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Fly me to the moon

作者: ダニー





 「こちらディスカバリー、こちらディスカバリー、地球は酷く、酷く美しいです。どーぞー」

 ナユタは、窓から青く壮大な地球を見つめながらそう言った。宇宙に来てから2日。地球に向けてのはじめての言葉になる。言葉自体に、感慨の気持ちは感じられない。どちらかといえば冷めた感じの声色だ。

 さっきまで散々興奮してベッドの上で飛び跳ねていたのに。今は地球への映像もあるからか大人しい顔つきをしている。飛び跳ねてはダメだ身体に障る、という私の言葉を聞いてくれなかったのに。外面はある程度気にするのか。

 先ほどのベッドでのはしゃぎぶりに心拍数も上昇し、発汗も少々感知した。体調を悪くするほどではなさそうだが、油断は出来ない。病が進行するという事も無い。


 ナユタの体調、精神管理及び、安らかに死を真っ当させることが私の仕事。使命、という言葉のほうが適切だろうか。

 視覚センサーを船外のカメラへ移行する。打ち上げから見続けているがどうしても理解できない。車から外の景色を見たり、空を見上げるのとは訳が違うのだろうか。あいにく私に美的感覚はプログラムに組み込まれていない。富士山も、公園の砂の山も、ナイアガラの滝も、屋根から落ちる雨水も、アンコールワットも、廃墟も、全て私にとっては等価値なのだ。

 ただ目の前に広がる黒い宇宙。彼方に観測される灰色の月。青い地球。それらを観測できるだけ。そこにナユタのような興奮という感情、そういうプログラムは組み込まれていない。

 「じゃあ交信終了します、どーぞー。……ふー、終わったよハル」

 ナユタは通信を切り振り返った。視点は、一点には定まっていない。それもそうだろう。別にナユタの後ろに私がいるわけではない。この宇宙船が私なのだから。






『Fly me to the Moon』






 AI、という名称が正しい。名前は《ハル》だ。有名な映画のAIと同じ名前。

 ナユタが意気揚々と教えてくれたが、あいにく人から教えられるほとんどのことはすでに記録されている。人が作ったのだ。数十年前に開発された全人類の知識を集約したデータベースによって、常に新しい情報は更新される。直接人から教えられるものなど、ほとんどない。

 と、先ほどナユタに伝えたら、機嫌を損ねてしまった。人の気持ちとは難しいものだ。

 『ナユタ、酷くの使い方が間違っています。こういう場合、とてもという……』

 「うっさいなーハル、いいんだよそういうの。人間は四割くらい、いい加減に出来ているんだよー。ハルは最新のヒューマンプログラムも組み込まれているんだろう? 感情も無い。そんなんでどうするんだよ、僕とやっていけないぞ?」

 ナユタは少しめんどくさそうな顔をする。また機嫌を損ねてしまったのか。

 私からの好意をナユタはたまに嫌う。小うるさいとでも、思われているのだろうか。 しかし、言葉は正しく使ってこその言葉だ。注意というものではなく助言として伝えたのだが、もっと柔らかい言い方のほうが良かったのだろうか。

 そして先ほどから検索しているが、人の四割が適当だというプログラムはない。博士の組み込み忘れか。通信をして、情報を確かめなければいけないのか。

 感情に関するデータも、学習更新しておかないといけないみたいだ。ナユタは多感な年齢に当てはまる。私の設定も、それに特化したものではいけなかったのではないのか。いくら更新しようと、基礎設定まで私がいじることは出来ない。人によって作られたのだから。

 『ヒューマンプログラムは組み込まれています。ナユタを傷つけることもしない。しかし困りました、やっていけないのでしょうか』

 病室として区切られたこの区間を、ナユタは一蹴りして浮遊する。

 地球でほとんど寝たきりだったナユタには、無重力というのは楽だと観測できる。

 「冗談だよ冗談、ユニークさがハルには足りないね。人間の八割はユニークさで出来ているんだよ? 最新のAIも、ユニークさは完璧じゃないみたいだな、やっぱ。しかし、父さんも本当に宇宙に僕を来させてくれ、ありがたいよ。金持ちの息子で、ほんっと良かったよ」

 『お父様は、ナユタのことを想っているのです』

 「そりゃそうだ、死期が迫っている一人息子の頼みだ。宇宙葬だって、実現させるさ」

 寝そべるように、頭の後ろに手を組んでナユタは浮遊する。

 計算がおかしい。先ほどナユタは四割いい加減で出来ているといったのに。

 しかし、私は学習する。ナユタの会話は四割いい加減なのだ。つまり八割ユニークというこ……。

 『危険です』

 ゆったりと浮遊しながらも、とまる気配の無いナユタの頭の先には壁がある。重大な事故にはならないだろう。だがこのままでは、頭部への衝突及び軽度の衝撃は避けられない。脳への衝撃は避けるべき。

 私は病室に一体収容されている、ヒューマノイドタイプロボットを起動。早急にナユタの身体を受け止めた。衝撃を腕を収縮させ緩和する。ナユタへの衝撃はほとんどなくなった。

 『ナユタ、無重力にはまだ慣れていませんか? 』

 受け止めても、ナユタは頭の後ろに腕を組んだまま喋ろうとしない。

 どうしたのだろう。受け止めるときの衝撃は限りなく殺して、ダメージはないはずだ。心拍も落ち着いて、呼吸も一切乱れていない。

 いやもしかしたら、先ほどはしゃいでいたのが実は影響していたのだろうか。表情に影響が出る場合があるので、私はナユタをそのまま運び、ベッドに寝かした。

 何も、変わりない。ただ無表情だ。それ以外に、私には表現しようがなかった。憂いという表情に関連しそうだが、判断確率は43パーセント。人で言う窺うや、空気を読む、細やかな心を理解するというプログラムは繊細すぎてやや不得意だ。日々更新していくしかない。

