが喋った。

「あ、別に出さなくて良いよ。すぐに出せる場所にあれば良いし、カセット出しちゃったら綾香が出て来れなくなっちゃうし」

「だとさ」

 俺はあああああの方を見ながら言った。

 あああああは複雑そうな顔をしていた。

 これから話す事が既に分かっていて、それが良い話では無いと分かっている。

 そんな顔をしていた。

 ……って言うか、実際、言いたい事分かってるんじゃないのか?

 コイツ、仮にもゲームの主人公だし、人の心の中は見えてるらしいし。

 まぁ、コイツがどの辺りまで人の心を読めるか、なんて知らないが。

「アンタにあのソフト送った後、親父から手紙が届いてさ」

「……手紙?」

 連絡なんて取らせないあの親父が手紙。

 珍しい事もあるんだな。

「そう、手紙。まぁ、送り主の名前も住所も書かれてないんだけど、筆跡が明らかに親父のだし、誰かが真似した様にも見えないし」

 そう言いつつ姉が渡した手紙は、確かに親父の筆跡で、長々と用件が書いてあった。

「……えっと、あの」

 手紙があまりにも長くて読む気がしなかった。

 分かりやすく、三行位で説明して欲しい。

「自分で読め」

 ちっ。

 俺は心の中で舌打ちをし、手紙を開きかけ。

「……私も読む」

 そんなあああああの台詞に硬直した。

「え?」

 あああああも?

