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<依頼人>
案内されたのは私達が先ほどまでいた応接室の向かい側にある部屋だった。扉に「仕事部屋」と書かれたプレートが掛かっている。この家の中は吹き抜けの造りになっていた。外見通りにかなり多くの部屋があるらしい。夜明は2階の仮眠室にいるのだとか。
最初に空海が中に入っていった。已緒君が扉を押さえながら私を促す。
「ドウゾ、中に入って」
「……はい」
私は一種の緊張感を保ちながら部屋の中に入った。それと同時に空海が扉の横にあるスイッチを入れた。
__ぼぉっ__
部屋の中が橙色の光いっぱいに包まれる。けれどとても柔らかな光だったので、目が眩むことはない。
そこは高級ホテルの一室のような外観をした部屋だった。部屋の中央には洋画でしかお目にかかれないような天蓋付きのベッド、いわゆるお姫様ベッドと呼ばれる代物が二つも陣取っている。窓に当たる所には深紅の分厚いカーテン。床には同じ色の重厚な絨毯。ベッドの脇にはそれぞれ木製の丸テーブルと椅子のセット。壁には蝋燭の形を模したライト……。
「よし、依。取り敢えずベッドで横になれ」
ぽんと空海の大きな手が肩に置かれ……え?
はい?
「あの、今、何て……」
「あん? だからベッドに入れって……痛っ!」
がんっ、と重たい衝撃音が空海の後頭部から聞こえてきた。彼の後ろには怖い無表情の已緒が鈍器(?)を片手に立っている。
「空海さん、馬鹿?」
「已緒っ……てめ……」
痛みに耐えきれずその場にうずくまる空海。頭をさすりながら恨めしげに已緒を睨む。已緒はそんな足元に転がる空海の姿を冷徹な瞳で見下していたかと思いきや、ぼそっと恐ろしいことを呟いた。
「……馬鹿は寝てた方がイイね」
どすん
鈍器もといテーブルに置いてあった置物を空海の腹目掛けて落とす已緒。遠慮もへったくれもない。空海は「ぐふぅっ」と奇妙な呻き声を上げて、そしてそのまま動かなくなった。
……嘘、ご臨終?
「七喜さん」
「はい!」
条件反射にピンと背筋を伸ばして返事。びっくりした、この子怖すぎるよ……。
「まずはソコの椅子に座って。説明カラ入ろっか」
「あ、あの……か」
「コレ、邪魔だネ。どかさないと」
私の言葉を遮って、足の爪先でごろごろと空海の体を文字通り「どかす」已緒。私は彼に対して何も云うことができない。
……あ、小さいけど呻き声が聞こえた。良かった生きてる(そういうことでは無いのかな)。
「七喜さん、ホラ。座って?」
相変わらず空海に少しも目もくれないまま暴力を振るう已緒。この家は靴を履いたままでいるので、已緒の履いているトゥの尖ったシューズは当たるとかなり痛そうだ。
……手加減はしてる、はず。
私はぺこりと頭を下げ、赤いクッションの敷かれた椅子に腰掛けた。取り敢えず空海は気にしない事とする。……他にどうすればいい。
已緒は部屋の隅まで空海を転がすと(この家には人権というものが存在しないのだろうか)、私と向かい合って椅子に座った。
「……ゴメンネ、あのニートが変な言い方して」
「あ……えっと、こちらこそ……?」
変な受け答えをしてしまったのにもかかわらず、已緒は特に気にした様子も見せずふるふると首を振った。
「どうにも、億超には常識力のナイ人が集まりやすくって……さてと、本題に入ろっか。
言い方が変態丸出しだったケド、空海さんの云う通り。七喜さんにはこれからあのベッドで寝てもらう」
「寝る……んですか?」
「それで悪いケド、また七喜さんには……あの夢を見てもらう」
ひくり、と肩が震えたのが自分でも分かった。
悪夢を……再び。
「……どうして、ですか?」
「必要なことなんだヨ。……これから僕も、その夢の中へ行く」
それは確か前にも聞いた話だ。しかしいまいち言葉の意味が理解できない。他人の夢の中へ……一体どういうことなんだろうか。
岸原からもっと詳しく訊いておけばよかったなと、この時に少しだけ後悔した。
<符哀已緒>
不可解そうな顔の七喜さんに説明を続ける。
「ソレが僕ら、憶超の能力。空海さんが云っていた異常の発生してる夢……僕らは「現実夢」って呼んでいるんだケド、現実夢に入れる能力がある。分かりやすく云うなら、ソノ人と夢を共有するって感じカナ?」
「共有……あぁ、何となく想像できます」
「要するに同じ夢の世界を経験するってこと。ソノ人が目を覚ますか、はたまた異常が無くなれば能力者も一緒に目が覚めるんだ」
「それって、じゃあもし相手が起きなきゃ……」
こくり、と彼女の言葉に頷く。
「能力者もズット夢から出られない」
「……そんな」
口に手をやり、そのまま言葉を失う七喜さん。大抵の人は彼女と同じような反応を示す。うーん、僕らにとってはそんなに大したことでもないんだケドなぁ……。やっぱり、僕も含めて憶超の能力者は常識が欠けているんだろうな。
「気にしないで……って云っても、無理カナ?」
「む、無理に決まってますよ! そんなの……!」
「何にしろどうせ、七喜さんには嫌でもソコのベッドで眠ってもらうけどネ」
「嫌でもって……まさか、あのミルクティに睡眠薬でも盛ったんですか……!?」
「まさか」
七喜さんの突拍子もない発言に思わず口元が綻ん
だ。睡眠薬なんてそんな、あることはあるけど無断で使用したりはしない。
……ン? 七喜さん、何で顔が赤くなってるんだろ。まさか思い込みで具合悪くなっちゃった?