 視線はどうだろう。視線は真っ直ぐ地球に向けられている。 衛星軌道上旋回し続けるこの宇宙船ならば、いつでも地球は眺めることが可能だ。

 「ハル」

 『なんでしょう、ナユタ』

 「やっぱり、こんな地球には酷く美しいって言葉が一番似合っているよ」

 『すみません、先ほども説明しましたが私には美的……』

 「少し寝る、やっぱり疲れてみたいだ……」

 そう言うと、ナユタは目を瞑る。何を意図する会話だったのだろう。解析しても、当てはまるようなものがない。

 「ハル」

 『なんでしょう、ナユタ』

 「地球で父さんがお前を見せてくれたときから思っていたけど」

 『はい』

 ナユタの口角が、やや釣りあがる。

 「そのロボットタイプ、あんまりカッコよくないぞ」

 どう返していいか分からない。ユニークさが、私には足りてない。ただナユタがそう言うのなら、そのとおりだと思った。













 「アンドロメダ……だ、だよ」

 『ダイア……あ、です』

 「浅瀬」

 『石油……ゆ、です』

 「……ゆぅ……ゆー」

 ヒューマノイドタイプロボットを起動させて、ナユタはベッドへと腰掛け向き合う。私たちはしりとりをしていた。すでに、百十三往復やっている。

 宇宙に来て、五日と十時間三十二分。一日目こそ飽きもせず延々と宇宙を、地球を見ていたナユタ。それも、二日目には飽きたと言っていた。地球から持って来たありとあらゆるゲームをやろうとしたが、どれも昨日までで飽きてしまったとも。

 話し相手となっていた私だが、どうもナユタ曰くしっくりこないらしい。そこで、カッコよくないとまで言われたヒューマノイドタイプロボットを起動させ、向かい合って話をした。しっくり、くるらしい。

 そもそもどこがどうカッコよくないというのだろう、この身体は。美的感覚、いわゆるセンスがない私としては判断しかねる。

 名作といわれたSF映画の劇中に登場するロボットがモデルだということが、データの中にある。好評を得た映画に出てくるキャラクター。つまり、普通なら人の感覚としてカッコいいという部類に入るのではないか。

 金色のカラーリング、八頭身のバランス、滑らかな駆動。

 それにこのヒューマノイドロボットは、船体と隔離して単体で起動させることが出来るものだ。現代の科学力の中でも、優れ物といっても過言ではない。それのどこが。

 このしりとりが終わったら訊いてみよう。

 とりあえず、左上へと視線を向けているナユタは、そろそろギブアップする頃だろう。

 ゆ、は五十往復辺りで私が攻めた文字だ。

 「ゆぅ……ゆ……幸村誠……」

 『それは人名ですね、ナユタ。人名は禁止ですよね。ナユタの負けです。五連敗です』

 「う、うっさいなハル! 第一コンピューターにしりとりで勝てるわけ無いじゃないか! だいたいっ五十往復辺りで辺りで……ぁ」

 ナユタは急に立ち上がろうとして、膝から崩れるように倒れようとした。素早く動き、わきの下に手をいれ支える。

 まだ意識をハッキリとさせられないみたいだ。視線は定まっていなく、脈も若干速い。

 『急に立ち上がるからです、気をつけましょう。地球よりも宇宙のほうが起こりやすい症状もあるのです。立ちくらみと判断できますが、ここは……』

 「分かってる……、分かってるよ。少し黙ってろよ……」

 私の腕を振り払うと、自ら進んでベッドへと横になった。自分の体調が分かっているんだろうか。いい傾向だ。

 左腕でナユタは顔を隠す。明かりがまぶしいのか。照明を六十パーセント落とす。

 地球のように外から明かりが入るわけではないので、純粋に暗闇の度合いが増す。

 『ナユタ、点滴を一応しておきましょう』

 「まかせる」

 ナユタは大人しく私に従ってくれた。珍しい、ただ単に体調が悪いだけなのだろうか。口答だけなら拒絶も出来たはずだ。

 袖をまくり、壁から医療セットを取り出す。チューブにつながれた点滴を。

 『少し、痛みます』

 針を、平均年齢としては白く細すぎるナユタの腕に刺す。無数の注射跡。長年、病に苦しんできた者の腕。

 人ならば、この照明を落とした視界の中見えないが、私は人ではない。AI。今は、こういう医療行為をするためのロボットだ。無論、カッコよさは関係ないはずなのだが。

 「人ってさ、なんでこんな脆いのかな……」

 ナユタの質問の答えを医学的に説明できた。しかし、それをナユタは求めていないことが、声の抑場、状況、パターンで理解する。

 だからと言って、こちらから話題を振るようなことも戸惑われた。戸惑う、という人間的な感情プログラムが状況を解析し作動したのだ。




 数分の沈黙の後、耐え切れなくなったのはもちろん人間であるナユタだった。

 「おとぎ話をしてやるよ」

 『ナユタ、少し仮眠を……』

 「むかーしむかし、あるところに少女と少年がいました」

 ナユタは私の意見を聞き入れてくれない。このまま起きているのは得策ではない。判断する。沈黙中は、眠りにつこうとしているものだと予測していたのに。

 医療道具を操作し、点滴に睡眠剤を四割注入。これで、徐々に眠りにつく。

「少女と少年は、わるーい神様に魔法をかけられて、身体がとても弱かったのです。それでも、少女と少年は二人でお喋りしたり、楽しげでした。雨が降る日も、風が吹く日も、嵐が来る日ももちろん関係ありません。二人は白い建物の中、過ごしていたのです。それはまるで、かごの鳥のようでした」