 コイツ、用件は既に分かってるのかと思ったが、分かってなかったのか。

「……悪い?」

 何だか、台詞に覇気が無い。

 いつもの元気は何処に行ったのやら。

「まぁ良いけど」

 断る理由も無いしな。

「読み終わったら言って? アタシちょっと休んでるからさ」

 姉はそう言い残し、床に寝転がった。

「「さて……」」

 枚数の多さに目を逸らしたくもなったが、そこを堪えて、最後まで目を通した。


「ふわぁあ……。流石にそろそろ読み終わった? ……ふぁあ」

 何度も手紙を読み返す俺達に、爆睡から冷めた姉がそう言った。

 その口元に涎が垂れている事は無視しておいた。

 が。

「……オイ姉貴。これは一体何の冗談なんだ?」

 俺は何度目になったか分からない読み直しを中断し、姉に言った。

 ここに書いてある事を、俺は無視出来ない。

「冗談じゃないわよ」

 そんな俺に対する姉の反応は、酷く冷静な物だった。

「『School Utpia』が作られた理由も、『愛川綾香』の事も、全て、ね」

 その台詞は、俺の怒りを買うには高すぎた。

「……根拠は何だよ」

「え?」

 姉の、怒らせる事が目的な一文字に、俺はさらに怒っていた。

「あああああにアイツが関係ある、って言う根拠は何処にあるんだ!」

「『アイツ』……?」

 俺に指を指されたあああああが、そう呟いていた。

 だが、今はそんな事に構っている余裕は無い。

「相変わらず、アイツの事となるとすぐ怒鳴るのね」

「……」

 他人事だと思って、コイツは軽々しく人の触れて欲しくない部分に踏み込んでくる。

 昔からそうだ。

 いつも、俺がどう思うかなんて無視して、やりたい様にやってくる。

 その結果、俺が苦しむとしても、助かるとしても、だ。

「……    」

 隣のあああああが、不思議そうに小さく呟いた。

 何と言ったのか、俺には聞こえなかった。

 だが、何と言ったのかは分かった気がした。

 恐らく、あああああはこう言ったのだろう。

 多分、『《主人公補正》』と。


「相変わらず、アイツの事となるとすぐ怒鳴るのね」

「……」

「?」

 さっきから会話に出ている『アイツ』。

 あの手紙に書かれていた、私の知らない人物。

 その人が、今、ムムムが過剰に反応している『アイツ』なんだろうか。

 知りたい。

「……《主人公補正》」

 私は、この場で一番言ってはいけないであろう単語を口にした。

 それと同時に、記憶が流れ込んできた。

 一人の少年の、今の生き方を作った過去。その記憶が。

 一人の少女の、表面と内面を分かつきっかけ。その記憶が。

 そして、今の私を作り出される事になる、一つの事件。

 その、記憶が。


 今から三年前。

 ここでは無く、田舎と都会の中間、とでも言えそうな町に、三人は住んでいた。

 一人の少年が、地元の中学校に入学した。

 その少年の姉が通う中学校に。

 少年が入学して、すぐ。

 少年は、同じクラスに居る一人の少女を、好きになった。

 学級委員をやる事になった、一人の少女を。

 きっかけは、小さい事だった。

 在籍しているクラブが同じだったから、時々話す事があった。

 その程度の事だった。

 気付いたら好意を抱いていて、気付いたら好きになっていた。

 その程度の事だった。


 最初は悪戯だった。のかもしれない。

 少年の名前をからかい、いじめの種とする同級生が居た。

 確かに、少年の苗字は珍しい物だった。

 子供は、些細な差でも、鬼の首を取ったかの様に攻撃する。

 少しでも上に居る自分が正義だと。上は下を攻撃する権利があると。

 少年は、その特異な苗字から、『下』と言う扱いを受けた。

 少年への攻撃は、日に日にエスカレートしていった。

 口頭での罵倒から始まり、落書き、捏造、物隠し。

 学校に相談する事も出来なかった。

 自分の力で解決しないといけない。

 低俗な力に屈してはいけない。

 少年はそう信じ、耐えた。

 この頃からだった。

 現実逃避として、少年がゲームに熱中し始めたのは。

 だけど、この時は、まだ。

 少年は、ゲームに拘りを持ってはいなかった。


 ある時。

 少年は、クラスメイトである女子に呼び出された。

 クラスで起きている、少年を攻撃する雰囲気についてだった。

 少年は質問された。

 何故誰にも相談しないのか。

 何故無抵抗で居られるのか。

 何故。何故。何故。

 少年は答えていた。

 度重なる攻撃に、少年は疲れていた。

 好きな人に情けない質問をされて、見栄を張る気力は残っていなかった。

 女子は怒った。

 そんな雰囲気を作り出したクラスの連中に。

 そんな雰囲気を壊そうとしなかった連中に。

 そんな雰囲気を壊そうとしなかった自分に。

 女子は少年に言った。

 自分がこの空気を変えてみせる、と。

 自分が夢霧村正加を守る、と。

 女子が、少年の今の待遇を調べ始めてから、少しして。

 女子は気付いた。

 そう言えば、少年が攻撃される理由は知らない、と。

 雰囲気が作られ始めた理由。

 どう言った具合にエスカレートしていったか。

 等々。

 そして、女子は憤慨した。

 そんなふざけた理由で、彼は攻撃されているのか、と。


 女子と話をして二週間程経過したある日。

 少年は不思議に思った。

 朝、いつもの様に少年は登校してきた。

 下駄箱で靴を履き替える時、自分の上履きに何も変化が無かったからだ。

 靴の上に偽ラブレターがある訳でも無い。

