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<符哀已緒>
「……皆さん、起きました……! やっと……夜明……君が、起きてくれましたよ!」
七喜さんから他にも詳しい事情を聞いていると、突然勢いよく開かれた扉の向こうから秋等さんの興奮した声と彼本人の姿が飛び込んできた。空海さんがばっとソファから立ち上がる。
「本当か!?」
「えぇ、つい先程! ですから皆さん、すみませんが今すぐ部屋の方まで来て貰えませんか? ……ほら、已緒君もぼけっとしてないで!」
「エ……僕も行かなくちゃいけないノ?」
「当然でしょう!」
そこで秋等さんはいきなりの展開に目を丸くしている七喜さん(当たり前だ)に気付き、「すみません」と頭を下げた。
「ちょっと、2階で昏睡状態だった憶超の人が今丁度目覚めて……申し訳ないのですが、少しの時間お待ちして戴いても宜しいでしょうか?」
いつになく過度に丁寧な言葉遣いになっている秋等さん。それほど気が動転しているのだろう。七喜さんも秋等さんの異様な勢いに押されて(昏睡状態と云う非日常的な言葉にも反応したのだろうが)こくりと頷いた。
「すみません、ありがとうございます。……よし、じゃあ急いで行きますよ!」
再び2階にかけていく秋等さんと空海さんの後を、僕は安心と憂鬱の入り混じった何とも云えない複雑な気持ちで続いていった。
部屋に入るの、気まずいナ……。
仮眠室と表示されたプレートの掛かったの扉の前で思わず足が止まったが、僕は仕方がないと思い切って部屋の中に足を踏み入れた。
そして僕にかけられた、半ば予想していた言葉。
「出てけ」
「……」
予想していたのと心の準備ができているのは、別物の話だ。僕の心にはずぶりと言葉の刃が遠慮なく突き刺さった。……結構、痛む。
「夜明君、いきなりそれは酷いですよ!」
「そうだぞ、已緒の奴は無表情取り繕ってる割に心の中では泣いてんだぜ? 何気に繊細なんだぜ?」
「空海さんうるさい」
取り敢えずオッサン臭い顔した実年齢29歳の男を黙らせ、僕はベッドで横になっているその子に近付いた。
いや……正確には近付こうとした。
「近寄んな、変態」
「は……!?」
思いもよらずにいた蔑称を浴びせられ、さすがに僕は顔をしかめた。取り敢えず吹き出したニートっぽい雰囲気の男に蹴りを入れてから、売られた喧嘩を衝動買いする。
「何だヨ、その呼び方」
「変態以外に、お前に当てはまる言葉を僕は知らないんだけど。……違うな、糞野郎とか地球外生命体でも有りだ。どれがいい? 特別に選ばせてやる」
「夜明君が僕にどんな感情を持ってるかはコレで分かったヨ。どれだって嫌だネ。事実を捏造するのは冷血な人間のすることだ」
「知ってるか? 変態。必死に否定すればするほど、事実である可能性が高いって」
「君は他人の気持ちをもっと考えた方がイイヨ……?」
「変態は、人間じゃない」
「チョットいい加減に……」
「はいはい、そこまで」
僕らの言葉の喧嘩を制止したのは、いつものように秋等さんだった。
「已緒君も。この子は『夢』から覚めたばかりなんですから、そうあまり突っかからないで」
「……ハイ」
僕は不承不承に頷きながらも、じろりと夜明君の方を見やった。
ミカギヨアケ……実鍵夜明。先月に憶超の一員として本部から派遣されてきた僕よりも年下の子供だ。
まともに話したことがないから、正確な年齢は分からない。多分中学生。年にあわない、就活中みたいな黒スーツを常に纏っている変な奴。短く切り込まれたストレートの黒髪に、滑らかな白い肌。顔立ちは整っている部類に入るのだろうが、周りを拒絶するような吊り上がった黒の瞳と無愛想な雰囲気が他人を寄せ付けない。
「秋等、さん」
夜明君が唯一気を許している秋等さんに声をかける。
「僕はもう平気だから、仕事戻っていいよ。已緒の顔、これ以上見てたくないし」
……我慢するのは、慣れている。
「そのことなんですが……今、下に依頼人を待たせている状況なんですよ。けれど、夜明君は未だ仕事の方には戻れませんよね……」
「大丈夫、僕も依頼人に会ってくるよ」
「いけませんよ、そんな!」
「過保護だって。本当に、特に身体に負担は無いんだ。誰かのせいで、精神的には疲れたけど」
……疲れたのは僕の方だ。頼むから黙っててくれヨ、夜明君……。
僕らが1階の部屋に戻ると、七喜さんはソファから立って窓越しに外の景色をぼんやりと見つめていた。彼女の背中へ空海さんが不審そうに声をかける
。
「おい七喜、どうした?」
「え……あ、皆さん戻ってたんですね……」
その言葉から察するに、どうやら僕らが部屋に入ってきたことにすら気付いていなかったようだ。一体何をそんな熱心に見ていたと云うのだろう。
僕の心を読んだわけではないのだろうが、七喜さんはまたちらりと外……テラスの方に目をやった。
「さっき話した、夢の中に出てきた花を見てたんです。何か少しでも思い出せるかもしれない、って思って……」
「で、どうだ?」
「……やっぱり、何も」
それこそ夢から覚めたばかりのような、ぼんやりとした仄かな笑みを浮かべる七喜さん。つい、と目線の先が夜明君に移る。
「えっと……貴方が2階で寝ていたっていう……?」
七喜さんからの質問に頷くだけの夜明君。あれだけ口の悪い(主に僕だけに対して、だが)子だけど、本来は人見知りな性格なのだ。黙り込んだままの夜明君に代わって、秋等さんが紹介する。
「この子は実鍵夜明君、憶超の中で最年少のメンバーです」
「へぇ……宜しくね、夜明君。……それにしても、未だ中学生くらいですか? えっと、已緒君と同い年?」
「……七喜さん。僕は高校生だヨ」
「へっ!? あ、ご、ごめんなさい!」
慌てて頭を下げる七喜さんの肩を、口元の緩んだ空海さんがぽんと軽く叩く。
「謝んなって、七喜。悪ぃのは全部、童顔に生まれて来ちまった已緒の方なんだから」
「実年齢以上に老けて見える人に言われたくないヨ」
何だろう。今日はどうやら、言葉の暴力による被害が大きい日のようだ。……紅茶でも飲んでリラックスしていたい。
<依頼人>
「えっと、何処まで話したんでしたっけ?」
全員がソファに座り、椛が口火を切った。彼の問いには已緒が答える。
「秋等さんが席外してる間、旅行の日程とかメンバーを聞いてたヨ。夢の内容、その旅行と関係あるっぽかったしネ。今までの話はコレにメモしておいたんだヨ」
そう云って已緒はテーブルの上に投げ出されていた一冊のノート(何でも、仕事の記録に使っている代物だそうだ)を、全員が見えるよう中央の位置に広げて置いた。
几帳面だが少し小さめな字。私もノートの内容を見て、数十分前に話したことに間違いなどがないか目を通していった。