2 Month Later (1)
「最近、仕事が早いですね。それに、筆跡も変わりました」
今日は雨模様。上着が要らない季節でも雨が降ると肌寒いが、こんな日に上司に隠れて軒下で吸う煙草は何とも言えない。
そんなユーエツ感に浸っていると、まさにその上司が声をかけてきた。サボタージュを責める口調ではないが、一気に現実に引き戻される。
「…あー、そうですか」
「それに、2か月以上娼館へも通っていないとか」
肺までしっかりと紫煙を吸いこみ、はきだしてから答えるが、宰相を務める彼の前ではそんなことは無意味だろう。
「優秀な猫が家にいまして。今度、機会があれば連れてきますよ」
「猫、ですか。まあいいでしょう。それで、うちの下官以上の働きであなたの仕事を軽減していくれている猫さんは、どんな猫なんですか?」
もともと隠すつもりもないし、彼には話を通しておいたほうがいざという時に対処してくれるだろう。そう思って、俺は拾った猫が、生物学上の『猫』でないことをにおわせる。それにしても、筆跡まで良くも目がいくものだ。
「…あまり鳴かない、大人しい黒猫ですよ」
「そうではなくて、中身の話です。特に何が好きだとかを教えてもらえるとうれしいです」
答えに一瞬詰まって、火のついていない煙草を咥えて誤魔化してみる。だが、俺の考えていることなど見とおしているかのように追求された。
どんな猫って言われても、リタは黒くて、小さくて、変だ。今までの彼女を考えればそれも当然だろうけど。リタが好きなものなんて何も思い浮かばない。1か月以上も一緒にいるのに、そんなことも知らなかった自分に腹が立ってきた。
今日から観察しよう。どうせ聞いても答えないし、そういうのは察するからいいのだ。
「どうしてそんなこと聞くんです?」
リタの事をあまり知らない事に気付かれたくなくて、逆に俺は尋ねた。
「そうですね。とりあえず今夜はあなたを部屋に帰せそうにないので、そのためでしょうか。そして、近いうちには仕事の報酬として、です。あれだけの仕事をして頂いているのですから、私からも優秀な猫さんに何かお礼をさせてください」
「…宝石や、高価な宝飾品は嫌いみたいですよ。…まあ、そもそも猫ですけど」
初めての買い物から何度か一緒に外出したが、リタはそういう店になるとふいっとそっぽを向いて速足で前を通りすぎる。理由はわからないが、光りものが嫌いなんだろうか。猫ってそういうのが嫌いなんだっけ?
「あと、夕方に一度帰らせてもらいます」
リタを拾ってからは、仕事を家に持ち帰ってでも部屋に戻るようにしている。夕食を外で取らせるのは危ないし、夜を一人で過ごさせるのも心配だからだ。だが、仕事があれば仕方ないし、そろそろ一晩くらい一人にしてやったほうがいいかもしれない。
「わかりました。それではその時までに何か猫さんが好きそうなものを用意しておきます。さあ、仕事に戻りますよ」
殺気立つ職場に戻る宰相の背中から、灰色の空へ視線をうつす。せめて、夜には雨が上がるといい。
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私が国を出たあの時は異常だったが、フェグリットでは数日間雨が降り続くことも珍しくない。リズダイクはフェグリットのずっと北にあることもあり、雨は少なく、雫は静かに大地へと染み入っていく。
私はその雨を朝起きてからずっと部屋の窓から眺めていたが、時計の針が進むとともに雨脚は弱くなり、夜が明ける前には完全に止んでしまった。
室内に視線を戻しても、いつもそこにいる人はいない。夕方に一度帰ってきて夕食と何か小包をテーブルに置くと「悪い、まだ仕事があって今夜は帰れない。何してもいいけど、気をつけろよ」と言ってすぐに職場に戻って行った。シェイドと出会ってそろそと2カ月になるが、一人の夜は初めてだ。
「ご飯、食べなきゃ」
なんとなく食欲がなくて手をつけていなかったが、シェイドが帰ってくるまでには食べておかなければ。いつ帰ってくるとは言わなかったけど夜が明ければ帰ってくるかもしれない。ご飯を食べて、眠ろう。
ごそごそと中身を見ると、近くのカフェでテイクアウトしたらしいオムライスだ。フェグリットの王城では見たことがなく、その可愛らしい見た目とふわっとした卵の美味しさで王城を出てからの大好物だ。
シェイドがそれを知っていて選んだのかは分からないけど、なんだか嬉しい。
「ごちそうさまでした」
寂しく思いながら食事を終え、もうひとつの小包に手を伸ばす。一体なんだろうか。何か薄いものが綺麗にラッピングされている。
「…本だ」
包まれていたのは、そこそこの厚みのある本だった。表紙の文字はフェグリット語だ。一日のほとんどを部屋で過ごす私のために、シェイドが買ってきてくれたのだろうか。彼がこの本をラッピングしてもらう姿を想像すると、嬉しくてすぐにでも会いたくなった。
いつ帰ってくるかな。東の空は明るくなってきた。数時間前まで雨が降っていたとは思えない日差し。今日はいい天気になりそうだ。
私はその本を枕元に、一日かけて書いた手紙を枕の下に置いて、毛布にくるまると目を閉じた。