 靴の中に画鋲が入っている訳でも無い。

 靴の底にガムが張り付いている訳でも無かった。

 少年の頭の中に『?』が浮かんだ。

 が、少年は深く考えず、自分の教室へ向かった。

 ドアの上に黒板消しが無い事を確認し、教室の中へ。

 いつもと同じ様に、既に教室にはクラスメイトの半分近くが登校してきていた。

 そこはいつも通りだった。

 いつも自分に危害を加える人間も。

 いつも自分を見放す人間も。

 いつも通りにそこに居た。

 が。

 自分を守ると言ってくれた、一人の女子は居なかった。

 風邪かな、と、少年は心の中で言った。

 誰だって風邪を引く事位ある。

 その時は、そう考えていた。


 数日後の放課後。

 一人で学校を出た少年は、少年の自宅の近くで、一人の少女を見つけた。

 自分を守ると言ってくれた、あの女子だった。

 少年は話しかけた。

 好きな人と話す事による緊張は無かった。

 あったのは、ここ数日学校に来ていない女子に対する疑問だった。

 少年は無神経に、様々な質問を投げかけていた。

 少年は純粋に心配だった。

 好きな人が風邪で何日も休んでいる。

 恥ずかしいし、からかわれる。

 そんな事のせいでお見舞いにも行けなかった自分に怒りながら、少年は質問していた。

「ごめん……」

 女子は言った。

 少年は困惑した。

 その直前に少年がした質問の答えとして、『ごめん……』は相応しく無い物だった。

「わたし、夢霧村君の事守る、って言ったのにね……」

 少年は納得した。

 そんな事を言った後で休んじゃって、何もせずに家で寝込んでいて、ごめん、と。

 先程の『ごめん』の意味はそうだと、そう思った。

「人を守るのって、難しいんだね」

 女子は淡々と台詞を続けた。


 少年は不思議に思った。

 確かに表情は暗いが、風邪声でも無い。

 熱がありそう、と言う訳でも無い。

 この位なら、今日は学校に来れたんじゃないか? と。

「夢霧村君って、やっぱり強いや」

 少年は否定した。

 自分は強くなんか無い。

 自分への攻撃を止める事が出来ない自分なんて、強くない、と。

「それで十分じゃない」

 少年は頭の中に『?』を浮かべた。

「そんな中でも、学校に行けるなんて、十分に強いよ」

 女子はそう言い、少年に背を向けた。

 もう帰るのかな、と思い、少年も深く問い詰めなかった。

「……じゃあね」

 女子はそう言い、そのまま歩き出した。

 少年も、また学校で、と返した。

 返事は無かった。


 翌日。

 女子は学校に来ていなかった。

 少年は不安に思った。

 昨日会った時は元気そうだったのに、風邪がぶり返してしまったのだろうか。

 と。

 だが、少年は、二十分後に知る事になる。

 昨日、女子が、少年と会った後、自殺を試みた事を。

 自殺未遂に終わった物の、今、意識が無い事を。

 少年は早退した。

 それ以降、少年は、中学一年生として学校に通う事は無かった。


 少年は、自宅に居た。

 暇だった。

 少年は、貯めていたお金で、ゲームソフトを一本買った。

 インターネットで評判が良かったから買った物だった。

 少年は迷った。

 そのゲームは、主人公の名前を五文字までで入力する事の出来る物だった。

「名前なんかでその人の本質は決まらない、か」

 女子はその後意識を取り戻し、遠い田舎に転校したらしい。

 今は、その田舎にある病院で療養している、らしい。

 不登校の弟を持つ姉が、学校で聞いてきた、らしい。 

「……」

 少年は、カーソルを動かし、五回ボタンを押した。

 主人公の名前が『あああああ』になった。

 それから。

 少年は『あああああ』以外の名前をゲームキャラに付けた事が無い。


「……綾香?」

「……見たのか」

 どこまで遡って見たのか。

 そんな事、見られている方には分かった物じゃない。

 だが、今のあああああは表情が虚ろだ。

 何処を見ているのか分からない目。

 少し開けられた口。

 多分、だが。

 俺の、アイツに関する記憶を見ているのだろう。

「……まぁ、綾香が取り込み中なら、それはそれで良いや」

 姉は、しばらく戻ってきそうに無いあああああを放って置いて、俺だけに話をする事にしたらしい。

 そっちは良くても、俺は良くないんだが。

 今、こうして話している最中も、俺の記憶は覗かれているのだから。

 しかも、覗かれている方は実感ゼロだ。

 余計タチが悪い。

 実感があったらあったで十分怖いが。

 ……想像しただけで寒気がする。

「その手紙に書かれてる通り。愛川綾香は親父の研究の完成品よ」

 確かに書いてあった。

 二次元の人物を三次元に召喚する事。

 それを研究してきた父親にとって、あああああの、いや、愛川綾香の完成は、研究成果の結晶と言えるだろう。

 その結晶が、子供の犠牲の果てに輝くとしても。

 その輝きが、人々の運命を狂わせるとしても。

「愛川綾香」

 姉はもう一度、あああああの本名を口にした。

「親父が……、夢霧村正宗むむむら まさむねが作り出した、次元を超えるプログラム。それが愛川綾香」

 呼ばれた本人は、未だに虚ろな目をしていた。

「二次元から三次元に人が出てくる、ってだけでも十分有り得ない事なのに」

 姉はそこで台詞を切った。

 そして、勝手に席(床だが)を立ち、台所に行き、乾かしている最中のコップを取り、水道水を飲んだ。

「ぷはっ」

 何でさっき麦茶を注いだコップを使わずに新しいコップ使うの?

