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「離して下さい! 早く、早く行かなきゃ……!」


 しわがれた冷たいゴムのような手を振り払って、私は屋敷を飛び出した。後ろから引き止める声が聞こえるけれど、今は構っていられない。それよりも早く、あの人達のところに……!


 外は既に闇の帳が落ちた後だった。


 ぽつぽつとまばらな距離に置かれた電灯は何とも心許ないクリーム色の光を発している。鼻につくのは生ぬるい風が運んできた潮の香りと、生い茂る青草の独特な臭い。どこからか蚊の鳴くような音が聞こえてくる。がさりと大きな音に驚いて振り返るが、いたのは瞳孔を大きく開かせた猫一匹だった。


 ……何を怯えているのだ。早くあの人達のもとへ行くんだ。背筋が震えたのは寒さのせいということにして、私は右に曲がって走り出した。あぁ、それにしても走りにくい。サンダルじゃなくてせめてスニーカーだったなら……。


 島の住人達は夜が早いのか、木造の民家には一つも明かりは点いていなかった。すれ違う人もいない。後ろから誰かが付いて来る様子も見受けられない。私は一人きりだった。一人でひびの入ったアスファルトの上を走っていた。邪魔をしてくるのは切り裂くように冷たい向かい風。この季節はこんなに寒いものだったろうか。晒された腕と足には気持ち悪いくらいに鳥肌が立っている。


「先輩! いたら返事して下さい! ねぇ先輩……!」


 泣き出してしまいそうな声で私は虚空に向かって叫んだ。返ってくるのは自分の声の反響ばかり。時間帯も考えずに私は叫び続けた。先輩、先輩と同じ言葉ばかり。行く道は次第に複雑化された迷路のようになっていき、電灯の数は減りつつあった。


 それからどれくらいの時間を走り叫んだだろうか。とうとう水色のサンダルが右足から抜けて地面に転がった。一瞬はそのまま置いていこうかとすら考えたが、酷使された体は反射的に翻ってサンダルを拾いに行った。しゃがんで初めて、心臓が悲鳴を上げているのに気付く。酸欠でくらりと意識を失いそうになる。


 ……ここは一旦、落ち着いてあの人達の行方を推測してみた方が良いのかもしれない。


 サンダルを履いて、私は石壁に背をもたれ掛けた。無機質ならではの冷たさとごつごつした感触がどうにも痛い。走って体は熱くなっているはずなのに、相変わらず寒さばかりが私を包んでいた。薄着のせいで風邪でもこじらせたのかもしれない。屋敷に帰ったら薬でも飲んで早く寝よう。勿論、その前にあの人達を見つけてから。


 改めて辺りの様子を見てみる。見覚えのない通りだった。やはり人気はなく、時折消えたりもする電灯の光で一層薄暗い。ちゃんと帰れるかな……。

 

 かつっ


 足音。


 私が走ってきた道の方から、そのような音が此方まで響いてきた。幻聴ではない。それにしてははっきりと耳に届いた。


「先輩……ですか……?」


 かつっ かつっ


 暗闇に向かって問いかけてみるものの、返事は返ってこない。急に不安の波が押し寄せてきた。あの人達の中に変な悪戯を仕掛けてくるような人はいなかったはずだ。屋敷に残してきた皆の内の誰かだろうか。それとも夜中にうるさいと苦情を云いに来た島の住人達だろうか。


 心臓の音がやけに高鳴る。落ち着いたはずの呼吸が再び乱れてくる。誰? そこにいるのは誰なの? お願いだから返事してよ、ねぇ……。


 かつっ


 びちゃっ


 何の音だ、今のは?


 目を凝らしてそちらを見つめていると、暗闇の中に誰か背丈のある者の輪郭がぼんやりと見えた。水溜まりの跳ねるような音に、私はその者の足元を凝視する。


 それは__暗い暗い、とろみのある深紅。


 血溜まり。


「きゃあぁぁあっ!」


 口を裂いて飛び出た甲高い悲鳴に、何者かはぴたりと歩みを止めて……そうかと思えば、私に向かって走り出してきた。


 私はその一瞬、見た。


 仄かな明かりに照らされて浮かび上がった……


 おぞましい、化物の顔を。




 殺される。頭の中にその言葉が浮かんできた瞬間、私は全速力でそいつから逃げ出していた。


 走り出してすぐに両足のサンダルが続けて脱げた。今度は立ち止まらない。すぐ後ろから、そいつの荒い獣のような息遣いが聞こえてくる。全身の産毛が逆立つのを感じた。殺される……このままもし捕まってしまったら、私は確実に殺されてしまう!


 物狂おしい恐怖に疲れていた体が突き動かされる。吹き抜けていく風は相変わらず冷たい。裸足の足に何度も小石が刺さる。皮を引き剥がして柔らかい肉に食い込み、じわりと血が滲む。痺れるような痛みは足をどんどん重たくしていく。


 迫り来る荒い息遣い。


 それでも私は逃げ続けた。誰もいない見知らぬ路地を駆け抜けた。いつかそいつが私を諦めてくれることを願いながら、暗闇の中を走っていった。


 しかし、そんな御都合主義な展開が訪れてくれるはずもなく……がしりと左手首を後ろから掴まれた。その手のあまりの強さと氷のような冷たさに思わず悲鳴を上げる。


 そうして私は、無理矢理にそいつの方へと振り向かされて__



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