 点滴がナユタの身体を巡る。ナユタの規則的な呼吸音も感知できる。一人だけの呼吸音。静寂という言葉が当てはまる。

 元々宇宙に音は響かない。静かな宇宙。

 ナユタは、たった一人で宇宙に来て寂しくないのか。訊いたことが無い。普通ならば人は、悲しみを覚えるはずだ。

 時折、地球をぼんやりと眺めていることがあるが、その感情を読むことは出来ない。無表情だから。

 寂しさを紛らわせるための独り言は、一応無いようだ。私は、寂しさを紛らわせる役目も担っている。活躍できているのだろうか。今は、特に。

 「少年と少女はもともと一人ぼっち。でも、似たように魔法にかけられた相手がいて、二人は一人ぼっちではなくなったのです。しかし、悪くて汚い神様は、少女にもっと悪い魔法をかけたのです。妬んだのです、一人ぼっちの神様は。少女は苦しみました。少年もまた、苦しんだ少女を見て苦しみました。心が……心が苦しかったのです。」

 先ほどからナユタが話すおとぎ話を聴いているが、そのような物語は検索できない。ありとあらゆるデータを検索したが、見つからない。

 可能性としては、ナユタが作り出したものという可能性が様々な確率の中では一番高い。

 顔を隠すように乗せられている腕のせいで、表情は確認できない。

 「少女は泣きました。強がりだった少女は泣きました。死にたくない、死にたくないと泣きました。少年も泣きました。死なないで、死なないでと泣きました。……神に、祈ったのです。…………でも少女は死にました。神様は、人間が何を言おうと関係ないのです。ただ、少女を殺しました。全てを、奪いました……」

 ナユタの声に、揺らぎを感知。微かだが、感情に揺らぎを感知した。

 ナユタは、何かをぐっと耐えるように口を結び、やがてまた口を開いた。

 「しかし、神様でもたった一つ奪えないものがありました。それは、少女の夢。それだけは……奪えなかったのです……」

 そういい終えると、ナユタは何も話さなくなった。おしまい、と判断する。

 『……ナユタが作ったのですか?』

 「教え、ない。睡眠、薬、入れるよーな、おま、えには……」

 唯一腕に隠れていない口元は、笑みを浮かべていた。ばれていた。ナユタは意地悪だと、記録しておく。

 ナユタが話したおとぎ話、少年は一体どうしたのだ。あれでは物語としては、結末を迎えていない。教えてはくれないのだろう。

 知りたいと、私は思うことが出来ない。純粋な探究心は、持ち合わせていない。

 疑問は、探究心へと結びついてはくれない。私は、人ではないのだ。




 ナユタはそのまま、眠りについた。眠ったままでは眼球に腕の重みが負担になると判断したのでどかすと、ナユタの目元は赤みを帯びていた。

 さきほどの声の揺らぎは、悲しみのものであったと、今頃になって理解する。

 寝顔は、歳相応のものだった。ナユタを見ていると、解析できないプログラムが反応する。なんだろうか。

 やがてナユタも息絶える。それは、すぐ近くにきている。それまでに、分かるものなのだろうか。

 眠っているナユタの目尻から、涙が零れた。夢までは、私は判断できない。


















 「うん、元気だよ……って元気って言うのはおかしいか。うん……うん、じゃあね。また通信入れるよ……バイバイ」

 宇宙に来て十日目になる。

 今、ナユタが交信を終える。お父様との交信だ。

 ナユタはお母様と死別しており、お父様に育てられた。甘やかされて育ったからなのか、少し無邪気でお茶目なところがある。

 その無邪気さとお茶目さで、昨日私のロボットタイプの視覚センサーを片方壊した。人と同じように2つのセンサーで視覚情報を得ているため、現在は半分しか見れなくなってしまった。

 新品の予備のロボットタイプもあるが、それほど支障は出ていないため現状維持を取った。

 ナユタは、しりとりで勝ちすぎた私のせいだと言っていた。言いがかりだ、という人間的な発言は避けた。

 これでは、まるで外見のモデルとなった彼と境遇が似てくる。しかし、彼のようなユニークさはない。

 『お父様は素晴らしい人ですね、ナユタの夢を叶えてくれた』

 「え? あぁ、そうかもね。ハルの場合は、そうプログラムされているからだよ、たぶん」

 何かを考えていたのか、ナユタの声に力がない。夢を見れないように、私には人の心を読むということが出来ない。それは、AIとして当然のことなのか。

 自己回路、設定欄を検索、確認。プログラムで決定されているから、されているのなら、当然のことなのか。

 人は、予測してでも人の心を読むことが出来る。自己解析し、自己解釈をし、判断することが出来る。

 私は、できないのか。出来なければ、なんだと言うのだ。

 『……たしかに、そうプログラムされています』

 私の言葉に、ナユタは力なく笑った。その後、窓の外を見つめる。ちょうど外では太陽の位置の関係で、半月状に地球が見えた。

 「人は自由だよな〜〜。なんでも思い通りに作り変える。ハル、お前自身だってそうだ。ごう慢だよ、人は。ごう慢で、強欲で、汚い。神様は、自分に似せて創ったのが人間なんだってさ。神様が嫌いだ。そんな神様に似ている人も嫌いなんだろうな、僕は」

 私は、なにを答えるべきか判断しかねた。ナユタの独り言ともとれるが、私への質問とも取れる。

 「人なんて、嫌いだ……」

 独り言だったのだろうか、私は、何も答えられなかった。















 『ナユタ、宇宙船の居住区管理システム及び、私のAI回路にいくつかのエラーがさきほど確認されました。万全を期すため、宇宙服の着用を』

 私の言葉に、ナユタはベッドからのっそりと起き上がった。宇宙服を着るためだろう、病室から出て行った。

 だがおかしい、なにもナユタから返事が無かった。ただ単に、機嫌が悪かっただけなのか。そのことを判断するよりも、早急に正常な状態へと戻さなくてはならない。

 酸素濃度が安全値より十六パーセント低下、空気清浄機能七パーセント低下、温度管理設定にコントロールエラー。人が生活するのには、このまま進行を止められなければ厳しい条件になろうとしている。