 また洗って乾かさないといけないのかよ。

 なんて考え始めた時、姉は口を開いた。

「二次元でだからこそ通用するご都合主義が、三次元でも通用させられるとしたら……、どうなると思う?」

 あああああが完成された理由の内の一つ。

 愛川綾香が完成された理由の内の一つが、それだった。

「まるで漫画の中でしかない様な事。それを好きな時に好きな様に『現実で』起こせる力なんて、悪用しようとする人が居ない訳無いでしょ?」

 そう言いながら、姉は自席に戻ってきた。

 その口調には、真剣さの欠片も無かった。

 昨日見たアニメの考察をしている、みたいな、その程度の事としか捕らえていない様な声色だった。

「まぁ、親父が最初に研究を始めた理由は別の事だけどね。途中で気付いちゃったんだろうね。自分の研究している物は、世界だって左右できるレベルの物だって」

 親父があんな研究を始めた理由。

 そんな事の為に、あの親父は研究を始めたのだとしたら。

 俺は、親父を一発殴らないと気が済まない。

 当の本人に無許可で、何をやってくれているんだ。

 あの、糞親父は。

「中学の時の一件以来、アンタは心を閉ざすし、私も色々大変な事になったし、お母さんは沖縄に逃げ出して行方が分からなくなるし、親父は研究しに何処か行くし。まともな家庭環境は何処行ったんだか……」

 一件。

 今の俺がこうしてここに居る理由。

 今の姉がこうしてここに居る理由。

 今の母がこうしてここに居ない理由。

 今の親父がこうしてここに居ない理由。

 そして、今ここにあああああが居る理由。

「……俺が悪い、って言うのかよ」

 俺は、つい口にしていた。

 これからあああああが辛い目にあうのも。

 姉が諦めなければならなかったのも。

 母が子供達を見捨てたのも。

 親父が研究を始めたのも。

「かもね」

 数秒しか間を置かずに返された。

「……こういう時、普通は俺の事気遣わないか?」

「アンタ相手に気遣ってどうすんのさ」

 即答された。

 まぁ、今に限っては、コイツの言い分も分からなくも無い。

 ここで俺に優しくした所で、事態が好転する訳でも無い。

「答えを誰かに教わる様じゃ、アンタもアンタの誓いを果たせないんじゃ無いの?」

「……」

 誓い。

 中学の時の一件後、俺が立てた幾つかの誓い。

 その内の一つが、今の愛川綾香の名前に関係している。

 名前なんかでその人間の本質は決まらない。

 名前なんかでその人間の価値は決まらない。

 俺は、昔、そう教わった。

 俺を変えた、一人の女子に。

「で、この手紙に、親父の今居る所が書かれている訳だけど……。行くの?」

「行くに決まってるだろ」

 三年前に家を出てから、俺は親父の顔を見ていない。

 別に、親父の顔を見たいから会いに行く訳では無いが。

 ただ、直接会わない限り、親父を殴る事が出来ないから会いに行くだけだ。

 体格的にも腕力的にも、俺が親父に勝つなんて不可能だろう。

 別に勝てなくても良い。

 一発殴れれば、後は負けても良い。

 流石に死ぬのは嫌だから、可能な限り回避を試みるがな。

「姉貴はどうするんだ?」

 流石に、親父相手に一人で行くのはキツい。

 万が一俺が死んだとして、他に誰か人が居ないと通報出来ないだろう?

