雨の日の出会い
リタを拾ったのは身も心も凍える、猫はもちろん犬だって外には出ないような寒い雪の日だった。
「おい、ちび。行く所がないならついてこい」
「………」
俺は仕事で娼館に向かっていたのだが、その路地のさらに小さな路地にうずくまっている人間がいた。どうやら少女のようだから、これから行く娼館の主人に渡せばよいようにしてくれるだろう。このままでは良くて凍死、悪ければ犯罪に巻き込まれてどうなることか。
俺の声に顔を上げたのは、やはり10代後半の少女だった。抱えていた膝の下にはなぜか猫がうずくまっている。なんで猫が…と思った以上に、見覚えがあるその顔に驚いた。
――プールビア・カルツァ=ディ・フェグリット。
昨年の秋に大雨で王城と全ての王族が土石流によって流された、南の小さな国――フェグリット王国の王女。
一昨年開かれたフェグリット王国建国100年記念祭で見た時より随分大人びていたが、リズダイクでは珍しい光沢を帯びた濃い青の髪に黒い瞳、そして利発そうにすっきりと整ったその顔は、まさに俺の記憶の中のプールビア王女そのものだった。
まさか、王女のはずがない。王族は全て亡くなったと――いや、だが王城は土砂に埋まって掘り起こせる状態ではなかったと聞いている。つまり、遺体は見つかっていない。それにしたって、フェグリットから王女がここまで来られるはずがないし、来られたとしてもこんな路地に一人でうずくまっているはずがない。
すごい勢いで俺が脳内で一人問答をしている間に、彼女は俺に興味をなくしたように顔を伏せてしまった。
「にゃー」
彼女の足元にいた猫の鳴き声で、俺ははっと自分の思考を打ち切った。彼女が王女であろうが無かろうが、どうせここに放置するわけにはいかない。それにもしも王女であったとしても、彼女はもうその立場で生きることはできない。
「…あー、『失礼、レディ。こんな所にいては危険です。僕は怪しいものでは』…」
王女は語学に堪能でリズダイク語も話せたはずだが、興味を引こうと俺はフェグリット語で話しかけた。よくあることだが、俺はフェグリット語を読み書きするのは特に苦ではないのだが、話すとなると堅苦しい文法通りの話し方しかできない。
「どうして、私がフェグリット人だって…」
俺の努力が功を奏し、彼女は再び俺に興味を持ってくれたらしい。というか、普通話しかけられたら返事をするとか、逃げるとかすると思うのだが、彼女はちらり、と俺を見るとすぐに何もなかったかのような態度をとった。その足元の猫のように気ままに。
やっと聞けた言葉はきれいな発音のリズダイク語。だが、俺の記憶にあるような凛とした声ではなく、なんだかぽやぽやしていた。
「リズダイクでは青い髪も黒い眼も珍しいからな。南方系だとこの国で一番多く見かけるのはフェグリット人だ」
「…そうね、フェグリットから逃げ出した人…くしゅっ!!」
彼女のくしゃみに驚いたらしく、足元にいた猫がぴゅうっと走っていく。
改めてよくみれば、彼女は薄い粗末な服を着ているだけではなく、靴も履いていない。
「行くところはあるのか?」
「………」
俺の問いに彼女は無言で首を横に振る。王位が変わってから4カ月ほど経っているが、彼女はどうやってリズダイクに辿り着き、どうやって過ごしていたのだろう。王城育ちの身では市井で生きるのは難しかっただろう。
「だったら、俺のところにいればいい。一人暮らしだが、身の安全は保障する」
彼女がプールビア王女で、俺の記憶が正しければ彼女はまだ16歳のはずだ。そんな小さな子供が辛い思いをしてきただろうと考えると、一刻も早く安心させてやりたくて…俺は抵抗されるのを承知で彼女を抱きあげた。
「………」
彼女は一瞬驚いた顔をしたが、俺に身を任せ、おそるおそるしがみついてきた。どうやら、俺をお気に召してくれたらしい。
「『レディ、お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?』」
それに気を良くして、俺は彼女の名前をフェグリット語で尋ねた。彼女がプールビア王女ならフェグリット語のほうが発音しやすいだろうと思ったのだ。
「フェグリット語、上手ね。でも…『女性に名前を聞く前に、何か忘れていない?』」
「これは失礼。俺はシェイド。シェイド・ロセット」
「シェイド…名前は、あなたが決めて」
まさか王家の名を冠して名乗るとは思わなかったが、この返答も驚きだ。頭の回転の速い王女だと思っていたが、一筋縄でいかない狡猾さも持ち合わせているらしい。
そして、この返事をするということは…王女として生きるつもりは一切ないのだろう。まあ、もしその気があるなら、俺の制服を見て助力を求めていただろうけど。
「…じゃあ、リタ、なんてどうだ?リズダイクじゃありふれた名前だけど」
「リタ…綺麗な名前」
リタはそう言ったのが最後、人肌の温かさに安心したのか眠ってしまった。