 ナユタに連絡を取ろうとしたが、スピーカー及び、カメラにも問題が発生し、ナユタを感知できない。仕方なく照明をレッドランプに変え、異常事態をナユタに知らせる。

 どこにいるか分からないナユタ。ロボットタイプで船内を詮索しようとしたが、問題の追及に、人でいえば手を放せない状態に陥る。詮索よりも、今はナユタが正常に暮らせる環境へと元に戻すほうが先決と判断する。

 大丈夫。人は確かに脆いが、それを補うように私や宇宙船、宇宙服というものを開発した。私は人を、ナユタを安全に生活させるためだけに、動くのだ。

 私は全力で作業に取り掛かる。問題を探る。ありとあらゆる回路にアクセス。

 チェック。グリーン、正常。

 アクセス。チェック。グリーン。

 アクセス。チェック。グリーン。



 問題はない。早急に解決を。










 十数分の作業後、異常をきたしていた問題点を感知。どうやら、外部からの不正なアクセスにより、数個の機能がシャットダウン、及びパフォーマンスの低下に陥っていた。

 誰だろう。考えられる可能性としては、地球からのアクセスの可能性が大きい。一体誰が。

 『ナユタ、ナユタ』

 呼びかけても、ナユタは応じなかった。船内のカメラで詮索するが、どこにもいない。温度感知、音声感知、脈拍音、全てにおいて、感知できない。

 導き出される可能性はたった一つ。



 ナユタの存在が船内から消えた。



 いつからか。先ほどまで映像が途切れていたため、記録が残っていない。いつ、何をやっていたのかが何一つ分からない。

 あってはいけないことが、起こってしまった。緊急プログラムS−2001を起動。ナユタを探し出す。

 ロボットタイプを起動、すぐに船内を探索した。可能性としては、船外にいることも考えられる。しかし、先ほどまでの影響で船外の人の感知が出来ない。

 私の使命は、ナユタの体調管理、精神管理及び、安らかに死を真っ当させること。

 私は、見届けなければならない。死後地球に帰還し、身体を、お父様に返さなくてはならない。

 それが使命。それが私の存在理由。

 

 だから探さなくてはならないのだ。それ以外の理由は。










 船内を巡り、後方部のハッチへと移動する。移動の途中、宇宙服が無いことを確認。しかし、それをナユタが着ているかどうかは確認できない。

 船外で宇宙服を着ないで出た場合、人は死ぬ。数秒間ならば、無事ではないが生きられる。しかしそれ以上はフリーズドライのように身体の水分は蒸発し死んでしまう。人は、脆いのだ。

 ナユタの場合常人よりも生命力は低い。ナユタならば数秒でももたないだろう。



 船外へのハッチへと移動すると完全に開いていた。一つだけの視界センサーに暗闇の宇宙が広がる。ちょうど、太陽が地球の反対側に位置している。この宇宙船の周囲には、光が届いてない。

 この真っ暗闇の中を、ナユタは出て行ったというのか。ナユタは、恐怖しなかったのか。

 過去の会話データを解析しても、ナユタが死を過度に恐怖したという行動や言動は今まで見受けられなかった。 ナユタは、死を恐れていないのか。それは、人間ではありえないはずだと分かっている。分かっているが…。


 船体を操作し周囲をライトで広範囲に照らす。船外のカメラで三百六十度捜索する。一秒でも早く、ナユタを探し出さなければならない。



 数秒後遥か彼方に、一つの光点を発見。船外活動ポットの光と判断できた。

 最大限ズームをし、宇宙服を身にまとった人影を確認。ヘルメット内の顔を認証。

 ナユタだ。

 『こちらハル。ナユタ、応答してください』

 通信周波数を宇宙服のものに合わせるが、ナユタは何も応えない。

 こちらから連絡を発信しているのは確かだ。ナユタにも通じているはずなのに、あちらから通信がない。応えたくないということなのか。

 ここまでの状況、あまりにもおかしい。考えれば、あの異常事態もこの問題に関係しているのかもしれない。しかしそれは後でもいい。今はナユタを連れ戻さなくては。

 しかたなく、私は宇宙船ごと起動させる。安全装置をはずし、エンジンに点火させようと動力システムアクセスしようとした。


 しかし、それは出来なかった。


 一瞬にして、今度はメイン機能ごとシャットダウンさせられた。人が言う手をすり抜けていったという感覚が近いようなものだった。

 今度のは、自己修復システムにも影響を及ぼしているようだ。回復をすぐに始めることが出来ない。

 最後に感知したが、同じく地球からのアクセスと判明。やはり、意図的だ。

 そんな状態の船をどうにか出来るはずもない。唯一独立して動けるロボットタイプで、ナユタを見る。船外のライトも消え、たった一つのナユタが乗ったポットの光点が点滅していた。

 『ナユタ……』

 届くはずはないのに、私は何故かナユタの名を呼んでいた。 ナユタは一度も、私のほうを振り向かなかった。

 思考回路に正体不明のエラーが発生する。このエラーの名前は知らない。
















 六時間後機能が回復した。一時間前に自己回復システムのプロテクトを外し終えて、そこからは順調に回復できた。しかし今回は回復までにあまりにも長すぎた。

 ナユタの宇宙服の最大船外活動時間は、十二時間。ナユタが宇宙服を着た時間を想定し、時間を算出。残り、五時間と二十分と予測。

 ナユタがポットで向かっていった方角を計算し、宇宙船を起動させ飛ばした。

 ナユタはどこに向かうのか。想像することが苦手な私は分からない。

 ポットの燃料からしても、遠くにいけるはずが無い。

 行ける距離、場所、方向を算出。行ける場所はただ一つ。

 月だ。

 私は、月へと急いだ。












 月に行けば、すぐにナユタを発見できると思っていた。ほとんどの機能が直ったので、船外に出たナユタでも簡単に捜索できると思っていた。

 しかし月に着陸しても、ナユタの元へ一直線に向かうことは出来なかった。感知できないのではない。感知は出来るが、妨害されている。

 宇宙船だけではなく、宇宙服にも妨害工作がされていた。ジャミングだ。

 これまでのナユタの行動、宇宙船への妨害。

結論を導く出すとすれば、ナユタは皆を騙し宇宙へ来て、誰かの協力によって月に着陸した。

 どんな理由か、までは分からない。しかし、私は何があってもナユタを見つけなければならない。

 ナユタが言ったとおり。私は、そう作られているのだ。それ以外、なにが私の中にあるのだろうか。エラーがある。AI回路のどこを探しても見つからないものがある。それがなにかが分からない。







