星の瞬く夜に
「死って何かなあ」
なほこは、恋人の手に自らの右手をそっと重ねて呟くように言った。
「死?」
中尾はきょとんとして、同じ言葉をもごもごと口の中で繰り返す。
「一体いきなりどうしたの」
「小さい頃ににね、母に死んだ人は皆お星さまに還るのよ、って言われたことを思い出して、ちょっとなんとなく思っただけ」
ふうん、と隣で呟く男をちらっと一瞥してから、なほこは空を見上げた。
八月終わりの夜風は少しだけひんやりとしている。繋いだ掌は熱く、じわりと湿っているくらいだが、半袖のシャツから無防備に晒された腕は既に冷たくなっていた。
「流星群見えないな。寒くなってきたし、風邪引くといけないから中へ入ろうか」
中尾は何度目か分からない台詞を優しくなほこに言ったが、頑なとしてなほこは首を縦には振らなかった。
「絶対見るまで入らない。中尾さん、中入っててもいいよ」
なほこも何度目か分からない台詞を口にした。ベランダの椅子から梃子でも動こうとしないなほこを見て、中尾は観念したように小さく息を吐き出した。
「僕もいるよ」
なほこはそんな中尾を気にもかけない様子で夜空を一心に見つめている。
今日は何十年かに一度の流星群が見える日、ということでなほこは突然夕飯を食べ終えた後、すくっと立ち上がり無言でベランダに出た。
どうしたのかと中尾が怪訝そうに尋ねると、流星群と端的に答えただけでなほこはそれ以上のものを語らなかった。
もともと口数の少ない女性ではあるが、今日はなんだかいつもより大人しい。
普段は夕飯を共にしたらすぐに自分の家に帰る中尾だが、どことなくなほこのことが気にかかって彼女の隣に座っているという訳だ。
「君ってそんなに星が好きだったっけ」
「別に、そういうわけじゃないけど、なんとなく見たくなっただけよ」
そう言いながらかれこれ一時間は経過している。
よくもまあ、変化のない空を見て飽きないものだと感心しながらも、そういうところがいいんだけど、と中尾は心の中で思った。
「中尾さん、死って何だろうね」
先ほども聞いた質問をなほこは再び問いかけてきた。
「何だろうね、って定義できるものなのかなあ」
「さあ、でも何だろうね」
なほこはまた同じ言葉を繰り返す。
「昔母に死んだ人が星に還るって聞いたとき、私は少し怖かった。まだ幼かった私は死がなんだか怖くて、しばらくの間星を見ることができなかった」
「子供って何気ないことに怯えるときってあるよね。後々考えたら大したことじゃなくてもさ」
「うん、そうだね。そうこうしているうちになんだか夜も苦手になった。私が怖かったのは死ぬことなのか、夜なのか、星なのか分からない。今でもたぶん分からない」
死ぬのが怖いの、と中尾は問いかけた。
分からない、とまたなほこは答えた。
「痛いのが怖いのか、それとも死の先に何があるか知らないから怖いのか」
「でも君は、その先に何があるか知ったら死を恐れないと思う?」
それは違う、となほこは言う。
「知っているのと、経験するのとはまた話が違うよ。知っていても、やっぱ自分がそれを実感しないと、怖いものは怖いままだもの」
なんだか今日はやけに哲学っぽい話をするなあ、と中尾はそっと笑う。
「でもね、時々自分が死ぬってことを忘れそうになる。永遠に続く命なんて、ありはしないって分かっていても、死ぬ時のことなんてまだまだ先なような気がしてくる」
「皆そういうものだよ。僕だって同じだ」
「母が死んだとき、人間はいつ死んでもおかしくないのだと私は改めて思った」
なほこは母親をつい最近亡くしたばかりだ。
仲の良い親子であったから、ずいぶんと中尾は彼女を心配したのだが、時間が経てばなほこはいつものように戻っていた。
けれどまだ大事な人を亡くした悲しみから立ち直ってないのだろうかと、中尾は次にかけるべき言葉を考えていた。
「母に会いたいから星を見るとかじゃなくて、単純に今日は流星群が見たいだけよ。私はそんなロマンチストでもないわ」
中尾の心中を察したかのようになほこは笑って、繋いだ手に力を込めてきた。
流星群が見たいだなんて、それだけで十分ロマンチストだけど、と中尾は思ったけれど、言わないでおいた。
「あ」
なほこは突如声をあげて立ち上がった。
視線の先に流れる星がふたつ、みっつ。
「願い事するの忘れてた」
まるで小学生みたいな発言をするなほこに、中尾は笑う。
「また見れるよ」
「そうかな」
「そうだよ」
ベランダの桟の部分を持って、食い入るようになほこは空を見つめている。
「まあ、いつ死んでもいいんじゃない」
「なんで」
なほこは視線だけは空に向けたまま、中尾に問い返した。
「だって死んだ人が星に還るなら、その人は消えたりしないから」
「死んだら忘れられるよ」
「人間はいつか忘れる生き物だ。永遠に記憶に残る必要なんかないよ。引きずって後の人間が苦しむ方が辛いと、僕は思うな」
それもそっか、となほこが呟いた。
流れ星がまた空に泳いだ気がした。
「大事なものは目に見えないって言うし」
「星の王子様みたいね」
そうかも、と中尾は言いながら自分の発言に内心照れていた。
よっぽど僕の方がロマンチストなのかも、と。
マンションのから見える遠くの街は暗く、明かりがあまり灯っていない。
人口の光が消えた街に夜空は眩しいくらい輝いて見えて、その日は星の降る音が二人には聞こえたような気がした。




