表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

恋する時間

作者: 水上和樹

「これでタイム計っといてくれよ」

「うん、大丈夫」

 陸上部の部員である彼から、陸上部のマネージャーである私はストップウォッチを受け取った。

 とはいえ部活ではなく、今日は日曜日で休みなのだが、たまたま駅伝にむけての自主練を、起伏のある住宅地でしていた彼に出会い、少し話しをするうちに区間タイムを計ることになってしまった。

 市街地へ買物に行くつもりだった私は私服姿で、今はもう他界した祖母から誕生日に買って貰ったブランド物のバッグを持っている。

 その私の姿とストップウォッチは明らかにミスマッチだ。

 彼はさすがにユニフォーム姿ではないが、Tシャツに短パンと身軽な服装だ。

 二人を客観的に見れば、これもまたミスマッチだろう。

 もちろん私と彼がどう周りから見えようが、私には全く興味のないことではあるが…。

「それじゃ、用意して」

 私はいくらかの気だるさを匂わせつつヨーイドンの準備をする。

 数十分程度の我慢。彼が帰ってくればすぐに買物へ行こう。

 彼がウォーミングアップを止めてスタートラインに立つ。

「ヨーイ」

「イーーーヤッホーーーーーーイ!!!」

 突然の奇声と共に私は突き飛ばされた。

 そして腕に強烈な力がかかり、思わずストップウォッチを落としてしまった。


カチッ

00'00"00


「おいっ!」

 彼が駆け出した。

 顔を上げると二人乗りのスクーターが私のバッグを持って逃げている。それを彼は追いかけたのだ。

「止めて!危ないよ!」

 私は大声で叫んだが、スクーターの音にかき消されて届いていない。


00'05"12


 住宅街で、かつ二人乗りなので、直線とはいえスクーターはいまいちスピードに乗りきれていない。しかしさすがに人の足ではなかなか追い付けない。じりじりと差がついていく。

「もういいから!」

 私は座り込んだまま口元に手を当て思いきり叫ぶがもう届かない距離まで走っていってしまった。


00'42"71


 もし奪い返したとしても、相手は二人なのだ。二人がかりで襲われれば彼が危険だ。

 立ち上がろうとしたが、足首に激痛が走り、また座り込んでしまった。先ほど倒されたときに、足首を捻ってしまったらしい。

「痛たた…」

 何度か立ち上がろうと試してみたが、力が入らない。

 携帯電話で警察を呼ぼうにもそればバッグの中。私にできることはここで座って待つだけだった。


01'31"40


 彼とは同級生だが、部活が一緒になって初めて会話をするようになった。でも一言二言陸上部に関わる話をするぐらいで、私は彼のことを何も知らない。彼もきっと私のことを何も知らない。

 それなのにバイクを必死に追いかけて、正義漢ぶって…今どき流行らない、そんな男。


01'51"30


「でも…」

 そういえば、大好きだった祖母が言っていた。

 警察官だった祖父は、愚直で、不器用で、そして絵に描いたような正義漢だったと。そんな祖父がたまらなく好きだったと語ってくれた。

 その時だけは、まるで子供のような無邪気な笑顔で。その顔を見て、当時は祖母のように歳をとっていきたいなと思ったものだ。

 私の脳裏に祖母の顔と最後に贈られたバッグが重なる。

「お願い…」

 もういいからと叫んだが、本心は真逆だった。

「取り返して…」

 あのバッグだけは買い替えることのできない大切な物。


02'22"51


 足元にストップウォッチが転がっていることに気付いた。

 何となく拾っておかないと、とそれを懸命に手を伸ばして拾う。

「よい…しょ」

「おい」

 突然後ろから声をかけられ驚いた。そして恐る恐る振り向く。

 そこには彼の顔。一生懸命走ったのだろう、顔が真っ赤になっている。

「ほら」

 手にはバッグ。私の、祖母から贈られたバッグ。

「あ…ありがとう」

 喜びと共に戸惑いのような感情が混じり、中途半端なお礼になってしまった。彼に聞いた。

「な、なんで?」

 何のこと?と彼は首を傾げる。

「なんで取り返してくれたの?危ないし、私とそんなに…仲良いわけじゃないし」

 最後の言葉は言いにくく、少し言い淀んでしまう。

 彼はあっけらかんと言った。

「だって、それお前の大事な物だろ?」

「えっ?」

「近所だからたまに見かけてたけど、そのバッグを持ち歩いてる時は特別何か楽しそうに見えたから」

 その言葉にドキッと心臓が跳ね上がり、思わずストップウォッチを落としてしまう。


カチッ


 自分の顔がカーッと赤くなるのを感じた。もちろん、彼が真っ赤なこととは理由が違う。

 私は彼のことを何も知らないけど、彼は私のことを意外と知っているのかもしれない。

 ストップウォッチを拾い、彼の手を借りて立ち上がる。

「本当にありがとう」

 今度は心から喜んでそう言った。私は祖母のように笑えているかな?

 チラリとストップウォッチを見る。


03'00"00


 それは私が彼に恋をした時間。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 上手でした
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