 私は、走り出した。月全体を探すわけではない。ナユタが乗っていたあのポットでは、着陸不可能な場所、及び距離がある。

 このような状況は想定されていなかったため、捜索用の機材は何一つ無い。ただ走る。

 見渡せば灰色の世界、見上げれば黒色の世界。地球では、決して見ることが出来ない世界。人はコレを、神秘的と例えるのだろうか。ナユタならば、美しいと感じるのだろうか。

 凹凸が激しい岩場を、慎重に計算しながら駆け抜けた。元々、医療をメインとしたロボットタイプだ。激しい運動は、無理がある。

 しかし、捜索時間とナユタの宇宙服の酸素残量時間。宇宙船への帰還時間を照らし合わせてみると、無理を少々しなくてはいけないみたいだ。

 この身体は、宇宙船に帰ったら使えないものになっているだろう。心配はない。予備があるから大丈夫だ。

 だがもう一機のロボットタイプも同タイプだ。ナユタに、センスがないとまた笑われてしまうのだろうか。

 そんなことを、ふいにされたいと思った。何故だろう、不快感を若干覚えるものなのに、私はそんなことをされたいと思った。

 駆け抜ける。宇宙空間を。月の地を。

 私はナユタを見つけなければならない。設定、されているのだから。そうだから。

 それに間違いはないはずなのに、正体不明のプログラムが機能している。それを、まだ解析できない。











 一時間と五十六分後。ナユタを発見した。小高い山の頂上に、腰をかけて宇宙を見上げていた。

 その近くには、横転しているポットがあった。破損部分は右側のライトと、フレームが少々歪んでいる程度。転倒したと見られる。

 ナユタへの怪我はどうなのだろうか。大きな怪我をしていれば、この小高い山すら登れないだろうから、その心配はなさそうだが。

 しかし小さな怪我があるかもしれない。ナユタの身体をスキャンする。簡易チェックだけならば、このロボットタイプのみでも行えるのだ。

 異常は見られなかった。ナユタに怪我はないようだ。


 『ナユタ、帰りましょう。酸素が残り少ないはずです』

 通信が可能だ。いつのまにかジャミングは無くなっている。

 下からナユタを見上げて声をかけるが、ナユタはずっと上を見続けるのみ。何かあるのかと私も見上げてみるが、何もない。ただ宇宙が広がっていた。

 通信は繋がっているはずなのに、応答してくれない。

 私は早急に帰還しなくてはならないことを考え、仕方なく岩場を登っていく。一蹴りごとに大きく駆け上る。月では地球の重力の六分の一だ。地球では、このロボットタイプではこんな岩場登れないだろう。

 膝を曲げると、負荷が限界に達していると感知。やはり、このロボットタイプは帰ったら壊れてしまうだろう。

 最後は、身を乗り出すように頂上に足をつけた。


 宇宙を見上げていたナユタの視界に、私は割り込んだ。

 『ナユタ、聴こえないフリは駄目です』

 「……ははっ、来たんだなハル。それが、お前の使命だもんな。まいったよ、船外活動船なんて初めて運転したからさ、着陸失敗しちゃった。おじゃんだ。おかしいな〜、博士はゲームが得意なら大丈夫だって言っていたのに。ま、いいや。……ほら見ろよ、綺麗だな。宇宙船の中よりも、もっと身近に宇宙を感じるよ。神秘的だ……。すごいな、宇宙って。人はちっぽけだ」

 覗き込んだ私に、ナユタはニッコリと笑みを浮かべる。子供らしい笑みだ。

 『私の使命と分かっているのならば、一緒に宇宙船へ帰還してください。私は、この場でナユタを見送るわけにはいきません。船内で、ナユタには生涯を全うし』

 「知っているか? 本当のナユタの生涯なんて、ずっと前に全うしていたんだよ……。人には、避けては通れない道っていうのがあるんだ。宿命だよ」

 意味を間違えているのか。目の前の現状と、ナユタの言葉の意味を一致させ理解できなかった。

 酸素が不足して思考力が低下し、混乱しているのだろうか。

 『……ナユタ、あなたはまだ』

 「僕じゃない。本物の、ナユタのほうだ……。僕はね、アンドロイドなんだよ、ハル……」

 ナユタの言葉に揺らぎはない。瞳も、揺るがない。

 どうやら情報を、改変する必要がありそうだ。










 ナユタは、全てを話してくれた。

 昔、ある一人の男が家族を事故で失った。妻と、一人息子。妻の遺体は損傷が激しく、見ることも出来なかったという。

 失意の中、男はあることを考え付いた。身体の損傷が激しくない息子だけは、どうしても助けようと。

 男は、家族を失いたくなかった。人ならば、誰でもそうだ。そして、男にはそれを実現させるだけの、金と力があった。時代も、不可能を可能とする時代だった。

 基本となるロボット体を作り、秘密裏に脳を移植。息子は、そうやって生き延びた。アンドロイドの、ナユタの第二の誕生だった。

 それから何回もの手術を繰り返す。目、皮膚、内臓。機械のパーツ部分を有機部品に変えていき、人に限りなく近い身体を与えていった。

 だから私でも感知できなかった。いや、感知できないようなプログラムが、組まれていたのかもしれない。

 身体のパーツを変えるたび、ナユタは苦しんだ。心が、軋んでいった。

 それでも男の悲しげな、優しげな瞳を見ると何もいえなくなったそうだ。ただ、無邪気に笑みを見せることが、パパにありがとう、愛しているって言うことが役目な気がしたそうだ。