「行くに決まってるでしょ」

 さっきの俺の台詞を真似した様に言った。

「あのゲームに同封されてた手紙読んだでしょ? 一発はラリアットかまさないとアタシの気が済まないんだよ」

 姉弟揃って暴力的な理由だな。

 血なのだろうか。

 ……血のせいにすると、親父まで暴力的な手段で俺達を迎え撃つ様な気がしてきてしまう。とりあえず、血のせいにするのは止めておいた方が良さそうだ。

 俺の人生はバトル漫画じゃないんだ。

 しかも俺は主人公なんて大層な存在じゃないしな。

「でもさ、親父が日本に居る日程から考えると、アンタ中間テスト受けられないんじゃないの? アタシもだけど」

 ……あ。

「って、姉貴大丈夫なのか? 高三だろ?」

 この姉は今年で十八歳を迎えたりする。

 後二年で成人だってのに、気象が静まる気配が欠片も無い。

 流石に将来が心配になってくるレベルだ。

「別に良いよ。たかがテスト一回受けなかった位で死にはしないし」

 受験生の台詞とは到底思えなかった。

「まぁ、アンタが落第する可能性が出来る位の些細な犠牲よ」

「何処が些細だ。って言うか、俺が追試で赤点取る事を前提に語るな」

 なんて、シリアス(?)な会話が終わったかと思った頃。

 隣に座るあああああの体が、強張った気がした。

「……あああああ?」

 まだ記憶を見ているのだろう。

 目は何処も見ていなかった。

 が、それ以外に変化が出始めてきた。

 何処も見ていない目から、水滴が垂れてきた。

「「……ッ!」」

 あああああが誰かの記憶を見ている時、決まって表情に変化は無かった。

 ある事にはあったが、微々たる物だった。

 そんなあああああが、涙を流した。

「って事は……」

 俺の記憶は、もう最後の方まで見られているのだろう。

 俺の望まなかった、事件の終幕を。

「じゃあ、アタシは帰る」

 あああああの流した涙が首まで到達した頃。

 姉は唐突にそう言い、席を立った。

「おい、ちょっと待っ「アタシに用があったらここにメールして」」

 姉はそう言い、一枚のチラシの破片を飛ばてきた。

 裏には、姉の物らしきメールアドレスが、姉の筆跡で書かれていた。

「……綾香の目が覚めたら、宜しく言っといて」

 姉はそう言い、靴を履き、俺の家を出た。

「……直接言ってやれよ」

 俺は携帯を開き、カレンダーを開いた。

 そして、『中間テスト』と書かれた日付にカーソルを合わせ、その文字を消した。

 代わりに、漢字を二文字、入力した。

 ただ、素っ気無く『親父』と。

 玄関が閉まる音がした。


「……まだ見てんのかー?」

 肩を叩きながら声をかけてみたものの、まるで反応が無い。

「……」

 あああああが見ている、俺の記憶。

 思い返したくも無い。

「……はぁ」

 あれを見たせいで、あああああが余所余所しくなったりしたら、俺が困る。

 何に困るのか知らない。

 が、親しい女子に急に余所余所しくされて喜ぶ男は、そう多く無い筈だ。

「はぁ」

 これであああああの意識が戻ったら、間違い無くムムムとは呼ばれなくなるだろう。

 今更呼び名が変わるのか。

 慣れん。

「……あああああ?」

 あああああの目が元に戻った。

 と、言う事は、コイツは最後まで見たのか。

 と言っても、『この事件の』最後までなのか、『この事件の後の色々な波紋の』最後までなのか。そこが分からない。

 まぁ、ここまで来たら何処まで見たかなんてどうでも良い。

 そんな事より、今後のコイツの身の安全について考える方が先だ。

「あ、ムム……、正加」

 やっぱり変わった。

「もうムムムで良いや」

 ここに来て変えられると精神的にキツい。

 あの一連の流れは、なるべく思い出したくない。

「……ごめん。何も考えないであんな呼び方して」

 元気が無いあああああは、何だか、あああああらしく無い。

 出会って数日で『何があああああらしいか』なんて言い切れないけど。

 でも、今のあああああがあああああらしくない事は分かる。

「別に良いよ。気にしてないし」

 嘘だ。

 思いっきり気にしてる。

「そんな事より、あの親父をどうするかを考えるのが先だろ」

 話題を変えない限り、何時までも謝ってきそうだ。

 早く話題を変える事にした。

「それもそうか……。どうするの?」

「一発殴る。後は逃げる」

 まずはこの重苦しい空気をどうにかしたかった。

 息が詰まってしまいそうだ。

「そうじゃなくて、作戦とか無いの?」

「それを今から考えるんだよ」

 俺は言った。

「……それ、作戦が思いつかないフラグじゃ「言うな」」

 一週間後。

 親父が日本に来る。

 まぁ、それから暫くの間は、行くだけで疲れそうな所に居るらしい。

 勝負は、さらに後。

 一ヶ月後、と言った所か。

 この町に来た時が、決戦の時だ。

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