「七喜さん?」
「……え」
「顔、赤いヨ?」
「えっ!?」
ぱっと両手を頬に当てる七喜さん。僕から見てもかなり不自然な慌て振りだ。気のせいかさっき以上に真っ赤になった顔。やっぱり何処か小動物っぽい。
彼女は視線をおろおろと虚空でさまよわせていたが、やがて「何でもないです……」と下を向いてしまった。え、何その反応。気になってしょうがないんだケド……。
……ま、いっか。話が進まないし。
「ともかく、これからせめて……2時間くらいの時間は戴いていいカナ?」
「あ、はい。今日はこの町のホテルに宿泊する予定でしたから……」
「そうなんだ。ココに泊まっていってもよかったのに」
曖昧な微笑みを返す七喜さん。……あぁそっか、こんな外見は幽霊屋敷みたいな場所で寝泊まりなんてしたくないか。
……ハァ、最近じゃあ夜更けに子供が肝試しなんかしに来るんだよネ……。
「七喜さん、今は眠い?」
「えっ……あっと、朝早く起きたので、少し……」
「ウーン、じゃあ睡眠薬使おっか」
ズボンのポケットの中から小瓶を取り出すと、途端に七喜さんの目に不審そうな色が灯った。
「……あるんですね、睡眠薬」
「えっと……変な誤解、しないでネ? 依頼人の為に常備してるだけだカラ」
ほとんど使い道は自分だけど。昔から寝付きが悪くて困ってるんだよね。
僕は席を立って閉められたら窓の近くの棚からコップとペットボトルの水を取り出した。この水も昨日取り替えたばかりだから、衛生上の問題はない。
視界の端にぴくりとも動かない空海さんの体が映る。それにしても本当に起きないな、この人。昨日の夜遅くまでパソコン弄ってたみたいだけど、疲労が溜まってるのかな。起きたら仕返しに殴られそう。まぁ、そうなったらもう一度殴って気絶させればイイや。
七喜さんの元に戻ってコップに水を注ぎ、睡眠薬と一緒にテーブルの上に置く。
「一錠ダケで効くから。飲んだらすぐベッドに入って。この薬は本当によく効くからネ」
「……」
不安に揺れる瞳でコップを見つける七喜さん。これから見る(かもしれない)悪夢に怯えているのか、はたまた僕の身を案じてくれているのか……それはただの自惚れか。
「……心配することはないヨ?」
「一つ、いいですか」
「どうぞ」
今までにないはっきりした物云いだったので、僕はそれに頷いた。
「夢の中ではきっと、あの化物が出てきます。そうしたら已緒君は逃げて下さい」
「エッ……」
「お願いします。……お願いします」
真っ直ぐな、意志の強い瞳だった。
沈黙の後、僕は頷いた。
「……分かったヨ。依頼人の意志は尊重しなきゃいけないからネ」
「ありがとうございます」
にこっと七喜さんは僕に微笑みかけると、小瓶の蓋を開いて一気に睡眠薬を水で流し込んだ。ゴクリと喉が動いたのを見て、僕は彼女を招いた。
「サァ、ベッドに」
「はい……」
椅子から立って既にふらふらと覚束ない足取りでベッドに向かい、緩慢な動きでパンプスを脱いでごろりと横になる七喜さん。僕は彼女の体に布団を被せた。
「じゃあ、僕も直ぐにソッチへ向かうカラ」
こくりと頷いたかと思うと、七喜さんはふっと重たそうに瞼を閉じて……しばらくして寝息を立て始めた。
……最初の方は穏やかなんだよな、と七喜さんの安らかな寝顔を見ながら思う。
これまでの依頼人も皆そうだった。どんな人だろうと誰もが眠り出した頃はとても穏やかで……そう、幸せそうな顔で寝ているのだ。睡眠とは本来、人間の休息の象徴。悪夢さえなければ七喜さんも安らかになれるはずの時間なのだ。
僕にとっては睡眠なんて、自分の命を蝕むものでしかないけれど。
「……僕も寝るか」
部屋の明かりを消してから飲み慣れた薬を水無しで口に放る。飲み込まないまま七喜さんの眠るベッドの隣のベッドに横たわり、布団を被った所でやっと飲み込む。
……早速、眠くなってきた……ふぅ、それじゃあ「始める」としよう……。
とろとろ溶けていく意識を抵抗なく手放し、僕はそのまま静かに目を閉じた。
已緒の微笑みは爆弾並の威力を持つのだとか。