 身体を有機パーツに変えるたびに、人がかかる様な病にも冒されていった。世界初の非公式での脳移植アンドロイド。前例がない、危険な賭けなのだ。

 身体のほとんどを有機パーツで完成させる頃には、身体の弱い人間と同様のような、生命力となっていったという。

 死が訪れるのではない。現状維持が不可能になり停止という、人ではない終わり方を迎えようとしていた。

 ナユタは、病院に入院した。男は、いやお父様はどんなことをしてもナユタを生かしたかったのだ。

 ナユタは、それに応えたかった。そしてそれは、自分の命ではなくなっていくことだった。


 病院でナユタは一人の少女と出会った。おとぎ話は、昔話だったのだ。

 正体を隠しながら、ナユタは少女と仲良くなった。ナユタは、それを恋かもしれないと言った。

 しかし、少女は人間。誰にでも訪れるものを、避けることなど出来ない。



 少女は死んだ。人として当たり前の結末を、他の人よりも早く迎えたのだ。



 生前、少女はナユタにこう言ったいたのだ。月に行きたい、と。










 「一度でいいから、月に行ってみたい。地球を、眺めてみたいの。宇宙をスキップで散歩したいの。木星と火星の春も見てみたいわ……って。彼女はね、僕を好きでいてくれたんだ。だから、夢を、叶えてあげたくて。叶えてあげたくて……」

 ナユタは、泣いていた。ヘルメットの中で、泣き声が響いた。涙は、なかなかナユタの頬を流れない。重力は、地球の六分の一だ。

 私は、泣いているナユタの肩に手を置いた。どうしてそうしたのか分からない。慰めるという名目は確かにあった。しかし、解析不能なものも一つあったのだ。

 「人はごう慢だよ……。汚くて、醜くて、酷い。僕はそんな人か、人間なのか!? こんな……こんな身体になってまで人で在り続けなければならない理由はなんなんだよ!!」

 傍にあった岩へと手を何度も叩きつける。私はスキャン機能を起動させ、すぐナユタの身体を調べ上げる。宇宙服内にナユタの腕から血が漂っていた。血だけではない、他に機械的なオイル類だろうか、どす黒い液体もまた混じっていた。確かに、それは人間の体内では生成されない液体だ。

 『ナユタ止めてください。傷ついてしまいます』

 近づこうとしたらその行動は止めたが、後ずさって私から離れようとした。その表情は混乱に満ちている。下手に刺激は与えるべきではないのだろう。

 「うるさい、うるさいうるさい! なぁハル、人の定義って……なんだ? お前はロボットだろう? じゃあ僕は、なんだ?」

 その答えは、私は持ち合わせていない。私を作り出したのは人間だ。人間がいまだに分かりえないことは、私にも分からないのだ。

 私からの答えを望めないと分かったナユタは、いっそう駄々をこねた子供のように、首を振った。何かを、振り払うような仕草だった。

 「それでも、僕は美しいと思うんだ、そんな人々が。人間が。……彼女が、好きだったんだっ! でも、でも……大っ嫌いだーーーー! ……大好きだーーーー!!」

 ナユタは叫んだ。立ち上がって、力いっぱい叫んだ。声は、ヘルメットより遠くへは届かない。宇宙に音は響かない。それでも、地球に向けて叫んだ。

 言っていることは、正反対のことを交互に。意味を発しているというよりも、感情を発しているものだと、理解できた。 感情なら宇宙に響くのだろうか。

 ナユタは、ほとんどのことを経験してしまった。死ぬこと、生きること。失う者の思い、意志とは関係なく生を望む者の思い。

 重すぎたのだろう、一人の少年には。そして私は、ナユタのことを何も分かっていなかった。

 ただ、ナユタは力の限り叫んだ。泣きながら、叫んだ。私はただ、見つめることしか出来なかった。



 やがて泣きながらナユタは、宇宙服のポケットから何かを取り出した。試験管のようなものだ。

 そして突然、私に向かって突進してきた。私は急なことに、体制を崩して転んでしまった。かろうじて、落下することだけは避けることが出来た。落下してロボットタイプの身体が壊れてしまったら、ナユタを助けることは出来なくなってしまう。

 すぐに起き上がろうとした。その前に、ナユタは私に通信を入れた。

 「こっちに来るなよ、僕は死ぬぞ」

 落ちる寸前の場所まで、ナユタは後退していた。先ほど取り出した試験管のような物を片手に持って目の前に突き出す。

 爆発物だろうか。ナユタの親指付近には、ボタンがある。

 このロボットタイプでは、解析は不能だった。宇宙船本体との情報解析交信も、この距離では不可能だ。

 「僕は、もう眠るんだ。自分の意志で眠るんだ。自分の死は、自分で決める! 誰にも、人の命を操作する権利はないんだよ……」

 ナユタの瞳が、揺れていた。涙が、零れていきそうだった。

 ふいにどこかの回路が、動いた。そんな、気がした。


 『私は、ナユタが好きです』

 「だっ……え?」

 私は、今この場に適したことを言ったのだろうか。判断できないが、たぶん、さきほどの言葉は適切な言葉ではないだろう。ナユタの驚いた表情を見ると、それだけは分かった。でも、私は発していた。音声を、言葉を、発していた。

 『生きて欲しいと、望むことはいけないのでしょうか? 私は、ナユタに生きて欲しいと思うのです。死を全うするという前に、人はやはり、生きるべきです。そして私は、ナユタの生を望んでいるのです』

 「なに言ってっ……お前はロボットだろう! 機械だろう!? 僕は死ぬんだ! 僕は死ぬんだ!」

 ナユタは、同じように叫んだ。私に向けて。

 私は、ナユタに向けて言葉を放つ。信号を作り、電波となり、ナユタに届ける。

 私が人ならば祈りたい。私が《感じている感情全て》届いて欲しいと。

 『私はただ、ナユタと、またしりとりをしたいのです』

 ナユタは、静止したまま、私を見つめた。

 首を横にゆっくりと振る。徐々にそれは早くなる。幼子がわがままを言うときのようだ。口元も歪んでいる。

 そして私から逃げるようにゆっくりと、後退していった。


 「……あ」

 私はその声と同時に動いた。

 ナユタの身体がゆっくりと落ちていく。足場を崩したのだ。

 私は、突き出されていたナユタの手を掴もうと、手を伸ばした。そして、しっかりと掴んだ。


 「ああっ……」

 掴んでこちらに引っ張った。だがそのときの衝撃で、何かが宙に舞った。パラパラとした白っぽい灰色の粉のようなものだった。

 宇宙に解き放たれたその白っぽい灰色の粉は、どんどん私たちから離れていく。


 粉は、宇宙に散らばっていった。


 一つ一つの粒子が、漂っていく。向かう先などないのだろう。ただ、開放されたその粉は、私たちから離れていった。

 私になだれ込むようにナユタは転んだ。痛みは、私にはない。

 私を下敷きにしながら、ナユタはその舞ったものをじっと眺めていた。じっと、眺めていた。

 地面の土煙が舞ったのではなかった。よく見ると、ナユタが持っていた試験管のようなものが開いている。粉は、そこから出たものだと観測できた。

 「……バイバイ」

 ナユタは、そう一言だけ言ったきり黙った。

 突然ヘルメットにある太陽光除けの黒いバインダーを下ろして、ナユタは顔を隠した。ナユタの表情は見えない。通信も切って、声も届かない。

 ナユタは、どんな感情をその幼い表情に浮かべているのだろう。

 私を下敷きにしながら、じっとナユタは宇宙を眺めていた。粉が天の川のように広がっていった、宇宙を眺めていた。

 あれが何だったのか、訊けずに私はいる。採取すれば、成分も分析できただろう。しかし、それは決してやってはいけない気がした。捕まえては、いけない気がした。解き放たれた、その粉を。

 

 その粉を見ている最中、先ほど動いた回路が、何かが、私の中に広がった。

 何かが解き放たれ、突き抜けた感覚がそれを確かなものにしたのだ。


 私もナユタとともに、ただ黙って宇宙を眺めた。感慨、という言葉の意味と、感傷、という言葉の意味を掴めた気がした。

 私たちは、しばらく、そうやって宇宙を見上げていた。









 二人で宇宙を眺めた後、ナユタは一言帰ろうと言って、私と一緒に宇宙船に戻った。

 使い物にならなくなったポットを置いていき、二人で月を歩く。一面、灰色の地面を歩く。

 月をハイキングだ、とナユタは笑った。私は、この時ほどこのロボットタイプに表情を付けてくれないのを恨んだ事はない。

 それをナユタに言うと、つけたらもっとブサイクになるぞと言った。

 表情がなくてよかった、と私が言うと、ナユタは驚いたようにした後、お腹を抱えて笑った。

 これが、ユニークということなのだろうか。やはり、いまだに難しい。



















 それからの日々は、何も変わらなかった。ただ、私とナユタは一緒に過ごした。

 使えなくなったロボットタイプの部品を、新しく起動させたロボットタイプにナユタは付けたりして改造したり。仕舞ったゲームをやり直したり、お喋りをしたり。そう、しりとりは何度もした。

 何かして欲しいか、願いはないかという私の言葉に、ナユタはただ微笑んだ。

 私には、それがどういう細かい意味を持つのか分からなかったが、ただ頷き受け入れたいと心から思った。







 そうして日々を過ごし、ナユタは息を引き取った。









 『お父様、ナユタが、息を引き取りました。帰還します』

 地球への通信をし、あちらから帰還ポイントの通信が入るまで待機する。

 ベッドには、ナユタが眠っている。静かだ。あれほど、宇宙に来たときははしゃいでいたというのに。

 「ナユタ君は、息を引き取ったのかね」

 『博士』

 独自回線にて、直接私の回路内に映像が流れ込んでくる。頭皮が見えそうなほど薄く少ない白髪をオールバックにし、あごひげを生やした初老の男性。ナユタが、笑顔が素敵だといっていた老人。私を作り出した博士だ。

 『先ほど、息を引き取られました。穏やかに、瞳を閉じました。本当に、穏やかでした』

 「そうか……。ふむ、君も成長したのだなハル。中々ロボットとは思えない表現を使う」

 『そうでしょうか、よく分かりません』

 博士の言葉に、人で言えば首をかしげた。

 独自回線で通信中の私は、ロボットタイプを停止させている。ロボットタイプを起動していたら、首を果たしてかしげるという反射行動を起こしていたのだろうか。

 「ふぬ、そうか。いや、穏やかならば……良かったの」

 『博士、一つお尋ねしたいことがあります』

 「なんだね?」

 顎に手を添え微笑む博士は、優しげという言葉が似合う。そう思った。宇宙に旅立つ前は、理解できなかったものだ。ナユタに出会い、学んだことだ。

 『博士が、手引きなさいましたね。ナユタの宇宙へ出る行動全ての』

 全ての可能性を計算した上で出された、最も高い予測。この宇宙船、私を設計開発した博士ならば、回路をシャットダウンするなんて簡単なもの。私の通信回路をいじるのも。今博士が通常回線で通信していないのも、それで説明というものが付く。

 「……ワシにはな、孫はおろか子供もいない。クリスマスには、近くの病院で毎回サンタ役なんだよ。誰がどんな物を好きか、夢見ることが何なのか、全部心得ている。もちろんその病院にいた、ナユタ君の好きな物も夢もな。老いぼれたサンタは……毎年必ずプレゼントを届けるのが仕事なのだよ」

 微笑むその笑顔は、データバンク内に収録されているサンタという人物によく似ている気がした。

 『ありがとうございます』

 私がそう言うと、博士は酷く驚いた顔をした。なんだろう、マズイことを言ってしまったのだろうか。いや、不適切な言葉ではなかったはずなのだが。

 ナユタが叶えたいと思った夢を博士は色々手を打って叶えようとした。だから、私から感謝を伝えたい。それに、間違いはないはずだ。

 「ナユタ君とは、いい人生を歩んだみたいだな……ハル」

 『はい』

 「息子の一人立ちとは、こういうものなのかね……」

 『すみません博士、聞き取れませんでした。もう少しマイクに近づけて』

 「いや、いいんだ……。いいんだよハル。元気でな」

 博士はそれだけ言い終えると、通信を切ってしまった。煮え切らない、という表現は果たして今私が今感じている感情に当てはまるのであろうか。

 分からないが、最後の博士が残した笑顔は、どことなくナユタに似ている気がした。

 

 

 

 

 ナユタが息を引き取った今、私が話す意味はなくなる。静かな、無音状態が続く。人のような独り言は、私には意味がない。地球から着陸地点を教えられるまで、じっとして、動くこともない。

 だが、やることがまだある。ナユタからのムービーレターがあるのだ。

 亡くなる数日前、ナユタに言われた。病室の監視を一切やめてほしいと、五分だけでいいと。

 言われたとおり、私は病室の監視を一切断ち切った。ナユタが自殺するという可能性は、ほとんどゼロだった。心配は、しなかった。

 そして、一枚のディスクを渡された。私への、メッセージを収録したものだという。


 私は、それを再生した。船内に映像は流れない。私の中で流れた。映像の中で、ナユタは動いていた。











 「あ、あーー……、なんて言ったらいいのかな。追い出したはいいけど、本当に盗み見ていないだろうな? まぁ……見てても、無視してよ。うん、なんだ……。ありがと。これだけ、言いたかった。言いたかったけど、直接は伝えられないや。間接的でごめん。感謝、しているよ。ありがとう。ありがとう……。いっぱい話したな、いっぱい。ユニークさも、向上したよハルは。まだまだ僕には追いつけないけどね。ロボットタイプも、カッコよくなったろ? 僕がデザインしたんだ。カッコいいはずだよ。しりとりは、一回も勝てないけど。これから勝つよ。見てろよ!  ……僕、もうそろそろだろうな。分かるんだ、自分で。最後に、おとぎ話の続きだ。少年は、宇宙へと旅立ちました。少女の夢を抱え。そこで、ブサイクなブリキと出会いました。ブリキは、悲しくて頑なだった少年の心を溶かしました。ユニークさはないくせに、少年の心を溶かしたのです。少年は、月で少女の思いを放ちました。少女は、蝶になって宇宙に羽ばたきました。お別れをしたのです。でも少年は、一人ぼっちになったわけではありません。ブリキと、仲良く宇宙で暮らしました。少年の……、少年の心は温まり、神様だって跳ね返す笑顔を手に入れました。悲しくはありません。少年は、ブリキと楽しく暮らしながら、少女のもとへ旅立ったのです。ブリキも、一緒に旅立ったのです。宇宙の、遥か彼方へ、三人で旅立ったのです……。おし、まい。じゃあな、ムービーレターはおしまいだハル。じゃあ、行こう…………ハル」












 そこで、ムービーレターは終わった。

 盗み見なんてしていません。私は約束は守ります。ナユタとの約束は守ります。

 カッコいいのか、私一人では分かりません。ナユタが改造してくれたこのロボットタイプがカッコいいのかなんて、分かりません。でも、ナユタが作ってくれたこのロボットタイプを、私は嬉しく思います。

 しりとりは、結局勝てませんでしたね。手加減を、すれば良かった。そんなことを言ったらナユタは怒りますか?

 ただ、一つだけに確固たる答えを返せます。

 なぜ、私のあの質問に対して笑顔だったのかを、今分かりました。理解できたのです、私にも、人の気持ちを。

 そして私は呟いた。一人で呟いたのだ。



 『行きましょう、ナユタ』



 宇宙に音は響かない。それでも、声は、届いていますか? 天国へ、届いてますか?

 人が不確かなものを信じる気持ちが、理解できます。涙を流せないのを、悔やみます。

 でも大丈夫。私たちは旅立つ。宇宙の遥か彼方へ。旅立ちましょう、ナユタ。


 エンジンを作動する。方向を地球とは正反対へ向ける。点火。さぁ、行きましょう。

 地球からの通信が入る。しかし、そこは違う。私たちの行くべき場所ではない。


 進む、進む。闇を包む宇宙を。進む、進む。光の彼方へ。




 『行きましょう、ナユタ』



 いこう、ハル。




 声が、聞こえた気がした。ナユタは、笑っていた。


 私たちは、旅立った。宇宙へと、旅立った。










おしまい。

C3POよりかは、ハルはカッコいいです。描写力が足りませんが。

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― 新着の感想 ―
[一言] C3-POよりカッコイイのは自慢になるんでしょうか?(笑) 引き込まれて一気に読んでしまう、読まされてしまう魅力のありました。 SFとしては王道のテーマかもしれませんが、心理描写と展開が上手…
[一言]  良いです。  すっごく良いですっ。  何が良いって、AIという人間意外の難しいキャラを一人称に選び、最後まで上手く書き切っている所とか、全体に漂う単調だけど淋しげな雰囲気とか、ストーリー展…
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